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8、正社員 小百合 

向坂から向坂の会社で正社員として働かないかと言われた小百合。人生で初めての正社員のチャンス。揺れ動く気持ちはお得意様として毎週指名してくれたお客さんへの申し訳ない気持ちとが交錯する。しかし雄太の将来、社会的地位、何と言っても向坂の愛に応えたいという気持ちが小百合を突き動かす。

お昼前に家に着いた小百合はまだ出勤できるかとも考えた。しかし向坂がマハラジャのHPを見て、小百合が出勤中になったのを見たらどう思うだろうと考えると店長の所へ電話するのをためらった。桂川が言ったようにお客さんと2人きりでホテルの部屋に入る事を彼は我慢できないかもしれないのだ。

 とりあえず休日にすることを決めた小百合は雄太の好物を作って夕方の雄太の帰りを待つことにした。お昼ごはんは朝のお味噌汁の残りと納豆で済ませ、夕食の買い出しから気合を入れた。雄太は唐揚げが大好きなので誕生日やクリスマスなどの記念日には必ず唐揚げを出してきた。しかし唐揚げにすると何の記念日か聞かれそうな気がした。向坂に告白された記念日と雄太に言えるわけもなくいので唐揚げはリストから外されたが、小百合自身の記念日として記憶にはとどめておきたかった。もしかすると貧困から脱却するチャンスかも知れない記念日でもあるのだ。雄太も大好きで小百合も大好きなもの、結局2人が大好きなピザとパスタに決めた。ピザは雄太のこだわりであるモッツァレラチーズとバジルのマルゲリータ、パスタは大人の記念日らしく海鮮系のペスカトーレ風にするつもりで買い物リストを作成した。

 午後2時過ぎに大型のスーパーで材料を買い込んだ。ピザ生地は薄手のいつも使っている美味しいものがあった。モッツァレラチーズもイタリア食材コーナーに美味しそうなものを発見できた。パスタ用の海鮮は魚介売り場で厳選した。貝類はホタテとアサリ。いかと甘エビを購入した。魚介のスープがしっかりと出そうだ。

 家に戻ると雄太が帰ってくるまで時間があったのでパソコンで向坂の会社について調べることにした。パソコンの検索画面で向坂の会社の名前である「サンライズ」と入力すると簡単に出てきた。会社の写真が載せられていて、いつも利用するパチンコ店の駐車場も写っていた。会社の概要や役員の名前と写真、製造しているドローンの種類などが掲載され、従業員募集の欄もあった。小百合は向坂の会社が本当にあったことと、会社の名前だけですぐに検索できることに少し驚きを持った。

 夕方5時を過ぎ、そろそろ雄太が帰ってくる時間が近づいてきたので夕食の支度を始めることにした。今日は野球の練習もないので寄り道しなければ5時には帰宅するはずだ。遅いなと思いながらパスタを茹でるお湯を沸かすために大きめの鍋に水を多めに入れて、お湯を沸かし始めた。お湯が沸くまでに20分くらいはかかりそうなので、その間にピザを作るためにピザ生地を出してオリーブオイルを塗り、用意した具材を並べチーズを振りかけたが、オーブンはまだ温まっていなかった。そのまま今度はパスタの具材を準備した。野菜を切り、エビの殻を一つ一つ丁寧にした処理して準備した。するとそのころ鍋のお湯が沸きあがってきた。乾燥パスタを200gお湯に投入し、タイマーを11分にセットして、隣でフライパンを温め始めた。その頃にはオーブンが温まったのでピザを入れて焼き始めた。フライパンが温まったら、オリーブオイルを多めに入れて刻んだガーリックと鷹の爪を投入してオイルにガーリックと鷹の爪の香りを抽出した。オイルが良い感じになったところで野菜と魚介類を入れて炒め始める。パスタが茹で上がるまでにまだ時間があるので、フライパンのガスを一度切って、ピザの方を見るとチーズがいい具合に溶けて、美味しそうに焼きあがった。オーブンから出してお皿に乗せ、アルミホイルで包んでテーブルに運んだ。パスタの茹で上がりを示すタイマーの音が鳴ったので、再度フライパンに火を入れゆで汁を少しフライパンに入れてからゆであがった麺をフライパンに入れる。しばらく魚介類と野菜と麺をからめて塩、コショウで味を調えて完成だ。時計は5時30分を過ぎた。

