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【34000pv感謝】元衛兵は旅に出る〜衛兵だったけど解雇されたので気ままに旅に出たいと思います〜  作者: 水縒あわし
鍛治の街カレドヴルフ編

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美酒の余韻と、勇者という名の劇薬



 夜の帳が下りた宿屋『大猪のあくび亭』の一階は、いつにも増して熱気に包まれていた。




 予選を突破した選手たちや、それを見守っていた観客たちが、ジョッキを片手に今日の戦いを肴に盛り上がっているからだ。




「へへっ、旦那! やると思ったぜ!」



 顔馴染みの宿主が、なみなみと注がれたエールのジョッキをドンとテーブルに置いた。




「あの山みたいな大男を、あんな鮮やかに転がすとはねぇ! 俺の目は節穴じゃなかった! これは店からのサービスだ、飲んでくれ!」



「……まだ予選だ。騒ぐな」



 俺は苦笑しながら、それでも差し出されたジョッキを受け取った。




 労働の後の酒も美味いが、勝利の後の酒もまた格別だ。




「師匠、あの相手……」




 向かいの席で、クリスが声を潜めて言った。



「以前会ったギデオン……彼を思い出しました。あそこまでの覇気はありませんでしたが、タイプとしては同じですよね」



「ああ。単純な腕力と質量で押し潰すタイプだな」



 俺はエールの泡を髭につけたまま頷いた。




「だからこそ、師匠のあの一歩……あの大斧に対して、後ろに下がるのではなく、あえて踏み込んだ動きが際立っていました。勇気が要りますが、理に適っていました。僕の槍でも応用できそうです」



「いい傾向だ、バナーレ」



 俺はジョッキを置いた。




「見たものをそのまま真似るな。自分の体格、武器の特性に合わせて噛み砕き、自分の『型』にしろ」



「はい!」



 クリスが素直に頷く。こいつの吸収力は悪くない。




 その時だった。




「楽しそうね。私も混ぜてくれる?」



 スッ、と俺たちのテーブルに、場違いな高級ワインのボトルが置かれた。




「……お前なぁ」



 いつの間にか、隣の椅子にミネルヴァが座っていた。



 仕事用のスーツではなく、ラフな私服姿だ。



完全にオフモードで、既に少し酔っているのか頬が赤い。




「予選突破おめでとう、仮面の剣士様。これは私からのお祝いよ」



「当たり前のように混ざるなと言いたいところだが……まあ、いいか」



 俺は呆れつつも、彼女のために空いたグラスを差し出した。



 もはや腐れ縁だ。拒絶する理由もない。




「みねるば!」



 ロウェナが嬉しそうに声を上げ、ミネルヴァの腰に抱きついた。




「あらあら、元気ね。はい、おいで」



 ミネルヴァは慣れた手つきでロウェナをひょいと抱き上げ、自分の膝の上に乗せた。



 そして、おつまみのチーズを小さくちぎって、ロウェナの口へと運ぶ。




「はい、あーん」



「あーん! ……んぅ、おいしー!」



「ふふ、いい子ね。よく噛んで食べるのよ」



 ミネルヴァがロウェナの頭を優しく撫でる。




 ロウェナも目を細めて、猫のように懐いている。




 その光景は、まるで本当の母娘か、あるいは仲の良い姉妹のようだった。




「みねるば、すき!」



「ええ、私も好きよ。……子供は正直で可愛げがあるわ。どこかのひねくれた剣士と違ってね」



 ミネルヴァが流し目で俺を見て、クスクスと笑う。




(いつの間にこんなに懐かれたんだ……)



 俺とクリスは顔を見合わせ、その自然すぎる光景に驚きを隠せなかった。




 鉄の様な事務員にも、こんな家庭的な一面があったとは。




 意外な発見と共に、夜は更けていった。



          ◇



 翌日。




 大会予選と本戦の間には、一日の休息日が設けられていた。




 俺たちは宿の中庭で、軽く身体を動かしながら時間を潰していた。




 安物の剣を研ぎ直していると、昼食を持ってきたミネルヴァが様子を見にやってきた。




「調子はどう? 明日は本番よ」



「悪くない。……なぁミネルヴァ、ついでに聞きたいんだが」



 俺は手を止めて彼女を見た。




「この辺で、風呂屋はないか? それも『個室』のあるやつだ。値は張ってもいい」



 その瞬間、ミネルヴァの表情が凍りついた。




 みるみるうちに顔が朱に染まり、次いで軽蔑の色が浮かぶ。




「……は?」



 彼女はロウェナの両耳をパッと塞ぎ、低い声で唸った。




「あなた……真昼間から何を考えているの? 個室で、値が張るお風呂ですって……?」



「ん? ああ。やっぱり高いか? だが、今の俺たちには銀貨があるからな。少しくらい贅沢しても――」



「最低っ!!」



 ヒュンッ!




