第四十三話:最初の授業と、知の応酬
王立天媒院での私たちの新たな生活は想像以上に過酷なものだった。
セレスティーナ様に与えられたのは天媒院の寮の中でも最も格式の高い貴族専用の棟にある広大な居室。しかしその部屋を用意する侍女や身の回りの世話をする者たちは皆、ライネスティア家やそれに連なる貴族家から送り込まれた者たちばかりだった。
彼らは表向きは完璧な礼儀で私たちに接する。だがその視線にはあからさまな監視の色が浮かんでいた。
「……まるで、鳥籠の中ね」
部屋の窓から眼下に広がる美しい庭園を見下ろしながら、セレスティーナ様はそう呟いた。
「ええ。ですが、鳥籠の主が、誰なのか。彼らは、思い知ることになるでしょう」
私は彼女の言葉に静かにそう返す。
私たちの最初の戦いはこの四方を敵に囲まれた居室の中で始まった。
私がセレスティーナ様のお茶を用意しようとすればライネスティア家の侍女が「そのような雑務は、我々が」とやんわりと、しかし確実にそれを妨害しようとする。
私がセレスティーナ様のドレスを選ぼうとすればツェルバルク家の侍女が「ヴァイスハルト家の令嬢に、そのような地味なドレスは、お似合いになりませんわ」と嫌味を言ってくる。
全てがセレスティーナ様を私たちから孤立させようという陰湿な嫌がらせだった。
だが私たちはもう、ただやられるだけのか弱き姫君とそのメイドではない。
「結構ですわ。私の髪を結うのは、リリアにしか、任せておりませんので」
「あら、ありがとう。でも、私には、リリアが選んでくれた、このドレスが、一番、しっくりくるの」
セレスティーナ様は彼女たちの悪意に満ちた申し出を氷の微笑で完璧に、そして容赦なくはねのけ続けた。
その気高く揺るぎない態度に侍女たちは悔しそうに唇を噛むしかなかった。
そして翌日。
天媒院での最初の授業が始まった。
大講義室には百人を超える新入生たちが集まっている。そのほとんどが環流マナ術の適性を持つ有力貴族の子弟たちだ。
私とセレスティーナ様が部屋に入るとそれまで騒がしかった講義室が水を打ったように静まり返った。
全ての視線が私たちに突き刺さる。
その中にはもちろんラザルスとイザベラの敵意に満ちた視線も含まれていた。
その日の最初の授業は『古代魔術論』。
教壇に立ったのはあの何を考えているか全く読めないアルベール・クロイツェル教授だった。
「――諸君、入学おめでとう。私の授業では、君たちの、その、おめでたい頭に、少しばかりの、本物の知識を、叩き込んでやる。覚悟しておくことだ」
教授は眠たげな目で私たちを一瞥するとそう言い放った。
「さて、最初の授業だが……教科書は、使わん」
講義室がざわめく。
教授はそんな私たちを面白そうに見回すと一枚の古びた羊皮紙を掲げてみせた。
「これは、150年前に、王家の宮廷魔術師が記録した、『エーテル密度観測記録』の写しだ。見ての通り、ある特定の時期を境に、王都周辺の、エーテル密度が、観測史上、ありえないほどの、異常な乱高下を示している。だが、その原因は、歴史書の、どこにも、記されていない。当時の、他の記録も、まるで、申し合わせたかのように、この件については、口を閉ざしている」
教授はそこで言葉を切るとその剃刀のような視線をまっすぐにセレスティーナ様に向けた。
「――ヴァイスハルト家の、ご令嬢。あなたならば、この、歴史の『空白』を、どう、解釈されるかな?」
(……!)
私は息を呑んだ。
なんて意地の悪い問いかけだろう。この問いかけには答えがない。教授は明らかにセレスティーナ様を試しているのだ。
講義室中の視線が再びセレスティーナ様に集中する。
彼女はその視線を真っ直ぐに受け止めた。
そして静かに手を挙げた。
「先生。その問いは、問いそのものが、間違っておりますわ」
「ほう? それは、なぜかね、ヴァイスハルト嬢」
「それは、物理的な観測記録だけで、歴史の真実を、読み解こうとしているからです。本当に、重要なのは、数字ではありません。その時代に生きた、人間が、何を恐れ、何を隠し、そして、何を、後世に、伝えたくなかったのか。その『感情』こそが、歴史の、空白を埋める、唯一の鍵なのではなくて?」
その整然とした答えにクロイツェル教授の眠たげな瞳が初めて面白い玩具を見つけた子供のようにきらりと光った。
講義室の空気が変わる。ラザルスの眉間に苛立ちのシワが刻まれ、イザベラは何を言っているのか分からないという顔で扇子をせわしなく動かしている。
セレスティーナ様は誰にも動じない。
その凛とした立ち姿はまるで嵐の海に立つ白亜の灯台のようだった。
私たちの本当の戦いはもう始まっている。
この華やかで、そして危険な学びの園で。




