歌う鉄床と、鋼の晩餐
工房の空気は、灼熱と焦燥で張り詰めていた。
「違う! 遅い! 熱が逃げちまうぞ!」
ガレンの怒号が、鞴の吹き出す風切り音を切り裂いて飛ぶ。
俺は全身から汗を噴き出しながら、必死の形相で鞴の取っ手を押し込んでいた。
炉の温度を一定に保つための繊細な操作は、重労働でありながら、針の穴を通すような集中力を要求される。
その横で、クリスが大槌を振りかぶる。
「はいっ!」
ガレンの小槌が「トン」と鋼を叩いた合図に合わせ、クリスが「テン!」と大槌を振り下ろす。
だが、その音には僅かなズレがあった。
叩かれた青剛鉄は、通常の鉄とはまるで違う。
温度変化にあまりに敏感で、打つタイミングがコンマ一秒でも狂えば、瞬時に硬化して拒絶を示す。
表面に微細なひび割れが走りかけていた。
「くそっ、このアマノジャクな鉄屑め……! リズムだ、呼吸を合わせろ!」
ガレンが歯噛みする。
だが、クリスの腕はすでに限界に近い。
疲労で筋肉が強張り、どうしても反応が遅れるのだ。
俺もまた、炉の炎の色を見極めるので精一杯だった。
このままでは、貴重な素材を無駄にしてしまう。
焦りが工房を支配しようとした、その時だった。
ふん、ふふん、ふ~ん……。
熱気の中に、澄んだ鈴のような音が混じった。
ロウェナだ。
工房の隅、資材の木箱に腰掛けていた彼女が、小さくハミングを始めていた。
それは、既知の歌ではない。
炉の中で爆ぜる薪の音、鞴が吐き出す風の音、そしてガレンが小槌を振るう間隔。
それら工房のあらゆる「音」を拾い集め、一つの旋律として紡ぎ出した、即興の労働歌だった。
ガレンの手が、一瞬止まりかける。
だが、次の瞬間、彼はニヤリと笑った。
「……いいぞ。そのリズムだ、続けるんだ!」
ガレンが小槌を鳴らす。
トン。
その音が、ロウェナの歌の拍子と完璧に重なる。
吸い込まれるように、クリスが大槌を振り下ろした。
テン!
澄んだ打撃音が響く。
先ほどまでの濁った音ではない。
鉄が「もっと叩け」と喜んでいるような、芯のある響き。
ロウェナの歌声が、徐々に大きくなっていく。
言葉はない。ただの旋律だ。
だが、その歌声は正確無比なメトロノームのように、俺たちのバラバラだった呼吸を一つの大きなうねりへと変えていった。
(……不思議だ。体が勝手に動く)
俺の手元もまた、歌に導かれるように鞴を動かしていた。
吸って、吐いて。燃やして、煽って。
トン、テン、カン。
トン、テン、カン。
歌うようなハンマーの乱舞。
頑固だった青剛鉄が、赤熱した飴のように素直に伸び始め、ガレンの意図する美しい曲線へと姿を変えていく。
そこにはもう、言葉はいらなかった。
ただ、「鉄を打つ」という一点に向けられた、四人の魂の共鳴だけがあった。
東の空が白み始め、工房の窓から薄青い光が差し込む頃。
最後の焼き入れを終えた「三つの脛当て」が、作業台の上に並べられた。
まだ研磨前で黒ずんではいるが、その輪郭は力強く、宿る気配は重厚だ。
「……ふぅ。どうやら、形にはなったな」
ガレンが火箸を置き、煤だらけの顔で息を吐く。
俺もクリスも、そして歌い続けたロウェナも、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
全身の筋肉が悲鳴を上げているが、胸の奥には奇妙なほどの達成感があった。
ドンドンドン!
