噂の魔法と、肉体の理
王都の大通りは、来たる『建国祭』に向けた準備でごった返していた。
仮設ステージの建設、屋台の骨組み作り、装飾用の巨大な柱の設置。
どこもかしこも人手が足りていない。
そんな喧騒の中、俺たちはギルドで請け負った「資材運搬」の仕事に精を出していた。
「よい、しょ……っと」
クリスが足元に転がっていた丸太を一本、軽々と肩に担ぎ上げた。
通常、このサイズの丸太は人夫が二人一組で運ぶものだ。
それを涼しい顔で一人で担いで歩き出す姿に、周囲の作業員たちが目を丸くしてざわついている。
「おいおい、あいつ何者だ? あの細腕で……」
「バケモノか? 新人だよな?」
ヒソヒソと交わされる声を他所に、俺はクリスの歩き方を背後から観察していた。
「……おい、バナーレ。重心が浮いてるぞ」
「へっ!?」
俺が小声で指摘すると、クリスがビクリと肩を揺らした。
「腕力で持つな。骨盤に乗せろ。へその下に力を溜めて、地面を足裏全体で掴むんだ」
今のクリスには、重心を安定させる足がない。
あの重りに頼らず、自分自身の体重と筋肉の連動だけで、不安定な荷物を制御しなければならない。
これはただの労働じゃない。
身体操作の基礎訓練だ。
「はいっ、ストラーノさん!」
クリスは担ぎ直すと、深く腰を落として再び歩き出した。
荷車の上のロウェナが、木の枝で地面に絵を描きながら「バナーレ、がんばれー」と気の抜けた声援を送っている。
昼休憩。
現場で配られた麦茶と弁当を広げていると、近くで休憩していた人夫たちの会話が聞こえてきた。
話題はもっぱら、祭りの主役である『勇者一行』についてだ。
「聞いたか? 勇者レオナルド様、西のドラゴンを一撃で葬ったらしいぞ」
「いやいや、さすがにそれは盛りすぎだろ。ドラゴンだぞ? 軍隊が出てようやく倒せるかどうかって化物だ。じゃなきゃ、倒せるのは勇者様くらいのもんだろうよ」
週刊誌のゴシップ記事のような会話に、クリスが興味深そうに耳を傾けている。
「勇者様のパーティってのは、確か五人だったか?」
「ああ。勇者レオナルド様に、聖女様と……あと誰だっけ? 魔法使いとか剣士とかいた気がするが」
「俺もよく知らねぇな。ま、勇者様以外はオマケみたいなもんだろ」
彼らの認識などそんなものだ。
一番目立つ御輿以外は、記憶の隅にも残らない。
「でもよ、勇者様は剣だけじゃなくて『魔法』も使えるって話だぜ? 俺らには見えない力が出るんじゃねぇか?」
「魔法か……。けっ、そんなの御伽噺か、王宮の宮廷魔術師様くらいしか使えねぇ代物だろ。俺たちの生活には縁がねぇよ」
勇者の強さは認めているものの、その内容はどこか現実味がなく、遠い世界の出来事として語られている。
一般人にとっての「魔法」や「勇者」とは、そんな認識なのだろう。
「興味あるか? 魔法」
俺が水を渡しながら尋ねると、クリスは弁当の豆を摘みながら頷いた。
「はい。どんなものなのか想像もつきません。一撃でドラゴンを倒すなんて……僕の槍じゃ、何百回突いても届かない領域です」
純粋な好奇心と、未知の力への畏敬。
クリスの中に、焦りや嫉妬の色はない。
「ま、話半分で聞いとけ。噂ってのは尾ひれがつくもんだ」
俺は麦茶を飲み干した。
「それに、魔法だろうが何だろうが、今の俺たちに必要なのは『目の前の丸太を運ぶ技術』だ」
「はい!」
午後の作業が始まってしばらくした頃だった。
突貫工事の弊害が出たのだろう。
現場の奥で、高く積み上げられた資材の山――足場用の太い丸太の束が、バランスを崩して傾いたのだ。
ギギギ、という嫌な音が響く。
「ひぃっ!?」
その真下には、図面を確認していた現場監督が立っていた。
「危ないッ!」
誰かの叫び声より早く、クリスが動いた。
丸太を放り出し、監督を助けるために地面を蹴る。
速い。
人夫たちが反応する前に、クリスはすでに数メートルを駆け抜けている。
だが。
――ヒュンッ!
