溶解した革と、職人の興味
謎のドワーフ、ガレンとの邂逅を果たし、宿に戻ったのは深夜のことだった。
カレドヴルフの熱狂が去り、冷ややかな夜気が部屋の中にも満ちている。
俺たちは無言のまま、装備を解き始めた。
戦いの高揚感が引いた後に訪れるのは、鉛のような疲労感と、道具への労わりの時間だ。
俺は革鎧を脱ぎ、最後に右足の脛当ての留め具に手をかけた。
――その時、指先に伝わった感触に違和感を覚え、手が止まった。
「……これは」
外した脛当てをランタンの光にかざす。
本来なら硬質な輝きを放っているはずの鉄板と、それを裏打ちする革が、まるで高熱に晒された飴細工のようにどろりと溶け崩れていた。
足首に近い部分は炭化し始めて、触れるとボロボロと黒い粉になって床に落ちる。
(……いつの間に)
俺は指先で炭化した断面を擦り、静かに息を吐いた。
あの地下空洞で、爆炎袋を投げ込むために踏み込んだ際、足元の粘液に触れたか。
あるいは、噴き出した高熱の蒸気が直撃していたか。
いずれにせよ、革一枚下は俺の生身の足だ。
(一歩間違えれば、足そのものを失っていたな)
背筋を冷たいものが撫でていくが、俺はそれを表情には出さず、ただ静かに事実として受け止めた。
これが冒険者の日常であり、紙一重の死線だ。
「エドさん、その脛当て……」
クリスが目を見開いて覗き込んでくる。
彼の手元にある脛当てもまた、無事とは言えなかった。
亀裂こそ入っていないものの、表面は無数の擦り傷で白く曇り、革紐は今にも千切れそうだ。
ここまでの長旅と、日々の過酷な訓練の代償が、道具の寿命として現れている。
そして、ロウェナに至っては、身軽さを優先して布のブーツしか履いていない。
「……限界だな。次の旅に出る前に、防具を新調する必要がある」
俺が溶けた脛当てを床に置くと、クリスが少し考え込むように視線を落とし、やがて顔を上げた。
「エドさん。この街で、三人お揃いの脛当てを作りませんか?」
「……お揃い?」
俺は眉を上げた。
「はい。僕の槍は、この前頂いたものがまだ手に馴染んでいますから、新調する必要はありません。でも、足元だけは不安です」
クリスは俺の壊れた装備と、ロウェナの無防備な足元を交互に見る。
「それに……同じ防具をつけていれば、連携の時も互いの足運びが合わせやすくなる気がするんです。重心の位置や、踏み込みの感覚が共有できるというか」
照れくさそうに、しかし真剣な眼差しでクリスは語った。
単なる仲良しの証ではない。
これは、パーティーとしての生存率を高めるための、彼なりの戦術的な提案だった。
「……なるほどな」
俺はロウェナを見た。
彼女は「おそろい?」と嬉しそうに小首を傾げている。
確かに、彼女にも最低限の防具は必要だ。
これからの旅路はさらに過酷になるかもしれない。
足を守ることは、命を守ることに直結する。
「わかった。……それに、こんな溶けた鉄屑を履いて歩くわけにもいかないからな」
俺は苦笑して、クリスの提案を受け入れた。
翌日。
俺たちは、昨晩ガレンというドワーフが消えていった「旧工業区」へと足を運んだ。
観光客で賑わう表通りの華やかさとは無縁の場所だ。
煤けた赤レンガの建物が立ち並び、あちこちの煙突から黒煙と白い蒸気が噴き出している。
油の焦げる匂いと、金属を打つ音が絶え間なく響く、職人たちの聖域。
その一角に、看板もない古びた工房があった。
重い鉄扉を押し開けると、熱気と共に鞴の風が吹き付けてくる。
中は薄暗いが、炉の火が明滅し、散らかった道具類を照らし出していた。
そこは武具店というより、「鉄の実験室」と呼ぶのが相応しかった。
壁には数え切れないほどの図面が貼られ、床には失敗作と思われる鉄塊が転がっている。
