OL桑原さんの言い返しー新人いびりー
「新しく入った子、マジで使えない」
「ホントそれね! そんなことも知らないのかって、常識を疑うわ」
「仕事も遅くて話にならないし、これじゃ給料泥棒よ」
「ね〜。給料を貰うんだから、私達と同じレベルの仕事をしてもらわなくちゃ。いつまで学生気分なんだか」
会社の休憩室から聞こえてきた悪口に、桑原は顔を顰める。
廊下まで聞こえてくる声の主は、桑原と同時期に入社した五十代の女性社員達だ。
桑原が二年ほど働いている業務用機械の修理受付窓口のコールセンターにも、月初に新しい社員が三人入社した。
新入社員達が二週間の座学研修を終えて、先週から既存社員とマンツーマンのOJTに入っている。女性社員の片方は、指導役の一人に選ばれていた。
桑原も過去に新人指導を任されたことがある為、人に仕事を教えるのはとても大変だと分かる。しかし、それで悪口を言っていいことにはならない。
お客様に対して、新入社員・既存社員も関係なく、しっかりとした対応が必要だというのも理解できる。しかし、仕事を覚えたての新人では難しいだろう。
お客様にしっかりと対応できるように、新入社員達が安心して働けるように、上司や既存社員達がサポートすることが大切だと桑原は考えている。
「お疲れ様です」
桑原が休憩室に入ると、女性社員達はシンと黙った。
悪口を邪魔されたのが不愉快なのか、女性社員達は挨拶を無視して食事を再開した。
二人も入社初期の頃は桑原に話しかけてきたが、大半が人の悪口だった。聞きたくないと強い口調で言い返して以降は話しかけられなくなったが、それから彼女達の悪口の標的になっているようだ。直接耳に入ってきてはいないが、随分と好き勝手言ってくれているらしい。
(陰口なんてと思ったけど、逆に良かったかも)
桑原の性格上、言葉で殴られたら言葉で殴り返してしまう。
他の社員達を怯えさせてしまうのは良くないので、今のところは女性社員達の悪口は放置していた。
昼休憩後。
桑原が時間に余裕を持って自分の席に戻ろうとすると、離れたデスクにいる指導係の女性社員のイラついた声が聞こえた。
「ほら、お客さんが待ってるでしょ!! もう二分も保留よ! ちゃんとマニュアルを見て!」
どうやら、新入社員の女性が電話応対で困っているようだ。泣きそうな顔でマウスを動かし、パソコン上のマニュアルの中を一生懸命探している。
「ああ、もう! 早く!!」
女性社員は怒ることしかせず、何処に対応方法が記載されているのか教えようとしない。
周囲が気まずそうな顔をしている中、桑原は新入社員に近づいた。
「今、お客様は何と仰っていますか?」
桑原が声を掛けると、女性社員がキッと鋭い目で睨みつけてきた。
新入社員は声を震わせながら説明する。話を聞いた後、桑原は顔を歪めた。
「それは、ここで対応する案件ではないですね。お客様には対応する部署が異なる旨と、デスクトップにある別ファイルに記載されている正しい部署の番号をお伝えしてください」
新入社員にファイルを開いてもらい、小さく書かれた連絡先を指差す。新入社員は保留を解除し、お客様に丁寧に説明をして電話を終えた。
「今のは、マニュアルに載っていないイレギュラー案件でしたね。このファイルには、私達が過去に困った案件を中心に対応方法をまとめているので、見ておくと良いですよ」
「あ、ありが」
「ほら、次は後処理! ただでさえ遅いんだから、すぐ次に移らないと!」
女性社員は新入社員の言葉を強い口調で遮った後、桑原をジロリと睨みつけた。
「桑原さん。ちょっといいかな?」
「はい」
上司に呼び出されてしまった。指導役でもないのに、口を出してしまったことについて注意を受けるのだろう。女性社員も同じことを思ったのか、勝ち誇った笑みを浮かべた。
桑原が上司と休憩室で話をした後に仕事場に戻ると、女性社員がまだイライラと声を上げていた。新入社員は完全に萎縮して、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「だーかーらー! 何度言わせるの!? お客さんの無駄話なんて聞く必要ないから!」