 雄太の帰りがいつもよりも30分以上遅いことにやや不安を感じ始めた小百合は、イライラしながらパスタを皿に取り分けずにフライパンのままアルミホイルで包んだ。そして携帯電話を手にすると雄太に電話をかけた。呼び出し音が3回くらいしたところで玄関の扉が開いて雄太が帰ってきた。小百合はもしかしたらさっきからしばらく玄関の外にいたのではないかという思いがよぎったが、晩御飯が出来ていたので温かいうちに食べさせたかったので、雄太の顔も見ずに

「お帰り雄太。晩御飯で来ているからすぐに座って。」とパスタを皿に取り分けながら大きな声で雄太に話しかけた。雄太から返事はなく、制服姿の黒っぽい影が台所を通り過ぎて雄太の部屋に消えて行ってしまった。

「雄太、どうしたの。何かあったの。」と問いかけてもやはり返事はない。ただ事ではないと感じた小百合はパスタをテーブルに並べるとそのまま雄太の部屋に入った。雄太はベットに横になって布団をかぶっている。

「雄太、どうしたの。喧嘩でもしたの?」と声をかけながら布団をめくり上げると小百合は驚いて声を上げた。雄太の顔が青くはれ上がっている。夏服のカッターシャツも汚れて襟の部分が破れている。

「どうしたの? お母さんに話して。」と言うと雄太は

「お母さんの仕事はマッサージだよね。エッチなことはしてないよね。」と涙声で聞いてきた。小百合は雄太の喧嘩の原因が自分の仕事であることがすぐに分かった。今までは幼いので詳しく話す事はなく、マッサージをしてお金をもらっているという事で雄太も納得していた。きっと雄太の仲間内の中で雄太の母親はマッサージをしているけど、風俗マッサージだと噂を聞きつけ、子供の話の中で出てきたのだろう。おそらく情報のもとは保護者の話だろう。野球の保護者かも知れない。しかし噂を消し去ることもできないし、あながち間違いでもない。小百合は雄太に語り掛けるように話した。

「雄太、お母さんはマッサージをすることが仕事だよ。雄太が学校に行っている時間帯で出来る仕事はあまりないから、マッサージの勉強をして始めたのさ。男性を相手にマッサージするからエッチなことをしているだろうと噂する人もいるかもしれない。でもね、お母さんは雄太に悲しい思いをさせないように健全なマッサージに徹してきたんだよ。エッチなことはしてないんだ。信じておくれ。それでも雄太がお母さんがマッサージ続けるのが嫌ならやめるよ。でもマッサージほどはお給料をもらえないから、生活は少し苦しくなるかもしれない。理解しておくれ。でもね、人に後ろ指さされるような恥ずかしいことはしてないから、堂々としているんだよ。」と涙ながらに話した。まだ中学生の雄太には、話が難しかったが彼は母を信用するしかなかった。

「お母さん、信じるよ。でも僕もお母さんが男の人と2人きりでマッサージすることは心配なんだ。お母さんが嫌なことされるんじゃないかって考えちゃうんだ。」と雄太も小百合のことを愛していて、心配しながら嫉妬しているようだった。

