3、尾行
5階の社長室から毎日赤いドレスの女がやってくるのを見つけた経営者たちはついに彼女の行き先を突き止めたくなる。向坂社長は桂川秘書と井川副社長が秘かに動き出す。
株式会社サンライズは新しいドローンの開発に着手していた。途方もなく大きな目標だが、AIを駆使して小荷物の宅配ならば玄関先まで届けてAIが自分で電話をかけてしまうような物にしようとしている。そのため優秀な開発メンバーを集めていた。社長の向坂がリーダーとなり、社員の中から若くてアイデアマンを3名集めて、4人体制で特別開発部を結成していた。開発の方針としてはセキュリティーが高く、AIがカメラで識別しながら、目的地を確かめ、周りの様子を考慮して着陸地点を決め、配達が完了したことを知らせるために電話までかけるものだ。ここまで開発が進むと軍事転用も可能な領域かも知れない。
今日も3人で経営戦略会議をしていると社長の向坂がまた立ち上がって白山を見ながら階下の駐車場に目をやった。すると今日もまたあの白い軽自動車が現れた。
「井川君、また来たよ。あの白い軽自動車。」と言って駐車場の車を指さした。副社長の井川も立ち上がって
「今日も赤いワンピースですね。赤に何か意味があるんですかね。」と付け足した。秘書の桂川も
「ほら、すぐに青い車も現れましたね。もうすぐ乗り込みますよ、ほろ、乗り込んだ。」と彼女たちの動きが予想できるようになっていた。3人が社長室の窓際に背伸びして立ち並び、真下で起きる非日常的な出来事を観察していた。
午前10時きっかりに毎回現れる2人。毎日ではないけれど、曜日にも規則性があるかもしれない。とにかく現れるのは10時だ。
「10時にこの駐車場に現れるのは分かりましたが、いったいどこへ行っているんでしょうか。そして何時に戻ってきて、この駐車場から帰って行くんでしょうか。」
副社長の井川は当初からの疑問を2人に投げかけた。
3人の興味はいよいよ探偵の調査活動を始めようというところまで深入りしてきた。
翌日は井川副社長と桂川秘書が、9時半から駐車場に停められた井川副社長の車の中で、息をのんで女が来るのを待っていた。2人ともサングラスをかけ探偵ドラマで登場人物が犯人を尾行するスタイルを真似ていた。静寂の車内で桂川が口を開いた。
「どこまで行くと思いますか。」
つぶやくような小さな声で井川にようやく届いた。
「どこまで行きますかね。町の郊外のラブホテルですかね。」と言うと
「ホテルに入ったらそこからは尾行はどうするの?」
桂川がやや心配そうに尋ねると
「ホテルの中には入れないから、外で待ちますか。」という答えを聞いてやや安心した桂川はほっと息を飲んだ。
しばらくするといつものように、東側の入口から見慣れた白い軽自動車が入って来た。運転しているのはいつものあの女だ。サングラスをして帽子をかぶっているが、赤いワンピースもいつものままだ。車に気が付いた井川が
「来ましたよ。いつもの服装のままです。青い車はまだですかね。」と言うと
「女も青い車が来るのを待っていますね。車から出てきません。今日は車の中から外を眺めています。」と続けた。するとしばらくして北側の入口からいつもの青い車が入ってきて、駐車場の通路をゆっくりと動いていた。白い軽自動車を探しているようだった。すぐに白い軽自動車を見つけるとすぐ横に停車した。停車した車の運転手同士でお互いを確かめるとすぐに女は外に出て、青い車の助手席に乗り込んだ。
「いよいよ出発です。行きますよ。」と井川が言うと
「近づきすぎると怪しまれるから、適度な車間距離で行きましょう。」と桂川が注意した。2人とも刑事ドラマか探偵ドラマの主人公になった気分を楽しんでいた。
青い車は駐車場を出ると国道を西に向かった。その様子を見た井川副社長たち2人もゆっくりと車を走らせ、駐車場を出た。青い車の後に着け、車間距離を保ちながら福井市中心街の方向へ走って行った。
桂川秘書は前方の車を尾行しながら携帯電話で社長に状況を報告した。
「社長ですか。桂川です。現在国道を南に向かっています。青い車は速度60キロくらいで飛ばしながら市内中心部方面に行くようです。」と報告すると会社の社長室で駐車場を見下ろしていた社長が
「了解です。気を付けて尾行してください。また何か変化があったら連絡してください。」と言って電話を切った。桂川秘書は
「仕事ではないし、他人のプライバシーにかかわるから適当なところで切り上げましょう。」とのめり込みすぎることにくぎを刺した。
赤いワンピースの女を乗せた青い車は国道を走って行ったが、福井駅と書かれた標識が見えると進路を変えた。福井駅の周りは繁華街もあるが、旅行客やビジネスマン向けのビジネスホテルが多く立地している。
しばらく尾行を続けると青い車が福井駅近くのビジネスホテルの前で方向指示器を点滅させた。井川たちはラブホテルでなかったことで少し安心して青い車に続いてそのビジネスホテルの駐車場に入っていった。青い車はホテルの正面玄関に乗り付けて、赤いワンピースの女を下ろすと車はそのまま出ていった。駐車場でその様子を見ていた井川と桂川はその場で顔を見合わせ
「二手に分かれますか。」と井川が言うので桂川も頷くと
「後で迎えに来てくださいよ。」と桂川が言うので井川は
「了解。後で連絡します。」と言って桂川を下ろして青い車の後を追って車を走らせた。車を見送った桂川はホテルのロビーに向かって歩き始めた。正面玄関は狭いが、全面がガラス張りでロビーが見えている。フロントにはあの赤いワンピースの女が立ち話をしている。桂川は怪しまれないように中に入り、ロビーのソファーに座り、待ち合わせをしているようなふりをして横目で彼女の様子を観察した。
