模倣の鏡と、錆びつかぬ鉄
王都大闘技場は、異様な熱気に包まれていた。
地面を揺らすほどの歓声と足踏み。観客たちのボルテージは最高潮に達している。
『さあ、いよいよ決勝戦です! 今年の建国祭武術大会、その頂点に立つのは誰か!』
司会の拡声された声が、会場の隅々まで響き渡る。
『先に入場したのは、無名の若手ながら、並み居る強豪を「多種多様な技」で屠り、ここまで勝ち上がってきたダークホース! その才能は底知れない! ――シリル!!』
ワァァァッ! と黄色い声援混じりの歓声が上がる。
リングに上がったのは、線の細い、整った顔立ちの青年だった。
銀色の髪を靡かせ、手には何の変哲もない鉄剣を握っている。
その瞳は、どこか爬虫類を思わせる不気味な光を宿していた。
『続いて入場するのは! 予選では道化と思われた男! しかし、準決勝であの優勝候補筆頭『白銀のユリウス』を真っ向勝負で撃破した、真の実力者! 今こそ認めましょう、彼は本物だ! 戻ってきた伝説――仮面の剣士ーーッ!!』
ドォォォォォッ!!
先ほどとは比にならない、地鳴りのような歓声が爆発した。
「偽物じゃなかった!」「本物だー!」「優勝してくれー!」
俺は愛剣の柄を握り、苦笑いしながらリングの中央へと歩を進めた。
(……やれやれ。偽物扱いのままで良かったんだがな)
左肩の傷がズキリと痛む。
止血処置はしたが、激しい動きをすれば傷口が開くだろう。
俺は左腕をあまり振らないよう、自然と右半身を前に出した構えを取る。
リング中央で対峙する。
シリルと呼ばれた青年は、値踏みするように俺の全身を舐め回した。
「光栄ですね、伝説の剣士と戦えるなんて。貴方の準決勝の試合……素晴らしかった。あの技も、全部『僕のもの』にさせてもらいますよ」
「……泥棒は感心しないな」
「人聞きが悪い。学習と言って欲しいですね」
シリルが口の端を吊り上げる。
審判が手を挙げた。
「始めッ!!」
開始の合図と同時だった。
シリルが奇妙な動きを見せた。剣を逆手に持ち替え、姿勢を低くして地面を滑るように疾走する。
(……なんだ、あの構えは)
一瞬で間合いを詰めたシリルが、逆手のまま体を独楽のように回転させ、斬り上げてきた。
ヒュンッ!
鋭い回転斬り。
俺はその動きに見覚えがあった。予選のどこかで見かけた、小回りの利く戦士の動きだ。
だが、奴が持っているのは俺と同じ、刀身の長い鉄剣だ。
俺は剣で受けることすらせず、半歩だけ後ろに下がった。
ブォンッ!!
シリルの剣先が、俺の鼻先を空しく通過する。
リーチが長い分、回転半径が大きくなりすぎて、初速が遅いのだ。
おまけに、遠心力に振り回されて体が大きく泳いでいる。
「隙だらけだ」
俺は空振りして脇ががら空きになったシリルの胴へ、軽く牽制の前蹴りを入れた。
「ぐっ!?」
シリルがよろめく。
だが、彼は倒れない。体勢を崩した反動を利用し、今度は剣を順手に持ち替え、大上段に振りかぶった。
全身の筋肉を膨張させるような、力任せの構え。
どこかの怪力自慢の斧使いの真似事だろう。
重厚な振り下ろしが迫る。
俺は避けない。
剣の側面を使い、降りてくる刃を軽く叩いた。
カィンッ!