 雄太の言葉を聞いて小百合は雄太に相談してからと考えていたが、相談するまでもなく心が決まった。

その後2人で少し冷めたピザとパスタを笑顔で食べたことは、2人の大切な記念日の記憶となって脳裏に刻まれた。


翌日はマハラジャの店長の内田に仕事を辞めることを相談した。9時ごろに事務所に来た小百合は内田に

「店長、私、息子と話し合ってこの仕事を辞めることにしたんです。息子の友達の中で私が風俗店のマッサージ嬢だと噂されて、息子がいじめられたんです。私は性的サービスはしてませんから恥ずかしくないんですが、人のうわさは尾ひれがつきます。息子のためにも別の仕事を探そうと思います。」と言うと店長は

「小百合さん、今辞められたらこの店はどうなるんだい。固定客をしっかりとつかんでいるのは小百合さんぐらいなんだ。客のリクエストが多いから夕方の上りの時間をもっと遅くしろって言った時に、君が夕方4時の線は譲れない、子供の帰りの時間までには絶対に帰るって言うから、僕が怒ってビンタしてしまったことが原因なら、謝るし取り分の比率も上げるから、何とか考え直してもらえないかい。」と懇願した。しかし小百合の思いは変わらず

「店長、店長に叱られたことは関係ありません。私と息子と2人の問題なんです。固定のお客さんには私から電話で謝罪させていただきます。どうかやめさせてください。」と言って頭を下げ、円満退社を遂げた。


 翌日には毎週定期的にご指名を頂いていたお客さんに長らくの御贔屓に対するお礼のお電話をした。

「もしもし、杉下様ですか。毎週御贔屓いただきましたマハラジャマッサージの小百合でございます。」と言うと

「あ、小百合さんかい。こちらこそいつもお世話になってます。今日はどうしたの?」

高齢の男性は居間で音楽でも聴いていたのか電話口にクラシックが流れていた。

「杉下様、実は勝手ながら、私この度、家庭の事情でこのお仕事を辞めることになりました。杉下様には毎週のようにお声をかけていただき、御親切にしていただきましたのに、突然辞めてしまいますので申し訳なく思っております。今後は弊社の後輩たちに引き継ぎたいと思いますので、今後ともマハラジャに御用命いただきますようお願い申し上げます。」とお礼と謝罪をするとその高齢の男性は驚いた様子で

「それは困ったな。毎週小百合さんに会えることを楽しみに生きて来たのに。妻に先立たれてからというもの、心を許し合って話し合えるのは小百合さんだけだったんだ。お店はやめても個人的に毎週来てくれると助かるけど、ダメなのかな。」と個人的な契約の話まで出してきた。

「大変ありがたいお話なんですが、別のお仕事を始めることになると思いますので、難しいかと思います。どうか、マハラジャの別の施術師をご用命ください。」と言って電話を切った。思い起こせばこの老人とは長い付き合いだった。父親よりも年上の80歳くらいなので、性的に危険な状況はなかったので安心感はあった。会社経営の第一線は退いて金銭的には何不自由はないのだろうが、妻には先立たれ子供たちは独立して、大きな家に一人で住んでいた。高級ホテルの部屋で施術したこともあったが家に呼ばれたことも多かった。小百合の誕生日には毎回プレゼントをしてくれて、娘のような存在だった。そんなお客さんが数名居たので皆さんに同じように電話で挨拶をして、気持ちの整理をつけた。



 翌日、小百合の携帯に向坂から着信があった。小百合は入社に対する返答を準備して電話を取った。

「小百合さん、元気でしたか。先日のお返事、決まりましたか。」と聞かれた小百合の返事はもう決まっていた。すでにマッサージの事務所は退社してしまっているので、向坂に雇ってもらうしかなくなっているのだ。

「雄太とも相談しましたが、向坂さんの会社でお願いしたいと思います。これからどうすればいいですか。」と聞くと向坂は

「それではこちらも受け入れ準備がありますので、来週の月曜日9時に出社して社長室にお願いします。どんなお仕事をしてもらうかよく考えておきます。」という話になった。

 

