理の外
翌日から、牧場全体がにわかに活気づいた。
いや、活気というよりは、破滅を前にした必死の抵抗と言うべきだろう。
牧場主の指示のもと、男たちは壊れかけた柵を資材の許す限り補強し、荷馬車を横付けにして簡易的なバリケードを築いていく。
納屋の屋根の上には、急ごしらえの見張り台も設置された。
ヴァイデから同行してきた店主たちも、自分たちの事のように必死だった。
普段はペンや帳簿しか握らないような細腕で、慣れない手つきで槌を振るい、杭を打つ。
その姿はどこか滑稽だったが、額に汗して働く彼らの目は真剣そのものだった。
ロウェナも、じっとしてはいられなかったらしい。
俺が教えた通り、獣が通りそうな茂みや柵の切れ目に、黒葉の森で手に入れた鳴子を次々と仕掛けていく。
牧場主の子供たちもそれに加わり、小さな手で簡単な落とし穴を掘ったり、ロープの罠を張ったりしていた。
俺は牧場主と相談し、家畜をいくつかのグループに分け、点在する納屋や頑丈な小屋に分散させた。
敵の狙いが家畜である以上、一箇所に集めていては一度の襲撃で全滅しかねない。
被害を最小限に抑えるための、苦肉の策だった。
日が傾き始め、空が茜色から深い藍色へと移ろう頃、俺はロウェナを連れて母屋へと向かった。
牧場主の妻が待つそこが、牧場の中で一番安全な場所だと判断したからだ。
ロウェナは、これから起こるであろう出来事を察しているのか、不安そうに俺の外套の裾を固く掴んでいた。
「えど、いっしょに……たたかう?」
その小さな声に含まれた決意と不安を受け止め、俺はロウェナの頭を優しく撫でた。
「いや、お前はここで待ってろ。ここは戦場じゃない。俺がやるのは、悪い奴らを追い払うだけだ。すぐに終わらせるから、いい子で待ってるんだぞ」
俺の言葉に、ロウェナはこくりと頷いた。
名残惜しそうに俺の手を離すと、駆け寄ってきた牧場主の妻の後ろへと隠れた。
夜の闇が牧場を完全に包み込み、息苦しいほどの静寂が支配する。
風の音だけが、やけに大きく聞こえた。
夜半過ぎ、その静寂は唐突に破られた。
カラン、カランカラン!
牧場の外縁に仕掛けられた鳴子が一斉にけたたましい音を立てる。
「来たぞー!」
見張り台からの絶叫を合図に、闇の中から無数の赤い光点が浮かび上がった。
狼の大群だった。
先日遭遇した斥候とは比べ物にならない数が、家畜の匂いに興奮し、涎を垂らしながらバリケード目掛けて殺到する。
俺は、家畜が一番多く集められている大きな納屋の正面に単身で立ちはだかった。
「絶対にここから一歩も通さん。皆は自分の持ち場を守れ!」
狼の群れが、雪崩を打って俺に襲いかかる。
しかし、俺の剣技は狼たちの速度を遥かに凌駕していた。
一匹目の喉笛を切り裂くと同時に体を回転させ、その勢いを利用して二匹目の胴を薙ぎ払う。
着地と同時に剣先を翻し、三匹目の眉間を正確に貫いた。
一振りで複数の敵を同時に仕留める、効率的かつ流麗な剣捌き。
見張り台の上で固唾を呑んで見守っていた店主たちは、人間離れしたその光景に言葉を失っていた。
俺は十数匹の狼を瞬く間に斬り伏せる。
だが、敵の数は一向に減る気配がない。
(ちっ、数が多いな。こういう時に、クリスがいてくれれば少しは楽なんだが……)
群れが一瞬怯んだ隙を突き、俺がさらに攻勢に出ようとした瞬間だった。
グォオオオオオ!
森の奥から、地響きを伴う野太い咆哮が響き渡った。
狼たちは一斉に動きを止め、まるで王を迎えるかのように道を開ける。
闇の中から姿を現したのは、巨大な棍棒を手にした三体のオーガだった。
その足元には、一回り大きな体躯を持つワーグが数匹控え、低い唸り声を上げている。
リーダー格のオーガが前に進み出て、狼たちを制止するように手を上げた。
そして、周囲を一瞥してから、意外にも知性を感じさせる低い声で、俺に問いかけた。
「我らは人を襲わぬよう、家畜だけを頂いていた。お互い、それで良かったはずだ。なぜ邪魔をする?」
俺は剣を構えたまま、冷静に答えた。
「お前たちのせいで、街の人間が困っている。家畜を奪われれば、生活できなくなる人間がいるんだ」
オーガはフンと鼻を鳴らした。
「それは我らのせいだけではないだろう。食い物を独り占めしているのは、貴様ら人間……『金獅子』ではないのか?」
俺は驚愕した。
魔物であるはずのオーガの口から、ヴァイデの街の内部事情、そして『金獅子』という固有名詞が出たことに、事態の底知れない闇を感じ取った。




