英雄の檻と、聖女の枷
優勝が決まった直後、俺は大会運営スタッフから、王都で最も格式高い高級宿のスイートルームを用意したと告げられた。
本来なら固辞するところだが、今回に限っては渡りに船だ。
人目を避けて移動できるし、何よりクリスたちと合流する場所として指定しやすい。
(宿の精算と荷造りを済ませてから合流してくれ、とミネルヴァに伝言を頼んだが……上手くいったか?)
俺はスタッフの案内で、裏口からその高級宿へと入った。
部屋は無駄に広くて豪華だ。
ふかふかの絨毯、天蓋付きのベッド、そしてテーブルにはウェルカムフルーツと高級ワイン。
だが、俺にそれを楽しむ余裕はない。
俺はすぐに窓へと駆け寄り、カーテンの隙間から外を覗いた。
「……嘘だろ」
宿の周りは、既に黒山の人だかりだった。
松明を持ったファンや野次馬が、帰ってきた英雄を一目見ようと詰めかけている。
さらに悪いことに、宿の出入り口には銀色の甲冑を着た集団が立っていた。
王宮騎士団だ。
「英雄殿! ご安心ください!」
窓から顔を覗かせた俺に気づいたのか、騎士団長らしき男が大声で叫んだ。
「不審者が入らぬよう、我々が鉄壁の警備を敷いております! 一晩中、蟻一匹通しませんぞ!」
騎士団が一斉に敬礼し、集まった群衆が「おおーっ!」と歓声を上げる。
(……余計なことを。これじゃこっそり抜け出せないじゃないか)
俺は頭を抱えてカーテンを閉めた。
完全に裏目に出た。善意という名の包囲網により、物理的な脱出経路が封鎖されてしまった。
◇
それから一時間ほどして、クリスとロウェナが部屋に到着した。
二人とも、背中にはいつもの旅袋を背負っている。
「師匠、すごい部屋ですね! お城みたいです!」
クリスが目を輝かせて部屋を見回す。
「感心してる場合じゃない。荷物はそのままだ。解くなよ」
「えっ? くつろがないんですか?」
俺たちは旅人だ。荷物は常に最小限にまとめている。
いつでも移動できる状態は崩さない方がいい。
「機会を見てここを出る。正面は無理だが、警備の交代の隙か、あるいは地下水道を使ってでも脱出するぞ」
俺たちは旅装束のまま、ソファに腰掛けてその時を待った。
コンコン。
その直後、部屋のドアがノックされた。
ルームサービスか? それとも騎士団か?
俺は反射的に仮面をつけ、警戒しながらドアを開けた。
「こんばんは。連れの方々が到着されたとのことで、確認に参りました」
立っていたのは、護衛の騎士団長。
そして、案内役のミネルヴァと――なぜか、フードを目深に被った聖女だった。
「げっ」
俺が声を漏らす前に、聖女がニッコリと微笑んだ。
「団長。少し彼らとお話がしたいので、外で待っていてくださいますか?」
「はっ! ごゆっくり!」
騎士たちが退出し、ドアが閉められる。
部屋には俺たち一行と、聖女、そしてミネルヴァだけが残された。
「……わざわざご足労いただき恐縮です。俺たちは疲れているので、そろそろ休みたいのですが」
俺が牽制すると、聖女は部屋の隅に置かれたままの旅荷物に視線をやった。
「ええ。ですが、その割にはお荷物がそのままのようですね? まるで、これから夜逃げでもするかのような」
「い、いえ、これは整理するのが面倒で……」
「貴方が仲間を宿に呼んだ時点で、怪しいと思ったのよ」
ミネルヴァが淡々と言った。
「だから私が聖女様にお伝えしたの。『彼、逃げる気かもしれませんよ』ってね」
(このアマ……!)