 翌週の月曜日、小百合は買って来たばかりの紺のビジネススーツで出社した。今までこんな服を着たことがないので窮屈な感じがしたが、慣れるまでは仕事着として着用するつもりだった。駐車場に車を停め、1階の玄関から入ると総務課があり、その中の受付で社長室に来るように言われていることを告げると、

「高宮さんですね。社長から伺っております。どうぞエレベーターで5階まで上がってください。」と総務課の女性から言われた。エレベータのボタンをドキドキしながら押すと扉が開き、中に入って5階のボタンを押した。扉が閉まりかけた時入ってくる男性がいた。顔を見ると井川副社長だ。

「小百合さん、おはようございます。今日からですね。」と言われた小百合は

「はい。今日からお世話になります。よろしくお願いします。」と挨拶してお辞儀をした。「僕も社長室に行きますから一緒に行きましょう。」と言われ少し安心した。

 エレベーターが5階に上がると井川が先導してくれた。廊下から扉を開けるとすぐに桂川が出迎えてくれた。笑顔の桂川が高宮小百合の緊張をほぐそうと

「高宮さん、今日は一段と綺麗ね。スーツ姿の小百合さんもお似合いです。」と褒めてくれた。子供の頃からあまり褒められたことなどない小百合は嬉しい気持ちでいっぱいになった。みんなに歓迎されているような気持ちになった。

 秘書室の奥の扉を井川が開けると社長室だ。大きなガラスの窓がすぐに目に入った。先週来た時には騙されているのではないかと疑いながら入っていったので、周りの景色など見る余裕がなかったが、今日はガラスの向こうの白山連峰の美しさを感じ取る事ができた。

 部屋の奥にはテーブルに座って書類を見ている向坂がいた。井川が

「社長、下で高宮さんと一緒になったので、連れてきました。」と言ってくれた。小百合が向坂に向けてお辞儀をすると向坂社長が

「今日からは社員と社長ですからそれなりの敬意をお願いします。ただ自由な会社ですからあなたには奇想天外なアイデアをお願いします。では辞令を交付します。」と言って机からA4の厚紙を取り出して読み始めた。

「辞令 高宮小百合 ソフト開発部への配属を命ずる。」と読み上げると小百合が両手を出して辞令を受け取った。

「儀式はここまでだよ。さあ、ソフト開発部の若者たちを紹介します。」と言って小百合の手を引いた。2人は秘書室を通ってエレベーター前を通り過ぎ、奥の別の部屋に入っていった。中には若い社員が3人、中央の机には大型のドローンが置かれていた。

「みんな、今日からこのソフト開発部に配属になる高宮小百合さんだ。小百合さんは普通の主婦をやっていた人だけど、その主婦感覚から民間ドローンに必要な機能のヒントを出してもらおうと思っている。よろしく頼むね。」と紹介した。3人の若者は自己紹介してくれた。

「僕は横山です。ソフト開発部ですがプログラミングは今勉強中です。よろしくお願いします。」と言うと

「僕は永田です。ソフト開発部の部長となっていますが、ほとんど社長が部長の仕事をしてくれるので、プログラムの仕事を主にやっています。」と挨拶した。

「最後に僕は松川です。僕も横山君と同じで大学を卒業したばかりでプログラミングはまだ勉強中です。永田部長と向坂社長に一から教えてもらいながら初歩的な部分を担当しています。」と3人の自己紹介が終わった。社長は

「ほとんど毎日、僕もこの部屋でプログラミングしているので、安心してください。仕事はほとんど遊んでいるように見えるけど、どんなドローンが役立つのかをみんなで話し合う事なんです。だんだんわかって来ますから、あわてないでください。それから明日からはその紺のスーツはやめてください。この会社は若い人が多くてみんなカジュアルな服で仕事しているでしょ。楽にしてください。」と言われ小百合は胸のつかえが下りた気がした。


向坂の会社に入社することを決めた小百合は会社でやっていけるのか。小百合に何が出来るのか。

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