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サイクロプスの虹彩  作者: 天森バケツ
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 ひゅごっ、と壊れかけのラジオみたいな音を喉から発して、シドは目覚めた。私室のベッドの上から起き上がろうとしたシドは、頸部を後方から引っ張られて呻きながら再びベッドに倒れ込んだ。

「チッ……」

 舌打ちしたシドは首輪のように頸部に巻かれていた太い縄を解く。輪の一方はベッドの足に繋がれている。シドはようやく立ち上がると、少し運動した後、シャワーを浴び、着替え、防護コートを装着した。最後に、サンドバッグみたいな荷袋を背負う。

 そこで、カメラ・アイの視界に着信の表示―――

『おはようございます。体調はいかがですか?』

『すこぶる悪い』

『おっと……見に行きましょうか?』

『いや、いい。嫌な夢を見ただけだ』

『はは、意外と感傷的ですね』

『ふん……』

『では、また必要なら行きます―――ああ、あちらの分析は進んでいます』

『そうか。引き続き頼む』

『了解です。では』

 通信を終えるとシドは私邸を出た。この邸宅は、長年パンギルの闇の事業に関わり、かつ戦闘部隊とも距離をとった、何でも屋じみた絶妙な距離感が生んだ利益によるものだ。―――カネはまだまだある。だが、止まるつもりは無かった。蓄えられた無形の力は、いつかその形を得る日まで、降り積もり続けるのだ。

 ……徒歩で移動していたシドは寂れたスポーツ施設に辿り着いた。高い門は閉ざされ、鎖が何重にも巻かれている。太い手で門を何度かガシャガシャと揺り動かすと、シドは門の上部に手を伸ばし、身を乗り上げた。

「ふっ」

 そして、コートをはためかせて着地する。これが正しい入館方法というのだから人を食っている。

 当然、門を閉ざされたスポーツ施設に一般客はいない―――そもそも、もはや商業目的では運営されていない施設である。入館しても受付には誰もいない。シドはそのまま無灯の薄暗い廊下を歩みプールを目指した。

「おっと」

 シドはサンドバッグ状の袋をどさっと落とした。プールのドーム状の天井の半分は窓で、蔦の間から陽光が零れている。だが、肝心のプールには水が無く、壁面や底面にはカブトガニじみたドローンが張り付いている。

「おっ?サイクロプスじゃねぇか。どうした」

 声をかけてきたのは戦闘部隊のドノヴァンだ。浅黒い肌の屈強な上半身を晒している。

「次の仕事の準備に来た……が、使えそうもないか」

「午後までは無理だな」

「清掃予定は今日じゃなかったはずだが」

「単純な連絡ミスだ……もとい、オレがこの前やるのを忘れていた」

「……いい加減、門の封鎖を解いて、ちゃんとした業者を入れたらどうだ。誇り高い戦闘部隊のやることじゃないだろ」

 ドノヴァンが笑った。

「ホセが現役の時代から、ここはずっとそういうルールなんだよ」

 シドはむん、と唸った。

「午後まで他ンとこに顔出してみたらどうだ?この前カラオケ屋を襲撃された件で全員やる気がみなぎってるぜ」

「MAGEの連中を逃したオレが行ったらリンチにされそうだな」

「最初にMAGEを殺したのもあんただ。きっと尊敬されるぜ……それに、あン時の戦いじゃ戦闘部隊が5人もやられてる。あんたにデカい顔できんさ」

 ……広々としたボウリング場には、その本来の用途ではないはずのトレーニング機器や、ボルダリング用のホールド、射撃訓練用の的すらあった。その各所で訓練や娯楽に興じている者がいるが、いずれも常人とは違った肉体をしている―――”サイバネ組”と呼ばれている連中だ。何もチームとしてそういう括りがあるわけではないのだが、いわゆる生身の戦闘技術を学んだ手合いとは少し折り合いが悪いらしい。

「よくここに顔出せたもんだな」

 ウエイトトレーニングで腹筋を鍛えていた男が汗を拭きながら立ち上がった。男の両腕には猛禽類のような金属の翼が張っている。男の名はアギラ。

「言われると思ったよ」

 シドは肩をすくめた。

「今日は随分と人数が多いな。そんなに人気の施設とは知らなかった」

「オレたちは仲が良いんだ」

 アギラは答えになっていない返しをしたが、サイバネ組はここを完全に根城にしているという噂を聞いたことがあり、人数が多いも何もここで生活をしているのかもしれない。

 シドは薄ら笑いを隠しながら、周囲を見渡した。壁にはボルダリング用のホールドが付けられ手足の真っ黒な義肢で天井付近まで登る男がいる。そのすぐ下では、カタナを磨く落ち着いた風貌の男。カララン、とボウリング場らしくピンの倒れる音がした方を見ると、バレエみたいな動きでボールを投げた義足の女がいる。鳥の肢か、あるいは刃物のようにすら見える鋭い義足だった。それぞれ、義肢の男はガガンバ、サムライはタリム、義足の女はセバンだ。

