轍の品格と、王道の歩き方
カレドヴルフの鉄錆びた匂いが完全に鼻孔から消え、代わりに乾いた土と草いきれの匂いが満ちてきた頃。
俺たちは、大陸西部を貫く大動脈『王道』を歩いていた。
さすがは国が管理する主要街道だ。
これまで歩いてきた田舎の泥道とは違い、地面は平らに踏み固められ、馬車の轍ですら整然とした直線を二本描いている。
カツ、カツ、カツ。
一定のリズムで鳴る足音は、静かで、そして重厚だ。
「……歩きやすいですね。足が勝手に前へ出るようです」
クリスが足元を見下ろしながら呟く。
俺たちの足には、鈍い青色を放つ『青剛鉄の脛当て』が装着されている。
物理的な重量は決して軽くはない。
だが、その計算された重心バランスは、足を振り出す動作を振り子のように補助してくれる。
整地されたこの道においては、その「重さ」が推進力へと変換されていた。
「みち、きれい。どこまでもつづいてる」
ロウェナもまた、跳ねるような足取りで俺の影を踏んで遊んでいる。
ガレンの自信作である衝撃吸収機構のおかげで、長く歩いても膝への負担が驚くほど少ない。
「その分、関所での通行税もしっかり取られるけどな」
俺は苦笑しつつ、前方に広がる整備された道を見やった。
魔物の襲撃リスクが低く、野営の準備に神経を尖らせる必要もない。
金で「安全」と「快適」を買う旅だと思えば、安いものかもしれない。
その時、後方から蹄の音が近づいてきた。
それも、ただの馬ではない。
よく手入れされた蹄鉄が石畳を叩く、軽やかで気品のある音だ。
「道を開けろ!」
御者の鋭い声と共に、一台の馬車が俺たちの横を追い抜いていった。
荷物を満載した無骨な商隊の馬車ではない。
窓には上質なベルベットのカーテンが掛かり、車体には艶やかな漆塗りが施されている。
個人の所有物であることを示す、小さな家紋も描かれていた。
そして何より目を引いたのは、その周囲を固める護衛たちだ。
揃いの深紅のマントを羽織り、一点の曇りもなく磨き上げられた銀色の胸当て。
腰には装飾過多な長剣を佩いている。
「……綺麗な鎧だ」
俺は思わず感想を漏らした。
だが、それは称賛ではない。
「実戦で泥に塗れたら、手入れが大変だろうな」
傷一つないその装備は、彼らが「戦うこと」よりも「見せること」を主眼に置いている証拠だった。主人の権威を誇示するための、歩く装飾品だ。
「……実戦向きじゃありませんね。あんな長いマント、乱戦になったら足を取られるだけです」
クリスが馬車の背中を睨みながら、冷ややかな声で吐き捨てた。
その横顔には、単なる批評以上の、何か忌々しいものを見るような色が浮かんでいる。
直後、今度は逆方向からやってきた隊商とすれ違った。
こちらは荷台に木箱や樽を積み上げ、幌は日焼けして色褪せている。
護衛の男たちは、革鎧や継ぎ接ぎだらけのチェーンメイルを纏い、愛想笑い一つ浮かべず、鋭い視線で周囲を警戒していた。
「……あっちの方が、強そうですね」
「ああ。装備は古いが、手入れが行き届いている。場数を踏んだ連中だ」
俺が同意すると、クリスはようやく強張っていた表情を緩めた。
地方では見かけなかった「格差」と「階級」の匂い。
王都に近づくにつれ、空気は少しずつ、しかし確実に変わり始めていた。
日が西に傾き始めた頃、前方に石造りの壁と煙が見えてきた。
次の宿場町だ。
王道沿いには、旅人が一日歩けば必ず辿り着ける間隔で、こうした宿場が整備されている。
門をくぐると、そこは宿場というより、一つの小さな町だった。
メインストリートには商店が軒を連ね、様々な身なりの人々が行き交っている。
そして、宿の選択肢も豊富だった。
通りの一等地には、貴族や富豪商人御用達の高級宿が構えている。
石造りの三階建てで、専用の厩舎と警備兵付き。一泊で金貨が飛ぶような場所だ。
逆に、裏路地の方へ目を向ければ、看板も傾いた木造の安宿が見える。
そちらは日雇いの人夫や、懐の寂しい冒険者たちで溢れかえっているだろう。
「さて、今夜の寝床だが……」
俺は通りを見回し、一軒の宿に目星をつけた。
メインストリートから一本入った路地にある、『旅の止まり木亭』という看板を掲げた店だ。
建物は古いが、窓ガラスは綺麗に拭かれ、入り口のマットも泥が払われている。
何より、厨房の排気口から、煮込み料理のいい匂いが漂っていた。
「あそこにしよう」
「えっ、あそこですか? もっと表通りの綺麗な宿でも……」
クリスが驚いたように高級宿の方を見る。
俺たちの懐事情なら、泊まれないこともない。
「表通りのピカピカな宿は、内装代と場所代が上乗せされてるだけだ。それに、ああいう場所は給仕へのチップだの、服装だのと気を使う」
俺は肩をすくめた。
「寝るだけなら、掃除が行き届いていて、飯が美味い中堅どころが一番落ち着くんだよ」
宿に入ると、予想通り、ロビーはこざっぱりとしていて静かだった。
女将も愛想が良く、通された部屋は清潔なリネンが敷かれている。
「当たりですね、師匠」
「だろ?」
夕食のために一階の食堂へ降りると、そこには同じような「目利き」をした中堅の商隊護衛たちが陣取っていた。
出されたのは、豆と羊肉をじっくり煮込んだシチューと、カゴいっぱいの黒パン。
派手さはないが、疲れた体に染み渡る確かな味だ。
「おいしい……。パン、ふわふわ」
ロウェナがシチューにパンを浸し、幸せそうに頬張っている。
俺はエールをちびちびとやりながら、周囲の客たちの会話に耳を傾けた。
「聞いたか? 王都の検問、最近また厳しくなったらしいぞ」
「ああ。なんでも、来月の『建国祭』に向けて、不審者の洗い出しを強化してるんだとよ」
「やれやれ、荷改めで行列待ちか。商売あがったりだぜ」
王都の事情が、風の噂として流れてくる。
検問か。
俺はチラリとクリスを見た。
彼はパンを持つ手を止め、少しだけ俯いているように見えた。
「……ま、やましいことがなけりゃ大丈夫だろ」
俺はあえて明るく言い、残りのエールを飲み干した。
「明日は早いぞ。しっかり食って、早めに寝るか」
「……はい」
部屋に戻り、俺は一日中履いていた青剛鉄の脛当てを外した。
足首を回してみる。
以前なら、これだけ歩けばふくらはぎがパンパンに張っていたはずだが、今日は軽い疲労感程度だ。
足元の装備一つで、旅の質がこれほど変わるとは。
(ガレンの爺さん、いい仕事をしてくれたな)
俺は丁寧に布で泥を拭き取り、枕元に置いた。
翌朝。
まだ通りに朝霧が立ち込める中、俺たちは宿を出発した。
表通りの高級宿の前には、昨日の派手な馬車が出発準備を整えているのが見えたが、俺たちはそれには関わらず、霧の中を歩き出した。
空気は冷たく、湿り気を帯びている。
「さあ、今日も稼ぐぞ」
俺の言葉に、二人が頷く。
整備された道をひたすら歩く、単調だが確実な旅。
その轍の先にある王都へ向かって、俺たちはまた一歩、距離を縮めていった。




