道化の仮面と、予選の狂騒
闘技場の選手控え室は、脂汗と鉄錆、そして加熱した興奮の臭いで満ちていた。
予選第四ブロック。
ここに集められた二十人の男たちは、どいつもこいつも一癖ありそうな荒くれ者ばかりだ。
全身を分厚いプレートメイルで固めた騎士崩れや、身の丈ほどの棍棒を担いだ傭兵。
そんな殺伐とした空間に、明らかに異質な存在が一人。
旅装のままの軽装。腰には軍の払い下げ品である、何の変哲もない鉄剣。
そして顔には――ひょうきんな笑顔を貼り付けた、道化の仮面。
俺だ。
「なんだあいつ? 大道芸の会場と間違えてるんじゃねぇか?」
「おいおい、ピエロが戦うってか? 笑わせるな」
周囲から遠慮のない嘲笑と冷ややかな視線が突き刺さる。
だが、俺は腕を組んで壁に寄りかかり、仮面の奥で欠伸を噛み殺していた。
「おい貴様!」
そこへ、派手な衣装を纏った男がズカズカと歩み寄ってきた。
装飾過多なマントに、黄金色に塗装された仮面。
街で見かけた「偽物」の一人だ。
「なんだそのふざけた面は! 神聖な『仮面』の名を汚す気か!」
「……(お前が言うなよ)」
俺は無言で肩をすくめた。
偽物は俺の態度が気に入らなかったらしく、唾を飛ばして喚き散らす。
「ふん、どうせ売名目的の雑魚だろう。試合が始まったら、この私が真っ先に制裁を加えてやるから覚悟しておけ!」
◇
『第四ブロック、入場!』
実況の声と共に、俺たちは光の降り注ぐリングへと足を踏み入れた。
客席を埋め尽くす観衆から、地鳴りのような歓声が降り注ぐ。
俺は視線を巡らせ、観覧席を見上げた。
そこにはミネルヴァが確保してくれた特別観覧席から身を乗り出して手を振るロウェナと、真剣な表情のクリス、そして足を組んで優雅に座るミネルヴァの姿があった。
「えどー! がんばれー!」
「……あの剣、大丈夫でしょうか」
クリスが心配そうに呟くのが聞こえた気がした。
俺は腰の剣を軽く叩いた。
安物の「数打ち」だが、頑丈さだけが取り柄の鉄の塊だ。
使い潰すつもりで振れば、そうそう折れはしない。
ゴォォォォォォン……!
開始の銅鑼が鳴り響いた。
「死ねぇ! この偽物め!」
宣言通り、あの派手な偽物が真っ先に俺に向かって突っ込んできた。
大上段からの振り下ろし。
気合だけは十分だが、あまりにも大振りで隙だらけだ。
「……」
俺は剣を抜かなかった。
鞘を持ったまま、半歩だけ横に動く。
ブォンッ!
偽物の剣が、俺の残像を切り裂き、空を切る。
勢い余って前のめりになった偽物の足元に、俺は手に持っていた鞘をスッと差し込んだ。
「あ?」
カッ。
硬い鞘に足を掬われた偽物は、盛大に宙を舞った。
ズデッ!!
鈍い音が響く。
偽物は自分の勢いのまま転がり、ボールのようにリングの端まで転がっていき――そのまま場外へと落下した。
「……(まずは一人)」
一瞬の静寂の後、客席から笑いと野次が飛ぶ。
だが、リング上の空気は変わった。
俺が「何もしていない」ように見えて、的確に相手を自滅させたことに、勘のいい数人が気づいたからだ。
◇
「野郎、やりやがったな!」
今度は三人の傭兵が同時に襲いかかってきた。
俺はゆっくりと剣を抜いた。
鈍い光を放つ、飾り気のない鉄剣だ。
(……見てろよ、クリス)
俺は腰を落とし、意識して「型」を見せるように構えた。
正面から剣が迫る。
俺はそれを受け止めず、剣の側面を軽く叩いて軌道を逸らした。
いわゆる「パリング」だ。
ガキンッ!
逸れた刃が、横から切りかかってきた別の男の盾に当たる。
男たちが体勢を崩した一瞬の隙。
俺はその間を縫うように踏み込み、刃ではなく、剣の腹で男の鳩尾を強打した。
「ぐはっ……!?」
一人が悶絶して崩れ落ちる。
背後から別の気配。
俺は振り返らず、身を屈めて回転足払いをかけた。
ドスンッ!
