第四話 神様について
***
「アルさんは自覚あるのかねぇ」
「何がです?」
ローディアは己が主の突然のつぶやきに疑問符を浮かべる。
何杯目か分からない茶を飲み干し、サラスヴァは答えた。
「『彼らは眷属になった瞬間、その種族の寿命を捨て、神と永遠を共にする』って言ったとき。彼の目を見たかい?もう爛々と輝かせてたよ。表情はピクリとも動かないのに、目だけは雄弁なんだよねえ」
ローディアはその瞬間を見ていたが、かの神がなぜ目を輝かせたのかはわからなかった。
「アル様はなぜあんな表情をされたのでしょう」
サラスヴァは「さあね」と紅茶を一口含んだ。
「ともかく何らかの思う所があって、ただならぬ執着を抱いていることは確かだよね。ミカ君もミカ君で『なんでもする』なんて言っちゃうし。前世の記憶があっても身体は正真正銘子供でしょ、幼さに引っ張られるだろうし、心配だなあ」
「ふふふ、その割には笑っておられますよ」
「主様、楽しそう、だね」
笑顔を指摘されたサラスヴァは自分の頬をむにむにと揉んだ。
「そりゃあね、こんなに面白そうなこと滅多にないもの。君たちだって面白がってるでしょ」
ローディアとネイローは顔を見合わせ同時に笑った。
「ええ、もちろん」
「すごく、楽しいよ」
***
「ミカ、起きていたのか」
「あ、アルおかえりー。俺のこと運んでくれてありがとう」
大量の落書きを生成して待っていると、湯気の立つ包みを抱えたアルが帰ってきた。夕餉を買いに行っていたらしい。
アルはほんのわずかに口端を上げ「ただいま」と返した。
「何買ってきてくれたの?」
「ラング屋の弁当だ。腹の空き具合はどうだ?」
そう言いながらアルは弁当を机へ置いた。おいしそうな香りが食欲を刺激した。
「めっちゃ空いた!んー良い匂い」
「この付近で一番美味いんだ。冷めないうちに食べよう」
「アルのお墨付きなら安心だね。手、洗ってくる」
どうやらアルは食が好きらしい。今日一日の言動だけで、食に重きを置いていることがはっきりと感じ取れた。神様が探索業をしている理由がご飯を食べるための資金稼ぎだなんて、と思わなくもないが、神様の生活には娯楽がないのかもしれない。
それに、アルには言わないけれど、クールビューティが実は食いしん坊ってすごく可愛らしいギャップだと思う。
手を洗って机に戻ると、アルは大量の落書きをじっくりと見ていた。
描いてから気が付いたが、俺は相当絵が下手だ。描いている最中は上手く描けた気がしていたのだが、完成形を眺めるととても微妙なのだ。
「うー、あんまり見ないで…アルも手、洗ってきなよ」
「あ、ああ。…これは、ウサギか?」
アルが指さしたそれは落書群の中でも、一番上手く描けたと自負しているものだった。
「それは猫です」
「猫…」
地味にショックである。やっぱり下手なんだ…。アルは「猫…?」と呟きながら手を洗いに行った。
戻ってきたアルとともに布の包みを開ければ、弁当は大きな葉でくるまれていた。紐をほどき葉を開けば、照りのあるタレがかかった大きな肉と、雑穀米の様だ。端には葉物の漬物らしき副菜が添えられている。
「わぁ…お米あるんだあ…!」
正直ないと思っていた。あってもインディカ米のような粘り気の少ないものだろうと構えていれば、見るからに日本の米だ。嬉しい。
「コメは通じるんだな。これはラシャゴメやジャカアワ、ヒナムギなどが混ざっている」
「え、粟に麦?その品種は知らないけど植物の名前はわかるよ」
そういえば昼に食べた付け合わせの野菜もネギと瓜だった。ウサギと猫も通じていたし、大まかな野菜や動物の分類は変わらないらしい。
「箸は使えるか?」
「お箸もあるの!?使えるよ、ありがとう」
差し出された箸を受け取りお礼を言う。
町並みは石造り、食文化は和洋折衷。本当にゲームの世界に来てしまったのかもしれない。
「「いただきます」」
一口大というには大きすぎる肉にかぶりつく。そしてすかさず追いご飯。ああ、おいしい。これはどう味わっても照り焼きチキンです。最高。ただ惜しむらくは手が小さくて箸が扱いにくいのだ。口の周りがどうしても汚れてしまう。
口いっぱい詰め込んだ肉とご飯を咀嚼していると、アルが食事の手を止めこちらを見ていた。その目は優しく、なんだか無性に落ち着かない。
食べながら話すのは行儀が悪いので首を傾げるに止めた。