軽い金属音と共に、シリルの剣は大きく軌道を逸らされ、地面を叩いた。
「なっ……!?」
シリルが驚愕に目を見開く。
「くそっ、なぜだ!? 動きは完璧にコピーしたはずだ! なぜ威力が乗らない!?」
「……斧のような『先端に重心がある武器』なら、その振り方で破壊力が出る。だが、バランスの良い剣でやっても、ただの『大振り』だ」
俺は冷めた声で告げた。
シリルは唇を噛んだ。
なるほど、器用な奴だ。見た動きをそのまま再現できる身体能力と才能がある。
だが、それゆえに思考が浅い。
武器の特性、体格差、筋力の付き方。
それらを無視して「形」だけを真似ても、劣化コピーにしかならない。
「……なるほど。半端な技じゃ、本物には通じないってことですね」
シリルがゆらりと立ち上がる。
その瞳から、焦りの色が消えた。代わりに宿ったのは、不気味なほどの集中力。
「なら――貴方の技なら、どうです?」
スッ……。
シリルが肩の力を抜き、剣をだらりと下げた。
重心を落とし、呼吸を深く、長く整える。
それは紛れもなく、俺が多用する「自然体」の構えだった。
『おおっと! シリル選手、仮面の剣士と同じ構えを取りました!』
観客がどよめく。
俺は眉をひそめた。
(……嫌な才能だな)
俺が右に動くと、シリルも鏡のように動く。
牽制の突きを放つ。
シリルも全く同じタイミング、同じ角度で突き返してくる。
キィンッ!
空中で切っ先同士が弾き合い、火花が散る。
「これなら文句ないでしょう? 同じ武器、同じ剣技。それに僕は貴方より若く、動体視力もいい!」
シリルが笑う。
厄介なことに、彼の言う通りだった。
同じ剣を使っている以上、「道具の不一致」という弱点は消える。
カンッ! ガガッ! キィン!
剣戟が激化する。
俺が切り上げれば、切り返し。俺が流せば、流し返す。
まるで鏡と戦っているような閉塞感。
俺は左肩を庇うため、どうしても右側主体の動きになる。
その僅かな偏りを、シリルは見逃さなかった。
「やっぱり、怪我をしている左側が反応遅れてますよ!」
シリルが構えを変えた。
体を半身にし、レイピアのように剣を突き出す構え。
準決勝で俺が戦った『白銀のユリウス』のスタイルだ。
「精密な突き……一番嫌でしょう?」
シリルが踏み込む。
狙いは一点。俺の負傷している左肩。
ヒュンッ!
鋭い突きが迫る。
俺は剣で弾こうとするが、シリルは手首を返して軌道を変え、執拗に傷口を狙ってくる。
「くっ……」
俺はバックステップで躱すが、追撃が止まない。
ユリウスの技を完璧に模倣した連撃。
俺は防戦一方になりながら、思考を巡らせた。
(……ならば、合わせて叩く)
俺は覚悟を決めた。
回避をやめ、一歩踏み込んで迎撃の体勢を取る。
シリルの突きに対し、カウンターを合わせる構え。
だが、シリルはニヤリと笑った。
「それも読み通りだ!」
シリルは突きを途中で止めた。
そして、俺が踏み込んでくる足元へ、スッと剣先を下げた。
それは、俺が一回戦で見せた技。
相手の突進に合わせて障害物を置く、『置き剣』のカウンター。
俺がこのまま踏み込めば、自ら彼の剣につまずき、無防備なところを狩られる。
「終わりだ、仮面の剣士ぃぃッ!」
シリルは勝利を確信し、俺が引っかかる衝撃に備えて足を踏ん張った。
だが。
俺は踏み込んだ足を、空中でピタリと止めた。
急停止。
踏み込みはフェイントだ。
「なっ……!?」
シリルが目を見開く。
彼は「来るはずの衝撃」に合わせて体重を前に預けていた。
だが、衝撃は来ない。
支えを失った彼の体は、肩透かしを食らって前のめりに泳いだ。
「……俺があの技を使うのは、相手が『止まれない』時だけだ」
俺は冷徹に見下ろす。
「お前のように、その場で待っている相手に飛び込む馬鹿が、どこにいる」
体勢を崩し、無防備に顔面を晒したシリル。
俺は剣を振りかぶった。
派手な技も、鋭い突きもいらない。
ただ、剣の平を、思い切りひっぱたくような一撃。
バァァァァァァァンッ!!
