芽生える絆
夜明けの光が、荒廃した牧場を静かに照らし出し始めた。
昨日までの絶望的な静寂とは異なり、牧場には朝早くから鈍い槌音と、野太い掛け声が響き渡っている。
オーガたちが、牧場主たちの指示の元でその圧倒的な腕力で壊れた柵の杭を地面に打ち込み、荷馬車を動かして牧場を修繕していく。
牧場主や店主たちは、その光景をまだどこか信じられないといった様子で、しかし必死に作業を手伝っていた。
「そ、そっちの杭はもう少し右だ!」
「おお、助かるぜ! 俺たち二人がかりでも動かせなかった岩を、一人で……」
ぎこちなさは残るものの、共同作業という現実が、人間とオーガの間にあった見えない壁を少しずつ溶かし始めているようだった。
俺はロウェナを連れて、牧場全体が見渡せる小高い丘の上からその様子を眺めていた。
(さて、どうなることやら……)
オーガを受け入れたのは、金獅子への対抗策として、そしてロウェナの一言に背中を押された結果だ。
だが、これで全てが解決したわけではない。
むしろ、面倒事の火種を抱え込んだようなものだ。
「えど、みて。あそんでる」
ロウェナが指差す先では、牧場主の子供たちとオーガの子供たちが、昨日ロウェナが始めた追いかけっこを続けていた。
種族は違えど、子供たちの間にはすでに垣根など存在しないらしい。
俺は煙草に火をつけ、紫煙を吐き出した。
(まあ、この光景を守るためだと思えば、骨を折る価値はあるか)
昼過ぎ、一頭の馬が砂煙を上げて牧場へと近づいてくるのが見えた。
先日送り出した伝令ではなく、一人きりだ。見張り台から警戒の声が上がるが、俺はその姿を認めて手を上げた。
「師匠!」
馬から飛び降りてきたのは、案の定クリスだった。
彼は目の前の光景――作業に勤しむオーガたちと、その横で指示を出す店主たち――を見て、言葉を失っている。
「し、師匠……これは、一体どういう状況なのですか? 話は聞きましたが、オーガが普通に……」
「話は後だ。まずは来い」
俺はクリスを母屋に連れて行き、これまでの経緯を掻い摘んで説明した。
オーガたちが金獅子と仮面の剣士に脅されていたこと、彼らもまた被害者であること、そして牧場の防衛のために一時的に手を組んだこと。
話を聞き終えたクリスは、怒りに拳を震わせていた。
「許せない……! 弱き者を脅し、その苦境を利用して私腹を肥やすなど、騎士の風上にも置けない所業だ! その仮面の剣士とやらは、一体何者なんだ!」
「それを探るのが、お前の仕事だったはずだがな。それにお前はいつから騎士になったんだ?」
「も、申し訳ありません……街では有力な情報は得られませんでした。『金獅子』の名を出すと、誰もが口をつぐんでしまって……ですが、必ずや……!」
息巻くクリスを制し、俺は外の様子に目を向けた。
「今は、目の前の問題だ。金獅子はこちらの動きを察知している可能性が高い。いつ襲撃があってもおかしくない状況だ」
クリスも表情を引き締める。
彼は荷物を解くと、すぐに牧場の補強作業に加わった。
最初は、オーガの威圧感に気圧されていたクリスだったが、持ち前の生真面目さで、すぐに自分の役割を見つけたようだった。
「モルグル殿、こちらのバリケードの組み方ですが、単に並べるよりも、このように角度をつけて配置した方が、敵の突進力を分散させることができます。これは、城砦防衛術の基礎でして……」
クリスの謎の教養が、意外なところで役立ったらしい。
クリスが熱心に説明する防御陣形の理論に、オーガのリーダーであるモルグルも真剣に耳を傾けていた。
「なるほど……人間の知恵か。面白い。試してみよう」
ロウェナは、クリスが持ってきた新しい絵本をオーガの子供たちに見せながら、文字の練習の成果を披露している。
「これはね、『うし』だよ。くりすが、おしえてくれた」
「ウシ……」
オーガの子供たちも、たどたどしい言葉でそれを繰り返す。
その光景を見ていた牧場主の妻が、オーガの母親に水差しを差しながら話し合っている。
ほんの小さな交流が、あちこちで生まれ始めていた。
夕方、俺はクリスを呼び寄せた。
「クリス、お前も手合わせしてみろ。相手はモルグル殿だ」
「えっ!? オーガと、ですか!?」
「実戦経験を積むには最適だ。相手の力をどういなし、どう連携するか。お前の剣で試してみろ」
クリスはゴクリと唾を飲み込み、モルグルに向き直る。
モルグルもまた、人間の剣士の実力を測ろうと、棍棒を軽々と持ち上げた。
クリスは素早いステップで距離を取り、剣先で牽制しながら隙を窺う。
対するモルグルは、どっしりと構え、最小限の動きでクリスの剣を棍棒で受け流した。
キィン! と甲高い音が響くが、クリスの斬撃はモルグルの体勢を少しも崩せない。
「くっ……!」
クリスは焦り、闘技場で見せたような連続攻撃を仕掛ける。
しかし、モルグルは一歩も引かず、棍棒を横薙ぎに振るった。
凄まじい風圧がクリスを襲う。クリスは咄嗟に後ろへ飛び退き、攻撃を回避した。
終始モルグルが優勢だった。
クリスの剣技は洗練されているが、オーガの圧倒的なパワーとリーチの前では決定打を与えられない。
「そこまでだ」
俺の号令で、二人は武器を下ろした。
クリスは息を切らしながらも、悔しさと同時に、新たな課題を見つけたような顔をしていた。
歪な共同戦線が形になり始めた矢先、見張り台から警告が飛んだ。
「ヴァイデの方角からだ! 複数の騎馬の一団が、こちらに向かってくるぞ!」
俺はロウェナをクリスの背後に隠し、静かに剣の柄に手をかけた。