「おまえがMAGEって連中と商品をみすみす逃したのは知ってるぜ」

 アギラが顔に不敵な笑みを刻んだ。

「……あんたたちのミスは、近々オレたちが挽回することになるだろうぜ」

「アギラ」

 むくりと、シドの視界の隅に寝転がっていた巨体が起き上がった。シドに匹敵する大男で、異常なまでに発達した筋肉が四角いシルエットを作っている。

「傲慢なもの言いは良くないぞ」

 ”大盾”のカサラギだ。

「やぁ、カサラギ。あんたたちにオレの尻を拭かせて悪いな」

「気にするな。なに、ゴーンが侍らせていた”肉体組”が死んで、オレたちの有用性を証明する良い機会ができたってもんよ」

 カサラギは笑うでもなく恬然と言った。”肉体組”などという呼び名は初めて聞いたが、確かにゴーンはあまりサイバネ者を侍らせていなかった。

「ま、そうなんだが」

 少し眉を険しげにしていたアギラだったが、カサラギの言葉に、すっと緊張を解いた。

「オレたちが挽回する、なんて言ったが、たぶんあんたにも連絡が行くだろう」

「何の話だ?」

「ホセがMAGEの施設の情報を集めているみたいで、そろそろそっちが特定できそうだってウムランの野郎が言ってやがったんだ」

 ウムランもサイバネ組のひとりで探査担当だが、電子戦やネット上のビジネスにも手を広げている男で、幹部たちにもその方面で重用されている。

「ほう」

「だから、でかいケンカになるかもしれん。ま、確かにウチの商品―――大量のガキどもを引き連れたまま逃げ続けるなんてできんわな」

 アギラが言った。

「いや……たぶん、ホセの言う施設は別口だ」

 シドは言った。

「ほう?」

 カサラギが首をかしげる。

「―――子供たちがいる施設は、オレが襲撃する予定だからだ」


///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////


 天使が飛び立ったような蒼空、つるつるとした水晶の海、黄金の砂浜。その中を道化芝居じみて駆け回る子供たちを、一台の戦車が見つめていた。―――否、それは戦車と似て非なる、異形の傭兵のシルエットだ。頑強な装甲で覆われた車椅子に乗り、迫撃砲の如き筒を胴から生やすそいつの名は、カルロ。フードの下の表情は窺えないが、ときおり好々爺めいた含み笑いを漏らしていた。

 子供たちを眺めながら、カルロはニューロルータが紡ぐ未来を夢想していた。『ヒトとモノの同一化』―――あの男が説いた思想は、カルロが兵器と軍拡に抱いていた積年の苦悩を一挙に解消するものだった。見るが良い―――ビーチを駆ける子供たちの姿が変じていく……砂浜に沈む脚は無限軌道で、大きく開いた口は砲口だ。広げた両腕は翼として空を裂き、水を掻くバタ足はスクリューだろうか?

 無論、カルロの妄想だ。だが、彼の眼には確かに兵器と化した人間たちの姿が見えていた。

 ……「ミスター。時間です」

 しばらくして、カルロを挟むように立っていたスーツの男女の男のほうが耳打ちした。

「そうか。もう少し見ていたかったがね」

 カルロが喉を鳴らした。

「適度な運動。適度な思考。そして、適度な睡眠だ」

 そう言いながら、カルロはその場で車椅子をくるりと反転すると、海を見据えた。両脇のふたりが耳栓を押さえた。

 ボッ―――大気が波打ち、砂浜が爆発し、巨大な水しぶきがあがった。……衝撃が過ぎ去ったあと、子供たちは根が張ったように座り込んでいた。

「さぁさぁ!みんな、お昼寝の時間だよ!」

 拡声器で増大された声が響き渡る。年長の者が動けない年少の者たちを支え、おぶって、とぼとぼと移動する。―――皆、表情は無い。子供たちが向かうのは、ビーチに不釣り合いなのっぺりとした2階建ての施設で、どこか収容所を連想させた。そのうしろには鬱蒼とした密林が拡がり、どこまでも拡がる海とは正反対の閉塞感を与える。