 ミネルヴァの右手が唸りを上げて、俺の頬へと迫った。




 本気の平手打ちだ。




(……おっと)




 俺は反射的に上体を僅かに逸らした。




 達人の見切り。



彼女の掌は、俺の鼻先数センチを空しく通過する――はずだった。




「――ッ!?」



 避けた瞬間、俺は背筋が凍るのを感じた。




 俺が避ける方向に、既に彼女の『左手』が待ち構えていたからだ。




 まるで、俺の回避行動を最初から読んでいたかのように。




 バシィィィィンッ!!




「ぐべらっ!?」



 カウンター気味に放たれた平手打ちが、俺の頬にクリーンヒットした。




 俺は無様に吹き飛び、芝生の上に転がった。




「なっ……!?」



 俺は痛む頬を押さえて起き上がった。




 今のは偶然か? いや、完全に「置きにいっていた」。




 ただの事務員が、俺の動きを読んだだと?




「何すんだ!」



「予選を勝って気が大きくなってるの!? ロウェナちゃんやクリス君がいる前で、よくもそんな……『いやらしいお店』に行きたいなんて言えるわね! 不潔! 獣! この変態!」



「……は?」



 俺は目を白黒させた。




 殴られた痛みよりも、彼女の剣幕に圧倒される。




 しばらく呆然として、ようやく彼女の勘違いに気づく。




「おい、待て。お前、何を想像してるんだ」



「しらばっくれないで! 王都で『個室』の『高い風呂』って言ったら、そういうサービスがあるお店に決まってるじゃない!」



 ミネルヴァが顔を真っ赤にして捲し立てる。




 俺は大きなため息をつき、やれやれと首を振った。




「お前、仕事のしすぎで疲れてるのか? 俺が言ってるのは、ただの貸切風呂……いわゆる『家族風呂』だ」



 俺はキョトンとしているロウェナを指差した。




「このチビを見てみろ。俺らが男湯に連れて行くわけにはいかないし、かといって一人で女湯に行かせるのも不安だ。だから、貸切で全員が入れる風呂を探してるんだよ」



「……あ」



 ミネルヴァの動きがピタリと止まった。




 振り上げた拳を下ろし、俺と、無垢な瞳のロウェナを交互に見る。




 ようやく事態を把握したらしい。




「……そういう、こと?」



「そういうことだ。誰が昼間から風俗に行くか。俺はただ、本番前にさっぱりして、このチビの髪を洗ってやりたいだけだ」



「…………」



 ミネルヴァは咳払いを一つし、乱れた髪を直した。




 耳まで真っ赤だ。




「……ご、ごめんなさい。早とちりしたわ」



「全くだ。ギルド職員様は想像力が豊かで困る。……それにしても、いい一撃だったぞ」



「う、うるさいわね! ……でも、ちょっと待って」



 ミネルヴァが何かに気づいたように眉を顰めた。




「家族風呂ってことは……あなたとクリス君、それにロウェナちゃんの三人で一緒に入るつもり?」



「ん? ああ、まあそうなるな。背中も流してやりたいし」



「ダメよ!」



 ミネルヴァが両手でバツ印を作った。




「え、何でだ?」



「ロウェナちゃんは女の子なのよ! いくら小さくてもレディを、むさ苦しい男二人と一緒に入れるわけにはいかないわ! 教育上よくない!」



「いや、まだ子供だぞ……?」



「ダメなものはダメ! 男女のけじめはきっちりつけるべきよ」



 ミネルヴァは腰に手を当てて宣言した。




「お風呂は大会が終わるまでお預けにしなさい。優勝したら、私が責任を持ってロウェナちゃんと一緒に入ってあげるわ。あなたたちは男湯に行きなさい」



「……へいへい。お厳しいこって」



 俺は肩をすくめた。



まあ、彼女が面倒を見てくれるなら、その方が安心ではある。




「その代わり、いいお風呂屋さんを紹介してあげるわ。……はい、これ」



 彼女は手帳を破った紙にサラサラと地図を描き始めた。




「ここから二つ隣の区画にある高級宿よ。優勝祝いに行くのに丁度いいわ」



 俺は渡された地図を受け取った。




 簡潔だが分かりやすい。さすが事務員だ。




 だが、地図を眺めていた俺は、ある一点に目を留めた。




「ん? ミネルヴァ、風呂屋の場所はここだが……こっちの印はなんだ?」