「ですが、もしかしたら、別の部品の不具合が原因のエラーかもしれませんし。詳しくお話を聞いた方が」
「口ごたえしない! こんな小さな案件に時間をかけるより、より多く電話を取る方が大事なのよ! ほら! 早く保留を解除して、電話を終わらせて!」
上司が困った顔で女性社員を呼び出す。
桑原は先ほど上司に頼まれた通りに、女性社員と交代して新入社員のOJTを行った。
終業後。
桑原が身支度を済ませて帰ろうとすると、休憩室の方から女性社員達の声が聞こえてきた。
「嘘! 指導係を外されたの!?」
「ありえなくない!? 桑原の奴、絶対に上司に私のことを悪くいったのよ! 自分が仕事できないからって、人の足を引っ張るなんて!」
「お疲れ様です」
ドアを開けて笑顔で登場した桑原を見て、二人は口を開けたまま固まった。
「私の名前が聞こえたので来たのですが、何かお話がありますか?」
桑原の問いに二人は視線を逸らした。
「別に、何も無いけど」
「勘違いでしょ? 私達は、おしゃべりしていただけ」
「お二人は声が大きいので、休憩室の外まで声が漏れております。言いたいことがあるのなら、直接言ってもらえませんか?」
女性社員達は顔を顰めて黙り込む。桑原は小さく溜め息を吐いた。
「勘違いされているようですが、私は上司に何も言っていません。あなたがOJTを外されたのは、人に教える態度に問題ありと上司が判断したからですよ」
「なっ!? 私はちゃんと教えていたわよ! 新人の子の理解が遅くて」
「あれが教えていたと?」
桑原はスッと目を細める。
「私が口を出した件ですが、先週問題になったイレギュラー案件でしたよね? マニュアルが変更される前だから、別ファイルに情報を追加していた。通常のマニュアルには記載していないのに、その中を探させて対応を遅らせていたのは何故ですか?」
「それは……。わ、私達だって、マニュアルになくて困ってクレームになった案件だったから。自分から気づかせようと、練習のつもりで……」
「解決方法を知りながら、お客様を待たせてクレームに発展させようとしたという事ですか?」
「……い、今の新人は恵まれすぎなのよ! 私達と同じように苦労を味合わせた方が、より成長になるでしょう!?」
桑原達は同時期に十人以上も入社した為、教える側の人手が足りずにOJTは無かった。体制も十分には整っていなかった為、曖昧な部分も多く、クレームに繋がることが多々あった。
「私達が苦労したからって、同じ苦労を味合わせる必要はないでしょう? 何の為にOJTをしているんですか? 私達が経験した事を伝えて、新人の方達がよりスムーズにお仕事できるようにサポートする為でしょう?」
「仕事できない人が偉そうに言わないでよ!!」
「そうよ! あんた、仕事遅いじゃない!? 昨日だって、一つの案件の対応に一時間以上かかっていたでしょう!?」
「あれは、あなたが起こしたミスに対する各部署への訂正連絡をしていたからですけど?」
「……え?」
桑原の言葉に、指導係の女性社員はポカンとする。
「あなた達はデータ上では仕事が早い事になっていますが、随分と適当な対応をされていますよね? それが原因で、何件もクレームに発展しているのをご存知ないのですか? 上司が今まで何度もやんわりと注意していましたけど」
桑原の勤めているコールセンターには、一件あたりの電話対応の速さを評価する制度がある。
二人は評価を上げる為、お客様の話を途中で話を遮って通話を早く終わらせるようにしていた。そのせいで、本来確認していれば未然に防げたトラブルの対応に遅れが生じ、お客様に余計な費用負担がかかるミスを度々起こしていた。
「”自分達は仕事が出来る”と思っているのなら、それは驕りだと思います。私もかなり未熟ですが、あなた方も、まだわからないところがあるでしょう? 上司がOJTを任せるのは、新人に教えることで、既存社員にも今以上に仕事への理解を深めてほしいからだと説明されましたよね?」
桑原が過去に指導係をしていた時も、理解が曖昧な部分に気付かされることが多々あった。教える為に改めて学ぶことで、自分の知識も増えた。教えることは一方の成長ではなく、双方の成長に繋がるものだ。
