②
巨体を影のように密やかに運び、サイクロプスは倉庫に侵入した。ゴォォォォォ……。上階から注ぐわずかな光に照らされた広大な空間に、幾つかの影がうずくまり、能力を発揮する瞬間を待ち望む暖かな寝息を立てていた―――なんということはない、スタンバイモードの3Dプリンタが整然と並んで排熱しているだけだ。―――むしろ愚鈍な家畜に近い。
肩を怒らせていたサイクロプスは、造形機のそれよりずっと深い息を吐いて緊張していた躰を鎮めながら、サーモスキャナを視界に重ねて暗闇に生じる熱を精査する。真っ黒な機械の間には作業机が並び、造形銃の後処理と組み立てが行われていた痕跡が確認できた―――同時に、不法移民を作業者に仕立て上げているのであろう痕跡も見つかった。量産を始めて一か月と言ったところか。
その時、ふっ、と上階の事務室から零れていたライトが消えた。熱が支配する狩人の暗闇が訪れる。サイクロプスは獰猛に笑んだ。熱気に満ちる巨体が音もなく階段を登ると、上階をぐるりと巡るキャットウォークに出る。倉庫2階の長辺には対になるように事務所らしきもの張り出している。
キャットウォークの短辺に上がったサイクロプスの視界に、事務所の開け放たれたドアに隠れる人影が認められた―――ドンッ!
「あうぅ」
巨大な弾丸にドアごと胸をぶち抜かれたのは、両手と頭頂部に銃を備えた男だ。窓から射し込む月光の薄明りに照らされた死体は、倉庫の外で相対したのと同じ、戦う胆力も意志も無いゴロツキ―――握り手も引き金もない銃を躰に装着した粗製の戦士たちだ。
パンッパンッ!直後、対岸の事務室の窓を爆ぜ割って銃火が瞬いた。
「やったか!?」「よしッ」
シャアアア、というガラス片の落下音の間から漏れ聞こえてきた男たちの無邪気な歓声を断ち割ってドンッ!ドンッ!と傲然たる炸裂音―――無骨な防弾コートで銃弾を弾いたサイクロプスはすぐさま撃ち返していた。
「クズどもが」
風穴の空いた胸を抱えるようにしてよろよろと下階に落下した男たちを認めると、サイクロプスは先にスキンヘッドを処理した事務室に入ろうとした。
と、『やるじゃねぇか!』ザラついたノイズの乗った電子音が下階から響いた。
「誰だ!すぐ殺してやる!」
サイクロプスは吼えながら巨体を事務室の影に滑らせ、半身を出して3Dプリンタが彫像の如く並ぶ広間を見下ろす。
『穏やかじゃねぇな』
「そりゃそうさ。私たちの工場に攻め込みにきたのだもの」
二人分の声。だがそれよりもサイクロプスを瞠目させたのは、造形機の間からアナコンダのように身をせり出す……長大にして巨大なペニスだった。
『オレたちはナポレオンとマレンゴ』
「私がナポレオン。……暗闇の中から失礼するよ。何せ私は銃の魔術師だ」
『そうとも!そして、オレなるは魔術師の杖にして忠実なるゴーレム、マレンゴだ』
ドンドンドンッ!サイクロプスは絶句しながら、のたうつ陰茎に向けて何度も引き金を引いた。
『おっと』
3Dプリンタが爆ぜ、乾いた音が響く―――陰茎は宙を滑るように銃撃を避けていた。サイクロプスは一端事務所に身を隠しながら発条仕掛けめいた動きでリロードを終えると、すぐに身を躍らせ下階に銃口を向けた。
―――いない。静かな排熱音ががらんとした広間に伝わる。サイクロプスが一歩引いて視界を広げようとしたところで、『その眼ン玉を抉りてェ』すぐ横に出現したペニスの尿道の虚が輝いた。
パンパンパンッ!肉食獣の鋭敏さで身を丸めた巨体に銃弾が突き刺さる。
「オオォォォ!」
サイクロプスは雄叫びを上げて逃れる。
『防弾コートにアーマー……だけじゃねぇな』
「頑丈で逞しい躰だね」
音速の鈍槌を受けたサイクロプスはゴロゴロと転がって、そのまま柵の間から下階に落ちる。先ほど事務室の扉から現れたペニスと、いま事務室の窓にずるりと入り込んでいくナポレオンの裸体―――サイクロプスが壁に身を隠した一瞬で窓からペニスを送り込み、同時に鉤縄めいて躰を持ち上げたのだ。―――大男は猫のように着地して、造形機の影に身を潜ませる。
「さっきとは立場が逆だね」
カカカッ、と棒状の長い銃をキャットウォークに引き摺りながら、病的に白い裸体が現れた―――ナポレオン。夜の薄明りを背に、もう一方の手に握った銃を肩に載せながら下階を見下ろすその顔はやせ細り、ごく最近塗りたくったと思われる宗教的なペイントで彩られている。そして、その頭頂部には、彼自身が握る銃と同じ長い銃身が伸びている。
3Dプリンタの影から土管じみたカメラ・アイだけを僅かに覗かせていたサイクロプスが巨大な銃を突き出そうとしたところへ銃撃が炸裂する。
「がッ……ぐ」
防弾コートに逸らされぬ位置への正確な射撃―――弾丸が分厚い皮膚を爆ぜ飛ばした。
『へへっ……』