「ふふ、さすがに子供たちも学んでいる」

 カルロの笑い声には残忍な響きが混じる。

「あと二日もすれば次のステップに入れるそうです」

 スーツの女が耳打ちする―――その右前腕は巨大な義手で、ガトリング・ガンの如く手首から銃身が生えている。男のほうはスーツの上の両肩と、スキンヘッドに砲塔みたいな台座と銃を備えた威圧的な姿だ。

「くふふ……愉しみだな。それに、いささかこの場所にも飽きてきた」

 カルロは輝くビーチを見渡した。

「あの子たちの中から一体貰って、私好みの調整を施させてもらうとするかな。観光地などよりも、そちらのほうがよほど愉しめる」

「私は早く人を撃ちたいです」

 スーツ女がぽつりとそう呟くと、男が苦笑して言った。

「私は、やはり大人のほうが良い」

「ははは!さすがMAGE生え抜きの戦士たちだ!そうでなくてはな!」

 銃の怪物たちは楽しげに談笑する。

 ……魚一匹いない珊瑚礁のすぐそばを黒々とした影がよぎった。それは水面からわずかに頭を出すと、砂浜から白い建物に向かう3つの人影をじっと見つめた。車椅子と巨大な義手の女が建物の中に消えて行くが、男のほうは浜辺に残って携帯端末を操作し始めた。

「なんだ……?変わらないぞ」

 男は携帯端末をいじりながら、ときおり訝し気に頭上を見上げる―――その背後で、何者かが音もなく海から這い上がった。それは人影としか言いようのない漆黒の巨躯で……ただ、顔面の中央にだけ蒼白な月の如き空白を抱えていた。

「まさか?」

 そう呟いた男の脳裏にある懸念が浮かび―――それが一瞬で極限の警戒心に飛躍したのは、鍛え抜かれた戦士ゆえのことだったろう。ばっ、と振り返った男は―――首を駆け抜けていった銀光に驚愕した。―――漆黒の影の手には滴るような大振りのナイフ。

「がッ……ぼ」

 喉から異音を漏らす男の眼はまだ死んでいなかった。両肩と頭頂部の砲塔が傾く。それを見て取る前に、影はノックするように3度ナイフを上げ下げし、その左右の首筋と、頭部の銃の根元を突いた。「ご……ご……」

 男は絶望と共に敵を睨み付けた。

 大きな影はいま、燦然とした光を濡れた体表に受けて、まるで両生類のように見えた―――少なくとも人間だとは見えなかった。いや、真っ当な生物ですらない。まるで深海の厭わしい怪物かのような……。

 キュ、とナイフを手に握りこんだ影は、男の肋骨の下へ刃を滑らせた。

 男が絶命したことを確認すると、影は空を仰いだ―――ふっ、と突然太陽が消失し、夜が訪れる。代わりに水平線とは考えられないほど近い位置に、機械的な光が灯る。―――いったい何が起こったのかと疑問に思う様子もなく、影はこの奇怪な夜の下こそ己が領分とばかりに、ひたひたと白い建物に近づいていった。

 ……カルロとにこやかに会話しながらキッチンに入ったスーツの女は突然訪れた夜を異常とは思わず、ただ苦笑した。

「設定を間違えたんでしょうか」

「ヤツめ……あれでなかなかおっちょこちょいだな」

 すぐに”夜”は復旧せず、”夕”を迎えるつもりでいた建物の中は薄暗いままだ。

「見てきましょうか」

「いや、私が見てくる。君は美味しいコーヒーを淹れていてくれ」

 カルロはキュラキュラと反転する。微笑んで応じた女は巨大な義手で天井付近の戸棚を開くと、コーヒー豆の詰まった袋を取り出す―――その背を、階段踊り場の窓から白熱する単眼が見下ろしていた。

「……」

 スーツ女は振り返って、窓を見た―――異常なし。やれやれと首を振って台所に向き直った女の視界の隅で、裏口のドアが揺れ動いた。―――女は動いた。

 ダダダダダダダダダダッ!義手にガトリングのように装着された銃身すべてが同時に火を吹き、キッチンを穴だらけにした。ザーッ、と取り落としたコーヒー豆が床に零れる。ふっ、と緊張した吐息が暗闇に伝わる。

 直後、ダンッ、とドアが開いたのも束の間、ゴキブリめいた素早さで黒々とした影が迫り……飛び掛かる蛇のようにナイフを繰り出した。

 ―――「あグッ!」バターのように義手側の二の腕を切断されながらも、女は克己してもう一方の腕で銃を引き抜く!だが、瞬間、鉄槌のような拳骨が女の側頭部を叩いた。影は倒れた女の腕を踏み付けると、ナイフを心臓に深く差し込んだ。