赤いワンピースの女はフロントの男性に何か話していたが、フロント係がどこかへ電話して電話を切ると女性がエレベーター方向に歩いて行った。歩いていくその女の表情を桂川はしっかりと覗き込んだ。女性はサングラスをかけていたが表情は笑みを浮かべているような感じだし、手には比較的大きなトートバックを抱えていた。桂川はエレベーターに乗り込んだ彼女を見送って、エレベーターがどこまで行くかを確認した。すると8階でエレベーターが止まった。目的階は8階だったようだ。暫くすると周りの目を気にしながら、桂川も8階へ上ってみた。ドキドキしながら探偵気分を味わい、経験したことのない他人のプライバシーに踏み込む感じが桂川の自律神経を響かせていた。
8階の廊下に出ると昼前ということで人気もなく静かだった。ほとんどの客はチェックアウトした後なので、部屋の清掃をする掃除機の音だけが響いていた。廊下をゆっくりと歩いて各部屋の中の様子をうかがいながら行くと、1部屋だけ人の気配がして、何やら話し声も聞こえた。耳をすましても聞き取れない声の大きさだったが、落ち着いた声だった。部屋掃除の従業員が出てくるとややこしい話になりそうなので、あきらめてエレベーターに乗り下へ降りてロビーで井川の電話を待った。
しばらくすると携帯の着信があり、井川との連絡が取れた。青い車の行き先がわかったのでホテルに迎えに来るという事だった。玄関近くで外を見ながら立っていると井川の車が来たので桂川は、ホテル正面の大きなガラスの自動ドアから外に出て、エントランスに横付けした井川の車の助手席に乗り込んだ。井川はすぐに車を走らせ郊外の自分たちの会社に向かった。車に乗り込むとすぐに
「どうだった。何かわかったかい。」と井川が助手席の桂川に尋ねると
「8階に昇ったことはわかったから、8階の廊下まで行って部屋の特定は出来たんだけど、中で何をしているかは、わからなかったわ。」とホテルの8階の廊下を探索した時のことを話した。そして
「青い車はどこへ行ったの?」と男の行方のほうを聞いた。すると井川が
「あの車だけどね、郊外のマンションの駐車場に入っていったんだ。そしてあの男は1階の部屋に入っていったから、車を停めてその部屋の表札を確かめに行ったら“出張男性用マッサージ『マハラジャ』”と書いてあったんだ。性的サービスはしないと書いてあるけど法律ぎりぎりのサービスを伴う男性用マッサージの店だと思うよ。赤いワンピースの彼女は昼時の性感マッサージ嬢という事だね。デリバリーヘルスではなかったけど、同じような職種だよ。」と説明した。桂川は少し呆れたような表情で井川に問いかけた。
「まだ午前中だというのに、世の男たちの中にはそんなサービスを受けたがる人がいるという事だよね。」と言って井川が世の中の男たちの代表であるかのように井川を責めた。
「僕はそんな店は利用しないけど、真っ昼間にマッサージ嬢を呼ぶのはどんな人なんだろうね。」と疑問を投げかけた。
まだ昼前だがとにかく仕事に戻ろうと井川と桂川は福井駅の周辺から国道を走らせ、会社に向かった。会社の駐車場に着くとすぐに2人とも社長室に向かった。社長は部屋で待っていたが、2人が現れると無事に戻ってきたことを喜び
「2人ともご苦労様でした。尾行がバレて犯罪に巻き込まれないか心配でした。」と2人をねぎらった。井川は
「車は福井駅近くのビジネスホテルで女を下ろし、郊外のマンションに戻ると部屋に入っていきました。部屋は『マハラジャ』という出張マッサージの事務所になっていて、その事務所を拠点にマッサージ嬢を派遣しているようです。だからあの赤いワンピースの女性は派遣マッサージ嬢だったんです。性的サービスはないと書いてあるけど、デリヘリとあまり変わりのない風俗関係だと思います。」と報告した。
桂川は男2人が何の関係もない30過ぎの女に強い興味を示していることに少し違和感があり、あまり気乗りがしなかったが、人間と言うのは基本、人間観察することは楽しいもので、女に興味を持つ目の前の男2人を観察していた。
向坂社長は携帯を手に持ち
「その店を検索してみるよ。」と言い早速『マハラジャ』を検索してみた。そこには店舗タイプではなく出張型のマッサージで性的サービスは行っていないと書いてある。しかし本日のマッサージ嬢の出勤状況として数人の名前と目にボカシが入った写真が並んでいる。指名が出来るようなので、性的サービスがありそうな感じだ。その中の写真に小百合という女性の写真があり、35歳と書いてあった。その写真をクリックするとさらに数枚の写真が出て来て、見覚えのあるあの赤いワンピースを着た写真を見つけて向坂社長は
「あ、この子じゃないか。この赤いワンピース、いつも着ている私服だよ。あの子小百合って言うんだ。」と驚きの声を上げた。
携帯電話を手渡されて写真を見た井川はボカシの入った彼女の写真を見て
「ボカシが入っていますがすごい美人に見えませんか。スタイルも良さそうだし。」と感心仕切りだった。桂川秘書も井川から携帯を手渡され、その写真を見ると
「そうですかね。この写真ではわかりませんよ。35歳と書いてあるけど45歳くらいかもしれません。2人とも騙されないでくださいよ。」と忠告した。女は化けることが上手だという事を桂川はよく知っていた。
彼女が勤める派遣マッサージ店を突き止めた向坂はネットの写真から彼女を特定できた。さて彼女にどうやって接触するのか。 皆様の感想や意見を待っています。