第2話 夢
記憶の始まりを辿れば、いつも女の人が走っていた。
まだ小さな自分の手を握り、一心不乱に夜闇を駆ける女の人。
最後に、何ともつかない暗闇に飲まれ、繋いでいた手を離し、女の人が言った。
『逃げて、――』
そこで、いつも目が覚める。
「――――、あ」
がばり。
目を覚ますと四時間目が終わっていた。
二年B組の教室には、弁当持ちの生徒たちが見受けられた。
昼休み。
おかしいな。学校来てからまだ一時間も経っていない筈なのに。
食堂。
見渡して五秒で発見。
「お前ら!薄情過ぎないか!?」
おっ、と反応する轟。
「おお、昼休みで起きたか。よし、そのエビフライ貰うぞ、竜胆」
「むがー!もうちょい寝てなさいよ緋月君!」
吼える竜胆。
「ひづくん~」
「もう少し早く起きてよメイー・・・・・」
涙目の夕夏、天音。
「・・・・・美織さんは何だって?」
答える轟。
「『ここまで爆睡されると逆に清々しいな。よし、実に興味深い。こいつがいつまで寝こけているか、様子を観ていようではないか』ってさ」
「・・・・・・教師がやることじゃないな」
「でも、ひづくんずっと寝てるしー」
「そーそー」
「メイは寝過ぎです」
くっそぅ。
我が陣に味方なし。
孤立無援なり。
シリウスが編入してから二週間が経った。
学校生活は平穏そのもので、あいつもすぐにクラスメートと打ち解けることが出来た。
問題は特になく・・・・(目の前。体育の授業中のシリウスが、トップランナー竜胆をぶっちぎって一位を勝ち取った)・・・・・・特になく!そこそこ平和だ。
シリウスは緋月天音という名前で、俺の従姉妹ということで戸籍を作った。
外国から来たという嘘も疑われず、現在に至る。
ホームルーム。
二言三言話をした担任・美織先生が解散を告げる。
「あー、緋月ちょっと」
美織先生が手招きする。
「なんすかー?」
美織先生がひそひそと耳打ちする。
「・・・・・・今日は、フレンチが食べたい」
・・・・・・・・。
「・・・・・・分かりました。シリウスに頼みます」
「うむ。よろしく」
要するに、今日家に顔を出すからフランス料理を食わせろということらしい。
・・・・・・と、なると。
「天音。買い出しに付き合ってくれないか」
「あ、いいよ・・・・」
「買い出しぃ・・・・・!?」
一緒に帰りの支度をしていた轟が反応する。
「そういえば・・・・・」
夕夏。
「緋月君と天ちゃんて・・・・・」
竜胆。
「一緒に住んでるんだったなあぁぁ!」
血涙を流す轟。
「・・・・・なんだ、お前。まだそんなこと言ってるのか」
「当たり前だ!こんな美少女と一つ屋根!まるでギャルゲーのような桃色ライフ!羨ましいったらありゃしない!!」
どうやら地雷を踏んでしまったようだ。
こいつは気付いていないようだが、その気になれば彼女の一人や二人は簡単に作れるぐらいの魅力は持ち合わせているというのに。・・・・・・これがなければ。
「だから、そんなことないって・・・・・」
「ホントか!?うっかり手が触れ合って顔を赤らめちゃうのは!?」
「どこのラブコメだ」
「じゃあ、食事してて、『もう、メイ。ほっぺたにご飯粒付いてるゾ(はぁと)パクッ♪」』は!?」
「ない(大丈夫か?こいつ・・・・・?)」
「じゃあ、風呂場でドッキリ入浴中に遭遇は!?」
「それは―――」
そこで天音が口を開いた。
「え?それっていけないことなの?」
「・・・・・・・・」
凍り付く空気。
放課後の教室には自分たち以外に残っている者は居らず、今の爆弾発言を聴かれることはなかったのが幸いと言える。
「えっと・・・天音ちゃん?いつもメイ君に・・・・えっと・・・裸見せてるの?」
恐る恐る夕夏が尋ねる。
「うん」
がしっ!と天音の腕を掴み逃走。
殺気立った一同に捕まる前に教室を後にした。
「いいか天音。これを機にもう一度いうが、恥じらいを持て」
「だってそれが普通だと思ったのだもの・・・・・」
どうやら研究所の連中は情操教育の一切を怠ったらしい。迷惑な話だ。
「駄目だ。風呂上がりにバスタオルで出てくるのはやめろ。寝るときは買ってやったパジャマを着ろ。俺が入ってる時に風呂場に入ってくるな!」
「お兄ちゃんたちは一緒に入ってくれたのに・・・・」
「それは奴らが変態なだけだ」
近所のスーパー。
買い物籠に食材を放り込んでいく。
それを指示するのは天音だ。
こいつには意外なことにフランス料理という得意分野が存在する。
潜入の一環として習ったらしいが、こんなことよりももっと肝心なものを教えてやってほしかった。
「しょうがないなー」
「しょうがなくない」
・・・・・はぁ。こいつを躾るには、いろいろと手間がかかりそうだ。
「―――――――平和だね。メイ」
「うん?」
天音がぽつりと呟く。
確かに、追っ手もなく、のんびり暮らせるこの状況は、平和そのものと言える。
互いにとって待ち望んだ理想郷。
それは――――――
「いつまで、こうしていられるかな」
それは。
いつまでも続かないというのか。
「安心しろ」
「え?」
寂しそうな天音の肩を抱き寄せる。
「俺が、この時間を守ってやるから」
「・・・・・うん」
天音は甘えるように、そっと俺の肩に頭を預けた。
風原丘空港。
都市部の片隅。海を拓いて作られた滑走路。火を噴いて飛びゆく飛行機。
それをガラス越しに見送りながら、白髪の神父服を着た男が口を開いた。
「相変わらず雑多な国だ。どうかね、久しぶりに訪れた故郷は?」
その言葉を受け、傍らの黒髪の少女が答える。
「・・・・・・別に、どうとも」
珍妙な男の格好に対して、少女の出で立ちは、ごく普通な黒いジーンズ。腰に巻いたシャツと白いTシャツという若者風。
ただ一つ、背負った細長い包みが違和感を呈している。
「こう人が多いと雑音が酷いな。移動しよう。近くにホテルをとってある。勿論、二部屋だ」
男の下らない話題に乗ることなく、少女は深く深呼吸した。
懐かしい故郷の香りに混じって鼻を突く異臭は、どことなく自分を責めているような気がした。
「さて、そろそろ行くとするか」
男は両手を広げて宣言した。
「始めよう。狩りの時間だ」