 ……浜辺でスーツ男の死体を見下ろしていたカルロは、施設内から轟いた銃声に振り返ったが、屋内に戻ることは無く、総身に警戒を宿した滑らかな動作で砂浜の中ほどまで進んだ。あまりに手際のよい死体。続かない銃声。敵は手練れだ。この”夜”はハッキングによるものだろう。―――必殺の構えで来ていると考えて良い……。

「面白い……!」

 カルロは笑い、フードを上げた―――その頭部は現代版の十字軍兜とでも言うべきヘルメットで覆われていた。いや、それだけではない。全身が車椅子と同等の装甲で覆われているのだ。ヘルメットに開いたスリットの奥で血走った眼が戦意に輝く。

「かかってくるが良い!我が徹甲弾がおまえのはらわたを砂浜にブチ撒けるであろう!」

 大音声が響き渡る!

 カルロは車椅子の各所に設けられたカメラと視界を共有し、前後左右を余さず確認する―――海、敵影なし!建屋、敵影なし!密林、敵影なし!指差し確認じみて、正確で執拗な索敵!……だが、依然として敵影は確認できない。

「油断するな……」

 ……どれほど時間が経っただろうか。ヘルメットの中を汗が流れる。

 ―――天に影が現れていた。夜闇が圧縮されたような巨大な影。そ月のような一つ目がカルロを見下ろしていた。

「―――」

 飛来した影に、カルロは直前で気付いた。車輪が駆動した。砲身が射角を確保しようとした。すべて、遅すぎた。影がカルロに覆いかぶさった。

 ―――ナイフがヘルメットのスリットを掻っ切った。

「ギャアアアアアアア!」

 凄まじい悲鳴が拡声器で増大されてビーチに反響した。カルロは車椅子を疾駆させながら、脊髄反射的に砲撃する。ボッ―――水の柱。ボッ―――密林が消し飛ぶ。ボッ―――砂浜が爆散する。影は砲撃の衝撃をものともせず、カルロに取り付いたまま機械的にスリットにナイフを突き込み続ける。

 狂ったように回転する車椅子があまりの速度に車輪を浮かせ……仰向けに倒れた。

「ア、ア、ア」

 ボッ―――砲撃が空に消える。……否、それは空中で爆発し、粉塵をまき散らした。夜空がひっ裂け、天使が迎えに来たような光の柱がカルロと影を照らした。影の怪物は頭上を―――風穴の開いたドームの天井を見上げた。―――青空。

 パネルの破片が落下し、水面と砂浜に音を立てた。崩落の下でキュラキュラと空転する車椅子に仰向けになったカルロは、動かない。影は―――ダイビングスーツを着たサイクロプスは、天然光でライトアップされたMAGEの戦士の凄惨な死体を一瞥すると、ナイフの血をそのフードで拭った。

「まさにモンスターだな」

 鬱蒼とした樹々の間から砂浜に降りてきた人物が賞賛の呟きを漏らした。と同時に、天井パネルに青空が復活し、光の柱が薄らぐ。

「タカハシ-サン。ゲートへの手引き感謝する」 

 サイクロプスは……シドは言った。

「いつのまにやら、こんな施設ができているとはな」

「ゲート内企業向けの慰安施設だ。まぁ、南国に来たのだから海を見たいがゲート内で済ませたいという者のためのものだろう」

「横着な……と言いたいところだが、この街の海は酷いものだしな」

「まったくだよ」

 タカハシは顔を歪ませた。あながち、この街の文化や資源を守りたいというのも建前ばかりではないのかもしれない―――シドはスーツの下で微笑んだ。

「この男の砲弾はどこへ行ったかな?それに施設も破損してしまったが……」

「”我々の勢力”が責任を持つ。……ヤツら、ゲート内でもめ事を起こしたのは失敗だったな。日和見を決め込んでいた連中もこちらに傾くだろう」

「勢力ね……」

 改革派と保守派―――MAGEは前者でタカハシは後者か。

「MAGEの連中は”商品”をどうするつもりだったんだろうな」

 シドの言葉に、タカハシが眉を顰める。

「―――”子供たち”をどう利用するか。アンタならよく知っているんじゃないのか?」

 タカハシの持って回った問いに、シドは笑った―――己の出生のことを言っているのだろう。

「オレと商品では事情が違う。それに、最近はカンパニュラの倫理観もまともになってきたんじゃないか?」

 タカハシは答えなかった。

 その時、施設のドアを開けて、死相すら浮かんで見えるほど緊張した様子の少年が現れた。

「……あ」

 少年の眼差しは倒れた車椅子に注がれている。

「3人ともオレが殺した」

 シドの言葉を聞いていたかどうか、途端、少年はワッと泣き出した。

「大丈夫、大丈夫だ」

 タカハシが優しげな笑みを浮かべながら少年に近寄っていくと、抱きしめた。

「他の子たちも、みんな保護する」

 ―――MAGEがゲート内に商品を運んでいたことが判った時点で、その奪還は難しいという話になった。そのため、タカハシの一派に保護という形で一時的に確保しておいてもらい、然るべき手続きの後、パンギルに返却するという流れになったのだ。だから、タカハシの言は間違いではない。

