三文芝居と、本能の防壁
王都大闘技場。
建国祭のフィナーレを飾るエキシビションマッチを見るために、客席は立錐の余地もないほどに埋め尽くされていた。
数万の視線が、リング上の二人に注がれている。
俺は、仮面の裏で冷や汗を拭いながら、脳内で『敗北までのシナリオ』を反芻していた。
『手順1:適当に打ち合って、実力差があるように見せる』
『手順2:足がもつれたフリをして隙を作る』
『手順3:勇者の攻撃を掠めて、派手に吹っ飛ぶ』
『手順4:降参』
所要時間は約三分。
給料泥棒と罵られようが、ブーイングを浴びようが構わない。
これが五体満足で、かつ後腐れなくこの場を去るための最適解だ。
目の前には、煌びやかな聖鎧に身を包んだ勇者レオナルド。
彼はニコニコと、屈託のない笑顔を向けている。
「昨日の今日で悪いね。でも、君の体調も万全のようだ。言い訳はなしだよ」
(へいへい。お手柔らかに頼むぜ)
俺は適当に愛剣を構えた。
審判が手を振り下ろす。
「始めッ!!」
ゴングが鳴った。
俺は計画通り、腰の引けた様子で伺うフリをした。
レオナルドがスッ、と自然な歩法で間合いを詰め、軽い牽制の斬撃を放つ。
速いが、見えないほどではない。挨拶代わりの一撃だ。
俺は大げさに剣を振り回し、その斬撃を受け止めた――フリをして、自分から体勢を崩した。
「う、うわー! すごい威力だー!」
カキンッ、と剣が触れただけで、俺は独楽のように回転し、ゴロゴロと地面を転がった。
「……は?」
レオナルドが動きを止める。
会場の空気が一瞬で凍りついた。
ざわざわと、観客席から戸惑いの声が漏れ始める。
「おい、どうしたチャンピオン?」
「動きが硬いぞ」
「昨日の強さはどうした?」
「酒でも残ってるのか?」
貴賓席近くの最前列では、ミネルヴァが片手で顔を覆っていた。
その横で、何も知らないロウェナが無邪気に声を上げる。
「ぴえろー! なんでダンスしてるのー?」
「……下手くそすぎるわよ、その演技。大根役者にも程があるわ」
クリスだけが、心配そうに両手を組んで祈っている。
「きっと、何か考えがあるはずです。師匠は、僕たちの理解を超えていますから!」
――すまんクリス。何も考えてない。ただ帰りたいだけだ。
俺は砂埃を払うフリをして立ち上がり、再び剣を構えた。
さあ、次は足を滑らせて転ぶシーンだ。
「とうっ!」
俺は奇声を上げて飛び込み、レオナルドの目前でわざとらしくつまずいた。
隙だらけの態勢。
さあ、軽く小突いてくれれば、俺は場外まで吹っ飛ぶ準備ができている。
だが。
いつまで経っても、衝撃は来なかった。
「…………」
恐る恐る顔を上げると、レオナルドは剣を下ろしていた。
その顔から、爽やかな笑顔が消え失せている。
代わりに張り付いているのは、能面のような無表情。
「……何をしているんだい?」
声のトーンが低い。
背筋がゾクリとするような、底冷えする冷徹さ。
「い、いやあ、やっぱり勇者様は強すぎて……足が震えてしまって」
俺がヘラヘラと笑って誤魔化そうとすると、レオナルドの双眸から完全に光が消えた。
「君は、僕を愚弄するためにここに立ったのか?」
ピリッ、と肌を刺す殺気が膨れ上がる。
それは魔人すら屠った、本物の英雄だけが放てる覇気。
(あっ……マジで怒ってやがる)
レオナルドにとって、戦いとは単なる暴力ではない。
互いの魂をぶつけ合う神聖な対話だ。
それを放棄し、茶番を演じる者は、彼にとって対話する価値のないゴミと同じ。
「期待していた僕が馬鹿だったよ。……なら、もういい」
レオナルドが左手をかざした。
その掌に、膨大な力が収束していく。
「消えろ」
問答無用で放たれたのは、巨大な火球だった。
だが、その規模がおかしい。
直径三メートル近い紅蓮の塊が、砲弾のような速度で俺に迫る。
ボォォォォォォッ!!
熱波だけで眉毛が焦げそうだ。
これは「手加減」や「演出」のレベルではない。直撃すれば、俺は黒焦げの消し炭になる。
(マジかよ! 避けきれん!)
範囲が広すぎる。
左右に飛んでも爆風に巻き込まれる。
俺は瞬時に判断した。
避けるのではない。防ぐのだ。
俺はとっさに剣を逆手に持ち替え、足元の石畳の目地に切っ先を突き刺した。
「ぬんッ!!」
全身のバネと膂力を使い、テコの原理で無理やり石床を跳ね上げる。
バリバリバリッ! と音を立てて、畳一畳分ほどの分厚い石板がめくれ上がった。
即席の盾だ。
ドォォォォォンッ!!
