6、失われた30年
高宮小百合に接触で来た向坂は井川と桂川に真相を報告する。その話の中で失われた30年の日本経済について語り合うことになる。世代間で幸不幸がすれ違う不思議な時代。
向坂の住んでいるマンションの1階のテナントに入っている和食の店『弥生』に集まった3人の食事会はビールから日本酒に変わり、話のボルテージも上がってきた。
マスターが3品目に出してきたのは海鮮巻き寿司だった。お酒ばかりでは体に良くないとマスターが気遣ってご飯ものを挟んでくれた。
「マスター、気が利くね。俺、この海鮮巻き、好きなんだよ。好きな具材がまとめて入っているからね。」と向坂が喜んでいる。今日の海鮮巻きずしの具材はウナギ、マグロ、イクラ、甘エビ、卵焼きのようだ。一つ頬張るとしばらく話せなくなるくらい大きい。3人とも頬張った海鮮巻きを飲み込むまで静かになったが、しばらくして井川が口火を切った。
「30歳代の彼女が貧困に陥っていったのは、日本経済がバブル崩壊後の“失われた30年”にぴったりとあてはまりますね。僕たちだってそうなんですけど。僕たちは幸いに経済的に恵まれ、それなりの学歴を身に着け、正社員として働くことができたけど、同世代には幼いころに父親がリストラに遭い、両親が離婚し、大学は出たけれど就職氷河期で非正規派遣職員として働き、低収入で結婚もできず一人暮らししているという人が、たくさんいます。」と話すと桂川も
「30歳の私の世代になると少し景気が上向きになってきて、人手不足と言われるような時代になったので、就職は比較的良かったかもしれません。彼女と私の5年の違いは大きかったかもしれません。」と付け加えた。それぞれの世代で同級生たちの姿をお互いに見ているので、非正規が多い世代でも自分たちだけを見ている分には不幸せは感じていなかった。しかし自分たちよりも若い世代が正規雇用にありつく姿を見ると、自分たちの不幸せを感じることだろう。向坂は2人の話を聞いて
「非正規雇用であるとか、低所得で結婚や子育てができないというのは、社会福祉の対象ではないよね。中学の社会の先生が公民の授業で教えてくれたけど、福祉の対象と言うのは社会的弱者と呼ばれる人たちなんだ。高齢者、女性、子供、障害者、そして低所得者。弱者に対する福祉政策は様々なものがある。そして低所得の人たちへの対策としては生活保護が用意されている。いずれも厚生労働省の管轄事業だ。30年前まではこの考えで通用したけど、この30年で福祉対象者に入らない生活困難者が多数生まれてきている。非正規雇用の労働者と、結婚することを諦めた、あるいわ結婚しないことに決めた人たち。これは日本だけのことではなく、多くの国で起きている。韓国も若者の失業率が高く、非正規雇用があまりにも多くて、若者の社会に対する怒りが大きなうねりとなって社会的な現象を起こしている。ヨーロッパの国々でも失業率が高く、若者たちの怒りは中東やアフリカからの移民に向けられて、暴動と化すことも起きている。会社は誰のための物なんだろうね。」と怒りの矛先をどこに向けていいのか五里霧中状態に入った。するとマスターが
「みなさん、深い話をしてますね。私も以前は会社勤めをしていたんです。でも突然会社が明日から来るなって言うんです。リストラです。1998年でした。それからというものいろいろな仕事を探しましたが、結局、バイトで入った厨房の仕事がやってて楽しかったんで、そのまま続けてます。自分の店を持ってからは働きすぎにならないように気をつけながらやってます。でも会社って誰の物なんでしょうね。」と話に割り込んできた。
井川はマスターの話に合わせて