視界の隅、観客席のクリスが目を皿のようにして見ているのが分かった。
「……凄いです。師匠、一度も力比べをしていません。相手の力と重さを利用して捌いています」
「この乱戦の中で、まるで教本のような動きね」
ミネルヴァが感心したように呟く。
そう、この剣は重いが頑丈だ。
だからこそ、腕力で振り回すのではなく、体全体を使った理に適った動きが必要になる。
これは俺の準備運動であり、クリスへの実演講義だ。
◇
数分後。
リング上に立っているのは、俺と――もう一人だけになっていた。
身長二メートルを超える巨漢。
全身に傷だらけのレザーアーマーを纏い、巨大なバトルアックスを手にした大男だ。
予選ブロックの「本命」と目されていた男だろう。
「……へへっ、ちょこまかと動き回りやがって」
大男がニヤリと笑い、戦斧を軽々と振り回した。
ブォン、という重い風切り音が、肌を撫でる。
(……ギデオンか?)
俺の脳裏に、かつて街道のため池の宿場で出会った冒険者、『ギデオン』の姿が過ぎった。
あそこまでの完成された強さはないが、単純な質量とパワーは同質のものだ。
「師匠……! あのタイプは……!」
クリスも同じことを思ったらしい。身を乗り出して声を張り上げようとする。
大丈夫だ、分かってる。
「そのナマクラごと、ミンチにしてやるよ!」
大男が地面を蹴った。
巨体に似合わぬ突進速度。
そして、上段から振り下ろされる必殺の一撃。
観客が悲鳴を上げる。
逃げろ、と誰もが思っただろう。
だが、俺は逃げない。
足を止め、腰を深く落とし、大地に根を張るように構えた。
(パワータイプ相手に一番やっちゃいけないのは、中途半端に逃げ回ることだ)
恐怖に飲まれて下がれば、相手の勢い(プレッシャー)に押し潰される。
風圧に負けないよう、腹に力を込める。
「オラァァッ!!」
戦斧が迫る。
俺は、その軌道の内側――死地へと一歩、踏み込んだ。
ガァァァンッ!!
金属音が炸裂した。
俺の剣は折れていない。
俺は剣を水平にし、頭上で戦斧の柄の根元を受け止めていた。
「なっ……!?」
大男が目を見開く。
刃ではなく、力の支点に近い部分を受け止めることで、威力を殺したのだ。
だが、それでも凄まじい重量が腕にのしかかる。
ミシミシと剣が悲鳴を上げるが、軍用の数打ち剣は頑丈だ。よく耐えている。
「ここだ」
俺は受け止めた剣を滑らせ、相手の力が抜け切る瞬間に合わせて弾き返した。
大男の体勢が浮く。
その隙を見逃さない。
俺は剣を翻し、がら空きになった大男の手首を、剣の峰で鋭く叩いた。
バシィッ!
「ぐあぁっ!?」
骨を打たれた激痛に、大男の手から戦斧がこぼれ落ちる。
ズドン、と重い音を立てて凶器が地面に落ちた時、俺の剣先は、すでに大男の喉元でピタリと止まっていた。
「……拾えよ。それとも、まだやるか?」
道化の仮面の奥から、冷ややかな声を投げかける。
大男は脂汗を流し、恐怖に顔を歪めて両手を上げた。
「こ、降参……降参だ……」
◇
一瞬の静寂。
観客たちは、目の前で起きた「パワーの象徴」が「ふざけたピエロ」にねじ伏せられた光景を理解するのに数秒を要した。
わぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!
爆発的な歓声が闘技場を揺らした。
「おい見たか!? あの巨漢を子供扱いだぞ!」
「正面から受け止めたぞ! あのピエロ何者だ!?」
嘲笑は驚愕へ、そして熱狂へと変わった。
俺は安物の剣をカチャリと納刀すると、沸き上がる歓声に応えるように、片腕を空高く突き上げた。
「ぴえろ、つよいー!」
「……さすがです、師匠」
ロウェナとクリスの声が聞こえる。
ミネルヴァも満足そうに微笑んでいるのが見えた。
予選突破。
だが、これはまだ挨拶代わりの「余興」に過ぎない。
俺は背中に突き刺さる、本戦出場者たちからの鋭い視線を感じながら、悠々とリングを後にした。