「なに、美味そうに食べるなと思っただけだ」
アルはほんの少し笑みを浮かべ、食事を再開した。あ、と大きく開かれた口から鋭い犬歯がのぞく。唾液で濡れた歯はきらりと光り、次の瞬間、獲物に嚙みついた。つい目が離せなかった。
先程の俺と同じように、咀嚼しながらこて、と首を傾げた。
「や、その、実は、犬歯鋭いんだなあって…えへへ…」
「そんなところを見ていたのか…」
手の甲を口に当て恥ずかしがるアルにちょっぴり罪悪感が湧いたので、話題を変えることにした。
「そういえばさ、寿命がなくなったって言ってたけど、成長はするの?」
「そのはずだ。だが詳しいことは分からないんだ。だから知ってそうな奴を片っ端からあたろうと思ってる」
「ほかの神様?」
「ああ、話さなければな」
そこからは怒涛の勉強タイムだった。
「一番初めから話そうか」
***
何千年も昔、この世界は何もなかった。生命も、大陸も、海も、空間も、何もかも。
そして空間が現れた。空間を生み出した男は、この世界にとって、無からすべてを作り出せる全能の神であった。
神は空間を彩るために土や岩を創り、大地ができた。端のほうは水で満たされ、海ができた。
次に神は生命を創ろうと考えた。
そして生命を創ることができる神を創り、アルモートと名付けた。
「神よ、あなたの御名を崇めさせてください」
「俺は…そうだな、盤古。盤古と名乗ろう。アルモート、最初の仕事だ。生命を創れ」
アルモートは小さな生命を作り上げた。彼はやがて芽吹き、巨木となり、世界樹と名付けられた。
「こいつはいい。死んだ生命はここに還り、ここから生まれる設定にしよう。次は動くものを作ってくれ」
アルモートは言われた通り、大地や水、木々に住まう精霊を作り上げた。
「ここから進化するだろうか。もう少し神を作り世界を安定させよう」
そして盤古は自ら神を創るのではなく、アルモートに一切を任せた。
そしてアルモートは責務を果たし、二対の神を作り上げた。
「ふむ、太陽と月を創ってそれを彼らに任せよう」
二対の神はそれぞれ、太陽神フシャエータと月神イシュチェルと名付けられ、交代で現世を見守るように言った。
それから盤古はたくさんの生命を創るように命じた。
「この神を元にし、動物を創ろう」
「もっと力のある魔物を創ろう」
「植物をもっと増やそう」
「力は弱いが頭のいい人類を創ろう」
「獣に近い人類も創ろう」
「精霊の種類も増やそう」
「これから生まれる神の肉体も作っておこう」
生まれたばかりのアルモートは存在が安定しておらず、何度も何度も崩壊しかけたが、盤古の要望にすべて応えた。
盤古はアルモートを労り、神が損傷しても、世界樹に記録された情報から復元できるようにした。
人類が繫栄し、盤古は様々なものの命名をした。
文化が芽生え、あらかじめ作っておいた神の肉体は文化の神へと創りかえられた。
芸術の神サラスヴァ、知識の神イムホテプ、戦の神ヘリヤ、財の神ミダス。
この四柱は人と共に過ごすよう命じられた。
そして盤古は時間の流れる速さを変え、世界樹の補助をアルモートに命じると、誰も知らぬ場所へ隠れてしまった。
それ以来、創造神盤古は現世に戻ってくることはなかった。
***
「えっ、なんか、すっごいブラックじゃない?」
「どういう意味だ」
話を聞きながら食べ終えたので、まったり食後のお茶を飲んでいたが、正直聞き捨てならなかった。
「めちゃくちゃこき使われてない?ってこと」
「創造主の代わりに世界を構築し続けることが神の責務だからな」
アルは何でもないことのように答える。いくら神でも、仕事三昧では消耗してしまうだろう。過労死という言葉が頭をよぎった。
「神様が死んじゃうことって、あるの…?」
「概念的な『死』は訪れない。損傷し活動できなくなった肉体は消え、世界樹で記憶ごと復元されるらしい。生憎それほどの傷を負ったことがないからわからん」
「そっか、ならよかった、かな」
アルが死ぬほどの痛みを経験していなくて良かった。しかし過労死の可能性はまだ捨てきれない。
「あのね、アル。俺のいた世界ではね、働きすぎて死んじゃう人がたくさんいたんだよ。だから休めるときは休んでほしいな」
「ありがとう、ミカ。だが私は休んでいるぞ。仕事をする分霊、探索業をする分霊、こうしてミカと過ごす私、という具合にな」
