1、赤いドレスの女
若手の起業家が増えてくる中で向坂はドローン開発の会社を設立する。会社は順調に成長を続け、大きな社屋をじぇんせつする。その社長室から毎日同じ時間に隣の駐車場に現れる赤いドレスの女。一体彼女はどんな人なのか。謎は深まっていく。
「晴れた日の白山は美しいな。ただ福井から見る白山よりも石川県の小松あたりから見る白山はもっと大きくて、雄大に見えるんだよ。君は知っているかい。」と社長が聞くと
「そうなんですか。金沢に遊びに行ったことはありますが、白山を真剣に見たことはありません。」と秘書が答えた。
「石川県の人たちは白山のことを自分たちの山だと思っているよ。でも白山は越前五山の一つで奈良時代の越前の僧侶である泰澄が開山したと言われるんだ。それにしても美しいね。日本三名山は白山、立山、富士山と言われている。霊峰として信仰の対象だからだろうね。」と社長が続けた。
この会社の社長の向坂健三は10年前に30歳で8年間勤めた東京の大手電機メーカーを退社し、出身地の福井市でドローン開発企業を起業した。福井市の高校を卒業後、東京工業大学に進学し、学生時代からプログラミングにのめり込んできた。在学中から起業することに興味はあったが、東京の大手電機メーカーからの執拗な勧誘を受け入社して、ソフト開発に携わってきた。しかし、自分の会社を立ち上げたいという思いを忘れられず、地元福井の実家の空き地にプレハブの社屋を建てて株式会社サンライズを立ち上げた。
最初の社員は社長のみ。資本金は会社勤めの頃に貯めた1000万円だけだった。ドローン開発は全盛で、向坂がプログラミングしたドローンは瞬く間に売り上げ数を伸ばし、収益を上げられるようになった。元々は軍事用で兵器として開発されたものだが、カメラをつけて高度のある所から映像を撮影することが簡単になり、さらには宅配の仕事への利用も検討されてきた。芸術の世界では何万機もの小型ドローンをコンピュータ制御して夜空に飛ばし、それぞれのドローンを光らせることで、漆黒の夜空に立体的な造形物を作り上げるつわものも現れている。しかしヨーロッパや中東では本来の使用目的だった武器として戦争に利用され、需要は無限大の時代に入った。
向坂の会社は最初の内は大手ドローン会社の下請け企業として、注文を受けた数だけドローンを製作して、下請け料を頂いていた。しかし彼が設計したドローンは使い勝手が良いと評判になり、直接制作の依頼が全国の企業から来るようになった。それに伴い経理の従業員とプログラミングをしてくれるプログラマーも採用した。社員は3人になった。
5年目には大学生の頃からアイデアを温めていた大型の宅配用の開発に成功した。AIを搭載して周りを見ながら飛行経路を考えたり、着陸地点を変更して相手側に連絡したりする機能を備えていた。新型ドローンの開発によりプレハブの社屋は鉄筋コンクリート5階建ての大きなビルにかわった。社員も大量に採用し、若い人が30人ほど集まって、活気に満ちた会社になった。
ただ実家の畑だったこの土地は商業用地として開発が進んだ地域だったので、大きなショッピングセンターや飲食店なども並んでいた。しかも隣の敷地には大きなパチンコ屋があり、広々とした駐車場があった。
新社屋の5階の東側に大きな窓で見晴らしの良い社長室が作られた。毎日忙しい仕事に明け暮れていたが、一息つくときにこの窓から遠くに見える白山を見るのが好きだった。白山は福井の人たちにとっても自分たちの山としての意識が強い。
全国にドローン開発会社などIT関連の起業が多くみられるが、最近の特徴は東京でなくても地方で十分仕事が成り立つことだ。契約書や資料のやり取りはメールを利用し、会議はビデオ会議を利用するので何も不便を感じない。地方の方が土地は安いし、人材の確保もしやすい面が多い。
