第十二話:監視者のいる街
翌日。私は、久しぶりにメイド服ではない、簡素な街娘の服に着替え、乗り合い馬車に乗って王都へと向かった。
屋敷の外の空気は、どこか埃っぽく、しかし活気に満ちていて、私の心を少しだけ軽くしてくれた。
(よし、これは、我が君から与えられた、初めての秘密の任務だ! 完璧にこなして、私の有用性を示してみせる!)
恋心は、いったん心の奥底に封印だ。今は、任務に集中する。
私は、頬をパンと叩き、気合を入れると、目的地である王都の第五区画を目指した。
第五区画は、表通りから外れた、いわゆる裏路地が入り組んだ場所だった。怪しげな露店や、うさんくさい占い師の店が軒を連ねている。
その一角に、目的の店はあった。
『クロウリー商会』。煤けた木の看板が、かろうじてそう読める。店内は薄暗く、錬金術の道具や、得体の知れない動植物の標本などが、所狭しと並べられていた。どう見ても、普通の商会ではない。
「……ごめんください」
「…何だね」
奥から現れたのは、フードを目深にかぶった、年の頃も性別も分からない店主だった。
私は、おずおずと、セレスティーナ様から預かったリストを差し出す。店主は、それに一瞥をくれると、かすかに目を見開いたように見えた。
「…なるほど。あの方からか。すぐに用意する。しばし待て」
店主は、奥の棚から、手際よく品物を揃えていく。『星屑石の粉末』『リュカオンの爪』『水銀の雫』。リスト通りの品々が、次々と革の袋に詰められていく。
(一体、何に使うんだろう…? まるで、魔術の儀式の材料みたいだ…)
私の疑問を見透かしたように、店主は、品物を渡しながら、低い声で言った。
「あの方に、よろしく伝えてくれ。…良き“研究”を、とね」
私は、ずしりと重い袋を受け取ると、そそくさと店を出た。
これ以上、関わってはいけない。私の直感が、そう告げていた。
任務を終えた私は、少しだけ、羽を伸ばすことにした。
王都の中央広場は、大勢の人で賑わっている。お釣りとしていただいた銀貨で、焼きたての甘いパイを買った。サクサクの生地と、温かいクリームの味が、口の中に広がる。
美味しい。こんな風に、のんびりとお菓子を食べるのは、いつぶりだろうか。
そんな、つかの間の平穏に、私の心が緩みきっていた、その時だった。
ふと、強烈な既視感に襲われた。
それは、観閲式でビジョンを見た時とよく似た、こめかみがズキンと痛むような、嫌な感覚。
(なんだ…? この感じ…)
私は、反射的に周囲を見回した。人々は、誰もが楽しそうに笑い、語らっている。何もおかしなことはない。
いや、違う。
私の視線が、広場を挟んだ向かいの建物の、二階の窓に吸い寄せられた。
そこに、一瞬だけ、フードをかぶった人影が見えた気がした。その人影は、広場にいるはずのない、セレスティーナ様を探すように、辺りを見回しているように感じられた。
気のせいか。そう思った瞬間、私の視界の端で、その人影が手にしていた小さな望遠鏡が、太陽の光を反射して、キラリと不吉な光を放った。
――ズキンッ!
今度は、頭を内側から殴られたような、強い衝撃。
望遠鏡に意識が向いた瞬間、私の脳裏に、断片的なビジョンが、叩きつけられるように流れ込んできた。
**『――薄暗い部屋。テーブルの上に広げられた、王都の古い地図。そして、ヴァイスハルト公爵家の屋敷の位置を示す場所に、インクの染みがついた指が置かれ、その上から、赤いインクで、乱暴なバツ印が描かれる――』**
ビジョンは、ほんの一瞬。
私がハッとして、もう一度その窓を見ると、人影は、もうどこにもいなかった。
私は、その場に立ち尽くす。
今のは、幻覚なんかじゃない。観閲式の時と同じ、未来の断片だ。
(見られている…! 誰かが、我が君を、この屋敷を、監視している!)
犯人は、屋敷の中だけではなかった。
外にもいる。そして、明確な悪意と、計画性を持って、セレスティーナ様を狙っている。
これまで漠然と感じていた「敵」の存在が、初めて、「監視者」という、具体的な輪郭を持って私の前に現れたのだ。
手に持ったパイの味など、もう感じられない。
私の休日は、終わった。
私は、買い物袋を強く、強く握りしめる。
(こんな所で、油断している場合じゃなかった…!)
賑わう広場の喧騒を背に、私は、一刻も早く我が君の元へ戻るため、屋敷への帰路を急いだ。
その背中には、これまでとは違う、明確な敵意に立ち向かう覚悟と、新たな恐怖が、重くのしかかっていた。