「以前いた会社でも不景気な中、新規の職員採用を極力抑えて、必死にコストダウンに努めていました。職員の給料を上げたくても上げられない。でも仕事をこなすには人手が足りない。そこで1人分の給料で2人の非正規雇用の人材を採用するようになっていきました。非正規雇用は不景気になって職員の数がいらなくなったら、契約を打ち切ればいいので、採用しやすかったんです。さらに製品の価格を決めるとき、他社に負けないように安くするために人件費は削りますが、もう一つ大きな手立てが。下請け部品の値下げなんです。下請け会社がコストを抑えて安く作ってきているのに、納入されて請求書が親会社に回って来た時に、親会社の経営に協力しなさいと言う名目で、一律15%値引きして支払いを行ったりするんです。江戸時代の農民は幕府や藩から『生かさぬように、殺さぬように』年貢を搾り取られていたと教えてもらったことを思い出しました。」と話した。
向坂社長は経営者として自分のことを言われているような気がしてきて
「会社って、株式市場や会社法とかでは株主のもので、会社の目的は利潤の追求で、株主に利益を還元する事であり、社員はその過程で正当な報酬として給与を支給されるわけだけど、利益を追求するためにコストカットを追求した姿が今の社会なんだろ。利益追求の前に社員の幸せがあるはずだと思うんだ。」
向坂が力を込めて会社の臨むべきこれからの方向性を話し始めた。
「会社は株主のものだけど、社員の努力があってこそだし、社員の生活を犠牲にして株主に利益をもたらす必要はないわ。コストカット全盛の時代にはそれが会社の生きる道だと日本中で信じられていたんでしょうね。でも20年くらいたってその時代のことが歴史として検証されると、望ましい姿ではなかったことが反省として生きて行くんだわ。」
桂川はコストカットの時代のことはあまり知らないが、テレビの経済解説などで聞いた知識を総動員して話している。
向坂は少しだけ年齢が上なので、コストダウン全盛の時代について2人に話した。
「コストダウンの時代はいろいろなことがあったよ。自動車業界の大企業が経営不振に陥り、フランスの自動車会社と経営統合して経営者に有名なフランス人が来た。そのフランス人はコストカッターというあだ名で、時代の寵児だった。やがて経営再建に成功すると、経営者としてとてつもない報酬を受け取るようになっていった。彼はボーナスで200億円とか考えられないような金額を受け取るようになるんだ。しかしその時代、その会社だけでなくアメリカでもコストカットに成功した会社の経営者は、破格のボーナスを受け取るのがもてはやされたんだ。しかしそのコストカットはリストラであり、生産ラインは国内から海外の発展途上国に移し、安い労働力を使い、部品製造も海外に安く作らせていくんだ。暫くは良かったが、世の中はいろいろな不慮の出来事が起こる。中国では政府の考え方次第で生産ラインが止まってしまうし、日本との外交がうまくいかなくなると輸出禁止が発令される。自動車会社では部品の在庫は出来るだけ持たないようにしてきたから、たった一つの部品が生産中止になっただけで、自動車の生産ラインは止まってしまうんだ。タイで大雨が降って水害が起きた時も大変だった。タイにある電気製品メーカーのプリンターを作る工場が水没した時も、日本へ製品が送られなくなってしまい、製品販売はストップ。日本で使っている製品の修理もストップしてしまい、会社は対応に追われた。結局日本企業が学んだことは、コストカットを追求しすぎて、安く生産できるところに生産を集中しすぎると、緊急事態が起きた時に対応ができないという事だったんだ。危機対応は地震対策と似ているだろ。」と社長が語ると桂川は
「前の会社でも同じ部品を国内外で数社に分けて発注していました。面倒だけどリスクの分散と言ってました。でも、社長、そんなことより私、社長のことが心配です。その女性にのめり込んでしまうと、会社のことがおろそかになったりしませんか。」と心配しながら話してくれた。
「大丈夫だよ。仕事に支障はかけないよ。貧困について知りたいという個人的な興味さ。」と言って桂川の指摘を意に介しない感じだが、内心では核心を突かれて見破られていると思う向坂だった。顔には出せないと思い日本酒を煽り、残っていた海鮮巻きずしの一つを大きな口を開けて頬張った。