社長の向坂は社長室で副社長の井川和幸と次に開発するドローンについて話し合っていた。副社長の井川は36歳で、東京のIT会社でシステムエンジニアとして働いていたが、新社屋建設で事業を拡大するにあたり、転職して福井にやってきた共同経営者だ。
「安定的な収益のためには大手ドローンメーカーからのドローン制作の下請け案件も大切だと思うんです。このドローン制作はアップデートも含めて、安定的に受注が見込まれす。だからこの大手ドローンメーカー案件を引き受ける部署は残すべきだと思いす。」と副社長の井川が意見を述べると
「そうかな。大手企業からの受注ばかりでは大きな利益はないし、人々の生活を変化させるまでには行かないよね。僕はAIを積極的に搭載して、ドローンが自ら考えて配達するような画期的なドローン開発をしたいと思ってるんだ。そして人々の生活を大きく変えたいんだ。」と向坂社長は白山を見ながら夢を語っている。
2人が会社の将来像を語っているとドアを叩く音がした。ドアを開けて入って来たのは重役秘書の桂川由美だった。彼女も会社規模拡張に伴い、経営陣として採用した内の一人だ。東京の大手電機メーカーでソフト開発担当専務の秘書をしていた。帰国子女で英語のほかフランス語も使いこなす。秘書とは言え、専務の懐刀として人脈も広く、実質的にソフト開発を引っ張ってきた女性だった。若干30歳で将来の重役候補と言われていたが、4年前、向坂の夢に賭けて福井に来ていた。その彼女が3人分のコーヒーを煎れて持って来た。
「桂川君、良いところに来たね。どうだい、福井から見る白山は。」と言うと
「1年中白い雪を抱えて、きれいですね。でも福井の人にとって白山は思わず手を合わせて拝みたくなるらしいですね。それぞれの心にふるさとの山があるんでしょうね。」と答えると
「うまくまとめてしまったね。ところで、三井鉄工のドローン案件更新の件、向こうの専務はオファーを出してきたかい?」
社長の向坂がテーブルのコーヒーに手をかけながら桂川秘書に聞いた。
「先方から正式なオファーはまだですが、三波専務からは直接お電話で大手ドローン会社を通さず、直接我が社に発注するとお聞きしています。」と答えながら、副社長にもコーヒーを出して副社長の隣に座った。3人の経営陣がそろった。社長は
「僕はソフト開発部で数人のエンジニアと一緒に新しいドローンに搭載するAIの開発をしているけど、なかなか面白いものになりそうだよ。先月入って来た若い宮本君がなかなかのアイデアマンなんだ。プログラミングを打ち込むことは誰でもできるけど、どんなことが出来るようになるか、その目標を設定するのは才能だよ。彼はプログラマーとしては三流だけど夢想家として一流だ。彼みたいな若い才能を大切にしないとね。」と福井の大学を卒業したばかりの若手社員を褒めたたえた。
毎朝10時に3人で経営戦略会議と名付けて、打ち合わせをしている。今日も30分ほど話し合って2人とも社長室から出て、それぞれの部署で自分の仕事に入っていった。残された向坂はいつもならソフト開発部へ直行して、若いメンバーとAIのプログラミングについて話し合いながら作業に没頭するところだが、今日はまだ残っているコーヒーを右手に持って立ち上がり、窓辺に向かって外を見ながら、ゆっくりと飲んでいた。白山の美しさに気持ちを洗浄してもらっているかのように遠くを見つめていた。
するとその時、眼下のパチンコ店の駐車場に白い軽自動車が入って来たのが視界に入った。特に変わった風景でもなかった。9時から開店している店に10時ごろにやってきた車だ。気にすることなく白山を見ていたが、視界の隅でその白い軽自動車が停まって、色鮮やかな赤いワンピースにサングラスの女性が降りてきた。平日の午前中のパチンコ屋は定年を過ぎた初老の老人か、定職についてない若い男性たちが、グレーや黒のジャンパーを着て集まってくることが多いので、色鮮やかな赤のワンピースは場違いだった。