疾走するクリスの横を、黒い風が追い抜いていった。
「え……?」
クリスが目を見開く。
俺だ。
俺はクリスを一瞬で置き去りにし、崩落する資材の真下へと滑り込んだ。
ドスッ! ドスッ!
崩れ落ちた二本の丸太が、現場監督のすぐ脇に突き刺さる。
まるで檻のように監督を挟み込む形になったが、まだ終わらない。
その頭上から、止めとばかりに三本目の丸太が落下してくる。
「――ふんッ!」
俺は足元に転がっていた別の丸太を拾い上げると、それを突き刺さった二本の丸太の間に「橋」を架けるように強引にねじ込んだ。
ガォンッ!!
落下してきた三本目の丸太が、俺が差し込んだ丸太に激突し、その衝撃で止まる。
二本の柱と、俺が支える一本の梁。
即席の屋根が、監督の頭上で馬車数台はある重量を受け止めていた。
「……お、お……」
監督が腰を抜かし、頭上の丸太を見上げて震えている。
あと数センチずれていれば、ひき肉になっていただろう。
「ボヤッとしてるな。這い出せ!」
俺が一喝すると、監督は慌てて這いずり出ていった。
「……ふぅ」
監督が安全圏に逃げたのを確認し、俺はタイミングを合わせて横へ飛び退いた。
ガラガラガッシャン!!
支えを失った資材の山が、盛大な音を立てて崩れ落ちる。
もうもうと土煙が上がる中、俺は服についた埃をパンパンと払った。
「……師匠」
呆然と立ち尽くしていたクリスが、駆け寄ってくる。
「す、すごいです……。僕、あの距離であんな反応、できませんでした」
クリスの顔には、安堵と共に明確なショックが浮かんでいた。
自分も動いた。全速力で走った。
だが、俺に一瞬で追い抜かれ、何もさせてもらえなかった。
その実力差を、嫌というほど見せつけられたのだ。
「判断が一瞬遅い」
俺は短く告げた。
「『危ない』と思ってから動くんじゃない。音が聞こえた瞬間に体が動くようにしろ。……ま、とっさに体が動いただけマシだがな」
「……はい。精進します」
クリスが悔しそうに、けれど真剣な目で頷く。
そこへ、青い顔をした現場監督が戻ってきた。
「あ、ありがとう! 助かった……! 死ぬかと思ったよ!」
監督は俺の手を握りしめ、涙目で感謝を伝えてきた。
「あんた、何者だ!? あんな速さで動いて、丸太を受け止めるなんて……魔法でも使ったのか!?」
「いえ、ただの力仕事ですよ。身体の使い方が上手いだけでね」
俺は肩をすくめて笑った。
監督は「魔法使いみたいな人夫がいたもんだ」と驚きつつ、口止め料も兼ねた特別ボーナスとして、金貨の入った小袋を握らせてくれた。
帰り道。
俺たちはボーナスで買った串焼きを齧りながら、夕暮れの王都を歩いていた。
「ストラーノ、はやかった! しゅってしてた!」
ロウェナが興奮気味に腕を振り回している。
「見たか、バナーレ君。魔法がなくても、筋肉と技術と判断力がありゃ、金は稼げるし人も助けられる」
俺はニヤリと笑って、串焼きの最後の一口を放り込んだ。
「勇者様の魔法も凄いが、俺たちにゃ俺たちの戦い方があるってことだ」
「……そうですね」
クリスは自分の手を見つめ、ギュッと拳を握りしめた。
「もっと、速くなります。次は負けません」
「おう、期待してるぜ」
華やかな勇者の噂話よりも、目の前の確かな技術と結果。
それを噛み締めながら、俺たちは宿への帰路についた。




