休息の刃と、青き鋼の産声
腹を満たした俺たちが、意気揚々と工房へ戻った時のことだ。
「ああん? 持って帰るだぁ?」
ガレンが、まるで親の仇でも見るような目で俺たちを睨みつけた。
その手には、先ほど打ち上げたばかりの、三つの脛当てが抱えられている。
「ふざけるな。こいつはまだ『形』になっただけだ。焼きなましも済んでねぇ、裏革のなめしもまだだ。こんな生焼けの鉄屑を履いて歩くつもりか?」
「いや、完成したと言ったのはあんたじゃ……」
「『型』ができたと言ったんだ! 青剛鉄の真価を引き出すにゃあ、ここからじっくりと熱を抜いて、分子を安定させなきゃならねぇんだよ!」
ガレンは唾を飛ばして一喝すると、作業台の上にドンと脛当てを置いた。
「あと三日だ。三日間、この工房に近づくんじゃねぇ。……最高の状態で仕上げてやるから、大人しく待ってろ」
有無を言わせぬ職人の顔だった。
俺は思わず後ずさり、隣のクリスと顔を見合わせた。
まさかの「お預け」である。
だが、命を預ける防具だ。職人のこだわりを無視して持ち出すわけにもいかない。
「……だ、そうだ。どうする、クリス」
「仕方ありませんね。……でも、三日かぁ」
クリスが残念そうに肩を落とす。
その背中を、バラムがバンと叩いた。
「いいじゃねぇか、三日。ちょうどいい骨休めだ」
バラムはニカっと笑い、後ろに控える槍使いの男――レイスを親指で指した。
「それに、飯の席での約束、忘れてねぇだろうな? 坊主の槍の指導、みっちりやってやるよ」
カレドヴルフの街外れ。
溶岩流が冷えて固まったような、ゴツゴツとした岩場が広がる荒地。
冒険者たちが訓練や新兵器の試射に使うこの場所で、乾いた打突音が響き渡っていた。
カァンッ!
「ぐっ……!」
クリスの体が、ボールのように弾き飛ばされた。
体勢を立て直そうと槍を構えるが、それより速く、喉元に鋭い切っ先が突きつけられる。
「死んだぞ」
レイスが、つまらなそうに槍を引いた。
クリスは肩で息をしながら、泥だらけの顔で相手を睨み上げる。
「……速い。それに、重いです」
「当たり前だ。お前の槍は『競技』の槍だ。綺麗すぎるんだよ」
レイスは自身の長槍をくるりと回し、石突で地面の岩を叩いた。
「戦場ってのは、平らな道場じゃねぇ。泥もあれば、転がってる死体もある。足場が悪けりゃ、踏ん張りの利かない突きなんて、ただの棒切れと同じだ」
レイスの立ち回りは、俺が教えてきたそれとは対極にあった。
俺は「かわす」「いなす」ことを主軸に置く。
だが、この男は「制圧する」のだ。
槍の長さを生かした間合いの支配。
柄での殴打、足払い、そして相手の武器を強引に押さえ込む力技。
全身をバネのように使い、殺気という見えない壁で相手を押し潰していく。
「ほら、立て。三日でその『綺麗な皮』を剥いでやる。泥臭い本物の槍使いになりたきゃな」
「……はいっ! お願いします!」
クリスが再び槍を構え、果敢に飛び込んでいく。
その目は、以前よりもずっと貪欲な光を宿していた。
俺はその様子を、少し離れた岩陰から眺めていた。
隣では、ロウェナが退屈そうにリュートの弦を弾いている。
「エドさん、参加しなくていいのかい?」
声をかけてきたのは、昨日の地下坑道で俺にウインクを飛ばしてきた弓使いの男、シドだった。
彼は手遊びに矢尻を磨きながら、俺の横に腰を下ろした。
「俺はいいさ。ああいう熱血指導はガラじゃない」
「へえ。……なら、お嬢ちゃんの相手は俺がしてもいいか?」
シドの視線が、ロウェナの抱えるリュートに向けられる。
「いい玩具を持ってるじゃねぇか。ネックの仕込み刀、飾りじゃないんだろ?」
ロウェナがびくりとして、俺の袖を掴んだ。
俺は苦笑して、彼女の頭を撫でる。
「……目敏いな。ああ、頼むよ。この子はまだ、抜くタイミングが分かってない」
「よしきた。お嬢ちゃん、ちょっと貸してみな」
シドはロウェナからリュートを受け取ると、構えもせずにネックの隠しスイッチを弾いた。
シャキィッ!