『赤いワンピースでパチンコはちょっとおかしいな。』と直感で感じて、無意識にその女性の行動を観察した。
自分で運転してきた白い軽自動車から降りると立ち上がり、周りを見回している。しばらくすると歩き出して、青いSUⅤに近づき運転席の男と一言二言言葉をかけ、その車の助手席側に移動してドアを開けて乗り込んだ。青いSUVはそのまま駐車場から出て、国道を北に向かって走って行った。
向坂は何か違和感があって赤いワンピースが頭から離れなかった。
『あの赤いワンピースの女性は何でパチンコ屋の駐車場に来たのだろう。』
赤いワンピースで腰のあたりは黒いベルトで絞られていたが、フレアーなスカート部分は風になびいていた。大きなサングラスは表情を隠し、うれしそうだったのか悲しそうだったのか、緊張していたのかフランクだったのか。表情一つでそのシチュエーションは変わってくるだろうと想像を膨らませた。
うれしそうだったとしたら、夫婦で映画を見に行く約束をしていて、たまたま夫の会社の近くのパチンコ屋の駐車場で待ち合わせをしたのかもしれない。家から出てきた妻は久しぶりの夫とのデートに、真っ赤なワンピースを引っ張り出してきて着飾ったのかもしれない。どんな映画を見たのだろう。映画の後はまっすぐ家に帰らずに、食事をしてラブホテルを利用するのもロマンチックだ。そう考える自分を向坂はちょっとゲスな感じに思った。
しかし悲しそうだったらどうだろう。彼女は子供が交通事故にあったと連絡を受けて、職場から直行した。真っ赤なワンピースを着ているという事は、彼女の職場はブティックで洋服の販売をしているかもしれない。病院に向かう前に夫と合流したのがパチンコ屋の駐車場だった。夫婦でここから大学病院に向かったのではないだろうか。
妄想は膨らんだが、もう一つ大きな疑惑が頭に浮かんだ。もし彼女が風俗関係の仕事だとしたら、疑問点はなく説明がつくような気がした。
『ごく普通の家庭の主婦Aは子供を学校に出して洗濯などの家事を済ませると、9時ごろに手が空くので、デリバリーヘルス店に出動できることを連絡する。ネット上には彼女が出勤中と表示され馴染みの客が指名のメールを入れる。店のオーナーから彼女の所に電話が入り、いつものところで運転手と待ち合わせて、客が指定した場所まで送って約2時間のお仕事をする。終わったら運転手がその場所まで迎えに行って彼女を次の指名の客の場所まで送り、また2時間のお仕事。午後3時までにはパチンコ屋の駐車場に戻り、彼女はまた自分の車で子供が帰ってくる時間までには家に帰らなくてはならない。2件こなせば彼女の取り分は3万円と言うところだろうか。週に4日出勤で12万円、4週間で50万円近くになる。それにしても彼女の家庭はどんな状況なのだろう。夫はそのことを知っているのだろうか。子供は何歳くらいなんだろうか。』
そんな妄想を巡らしていると、頭の中に彼女の真っ赤なワンピースの映像がこびりついて離れなくなってしまった。
『いかん、仕事中だった。赤いワンピースの女がどんな家庭環境でも、自分には関係ないし、そんな女に関わり合いを持ったら、きっとひどい目にあうだろう。』
そう考えて、仕事に戻ることにした。コーヒーを飲み終えると、社長室を出てソフト開発部の部屋に行って、コンピュータに対面しながら昨日の続きのプログラミングに集中した。
その日の夕方、社長の向坂は副社長の井川と秘書の桂川をさそって繁華街の片町に出た。井川も桂川も独身で東京から来たので、市内中央部のマンションに一人暮らしだったので、社長の誘いには2人とも大概、断らなかった。社長の向坂も40歳まで独身で実家には両親がいたが、市内中心部のマンションを借りていた。