不意に、工房の鉄扉が叩かれた。
「おいガレン、いるか? 朝から随分といい音をさせてるじゃねぇか」
入ってきたのは、バラム率いる『鋼の轍』の面々だった。
彼らは一様に、煤まみれで転がっている俺たちを見て、目を丸くした。
「……エド? お前ら、こんなところで何をしてるんだ」
バラムが呆気に取られたように声を上げる。
ガレンが作業台から身を起こし、ニヤリと笑った。
「おう、バラムか。……こいつら、昨日から押しかけてきてな。俺の可愛い弟子をこき使ってやったところよ」
「……なるほどな」
バラムは状況を察し、苦笑いと共に頭を振った。
「昨日、お前に紹介しようとしていた『偏屈な職人』ってのが、こいつだ。まさか俺より先に捕まえてるとはな」
「なんだ、知り合いだったのか?」
俺が聞くと、バラムは肩をすくめた。
「俺たちの武器のメンテナンスは、昔からこいつに頼んでるんだ。……口は悪いし、気に入らない仕事は受けねぇが、腕だけは確かだからな」
世間は狭いものだ。
俺たちは顔を見合わせ、乾いた笑いを漏らした。
「さて……型はできた。あとは研磨と革の裏打ちだけだ。一旦火を落とすぞ」
ガレンが宣言した、その時だった。
グゥゥゥゥ……。
キュルルル……。
盛大な音が、工房の静寂を破った。
音の発生源は一つではない。
俺、クリス、そしてロウェナの腹が、まるで示し合わせたかのような合奏を奏でたのだ。
昨晩からぶっ通しで作業し、夜食はおろか朝食もまだだ。
極限の集中が切れた途端、暴力的な空腹感が襲ってきていた。
「……ははっ、いい音だ。鉄を打つ音より響いたぞ」
バラムが豪快に笑う。
俺は力なく立ち上がり、ふらつく足でクリスの肩を叩いた。
「……飯だ。何か腹に入れないと、死ぬ」
「賛成……です……」
クリスも目が虚ろだ。
俺たちはふらふらと工房を出る準備を始めた。
その最中、俺はバラムの後ろに控えていた槍使いの男に視線を向けた。
確か、レイスという名の男だ。
「……なぁ、あんた。一つ頼みがある」
「ん? なんだ?」
「飯のついででいい。……こいつに、長槍の扱いを教えてやってくれないか」
俺はクリスを示した。
「俺が教えられるのは剣の間合いだ。だが、こいつはこれから槍を主軸にする。……餅は餅屋だ。本職のあんたに、基本だけでも叩き込んでやってほしい」
レイスは少し驚いた顔をし、それから煤まみれで立ち尽くすクリスを見た。
その手には、まだ熱を帯びた、一晩振るった槌が握られている。
「……いいだろう。あの『爆炎の連携』を見せた度胸のある若造だ。教える価値はある」
レイスはニカっと笑い、承諾してくれた。
工業区に近い大衆酒場。
まだ朝だというのに、夜勤明けの職人たちで賑わうその店に、俺たちは雪崩れ込んだ。
「酒だ! 喉が砂漠になっちまった!」
ガレンも「付き合うぜ」と当然のように同席している。
テーブルに運ばれてきたのは、山盛りのトマト煮込みパスタと、骨付きの羊肉。
そして水滴の垂れる冷えたエール。
俺たちは「いただきます」もそこそこに、野獣のように料理に貪りついた。
味などわからない。
ただ、肉の脂と炭水化物が、枯渇した体の隅々にまで染み渡っていく感覚だけがある。
「んぐ、んぐ……ふぅーっ!」
ロウェナも口の周りを真っ赤にしながら、パスタを懸命に吸い込んでいる。
「ほら、食え食え! 働いた後の飯ほど美味いもんはねぇぞ!」
バラムが俺の背中をバンバンと叩く。
向かいの席では、クリスがパンを片手に、レイスの話に真剣に聞き入っていた。
「いいか、槍ってのは『点』で攻める武器だが、同時に『線』で空間を制圧する武器だ。お前の場合、そのバランス感覚を活かして……」
熱心に語るレイスと、それを一言も漏らすまいとメモを取る勢いのクリス。
その光景を見ながら、俺はジョッキを傾けた。
冷たい液体が、熱を持った喉を洗い流していく。
(……ようやく、一息つけたな)
心地よい疲労感と、満腹感。
そして、頼もしい仲間たちとの喧騒。
カレドヴルフでの「熱い」一日は、こうして賑やかに幕を閉じた。