小気味よい音と共に、鋭い刃が飛び出す。
「わぁ……」
「いいか、これは敵を倒すための刃じゃねぇ。『びっくりさせる』ための刃だ」
シドはリュートをロウェナに返すと、実演を交えて教え始めた。
「敵に掴まれそうになった時、あるいは囲まれた時。一瞬だけ刃を見せて、相手が『おっ』と怯んだ隙に逃げる。……深追いはするな。鼻先を掠めるだけでいい」
「はなさき……」
「そう。勝つ必要はねぇ。負けないこと、逃げ切ることが、一番の勝利だ」
シドの教えは、斥候職らしい実戦的なものだった。
ロウェナはおっかなびっくりながらも、シドを相手に「抜いて、下がる」動作を繰り返し始めた。
その小さな体が、少しずつ「戦う者」ではなく「生き残る者」の動きを覚えていく。
(……いい先生たちが見つかったな)
俺は心地よい風を感じながら、二人の成長を見守った。
夕暮れ時。
空が茜色に染まり、訓練場に長い影が落ちる頃。
全身泥まみれになったクリスと、指先に絆創膏を貼ったロウェナが、疲れ切って芝生に寝転がっていた。
「……よく動く連中だ」
バラムが俺に皮袋を放ってくる。中身は薄めたワインだ。
「あんたはやらないのか? 俺の部下たちは、あんたの手並みを見たがってるぞ」
バラムの視線の先では、『鋼の轍』の剣士たちが、チラチラとこちらを見ていた。
地下での連携で見せた俺の動きに、興味津々なのだろう。
「……勘弁してくれ。俺は平和主義なんだ」
「ハッ、よく言うぜ。……おい、ガイル! 一番手はお前だ。軽く揉んでやれ!」
「うっす!」
結局、断りきれずに剣を抜くことになった。
相手は大剣使いのガイル。
重厚な一撃が持ち味の戦士だ。
ブンッ!
風を切る豪快な薙ぎ払いが迫る。
俺はそれを剣で受けることはせず、半歩下がって空を切らせた。
さらに踏み込んでくる返しの一撃を、剣の腹で軽く叩いて軌道を逸らす。
「っ、滑る……!?」
ガイルが体勢を崩した隙に、俺は彼の首筋に寸止めで剣を突きつけた。
「……参った」
ガイルが苦笑いで剣を下ろす。
周囲から「おおっ」と感嘆の声が上がったが、バラムだけは鼻を鳴らした。
「……やっぱり食えねぇ野郎だ。今、三回は殺せる隙があったぞ」
「怪我をさせたら、明日からの訓練に響くだろ?」
俺が剣を納めると、バラムは呆れたように笑い、ワインを仰いだ。
「底を見せねぇな。……まあいい、そういう奴の方が長生きする」
プロ同士の、言葉にしなくとも通じる距離感。
そんな穏やかな時間が、三日間続いた。
そして、約束の朝。
俺たちは再び、工業区の路地裏にある工房の扉を叩いた。
「……入れ。開いてるぞ」
中から聞こえたのは、枯れたような、しかし満足げなガレンの声だった。
重い鉄扉を押し開ける。
そこには、朝の薄明かりの中に浮かび上がる、三つの「作品」があった。
作業台の上に鎮座する、青剛鉄の脛当て。
打ったばかりの時の荒々しさは消え、表面は滑らかに研磨されていた。
鈍い青色の光沢は、まるで深海の底のような静寂を湛えている。
裏側には、丁寧に鞣された厚手の革が張り合わされ、衝撃を柔らかく受け止める構造になっていた。
「……すげぇ」
クリスが思わず息を呑む。
ただの鉄の板ではない。
熱を遮断し、衝撃を食らい、持ち主の足を守るための「意志」すら感じる仕上がりだった。
「……焼きなましは完璧だ。裏打ちの革も、二重にしてある。これで溶岩の上を歩いても、足の裏は火傷しねぇよ」
ガレンは奥の椅子に深々と座り込み、目の下に濃い隈を作っていた。
この三日間、不眠不休で仕上げてくれたのだろう。
その手は煤と油で汚れ、指先には無数の小さな切り傷が増えていた。
「……待たせやがって。最高の出来だ」
俺は作業台に歩み寄り、そのうちの一つを手に取った。
ずっしりとした重み。
だが、それは動きを阻害する重さではない。
大地に根を張るような、確かな安心感を与える重さだ。
これが、俺たちの新しい「足」になる。
「さあ、持ってけ。……そして、二度とこんな面倒な鉄屑を持ち込むんじゃねぇぞ」
ガレンは憎まれ口を叩きながらも、職人としての誇りに満ちた顔で、ニヤリと笑った。
青剛石、元々工房にあったんですけどね。
多分ツンデレです。