居酒屋で軽くお腹を満たした後、向坂の行きつけの静かなサロンでお酒を飲みながら会社のことについて語り始めた。男性2人に女性1人の客なので、店側からは青いミニスカドレスの女性1人だけが接待に入って来た。独身の向坂と井川にはそのミニスカから覗く細身の足と膝が艶めかしかった。その女性は3人分の水割りを作り
「秋帆と申します。よろしくお願いします。」と挨拶して社長の横に座った。向坂はいつものように彼女の膝に手を乗せようとしたが、桂川がいる事を気にして手を引いた。桂川も美人だが、ミニスカが似合う年齢ではなかった。向坂は桂川の方を見ながら
「桂川さんには僕をサポートしてもらおうと思って秘書と言う役職になってもらっていますが、専務とか役員待遇にしたほうがいいかな。どうですか。」と社長が問いかけるとロングスカートの桂川は
「役職何てどうでもいいです。まだ若いですから。それよりも私も共同経営者として会社の株を何%か分けていただきたいです。そうすれば株式を保有する経営者として、仕事にもっと打ち込めると思うんです。副社長は何%持っていらっしゃるんですか。」
厳しいところを聞いてきた桂川に井川はやや気後れしながらも
「僕は20%です。社長が80% 2人で1000万円の出資です。」と答えると社長が桂川の顔を見ながら
「桂川さん、僕の持ち分を何%か分けますよ。」と答えた。会社が倒産したら戻ってこない金だという事も桂川はよく知っている。しかし会社が上場して軌道に乗ったら、何百倍にも化ける投資であることもよく知っていた。
「それでは副社長に遠慮して15%でどうでしょうか。だから150万円を社長に渡せば分けていただけるんですね。」と笑顔いっぱいに提案した。社長は3人で共同経営と言うプランで考えていたので
「よし、わかった。明日、会社で株式の譲渡を契約しよう。」と話がまとまった。
話がまとまって3人で共同経営の再スタートを切る祝杯を挙げた後、社長が今日の社長室で見た光景について話した。
「実は今日の戦略会議の後、社長室から外を見ていたら、隣のパチンコ屋の駐車場に白い軽自動車が入ってきて、そこから赤いワンピースの女性が出てきたんだ。そして青い別の車の助手席に乗り換えて外へ出て行ってしまったんだ。サングラスをしていたから年齢はよくわからなかったけど、あまりにも鮮やかな赤だったから印象に残ってしまって、気になるんだけど、どんな人だと思いますか。」と聞いてみた。水割りを飲みながら話を聞いていた井川は
「社長、赤いワンピースの女性に心を奪われてしまったんですか。彼女は宴会コンパニオン会社の派遣で、午後からどこかの会社の設立20周年パーティーに呼ばれ、仕事として会場に行く途中だったかもしれませんね。」と言うと桂川も
「社長、20歳の若者じゃないんだから、偶然見かけた赤いワンピースの女性に一目ぼれなんて、おかしいですよ。」と相手にしなかった。しかし店のキャストの青いドレスの秋帆は
「それって私たちと同じ、風俗営業の女性かも知れませんね。午前中に赤いワンピース着ていたんでしょ。ワンピースって言うから上品な感じですけど、赤いドレスって言ったら仕事関係って聞こえますよね。」
その場は一気に捜査会議のような雰囲気になった。社長は
「風俗関係かという事は僕も考えたよ。でも確信はないんだ。夫と待ち合わせて映画にでも行こうという事で、ワクワクしていたご婦人かも知れないし、事故にあった子供が運ばれた病院に向かうブティックのママかもしれない。いろいろな妄想が沸き上がってきて途中からは楽しくなってきたんだ。」と笑顔で話しながら楽しんだ。
結局、自分たちには関係ないから深入りはやめようという事でおさまり、その日の飲み会は終了となった。