直後、火球が石板に激突し、爆散した。
凄まじい衝撃と熱波が石板越しに伝わってくる。
俺は歯を食いしばり、盾の裏で身を縮めた。
会場が爆炎と土煙に包まれる。
観客たちの悲鳴が遠くに聞こえた。
(あっぶねぇ……! 殺す気かあの野郎!)
俺は煤けた顔で息を吐く。
だが、安堵したのも束の間だった。
土煙で視界が遮られたその空間で、俺の肌が粟立った。
殺気。
それも、正面ではない。
背後だ。
(――後ろか!)
炎を目くらましにして、勇者が瞬時に回り込んでいたのだ。
音もなく。
風もなく。
まるで幽霊のような移動速度。
俺が反射的に振り返った瞬間、視界に映ったのは、真横から迫る聖剣の輝きだった。
速い。
あまりにも速く、鋭い。
狙いは胴。
タイミングは完璧。
俺の体がまだ前のめりになっている隙を突いた、必殺の一撃。
俺の頭の中で、警報が鳴り響く。
『避けろ!』
『後ろに跳べ!』
『転がって逃げろ!』
理性がそう叫ぶ。
だが、同時に俺の深層意識にある「別の回路」が、冷徹な計算を弾き出した。
『間に合わない』
『回避行動を取れば、その後の追撃で死ぬ』
『受けるには剣の強度が足りない』
思考と本能のせめぎ合い。
その時間は、永遠にも思えるほど引き伸ばされたスローモーションの中で行われた。
そして。
俺の身体は、俺の意思を無視して、勝手に「最適解」を選び取っていた。
――逸らせ。
俺の手首が動く。
剣を逆手に返すような、柔軟な動きで、迫る聖剣の軌道上に自身の剣を割り込ませる。
ガキンッ!!
激突。
だが、力と力でぶつかり合ってはいない。
俺は接触した瞬間に脱力し、聖剣の破壊的な運動エネルギーを、剣の側面で滑らせるようにして上空へと逃がした。
キィィィィン……!
耳障りな金属音と共に、勇者の聖剣が俺の頭上数センチを通過する。
その風圧だけで、俺の足元の石床に亀裂が走った。
髪の毛が数本、切れて舞い散る。
完全な受け流し。
神業と言っていい防御だった。
爆煙が風に乗って晴れていく。
闘技場に静寂が戻った。
そこに立っていたのは、勇者の必殺の一撃を涼しい顔で受け流し、完璧な重心バランスで剣を構える、一人の剣士の姿だった。
「…………」
俺は自分の手にある剣を見て、次いで目の前でフォロースルーの体勢に入っている勇者を見た。
(……あっ、やべ)
やってしまった。
三文芝居の化けの皮が、生存本能によって自ら剥がされてしまった。
観客席が一瞬の沈黙の後、爆発した。
「お、おい見たか今の!?」
「防いだぞ! あの勇者の一撃を!」
「やっぱり演技だったんだ! 本気じゃなかったんだ!」
「すげぇぇぇぇッ!!」
ミネルヴァが呆れたように、しかしどこか満足げに口元を緩める。
クリスは「やっぱり師匠だ!」とガッツポーズをし、ロウェナは「ぴえろ、つよーい!」とはしゃぎ回る。
そして、誰よりも反応したのは、目の前の男だった。
レオナルドは、自分の剣が防がれたことに驚き、目を丸くしていた。
だが、次の瞬間。
その端正な顔が、くしゃりと歪んだ。
怒りではない。
震えるほどの、歓喜に。
「……今の奇襲。視界が悪い中で、しかも背後からの一撃を……見てから防いだのかい?」
レオナルドの声が弾む。
彼の瞳に宿っていた冷徹な光は消え、代わりに宿ったのは、新しい玩具を見つけた子供のような、無邪気で獰猛な輝きだった。
「――やっぱり。出来るじゃないか」
彼は嬉々として聖剣を構え直した。
もはや、そこには「手加減」や「エキシビション」といった甘い雰囲気は微塵もない。
あるのは、獲物を狩る捕食者の喜びだけだ。
「さあ、続きを始めよう! もっと、もっと見せてくれ!」
俺は天を仰ぎたかった。
詰んだ。
もう、誤魔化しは効かない。
この戦闘狂を相手に、適当に負けることなど不可能だ。
死ぬ気で抗わなければ、本当に殺される。
俺は絶望的な顔で、愛剣の柄を強く握り直した。
(……クソったれが!)