「……この商品は、親から売られたり、身寄りが無かったり……そういう、リスクの少ない商品なんだ」

 シドの言葉に、少年が身を強張らせるのが判った。

「何が言いたい?」

 少年を抱きしめながら、タカハシが訊ねた。

「本当に保護してやるつもりなら、然るべき手を考えろ、と言っている」

 ―――タカハシの言動や行動の端々からは本当に子供たちを保護するのではないかという意志が感じられた。それは組織への裏切りに他ならなかったが……。

「ああ。大丈夫だ。うまくやる」

 タカハシの眼差しの力強さに、シドは思わず頬に皮肉げな笑みを刻む。

 少年の叫びが安堵のためのものだと気付いてか、施設の奥からぞろぞろと幅広い年代の子供たちが出てくる。どうやら最初の少年が一番年上のようだ。

 突然、甲高い悲鳴。子供たちのうちのひとり―――諦観が恐怖に上塗られた少女の顔がまっすぐにシドを見据えている。

「大丈夫だ。あのおじさんが君たちを助けてくれたんだ」

 タカハシが立ち上がり、大きく腕を広げた。カメラ・アイが少女をまっすぐに見つめ返す。

「オイ、怖がらせるなよ。怪物のフリでもして見せろ」

 タカハシは真面目くさった顔で言った。

 おびえる少女を、輝く単眼がじっと見つめていた。


///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////


 MRIじみた装置を始めとした多数の医療機器はプラスティックのフレームで覆われて、これでもかというくらいに清潔であることをアピールしていた。機械に囲まれてシドは居心地悪そうにスツールに座っている。

「終わりましたよ。問題ありません」

 機械の影からひょっこりと現れた女が言った。

「助かった」

 シドはすぐに立ち上がって言った。

「あ、待ってくださいよ。まだほかにも報告がありますよ」

「何だ?癌でも見つかったか?」

 シドはつまらなそうに言った。

「だとしたらすぐに報告しています。先日、回収したペニスについてです」

 女は手にしたタブレットをフリックする。

 彼女―――バーバラはシドの肉体を検診するためゲート外にアダムが派遣したチームのリーダーだ。カンパニュラの社員でありながら、ほとんどの時間をゲート外で過ごすため、社内の政治に対してかなり鈍感かつ自由に振舞える。―――実際の所、シドの検診はアダムが社内に公表している業務の中には表立っては記載されていないようだ。

「こういう面白いものを見ると、ゲートの外で仕事できて良かったなって思います」

 バーバラは特段面白くもなさそうに言った。

「まず筋肉のほうですが、これはカンパニュラ産の人工筋肉ですね」

 バーバラがシドに画面を見せた。出力、強度、靭性のいずれも生体より勝った代物だ。

「でも、最新バージョンじゃないですね。2世代前のモデルです。これだって一般に出回るものじゃないですけどね」

「カンパニュラの先兵にしては中途半端な装備をしているな」

「ですね。―――それは、ちょっと、次の話と関わる部分があります」

 フリック―――マレンゴの名とニューロルータの情報。こちらに関してはデータを見てもシドには何のことやら解らない。

「シドさんが構造を破壊してしまったせいで明確には判りませんでしたが、かなりヒトの人格に近いものが演算されていたと思います」

 シドは肩をすくめた。

「……それで、ニューロルータでこのような研究ができる人というと」

「待った」

 シドは手を差し出した。バーバラが首をかしげる。

「……わかった。そいつがMAGEの裏にいる可能性があるんだな?」

「そうですね。そいつです。旧世代の技術を使用しているのも、もうそいつがカンパニュラにいないからです」

 シドにはその人物に心当たりがあった。じわりと、心の底で何かが膨れ上がった。

「……そちらも、対処を考えておこう」

「もうひとつ。もうひとつ報告があります」

 バーバラが目を丸くして言った。

「いま、”サイクロプス”用の新しい”装備”を考えています」

 バーバラの瞳が暗く輝いたように見えた。

「あなたに相応しい器になると思います」

 それは、MAGEなどよりもよほど魔術師然とした眼差しだった。

 ―――巨大なカメラ・アイは無表情でバーバラを見返した。


///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////


 カメラ・アイに跨っていたジェニィが満足げな嬉笑を上げながら、ベッドに横たわった。シドはむくりと起き上がると、びしょぬれになったガラス・フィルタを懐から取り出した洗浄液で丁寧に拭く。