「それ休めてるの…?分霊ってなに?分身みたいなもの?」
分霊。ローディアは『何千何万もの分霊を創れる神』と言っていた。それだけ大量の分身を動かしていたら負担になるのではないだろうか。
「分霊は…そうだな、私は蝋が溶けない蝋燭だと思ってくれ。この蝋燭に宿る火を神霊という。そしてもう一本蝋燭を用意し火を分ける。すると火のついた蝋燭が二本できる。これを分霊する、と言う。出来上がった蝋燭の火が分霊だ。神霊は無限に分けることができ、分霊しても元の神霊に影響はなく、分霊も元の神霊と同じ働きをする。自我や感情はそれぞれ独立しているが、記憶は共有しているから仕事の引継ぎも容易だ。ちなみにお前が目覚めた時にいた私と、共に街へ出たこの私は別の私だぞ」
「入れ替わってたってこと!?いつの間に…。記憶の共有って疲れちゃわないの?」
「特に疲れを感じたことはないな」
スケールが壮大で想像もつかない。自分がたくさんいるってどういう感じだろう。
アルは平気そうだけど、アルぐらいしかできないとローディアは言っていたし、ほかの神様はそんなに分霊を創れないんだろうか。
「さて、ほかに聞きたいことはあるか」
「うーん…。ほかの神様はどんなひとなの?サラスヴァさんは吟遊詩人みたいな恰好をしてたけど」
「あいつは見た目通り、酒場で唄っては面白い話を仕入れ、眷属の仕事場で夜を明かし、夕方まで寝ては酒場へ行く。要は遊び人だ」
アルは鼻で笑いながら言った。あまり好きではないのかもしれない。それにしても神様がそんなのでいいの?神様と言えばもっとこう…加護を与えたりお告げをしたりするんじゃないのだろうか。
「使徒になるには加護がどうこう言ってたと思うんだけど」
「ああ、加護を与える神霊は神殿にいるんだ。私たちが会ったのは分霊のほうだな」
「へえ、アルの神霊もそこにいるの?」
「いや、ここにいるぞ」
「…え?」
アルは何を今更、とでもいうかのような顔をしている。いや、えっ?なんで?加護を与えなくていいんですか。
「私とフシャエータとイシュチェル。人々に自然神と呼ばれる私たちは加護など与えないからな。私の加護などあったら長生きできると勘違いしてしまうだろう?」
「え、違うの?」
「精々瀕死になったとき命が繋がる確率が上がったり、多少力が強くなったりするぐらいだ」
あったらありがたいんだろうけど、めちゃくちゃ欲しいわけでもない、かな?
長生きできると思っていたら落差が酷くてがっかりしてしまいそうだ。信仰を失いかねないだろう。
「ちなみに、ミカには『怪力』と『そもそも瀕死にならず大怪我ですむ』程度の加護が付いている」
「腕相撲で勝ったのはそういうことか…。もう一個は、死にそうにもならないってこと?」
「そうだ。…損なわせはしない。絶対に」
アルはそう言うと目を伏せた。
なんだろう、めちゃくちゃ大事にされているような。鳴りを潜めていた使徒、いや眷族としての感情が暴れまわっている。嬉しくてはしゃぎまわりたい気持ちでいっぱいだ。にやけが抑えられない。
頬を抑えながら礼を言う。
「んへへ、ありがとう、アル」
「ああ。ほかの神については…会う予定が立ってからでいいだろう。私も聞きたいことがあるんだ」
「へ、俺に?」
「思い出せる範囲で構わない。ミカのことを教えてくれないか」
「俺のこと…」
どうでもいいことばかり覚えていて、肝心の自分のことはほとんど朧気だ。
「ミカの好きなものを教えてくれ」
「好きなもの?んーと、ご飯が好きっていうか、食べることが好きかも。甘いものも好きかな」
そういえばジャルテケーキは美味しかった。素朴だけど色んなドライフルーツが入っていた。あれは何の果物だったんだろう。
「なら、ジャルテケーキは美味かったか」
「えっ、心読んだ?美味しかったよ。俺の世界にも似たようなのがあったんだ」
「!」
「カップケーキ…マフィンかな?違いはよくわからないけど」
アルは何か考える素振りをし、「そうか」と呟いた。何か気になることでもあるんだろうか。
「あとは、思い出したくなければ無理に答えなくていい。前はどのくらいの歳でまで、どのように生きていたんだ?」
「えっと、たぶん十五、六ぐらい。学校に通ってて…。あんまり思い出せないや。あ、姉ちゃんがいたんだ。顔も思い出せないけど、たまにゲームで喧嘩するぐらいには、仲良かったんだと思う」
