森の中で拾ったもの[中編]
ボロボロの少女を背に、俺は剣を構え、警戒を続けた。
追いかけてきた何かの気配は、俺が立ちはだかったところでぴたりと止まった。
街道の少し奥、木々の影に潜んでいるのだろうか。
姿は見えないが、そこから張り詰めた空気が伝わってくる。
緊迫した静寂が数秒続き…
不意に、それは襲いかかってきた。
森の深い緑と同化した「何か」が、まるで幻影のように視界の端から飛び出し、鋭い軌道で俺の横腹目掛けて迫る。
音もなく、風を切る気配すらなかった。
チィン!
咄嗟に剣を横に薙ぎ払い、それを弾く。
硬い感触。
金属ではないが、相当な質量と強度を持っているらしい。
弾かれた「何か」は森の奥へ消えたかと思いきや、すぐさま方向を変え、二度、三度と異なる角度から攻撃を仕掛けてくる。
初めての相手だ。
その攻撃パターンや正体を探りながら、俺はひたすら剣で対応した。
紙一重で躱したり、剣で受け流したり、時には相手の力をそらすようにいなしたり。
常に気をつけたのは、背後の少女に、攻撃が一切当たらないようにすることだった。
段々と目が慣れてきた。
周囲の緑に溶け込んでいるが、その動きには僅かな歪みや、攻撃を繰り出す瞬間にだけ現れる特徴がある。
角度、速さ、そして時にフェイントを織り交ぜたトリッキーな攻撃。
中々の手練れだ。
魔物にしては、いや、生き物にしてはあまりに洗練された動きだった。
時折、攻撃を弾いた際に、日差しを反射するような、鱗か甲殻のような煌めきが目に残る。
俺が全ての攻撃を捌き続け、仕留められないことに焦れたのだろうか。
街道の奥から、大きな黒い「何か」が視界いっぱいに飛び出してきた。
それはあまりに巨大で、一瞬、何が起きたのか分からなかった。
生臭い匂いが鼻をつく。
「んなっ!」
咄嗟に反応し、剣を構える。
迫りくる巨大な「何か」に対し、俺は素早い二撃を上下に打ち込んだ。
ザンッ! ザンッ!
確かな手応えと共に、巨大な黒い「何か」は森の奥へ再び引いていった。
ゆっくりと剣を構え直し、相対する。
街道の少し奥、木々の間から、その姿が現れた。
それは、巨大な大蛇だった。
深い緑色の鱗に覆われた太い胴体。
鎌首を持ち上げ、その巨体を横たえている。
体長はゆうに十メートルを超えているだろうか。
そして、先ほど視界いっぱいに飛び出してきた「大きな黒い何か」。
それは、この大蛇が大きく開けた口だった。
人なんて二、三人、余裕で丸呑みできそうな巨大な口が、今もパックリと開いている。
赤い二叉の舌が、チロチロと忙しなく動き、俺の様子を伺っているようだった。
…ドレイクか。
森の奥深くに棲むという、巨大な魔物だ。
そして、先ほどまでの、周囲の色と同化して見えなかった素早い攻撃。
あれは、恐らくこの大蛇の尻尾だろう。
鞭のようにしなり、鋭利な鱗や突起を持つ尻尾は、熟練の戦士でも容易に捌けないと聞く。
目の前の光景に、俺は目を見開き、内心で驚愕していた。
まさか、この街道沿いにこれほどの魔物が潜んでいるとは。
そして、最近の行方不明者。
痕跡が見つからなかった理由が、今、この目で見て理解できた。
こいつは、人間を丸呑みにしているんだ。
チラリと、背後の少女を確認する。
街道に倒れたまま、ピクリとも動かない。
ここまで逃げてくるのに、体力を使い果たしてしまったのだろう。
この巨体相手に、意識のない人間を抱えて逃げ切るのは、どう考えても不可能だ。
…参ったな。本当に面倒なことになった。
だが、もう逃げられない。
このドレイクは明らかに人間を餌として認識している。
そして、目の前には動けない少女がいる。
少女を置いて逃げるという選択肢は、もう俺の中にはなかった。
最初に少女の前に飛び出した時点で、それは消えたのだ。
覚悟を決める。
衛兵を解雇されてから、初めての真剣勝負だ。相手は魔物。
しかも大物だ。
ドレイクから目線を逸らさぬように、俺はゆっくりと背囊を下ろす。
そして、羽織っていた外套を脱ぐ。
倒れている少女の方へ向き直ることはせず、背後へ、まるで放るように、外套を投げた。
それはふわりと宙を舞い、少女の上に落ちる。
せめてもの、魔物の目から隠すための気休めだ。
俺が動いた一瞬の隙。
ドレイクはその隙を見逃さなかった。
鎌首を僅かに動かし、先ほどよりもさらに鋭く、そして速い尻尾の一撃が、側面から俺を襲う。
チィン!
姿を見せた相手の攻撃は、もう問題ない。
森の緑に溶け込むこともなく、明確な殺意を伴って迫りくる。
俺は向かってくる巨大な尻尾に合わせるように、剣を大きく、そして速く斬り上げた。
それは、まるで音を置き去りにするような、白く鋭い一線だった。