開戦
ビセンテ・デ・バルベルデ神父は片手に十字架を握りしめ、厳かに話し始めた。そして、通訳がその言葉をケチュア語に訳して伝えた。長く難解な内容だったが、後のスペイン人の記録によれば、彼の話の要旨は次のようなものだった。
偉大なる王よ、私は神とカトリック教会の教えを伝えるために来た。唯一の神は天地を創り、すべての人々を導かれる。その神の御子キリストの教えを広めるため、教皇が立てられ、スペイン国王カルロス王にこの地の統治を委ねた。
ゆえに、あなたがキリスト教を受け入れ、国王に忠誠を誓うのは当然のことだ。そうすれば、我らはあなたを厚遇し、平和をもたらす。だが、拒めば、それは神と王への反逆となり、我らは正義のもとに討つことになる。この聖なる書を受け入れ、その言葉に耳を傾けよ。さすれば、あなたとあなたの民は救われるであろう。
それは最終通告だった。しかし、私にはその言葉の意味も目的も理解できなかった。彼らの長々とした話を聞きながら、私の頭にあったのはスペイン人たちの処遇だった。
私は彼らを捕虜とし、去勢した後、宦官としてタワンティンスーユに仕えさせることを考えていた。彼らがもたらした馬や鉄などの新技術を用いることで私の王としての地位はさらに揺るぎないものになるはずだった。
ワスカルは牢に囚われ、クスコ派の兵士たちは少ないながらも各地に散在していた。私が王になれば、反乱の芽を摘み、タワンティンスーユを再び団結させねばならなかった。
異様に静まり返った広場に、神父の力強い声だけが響いていた。灰色の建物の壁が、薄暗い空と溶け合っていた。風は吹くことを止めた。
神父が話し終わった時点で私はカルロス王やキリスト教について尋ねた。しかし、通訳の答えは曖昧で、翻訳を重ねるほどケチュア語とスペイン語の隔たりが明らかになるだけだった。
次に、聖書について質問すると、神父は「それは神の言葉を編纂した書であり、キリスト教の全てがそこに記されている」と説明した。
彼は私に聖書を差し出した。それは黒い革表紙の分厚い本だった。本を見るのは初めてだったため、私は、それを何かの箱だと考えた。
私は聖書を受け取ると、幼子のようにそれを宙で振ったり、耳に当てたりしてみた。神の声が聞こえると思ったのだ。しかし、聖書は何も語らなかった。
「なぜこの書物は私に何も語らないのか?」
私が声を荒げると、神父は手で本を開く仕草をし、中を見るように言った。私はその指示に従い、慎重に本を開いた。私の心臓は高鳴っていた。彼らがビラコチャであれば、聖書の中から神が現れることもあり得た。
しかし、本を開けてみれば中には黒色の蛇のような模様が並んでいるだけであった。それが文字であったのは言うまでもないが、私はひどく拍子抜けした。彼らが神と呼ぶものは下らない文様なのだと思った。我々は文字を持たず、「言葉を記す」という概念が理解しがたいものであった。
その瞬間、怒りが込み上げた。彼らが道中で行った蛮行の数々が脳裏をよぎった。
「このようなもので神を語るとは、見下げたものだ」
私は聖書を地面に投げ捨てた。鈍い音とともに、それは土にまみれた。神父は軽蔑の表情を浮かべ、通訳は驚愕し目を見開いた。その行為の重大さを私はまだ理解していなかった。兵士や首長たちも、私と同様に静かに見守っていた。
「貴様たちは道中で我が民を虐げ、首長たちを殺した。その手は略奪者の血で汚れている。私は太陽神に仕える神聖な王であり、お前たちの行為を許すことはできない」
神父は無言のまま、慎重に聖書を拾い上げ、埃を払い、大切そうに胸に抱えた。彼の手に握られた銀色の十字架が、私を不気味に射抜いていた。神父は再びスペイン人の要求を伝えたが、内容は変わらなかった。私はそれを拒絶し、交渉は決裂した。
「主君。私たちはあなたたちと友になることを望んでいます。ぜひ、提案を受け入れていただきたく思います」
「貴様たちスペイン人の王に従うなど片腹痛い。むしろ貴様たちこそ我々の軍門に下るべきなのだ。私はお前たちを不当に扱うつもりはない。捕虜として丁重に遇してやる」
神父は答えず、ただ静かに礼を述べると、その場を去っていった。彼のカソックが地面を引きずる音が妙に耳に残った。
「わが軍は明日クスコに向かって発つ。それまで各々身体を休まさせよ」
私は輿の上から部下たちに命じた。その時、スペイン人たちのことは、すでに頭から消えかけていた。
太陽は地平線の彼方へ沈み、その残光が空に広がっていた。澄み切った空の下、カハマルカを囲む稜線がはっきりと見えていた。風が静かに人々の肌を撫でていた。
ふと、私は広場を囲む建物の屋上に目をやった。金色の輝きが視界に飛び込んできた。考えるよりも先に、身体がそちらへと動いた。
次の瞬間、世界が崩れ去った。閃光が広場を包み、雷鳴のような轟音が響き渡った。遠くで誰かが叫ぶ声が聞こえた気がした。