「学び続ける必要があるのは、新入社員も既存社員も同じです。スムーズに仕事ができることで、私達もお客様も助かる。不利益にしかならないのに、人に余計な苦労を強制するのは愚かだと思います」
「う、うるさい! あんた、本当に何様よ!? 指導係じゃないのに出しゃばって!!」
「確かに、私は今回の指導係ではありません。先程の行動は出しゃばりでした。その点は申し訳ありません」
「ほ、ほら! 自分でもわかっているんじゃない! そうやって出しゃばってまで、周りに自分が優れていることをアピールしたいわけ!?」
女性社員が勝ち誇った顔で桑原を指差す。見当違いの言葉に、桑原は呆れてしまった。
「アピールなどしていません。そんな事をしても、人間としての中身がなければ尊重されるわけがありませんから。少なくとも私は、人の悪口ばかりを言っている方を尊重したいとは思いません」
女性社員達が気づいているかは知らないが、二人の悪口や粗探しが原因で職場の雰囲気がだいぶ悪くなっている。上司も何人もの社員に相談されて困っていたようだ。
「あんた、どんだけ生意気なの!? 同期といえど、あんたは私達より年下でしょう!? 上の人間を敬いなさいよ!」
「そうよ! 新人の子達も上の人間に対する礼儀を知らないし! だから、若い子はダメなのよ!」
「仕事の上下関係は業務を円滑にする為のものであって、人間としての上下をつけるものではありません。敬うかどうかは、あなた達ではなく相手が決めることです。敬われたいのなら、それ相応の在り方をすればいい」
”認めてほしい”、”もっと大切にされたい”。
その思いは理解できるが、他人の気持ちを操ることはできない。
それに、誰かに認めて欲しいという思いは、”自分の価値を決めて欲しい”と他者に判断を委ねる行為だ。コントロールできないモノに自分の価値を委ね続けるのは、きっと地獄のように苦しい道だろう。
「あなた方は他人の粗探しに必死になって、自分自身を見ていない。他人を見るより、まずはご自分を見直されてはいかがでしょうか?」
上司は「社員を簡単に辞めさせられないから」と言っていたが、二人に対する周囲の不満が溜まっている。このままでは酷い毒となって、トラブルを起こしかねない。
女性社員達は悔しそうに顔を歪めた後、鋭い目で桑原を睨みつける。女性社員の一人が「もう帰ろう」と言って、一緒に休憩室を出て行った。
(私の言葉は、あの二人には響かないよね)
嫌いな人間に何を言われても、反感を抱くだけだ。
桑原は溜め息を吐き出した後、休憩室から出ようとドアを開ける。
「桑原さん。お疲れ様です」
桑原がギョッとして振り向くと、扉の外に新入社員が立っていた。桑原はドキドキする心臓を押さえてニコリと笑う。
「お疲れ様です。こんな所で、どうされましたか?」
「帰る前に、桑原さんにお礼が言いたくて。ここに入っていくのが見えたので、待っていたんです」
(……もしかして、今の話を聞かれてたの!?)
既存社員の言い合いなんて、新入社員から見たら怖いだろう。働きにくい職場だと感じて辞めてしまう可能性もある。どうフォローしようかと冷や汗をかいていると、新入社員は柔らかい笑みを浮かべた。
「桑原さんは優しい人ですね。相手を思って前もって忠告できるなんて凄いです」
「え? いえ、自分が言いたいことを言っているだけで、褒められることではないですよ」
そもそも、優しい人なら、あの二人とも良好な人間関係を築けただろう。
言葉の暴力で殴り合うのは、桑原が未熟な人間だからだ。たとえ人間関係が悪化しても、自分の心を歪めて濁らせてしまう方が嫌だから選んだに過ぎない。
「私だったら……」
新入社員が何かボソリと呟く。桑原は首を傾げた。
「すみません。聞こえなかったのですが……」
「いいえ。なんでもありません。桑原さん、明日もOJTをよろしくお願いします」
新入社員はにこやかな笑顔を浮かべる。
ゾクリと感じた怖気は気のせいだと思い、桑原は新入社員と和やかに話しながら帰った。
一年後──。
桑原が部署を異動した後に起きた事なので詳しくは知らないが、あの女性社員達が不幸な目に遭ったと社内の噂で聞いた。
『私だったら、何も言わずに地獄の底へ突き落とすのに』