俺がミネルヴァを睨むと、彼女は涼しい顔で受け流した。
俺が何か言い訳をしようと口を開いた瞬間、聖女が静かに、しかし有無を言わせぬ声で遮った。
「単刀直入に言います。逃げようとしても無駄ですよ」
「……どういう意味でしょう?」
「先ほど、治療させていただきましたよね?」
聖女は慈愛に満ちた、しかし目の奥が笑っていない表情で告げた。
「治癒魔法をかけた相手には私の魔力が含まれるので、大体の場所が分かります。時間が経てば薄れますが、当分は、貴方がどこへ逃げようと、レオ様の為に必ず見つけ出しますよ」
俺は息を呑んだ。
時間が経てば魔力は霧散する。
だが、治療した直後の今は、松明を持って夜道を歩くようなものだ。
どこに隠れようと、この聖女には筒抜けだということか。
物理的な包囲に加えて、魔法的な追跡マーカー。
完全に詰んだ。
「レオ様は明日の試合を心待ちにしています。……期待を裏切るような真似は、なさいませんよね?」
聖女の圧力に、俺は深く溜息をつくしかなかった。
「……肝に銘じます」
「よろしい。では、明日の正午に」
聖女は満足げに頷き、部屋を出て行った。
嵐のような訪問者が去り、部屋には重苦しい空気が残った。
◇
パタン、とドアが閉まると同時に、俺はミネルヴァに詰め寄った。
「おい! どういうつもりだ!」
俺は声を潜めつつも、怒りを露わにした。
「聖女にチクったのはお前か。味方だと思ってたんだがな」
「人聞きが悪いわね。味方だからこそ、あえて聖女様を呼んだのよ」
ミネルヴァは悪びれもせず、勝手に部屋の高級ワインを開け始めた。
「恨まないで欲しいわね。貴方のためを思ってしたことよ」
「俺のためだと? 逃げ道を塞ぐことがか?」
「ええ。もし今、貴方が逃げ出してみなさい。大会の目玉である『勇者戦』をすっぽかされたとなれば、国王の面目は丸潰れ。ただの騒ぎじゃ済まないわ」
ミネルヴァはグラスに赤ワインを注ぎながら、諭すように続けた。
「『仮面の剣士』の正体を探る動きは、昔以上に過熱するでしょうね。国を挙げての大捜索が始まるわ。そうなれば、『気ままな旅』なんて二度とできなくなる。……ここで戦って義理を通した方が、結果的に貴方の自由は守られるのよ」
「…………」
ぐうの音も出ない正論だった。
確かに、ここで逃げれば俺は「国家的な指名手配犯」予備軍だ。
ギルド職員として、俺の性格と立場を理解している彼女なりの配慮か。
……やり方は強引だが。
「……分かったよ。逃げられないことは認める」
俺はソファに深々と沈み込んだ。
「物理的にも魔法的にも塞がれた。これじゃあ王都を出た瞬間に捕まる」
「観念して戦いなさいよ。相手はあの勇者よ? 光栄じゃない」
「お前なぁ……」
俺は頭を抱えたが、嘆いていても事態は好転しない。
逃げられないなら、方針を変えるしかない。
「作戦変更だ。明日は出る」
「おぉ! やっぱり戦うんですね、師匠!」
クリスが嬉しそうに声を上げるが、俺は手を振ってそれを制した。
「ああ、戦うさ。……だが、まともには戦わん」
「どういうことですか?」
「徹底的に『つまらない試合』をして負ける」
俺は指を立てて説明した。
「いいか。レオナルドという男は、自分と対等に戦える強者を求めている節がある。だから俺に執着している」
「はあ」
「ならば、逆にガッカリさせればいい。序盤から腰が引けた戦い方をして、攻撃を食らったら大げさに吹っ飛び、『ああー、やっぱり勇者様には敵わないやー』と情けなく降参するんだ」
いわゆる、塩試合だ。
観客が白け、勇者が呆れるような無様な敗北。
「そうすれば、奴も『なんだ、期待外れか』と冷めるはずだ。俺は賞金を持って、ガッカリされたまま消える。試合終了と同時に、即行で王都を出るぞ」
完璧な作戦だ。
これなら命も守れるし、後腐れもなくなる。
だが、ミネルヴァは呆れた顔でグラスを揺らす。
「……貴方ねぇ。そんな子供騙しが通じると思ってるの?」
「通じるさ。所詮はお祭り騒ぎのエキシビションだ。誰も本気の殺し合いなんて期待してない」
「相手はあの勇者よ? かえって事態を悪化させる予感がするけど」
「縁起でもないことを言うな。俺の演技力ならいける」
ミネルヴァは「やれやれ」と肩をすくめ、ワインを飲み干した。
彼女の目は、「この男、肝心なところで読みが甘いのよね」と語っていた。
「えーと……」
ロウェナが目を回していた。
「逃げるの? 戦うの? お泊りしないの? ろうぇな、もうわかんないよー」
大人たちの二転三転する会話についていけず、混乱しているようだ。
俺は苦笑して、彼女の頭を撫でた。
「全部だ。……とりあえず今日は寝るぞ。明日は忙しくなる」
結局、俺たちは荷物を解かず、旅装束のままふかふかのベッドに潜り込んだ。
最高級の宿だというのに、ちっともくつろげやしない。
◇
そして翌日。
建国祭最終日、正午。
王都大闘技場は、昨日以上の観客で埋め尽くされていた。
逃げ道を塞がれた俺は、いつもの剣を腰に佩き、覚悟を決めて選手控え室を出た。
(仕事だと思ってさっさと終わらせて、この街とおさらばする)
目指すは、史上最低の凡戦。
全力で手を抜き、全力で弱く見せる。