制服を着て学校に通っていた気がする。ローファーで靴擦れができて痛かった記憶がある。背もそれなりにあったから多分高校生だった。
姉とは対戦ゲームで遊んだような。勝ち負けやおやつの取り合い、家事を手伝わない俺を叱って喧嘩に発展したこともあったっけ。…顔、思い出したいな。
「なら今の身体の年齢に精神が引っ張られている感覚はあるか」
「ん-、ちょっとある、かな?この世界で目が覚めた時はなんでこんな小さい身体に、って思ったけど今は気にならなくなってる。抱っこも恥ずかしかったんだけど、なんでかすぐに慣れちゃった」
急に高校生の身長から幼稚園児ほどまで縮めば、足の長さの違いで歩きづらくなるだろう。しかし、目が覚めた後すぐは、一挙一動が違和感まみれだったものの、抱かれて移動し食事処へ着いた時にはすでに、違和感はすっかり消え去っていた。それどころかまさに子供、とでも言うべき言動だったと思う。
「姉が恋しいか」
「うん…少しね。言ったでしょ、俺そんなに子供じゃないよ」
本当はすごく恋しい。両親のことは何一つ思い出せないということは、それだけ関係が浅かったのだろう。覚えている唯一の肉親は、今も元気に過ごしているだろうか。
でも俺は、身体は五歳前後でも心は十五、六なのだ。姉が恋しいと泣いたら恥ずかしい。
「…今日は共に寝ようか。お前が寝付くまで頭を撫でてやろう」
「子供扱いしないでってば…」
「五つも十五も、私からすれば大差ないぞ。まだ赤子だ」
何千年も生きている神様からしたらそりゃあそうだろう。
でもそれなら甘えてもいいかな。一人で寝たら悶々としてしまいそうだ。
「じゃあ一緒に…」
言いかけて気が付いた。この部屋、ベットが一つしかなかったような。
「アル?ベッド一つしかなくない?」
「そうだな」
「今日は共に寝ようかって、今日以外はどうするつもりだったの」
「…?」
アルは首を傾げ、何を言われているか分からない様子だった。その後、合点がいったかのように「ああ、」と呟いた。
「私に睡眠は必要ない。いつも本を読んでいる」
「寝たことがないってこと…?」
「ああ」
「何千年も?」
「そうだが、どうかしたか」
これはいけない。ただでさえ過労死待ったなしの仕事を課せられていた神様が、睡眠という最も疲れに有効な方法を知らないなんて。寝かしつけられている場合ではない。俺が寝かしつけなければ。
必要ない、と言ったからには眠ること自体は可能なはずだ。
「アル、今日は俺と一緒に寝てください」
「ああ、いいぞ」
「一緒に『寝て』ください」
「?あ、ああ…」
言質はとった。あとは俺が酷い音痴でないことを祈るのみ。
絶対に寝かしつけるぞ…!と密かに意気込んだのだった。
***
寝支度を終え、買ったばかりのパジャマに袖を通す。
それにしても歯ブラシがあって助かった。木製の柄に絵筆のような柔らかいブラシだったが、おかげで肉の繊維がとれた。これで何の憂いもなく眠れる。風呂に一緒に入ろうとしてきたときは焦ったが。
二人で布団にもぐり、アルが魔法でライトを消す。宙に浮いていた魔法のランプは、役目を終えるとサイドテーブルへ降りてきた。
「あのね、よく眠れる歌があるから聞いてくれる?」
「歌うと眠れるのか?」
「んー、ちょっと違うけど、そんな感じ」
歌うと(アルが)眠れる(はず)。嘘は言っていない。
「恥ずかしいから目をつぶって。力は抜いてね。…下手でも笑わないでよ」
アルが目を閉じたことを確認し、そっと息を吸い込んだ。
脳裏に浮かぶのは女性が歌っている姿。母か、姉か、確認しようがないけれど、大切な人であることはわかる。
「ねーむれー、ねーむれー」
「ゆりーかごーにーゆーられー」
柔らかな旋律をなぞる。音痴ではなさそうで安心した。
「ねーむれー、ねーむれー」
「ことーりもー、はーなもー」
それにしてもよく歌詞を覚えているものだ。
「しーろいきーのしーたでー」
「ゆりーかごーはーゆーれるー」
「ねーむれー、ねーむれー」
「ほしーぼしーととーもにー」
歌い終わったころには、アルはすうすうと寝息を立てていた。ミッションコンプリートである。
心の中でガッツポーズをしたが、自分の瞼も重くなっていることに気が付く。
昼寝していたのにな、こんなところも五歳児か、とアルのぬくもりを感じながら大人しく目を閉じた。