「……来たか」
作業台で図面を引いていた小柄な影が、ゆっくりと顔を上げた。
昨晩のドワーフはガレンと名乗った。
彼は分厚いレンズの入った作業用眼鏡を外し、俺たちの顔をジロリとねめつけた。
「街中で噂になってるぞ。『地下の排熱栓を吹き飛ばした命知らずがいる』ってな」
ガレンは喉の奥でクックッと笑った。
「風が戻ったおかげで、ようやく炉の火が安定しやがった。……まさか、あんなデタラメな爆発を起こしたのが、こんな優男だとは誰も思うめぇよ」
「買いかぶりすぎだ。俺たちはただの通りすがりさ」
俺は肩をすくめ、背負っていた袋から、あの「溶けた脛当て」を取り出してカウンターに置いた。
「あんたの腕を見込んで頼みがある。……俺たちの『足』を、熱だろうが酸だろうが溶けない鋼で守ってくれ」
ガレンは椅子から飛び降り、カウンターの上の残骸に顔を近づけた。
「……ほう」
太い指先が、飴のように溶けた鉄板を愛でるように撫でる。
「マグマ・スネイルの消化液か。こりゃ酷い。並の鉄なら骨までイッてるぞ。よく足が残ってたもんだ」
ガレンは感心したように口笛を吹き、俺を見た。
「で、注文は? ただ硬いだけの板金か? それともミスリルでも奢るか?」
「いや。俺が欲しいのは、これだ」
俺は工房の隅、鉄屑の山の中に無造作に転がっていた、埃を被った青黒い金属塊を指差した。
一見すればただの岩石にしか見えないが、その断面は鈍く、しかし底知れない重厚な光を放っている。
「あの『青剛鉄』を使ってくれ。三人の脛当てだ」
その瞬間、ガレンの目が大きく見開かれた。
眼鏡の奥の瞳が、職人のそれへと鋭く変化する。
「……青剛鉄だと?」
彼はわざとらしいほどゆっくりと、俺の方へ向き直った。
「坊主、こいつを知ってて言ってるのか? 熱伝導が悪く、加工が難しくて誰も手を出さん厄介な鉄だぞ。炉の温度管理を少しでも間違えりゃ、すぐに割れる」
「知っている」
俺はガレンの視線を真っ直ぐに受け止めた。
「だが、一度形になれば、その強度は折り紙付きだ。……何より、衝撃吸収はずば抜けている」
クリスの新しい戦闘スタイルは、敵の攻撃を受け流し、衝撃を逃がすことが主軸になる。
俺の剣技も同様だ。
そして非力なロウェナにとっても、衝撃を殺してくれる防具は何よりの守りになる。
熱を通さず、衝撃を食らう金属。
このカレドヴルフの地下で見た「脅威」に対抗し、かつ俺たちのスタイルに合致するのは、この金属しかない。
ガレンはしばらく俺を睨みつけていたが、やがてニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「……ハッ! 衛兵風情が、よく知ってやがる。気に入った」
彼はバンと作業台を叩いた。
「いいだろう。最高の『足』を作ってやる。……だが、条件がある」
ガレンは親指で、工房の奥、火の落ちた別の炉を指した。
「見ての通り、弟子が逃げ出しちまって人手が足りねぇんだ。青剛鉄を打つには、火力が足りん」
彼は俺たち三人に、煤けた革のエプロンを投げ渡した。
「お前ら、手伝え。ふいご吹き、相槌、研磨。……完成するまで、この工房から帰さんぞ」
俺は足元に落ちたエプロンを拾い上げ、クリスと顔を見合わせた。
クリスは驚きつつも、どこか嬉しそうにエプロンを握りしめている。
「……金なら払うと言いたいところだが、拒否権はなさそうだな」
俺は苦笑し、エプロンを頭から被った。
「やるぞ、クリス、ロウェナ。今夜は徹夜だ」
「はい!」
「てつや~!」
ガレンがメインの炉に火を入れる。
轟という音と共に、赤い炎が爆発的に燃え上がり、職人の顔を赤く染め上げた。
カレドヴルフの片隅で、熱い鉄打ちの夜が始まろうとしていた。