「いまのやつのどこが良いんだ」

 ジェニィの要求で特殊なプレイに興じていたシドは、いささか不満げに唸りながらベッドに沈んだ。

「見てたんでしょ?」

 ジェニィはクスクスと笑う。

「なに?」

「そのカメラで見てるものって、ずっと録画してるんでしょ?」

「それは、そうだが……そういう趣向があったとはな

「そういうわけじゃない」

 ふてくされたように言った。

「むかし、私、雑誌に載ったことあるんだよ」

 ジェニィが遠くを見据えた―――かわいらしいが、どこかうらぶれた様子の横顔。

「……記録に残りたいということか?」

 ジェニィは黙ってシドの腹筋に雑誌を投げ出した。

「ネットのニュースにも載ったんだけど、そっちは何年か前にサイトが無くなっちゃった」

「取っておいてあるのか……」

 シドは雑誌を手に取った。

 シドは雑誌をパラパラとめくり、あるページで止めると、ジェニィと見比べた。

「……フゥン。少し肉付きが良くなったな」

「太ってないから!」

「オレは今のほうが好きだ」

 ジェニィは甘えるように歯をむき出して、ぽかぽかとシドを叩いた。―――その笑みの奥底で凝っていた不安と恐怖に、シドはこの時気付けなかった。―――。


 ……「おい、ボケっとしてんじゃねぇぞ」

 ジェニィのちょっと出た腹が視界の隅に消え、白髪の大男が覗き込んできた。

「なんだ?その眼ン玉に映画でも映してたか?できるんだろそういうの」

「……ああ。なにせ、無事に帰れるかわからないだろ?気になってたのを最後まで観ておきたくてな」

 その言葉に、苛立たしげだったジェイソンの表情がくるりと豪快な笑みに変わった。

「違ぇねぇ」

 そして、またキュッと引き締まる。

「だが、これから映画よりド派手な襲撃を掛けるんだ。そんなもんカスに思えるぜ」

 そう言うと、ジェイソンはメットを被った―――その全身はホッケーキーパーみたいな分厚いアーマーで覆われている。

 窓の向こうを過ぎていくのは陽気に輝くコンクリート・ジャングルだ。サイクロプスとジェイソン、それにあと4人のパンギル構成員はバンに揺られながら戦いに備える。―――ホセが率いるチームによる密造銃器の追跡作戦によって、MAGEが造形した銃が闇市場に流れるだけでなく、街のある一か所に運搬されていることが判ったのだ。

 パンギル構成員の内まだ若いひとりが、似合わないアサルトライフルをギュッと抱き締めた。

「安心しろよ。このサイクロプスはMAGEの化け物をふたりも殺ってるんだ」

 ジェイソンが豪快に笑って若者の背を揺すった。直後、もっと大きな揺れが車体を突き上げた

「……そろそろだ」

 サイクロプスは呟いた。

 目的地に近づき、別ルートを進んでいたバンが次々と合流してくる―――合計で8台、先頭の1台は衝角めいたバンパーを増設している。襲撃のためパンギルが用意したのは、48名の構成員と、サイバネティクスや各種戦闘技術をその身に刻んだ”戦闘部隊”10名だ。バンの群れが進む道路は青々とした熱帯植物に囲まれ、その向こうに都市のビル群が見える。

「狙撃に注意しろよ。なるべくバンで奥まで進むが、当然襲撃対策はしているだろう」

 ……その時、とある商業ビルの屋上で修行僧じみてあぐらをかく男がいた。アルゲース―――MAGEの狙撃手だ。落ちてくるような青空と、密林の陰湿さと熱狂をそのまま文明に置き換えたような都市に囲まれてアルゲースは思考する。

 ……『カンパニュラの張る根はこの街を肥え太らせ、あらゆる価値や技術を育んできた。そして今、それは我々の手によって収穫され、真に意味ある果実として人類文明に輝くであろう』

 あの男の言葉だ。……育成と収穫―――それはニューロルータによって強化されたMAGEにもいえることである。我々を収穫するのはカンパニュラか、どうか……。

 ―――いや、そもそもカンパニュラが、経済特区を利用する各国に注力されてまるまると太り、そしていまは逆に力を貪り喰うようにすらなったのではないか。同じように銃の魔術師こそが、逆に世界を銃火と混沌に呑み込んでやることもできるはずだ……。