 地図の端、風呂屋とは別の路地に、もう一つ小さな印が書き込まれていた。




 俺が指差すと、ミネルヴァは口元に人差し指を当てて微笑んだ。




「……ふふ、内緒」



「おい」



 俺が問い詰めようとするが、彼女はそれ以上答えようとはしなかった。



 ただ、意味ありげな視線を残すだけだ。




「今はまだ秘密よ。その地図、失くさずに持っておきなさい。……きっと役に立つわ」



「……ったく。勿体ぶりやがって」



 俺は釈然としないものを感じつつも、地図を折り畳んで懐に入れた。




 まあいい、大会が終わってからのお楽しみということにしておこう。



          ◇



 そんな騒がしい休息日を終え、いよいよ本戦当日がやってきた。




 王都の中央にある大闘技場は、予選とは比べ物にならない数の観衆で埋め尽くされていた。




 貴賓席には国王陛下の姿も見え、その周囲には高位貴族たちが煌びやかな衣装で並んでいる。




 予選を勝ち抜いた十六名の戦士たちが、リングの中央に整列した。




 俺もその末席に、道化の仮面をつけてダルそうに立っている。




『皆の者! よくぞ集まってくれた!』



 大会委員長である恰幅のいい貴族が、魔法で拡声された声で高らかに宣言した。




『今年の武術大会は、建国祭のメインイベントに相応しい、かつてない盛り上がりを見せている! そこで我々は、優勝者のために特別な「賞品」を用意した!』



 会場がざわめく。




 俺の嫌な予感が、警鐘を鳴らし始めた。




 昨日から感じていた胸騒ぎの正体。




『優勝者には、規定通り金貨100枚が授与される! そして――!!』



 委員長がたっぷりと溜めて、叫んだ。




『我らが国の英雄! 魔人を討ち果たした我が国の勇者! 「勇者レオナルド」一行との親善試合エキシビション・マッチへの挑戦権を与える!!』



 ドォォォォォォンッ!!



 会場が爆発したかのような歓声に包まれた。




「うおおおおお! マジかよ!!」



「勇者様と戦えるのか!?」



「すげぇ! 一生の誉れだぞ!!」



 観客たちのボルテージは最高潮に達し、地面が揺れるほどの熱狂が渦巻く。




「えぇっ!?」



 観客席にいたクリスも、思わず立ち上がって目を丸くしていた。




「勇者様と……!? す、すごい……本物の英雄と手合わせができるなんて……!」



 彼にとって、勇者とは雲の上の存在だ。




 純粋な驚きと興奮、そしてすぐに「師匠がそんな人と戦うの?」という心配が顔に浮かぶ。




「でも、大丈夫でしょうか……相手は魔人を倒した人ですよ……?」



 だが。



 リング上の俺の反応は、真逆だった。




「……は?」



 俺は仮面の下で、思い切り顔を引きつらせていた。




(聞いてないぞ、そんな罰ゲーム……!)




 目立ちたくない。




 身元がバレるリスクを避けたい。




 そう思って仮面をつけ、安物の剣で誤魔化しているのに。




 よりにもよって、国一番の有名人であり、「正義の象徴」である勇者と公衆の面前で戦わせられるだと?




 俺にとってはご褒美どころか、最大のリスクであり、特大の地雷だ。




 ふと視線を感じて貴賓席の方を見ると、ミネルヴァが頬杖をつき、ニヤリとこちらを見下ろしているのが見えた。




『驚いた? 最高の舞台でしょう?』




 そんな声が聞こえてきそうだ。あの女、知っていて黙っていやがったな。




(……金は欲しいが、勇者の相手なんて御免だ。……だが)




 俺は周囲の熱狂的な空気を見渡した。




 ここで「じゃあ辞退します」と言える雰囲気ではない。



そんなことをすれば、逆に怪しまれて注目を集めてしまう。




 進むも地獄、退くも地獄。




(……やるしかねぇのかよ)




 俺は深いため息をついた。




 どうやって勝つか、ではなく、どうやって




「目立たずに、勇者との試合をのらりくらりとやり過ごすか」。




 新たな、そして最大の難題を抱えたまま、本戦第一試合開始のゴングが鳴り響こうとしていた。




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