精霊の天蓋
翌朝、アデル丘陵の麓にある宿場の食堂で、俺とロウェナは朝食をとっていた。
アデル丘陵周辺の特産だというお茶は爽やかな香りがして、一緒に出てきた甘酸っぱいベリーのタルトは、サクサクとした生地とよく合って、とても美味しかった。
食事を終え、俺たちは滝へ向かう準備を整えた。
道は整備されていると聞いたが、念のため、観光ガイドを一人雇うことにした。
「おお、昨日の雨の後だから、運が良ければ珍しいもんが見られるかもしれませんぜ」
人の良さそうな初老のガイドは、そう言ってにかりと笑った。
滝までの道は、彼の言う通り、石畳で綺麗に舗装されていた。
ガイドは、道端に咲く珍しい草花や、この丘陵に住む動物について、時折冗談を交えながら説明してくれる。
俺たち以外にも、何組かの家族連れや旅人が、同じように滝を目指して歩いていた。
しばらく進むと、遠くから地響きのような音が聞こえ始めた。
ゴオオオオオ……。
空気を震わせるような、凄まじい水の音だ。
木々の間を抜けて、視界が開けた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
目の前にあったのは、壁ではなかった。
天から降り注ぐ、巨大な水のカーテンだった。
高さこそ、それほどではない。
だが、その滝は、信じられないほど横に長く広がっていた。
視界の端から端まで、全てが白く泡立つ瀑布だ。
昨日の激しい雨で増した水量が、圧倒的な迫力で岩肌を叩きつけ、細かい水飛沫が霧となって辺り一面に立ち込めている。
「どうです、旦那。すごいでしょう」
ガイドが、興奮気味に説明を始めた。
「普段は、もっと水量が少なくてね。岩肌を滑るように水が流れる様子が、まるで乙女のヴェールのようだ、ってんで、『精霊のヴェール』と呼ばれてるんです。ですが、こうして雨が降った後、水量が増えた特別な状態は、俺たち地元の人間はこう呼んでるんですよ」
ガイドは、誇らしげに胸を張った。
「――『精霊の天蓋』ってね!」
天蓋。
まさしく、その名にふさわしい光景だった。
陽の光を浴びて、水飛沫がキラキラと虹色に輝いている。
あまりの美しさと迫力に、俺は言葉を失って見惚れていた。
(騎士様が話してくれた景色の中に、この滝はなかった……)
ふと、そう思った。
そうだ、騎士様だって、この世界の全てを見てきたわけじゃない。
俺は、俺自身の足で、俺自身の目で、まだ誰も知らないかもしれない景色を探すことができるんだ。
それが、俺の旅だ。
その時、隣にいたロウェナが、俺の外套の袖を強く、何度も引っ張った。
見ると、彼女もまた、キラキラと目を輝かせ、声にならない声で、目の前の絶景に対する感激を必死に伝えようとしていた。
その日の夕方、宿に戻った俺は、興奮冷めやらぬまま、騎士様にもらった手帳を開いた。
道中の出来事、そして今日見た『精霊の天蓋』の壮大さを、忘れないうちに書き記す。
だが、この感動を記すには、この手帳は少し違う気がした。
これは計画や情報を記すための、実用的な手帳だ。
(そうだ……ノーレストで、思い出を記すための手帳を買いそびれたんだったな)
仕方ない、今はここに書き留めておこう。
俺はそう思い、ペンを走らせ始めた。
ノーレストに戻ったら、まずは新しい手帳を買いに行こう。
旅の思い出は、これからもっと増えていくのだから。