 その時、アルゲースの視界にバンの列が飛び込んで来た―――観測手と同期した視界によるものだ。彼らアルゲース端末は、薬物でせん妄状態にした脳にニューロルータを這わせ、電気刺激を与えることで洗脳人格を形成されている。約1週間で造ることでき、MAGEの本格的な活動前から、すでにかなりの数がこの街に放たれている。

「……」

 アルゲースはカラオケ店での手痛い失敗を思い返す。あそこでサイクロプスを仕留められていればあの人間戦車を失うことは無かったはずだ。―――突然、とある端末が見かけた光景がフラッシュバックした。単眼の巨漢が、路地裏で行った陰惨な処刑。……そして、ゴミ捨て場の死体から逃げるように去っていく大きな背……。

 ―――アルゲースは狙撃銃を構え直した。思考がスッと冷えていき、枝葉がもげ落ちていく。バンの列は一直線になり、そこへ向けて加速していく。そして、ついに、先頭の角付きのバンが”動物園”の門をぶち破った。


///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////


 ダニエル記念動物園。自然保護や研究を主な目的として、現地の動植物を集めた施設で、土と鉄とコンクリートでできた無味乾燥な設備が特徴的だ。その目的から、表向きは政府の支援で成り立っている施設だが……カンパニュラのための実験用動物の斡旋を請け負う繁殖場としての側面も強い。

「進め進め!」

 ジェイソンが運転手に叫び掛けた。各車を繋ぐ通信機はノイズ混じりの喊声をがなり立てる。バンは檻や柵のあいだを蛇行して進んでいく。

「目指すは中央研究棟だ!ヤツらの根城はそこにあるぞ!」

 ジェイソンの叫びに呼応して、他の車両でも雄叫びがあがり、パパパパパッと空へ銃弾を撃ちあげたやつもある。

「ボス!ストッパーだ!このまま進むとパンクする!」

 道を横断するように、棘の生えたタイヤ・ストッパーが拡げられている―――その先の道にも一定の間隔で同じもの。

「どけさせろ。このまま……」

 パンッパンッ、と断続的な銃声が轟いた。いや、それは瞬く間に雹のような音を立てて車体側面を叩きはじめる。

『囲まれてる!』『どこにいやがった!?』

「落ち着け!セバン!アギラ!ストッパーをどけてこい!それ以外の連中はバンを盾にして応戦しろ!」

 後方のバンからふたつの人影が飛び出し、猛烈な勢いで駆け抜けていき、それぞれ、鋭いサイバネ脚と翼のようなサイバネ腕でストッパーを排除していく。

「オレたちも出るぞ!」

 ジェイソンとサイクロプスらもバンから出て、周囲に構える―――銃声はすれども敵の姿はない。

 いや……サルが、キリンが、トラが、ゾウが、こちらを見ている。―――()()()()()()()()()()()

 パパパパパパッ!アサルトライフルがキリンの躰に血の華を咲かせる。

「ギャッ」

 悲鳴の下にはトラに首を噛み砕かれるパンギル構成員。ショットガンがエミューの首をはじき飛ばす。

「バンの上だ!」

 車上に降り立ったハゲワシが頭部を輝かせる。バンの間を何匹ものイヌが駆け回る。ゾウが巨大な鼻でバンをひっくり返す……。

「ちくしょう!なんだこれは!」

 ジェイソンが吼えた。バンの間をゾウの鼻がのたうつ―――マレンゴに似た動き。サイクロプスは鼻が狙いを付ける前に一気に距離を詰めると、ドンッと象の頭部に撃ち込んだ。一撃で巨体がくずおれる。サイクロプスは防護コートと頑丈な肌にものをいわせ、狂った動物を次々と撃ち殺していく―――口を血で染めたトラと眼差しが交わる。

 ドンッ!宙で身を捩らせたトラの躰に弾道の軌跡が血の轍を刻む―――だが停止させるに及ばず、そのままサイクロプスの腕に喰い付く。

「そうがっつくなよ。え?」

 骨を砕かんとする顎の中で……怪物の腕がパンプアップする。トラの顎が開き、ぼとぼとと涎を垂らす。慄くトラの眼に不気味な知性の輝きが生じると、人間じみた動きで両の上腕に備わった銃を構えた。