破裂音が響く。
俺の一撃は、シリルの剣ごと彼の側頭部を捉え、強引に薙ぎ払った。
「が、はッ……」
シリルは受け身も取れず、独楽のように回転して地面に叩きつけられた。
白目を剥き、ピクリとも動かない。完全な失神だ。
「……歴史の浅い剣だ。軽すぎて話にならん」
俺は愛剣を鞘に納め、肩の痛みに顔をしかめた。
◇
『しょ、勝負ありぃぃぃッ!! 勝者、仮面の剣士ーーッ!!』
審判の宣言と共に、会場が揺れるほどの大歓声が爆発した。
天井から魔法の紙吹雪が舞い散り、ファンファーレが鳴り響く。
『優勝! 優勝です! 伝説はやはり本物だったぁぁぁッ!!』
俺はほっと息を吐いた。
終わった。これでやっと解放される。
運営スタッフから、ずっしりと重い金貨の入った袋を受け取る。
(よし、これで路銀は確保した。あとは着替えて、人混みに紛れてトンズラだ)
俺が背を向け、早足でリングを降りようとした、その時だった。
『お待ちください! まだ終わりではありません!』
司会者が興奮気味に叫んだ。
『優勝者には最高の栄誉が与えられます! 世界を救った英雄、勇者レオナルド様とのエキシビションマッチです!』
ワァァァァァッ!! と歓声が一段と大きくなる。
俺はぎくりと体を強張らせた。
『――ですが! 本日はここまで!』
(……ん?)
『チャンピオンは連戦により満身創痍。万全の状態での試合をお見せするため、勇者様との試合は、**「明日、正午より」**執り行います!!』
俺は内心で胸を撫で下ろした。
明日。
つまり、今夜中に逃げれば問題ない。
(助かった。今日やるって言われたらどうしようかと……)
だが、その安堵は一瞬で打ち砕かれた。
「おめでとう。素晴らしい試合だった」
いつの間にか、貴賓席から降りてきた勇者レオナルドが、リングの下に立っていたのだ。
爽やかな笑顔。だが、その瞳は逃げ場のない圧力を放っている。
「あ、ああ。ドーモ……」
俺がしどろもどろに返事をすると、レオナルドは俺の左肩を見た。
「やはり、傷が深そうだね。……明日の試合、万全の君と戦いたいんだ」
レオナルドは後ろに控えていた聖女に声をかけた。
「頼めるかい?」
「……レオ様。わたくしの祈りは、神に選ばれた貴方様や仲間たちのためにあるものです。どこの誰とも知れぬ者に安売りするものでは……」
聖女は美しい顔を歪め、あからさまに躊躇いを見せた。
巷で『奇跡』と噂される彼女の治癒魔法は、そう簡単に受けられるものではないらしい。
「頼むよ。僕のわがままだと思って」
レオナルドが真っ直ぐな瞳で見つめると、聖女は頬を染めて溜息をついた。
「……もう。レオ様がそこまで仰るなら、仕方がありませんわね」
聖女が俺の前に歩み寄ってくる。
彼女は嫌々といった様子で、しかし厳かに手をかざした。
「光よ、癒やし給え」
温かな光が俺の左肩を包み込む。
焼けるような痛みが嘘のように引いていき、抉れた肉が塞がっていくのが分かった。
(うわ、凄ぇ……一瞬かよ)
まさに奇跡だ。
俺が礼を言う前に、聖女はフイッと顔を背けて勇者の後ろへ戻ってしまった。
「これでよし、と」
レオナルドは満足げに頷き、ニッコリと微笑んだ。
「傷は治ったね。これで明日は言い訳なしの全力勝負ができる。……楽しみにしているよ」
彼はそう言い残し、マントを翻して去っていった。
会場からは「流石勇者様!」「慈悲深い!」「明日の試合が楽しみだ!」と称賛の嵐が巻き起こる。
俺は完治した肩をさすりながら、呆然と立ち尽くした。
怪我が治ったのはありがたい。
だが、これは「逃げるなよ」という死刑宣告にも等しい。
(……ありがた迷惑すぎる……)
俺は天を仰いだ。
今夜逃げ出すか、それとも観念して戦うか。
袋に入った金貨の重みだけが、唯一の救いだった。




