歴史家 現在からの報告
1984年現在、歴史は変わっているようだった。
私は高層ビルと観光客の群れを抜け、太陽の光で輝く国際連合ビルに向かった。建物の正面には色とりどりの国旗が青空の下にたなびいている。その中に緑色と黄色と赤色の見慣れた三色旗の姿がある。初めて見た時の感動は失われていたが、未だにそれを見るたびに胸が高鳴るのは嘘ではなかった。
建物の中は外観の壮大さとは裏腹に無機質なオフィスが広がっている。画一的な白色のデスクが部屋全体に並んだ姿から建物内で起こっている各国の激しい情報戦や陰謀は想像もつかないだろう。
私は無数に並んだデスクの中の一つに腰をかける。いつも通りに諸連絡や軽い仕事を片付けてしまうと、最大の問題に取りかかる。ヨーロッパにおける国連の平和維持部隊の派遣に関してミーティングが行われる予定だった。クーデターによって誕生した軍部政権や民主派のスペイン戦線、カトリック原理主義者の武装勢力などが蔓延る地域において、待ちに待った講和会議が開かれようとしている。以前から地中海沿岸付近の南部一帯はスペイン戦線の支配領域であったが、先月三月には首都のトレドが民主派の手に渡り、内戦のパワーバランスが大きく変化した。これをきっかけに講話会議が提案されることとなったのである。
私は現地人からもたらされたレポートを読みながら、ヨーロッパ地域における作戦について考える。デスクには「なぜヨーロッパは未だに貧しいのか」という本が立てかけられていた。
十三階の窓からは壮大な東海が広がっており、大きな船が遠くに見える。その水平線の向こうにスペインがあることを考えると私は妙な気分になる。この巨大な海は二つの世界を長らく分断してきた。そして、二つの世界が出会った時、溢れんばかりのエネルギーが弾け、多くの命が犠牲となった。今や東海は静かであり、小さな波が絶え間なく続いている。
そこで何が実際に起こっていたのかを、デスクに置かれた本の筆者は全く理解していない。筆者はヨーロッパ諸国が大航海に失敗し、没落した理由について、一神教信仰や絶対王政、不毛な鉱山資源や遺伝的特性を挙げ、それらの複合的な影響が二つの文明のレベルを違うものにしたことにあると説明している。しかし、事の顚末を知っている者にしてみれば、それは全く馬鹿げた話であった。歴史は多くの人間や多くの事柄が複雑に絡み合い、数え切れないほどの相互作用を経た結果として、我々の前に現れる。少ない要因を取り出して分析し、結果があたかも科学的な帰結のように見せようとする社会科学と呼ばれる学問分野を個人的に嫌っている理由はここにある。歴史は決して予測できない。全ては偉大な神の思し召しである。
巻末の眼鏡をかけた色黒の初老の作者が頬に皺を作り、こちらに笑いかけている。マプチェ人の人類学者、生物学者であり、ヨーロッパ地方でフィールドワークを行い、文明の没落について研究した。その成果を一般的な図書として、この「なぜヨーロッパは未だに貧しいのか」という本に著し、ヨーロッパの人々に対する人種差別に一石を投じ、大きな話題となった。
私は、かつて同じ話題を扱った本がこの世界に存在していたことを知っている。本のタイトルや内容は奇妙なほど似ていたが、かつて存在した本には色黒のマプチェ人ではなくヨーロッパの白人の写真が載せられていた。その本の中で我々はフィールドワークの対象として好奇の目を向けられていたのである。
今や、国際連合のシンボルであるコンドルのマークがビルの頂上に慄然と輝いている。それは、我々ケチュア人たちが世界平和のために尽くし続けた永遠の証である。
私は遠くを見据えるコンドルの瞳の奥に、ケチュア人たちが辿った筆舌に尽くし難い歴史を思いだす。窓の外の青空や東海の美しさもその悲しみを癒してはくれない。
かつて、私はコンドルだった。アンデスの山々の上空を飛び、地面に縛り付けられて生きる民の歴史を見続けてきた。今の私はケチュア人としてごくありふれた名前を授かっている。しかし、私はアタワルパだった。はるか昔、スペイン人たちによって騙され、殺された人間である。
海の上をカモメが飛ぶ。優雅に羽をよじらせ、風を操っている。私はその姿を見ていると初めて空を飛んだ時のことを思い出す。遠い記憶の中の物語である。