「化け物め」

吐き捨てるように言いながら、サイクロプスはトラの首筋に突き込んだ銃の引き金を引いた。ドンッ!しなやかな獣の躰が肉塊に変わる。

「あらかた罠は排除できた!バンに乗り込め!」

 通信を受けていた風だったジェイソンが叫んだ。サイクロプスはイヌを蹴飛ばしながらバンのドアを閉めようとした。

「待って!」

 ゾウガメの群れに向けてアサルトライフルを連射していた若者が、慌てた様子で駆け戻ってきた。その頭が爆ぜた。

「チッ」

 サイクロプスはドアを閉めた。見渡すと明らかに大きな弾痕が開いた死体が幾つも転がっている。おそらくはスナイパーによるものだろう。

「出せ!」

 バンが急発進する。

「何人残ってる!」

 ジェイソンの咆哮に各車から報告が上がる。

『5号車は4人……あ?』

 呆然とした声と共に、一台のバンが突如大きくカーブを切って柵を踏み壊し……水しぶきを上げて池に没した。その直前、サイクロプスはバンの運転席に座ったサルを見た。その顔がニカッと笑ったように見えた。

「何だ?おい!何が起きた!」

「サルがバンを乗っ取ってやがった」

 サイクロプスの言葉に、ジェイソンが喉を詰まらせた。

『全部で33人……戦闘部隊は全員生き残ってます』

 遠慮がちな報告の最中も、散発的な銃声と車体を叩く擦過音が響く。キャッと前方から駆けてきたイヌが轢かれる。

「ニューロルータってのは何なんだ?ここまでのことができるのか?」

「やろうと思えばできる。が、やる意味があるのか?」

「この惨状を見て、よくもそんなことが言えたもんだな」

「言えるさ。イヌならともかく他の動物をどうやったら戦争だのテロだのに使える?狂ってるとしか思えん」

「クソッ。フリークどものやることは解らねぇ」

 ジェイソンと会話しながら、サイクロプスはカメラ・アイの虚に少し前のトードマン―――アダムとの通話を再生していた。


 ……「ニューロルータの技術がかなり深いレベルで使われている」

『……と、言うと?』

 アダムの声は無感情だ。

「……オレたちと同レベル、ということだ」

 沈黙―――ふたりにとって禁忌に近い話題だった。排気音のようなため息の後、アダムが語り始めた。

『……ロン先生が消えた』

「あの人は……」

『一度、本国からカンパニュラに戻って来ていたんだが、今度は本当に失踪してしまったんだ』

 ―――ドクター・ロン。ニューロルータ技術の開発者のひとりで、その生態への適応について特に多大な貢献を成した人物だ。そして、ふたりにとって育ての親でもある。

 シドとアダム。ふたりは重度の遺伝子疾患で、脳の正常な発達が見込めないという診断を下されていた。当時の医療技術でも躰を生かすこと自体は可能だったが、それには莫大な費用がかかるだけでなく、倫理的な問題も多々含んでいた―――シドの母親はカンパニュラにその命の行方を委ねた。そう記録されている。

 ニューロルータによる脳の代替。ハード的に発達しえない生体脳を足掛かりに、頭蓋を満たすように膨れ上がったニューロルータが知性を演算し続ける―――人体実験まがいの臨床試験は成功した。そして、その3年後。同様の症状を抱えたアダムにも、この”治療”は適応された。

 だが、その後、ニューロルータそのものが一時封印される始末となった。今でこそ再び利用され始めているが、こと”脳の代替”技術については完全に闇の中だ。世界の技術史のなかに、まさしく影も形もない。―――技術の封印と前後して、ドクター・ロンは帰国している。

「仮にロン先生がMAGEの裏にいるとして……何を目指しているんだろうな」

『わからん。禁忌にされた技術の復活か……俗っぽいところもあった人だから、もっと単純な利益狙いかもしれない』

「かもな。……会ったら聞いてみるよ」

『……できるなら』

 アダムは沈痛な様子で言った。

『できるなら、殺さないでほしい。あの人はオレたちの親なんだ』

「ああ。わかっている」

 シドは淡々と応えた。


 ―――ジェイソンが当たり散らすのを止め、ふいごのように息をつく。

「入口が見えたぞ」

 サイクロプスの射るような声に、ジェイソンがいきり立って運転席に身を乗り出した。

「入口が見えて来たぞ!」

 ジェイソンはサイクロプスの言葉を繰り返すように通信端末に怒鳴りつけた。

「あそこが中央研究棟。敵が銃をたらふく溜め込んでるクソ穴だ」

 樹々の衝立が払われ、びっしりと蔦で覆われた白亜の建物が現れる。テックに汚染された不気味な動物たちを見てきた一団の目に、それはホルマリン漬けされた脳髄のような悍ましい建築に見えた。

 ―――あそこに先生がいる。サイクロプスはまっすぐに中央研究棟を見据えると、無骨な銃身をさすった。

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