倉庫の広大な空間に、東洋の龍めいた肉茎がのたうち、サイクロプスを見下ろす―――どこまでも自由な射角。だっ、と脚を駆動させサイクロプスは距離を取る。
「逃がさないよ」
『逃がさねぇ』
ナポレオンは倉庫短辺側に回り込みながら両手の銃を魔術師のステッキみたいに構えて撃ち、陰茎は―――象の鼻のように筋肉に満ちる触手は、宙を泳いで獲物の位置を探る。迷宮じみた造形機と作業机の間を駆け抜けながら、サイクロプスは折れた右手から銃を持ち替えると、ある地点で携帯端末がスリープするように気配を絶った。
『どこだ!すぐ殺してやる!』
ギャハハハハ、とノイズが支配する哄笑が響く。その無邪気な歓喜を股ぐらから感じながら、ナポレオンは牽制の銃弾をあちこちに乱射する。―――崇高なる魔銃の母体を壊すことへの抵抗は、任務遂行を果たさんとする強大なエネルギーが焼き切ってくれた。MAGEの戦士は眼を爛々と輝かせながら、熱の痕跡をまるで残さない獲物を追う。
―――ナポレオンが笑みの内側で、相棒だけに聞こえる言葉を発する。
『マレンゴ。ヤツのコートと皮膚は、どうやら赤外光すら遮るらしい』
『ナポレオン。遮断するなら、影になるなら、プリンタの排熱を遮ってるデカブツがそうなんだな?』『そうだ、マレンゴ。見つけたのか?』
『そうだ、ナポレオン。まるでガーゴイルだ。雨樋に飾りたいぜ』
強固な絆で繋がるマレンゴとニューロンの速度で通話する。
『ナポレオン。だが銃弾はちっとばかし利きが悪い。アレでやるのがイイ』
『良い案だ、マレンゴ。だが私がフォローできる位置に着くまで待つんだ』
『ナポレオン。わかったぜ、そして気を付けろ。ヤツが無様に身を隠すのは、カウンター狙いで、あのどデカい銃でアンタをぶち抜くつもりだからだ』
『ああ、マレンゴ。君も気を付けろ、彼の眼はきっと硬いだろうから』
―――マレンゴがうれしげに天を向くと、その矛先が割れ、肉に癒着した銃と……血と脂にねっとりと濡れたドリルを露わにした。キュィィィイン、とマレンゴの芯を通って、そのどこまでも冷徹な振動がナポレオンに伝わる。
『ブチぬいてやるぜ』
ナポレオンだけへ伝わる喊声と共に、マレンゴがその牙をうずくまる影へと向けた……!
次の瞬間、ババッ、という連続した肉と繊維の断裂音が響いた!
『ハァーッ!』
うずくまる影はついに反応できず、マレンゴの迷い無き処刑突きに貫かれた!コートの強化アラミド繊維が突き破られ、予想外に脆弱な肉がぐずぐずに崩れ、鮮やかな血がマレンゴの亀頭を彩る!
……だが、ナポレオンは貫いたものの感触に違和感を覚える。―――直後、万力のような圧迫がマレンゴを締め上げた。
『グゲッ!?』
「大した腹話術だな」
巨大な単眼を日食じみて輝かせる怪物が闇から腕を伸ばし、造形機の影にマレンゴを引き摺りこんだ。
『テメェ、テメェ!』
マレンゴはドリルを唸らせサイクロプスのカメラ・アイに身を伸ばすが、それはすんでのところで届かない。それどころか、徐々に後退していく―――巨大な掌が果実を握りつぶすように触手に食い込んでいき、筋肉の帯を引き攣らせる。
「マレンゴ!」
叫びながら下階に飛び降りたナポレオンは、握りこんだ陰茎を引っ張ったサイクロプスによって下半身を引きずられて無様に転ぶ。
ぱんぱんっ、と亀頭の先端から銃火が瞬くが、弾丸は明後日の方向で火花を散らすばかりだ。
『オオォォオオ!』
ノイズをまき散らす触手を……サイクロプスはついに片手の力だけで握りつぶした!ちぎり取ったそれを後方に投げ飛ばす。
「お人形遊びに付き合うつもりは無い」
パキ、と零れたガラス片を踏み砕く澄んだ音が静寂に伝わった。
―――空気が爆ぜた。
「貴ッ様ァ!」
怒りの絶叫とデタラメな発砲音が倉庫に反響する。だが、その射撃は精細を欠き、ほかのゴロツキのようなプログラムされた動きでないことが伺えた。サイクロプスは血塗れの手で自らの得物のグリップを握り、造形機の上に身を乗り出すと、正確な射撃でナポレオンの両腕を吹き飛ばした。
「ぎぃぃぃいぃ!」
たたらを踏んだナポレオンに突貫したサイクロプスは、敵の頭部の銃が狙いを付ける前に、逆にその額に銃口を叩きつけ、そのまま地面に押し倒した。
「がッ……」
「チェックメイトだ」
さらに、先端部を失った触手が動かないように腰部を膝で潰して動きを封じるが、その心配は不要だったか筋肉の蔦は脱力して動かない。
「おまえみたいなやつはあと何人いる?」
サイクロプスはそれだけを訊いた。
「他はすべて調べが付く。カンパニュラの狂った目標にも興味が無い。戦士として誇り高く死にたいなら答えろ」
3Dプリンタの排気音の中に、ナポレオンの腕からだくだくと零れ落ちる血の音が混じる。
「アハ……ハハ……。答えるわけないだろう?ああ、くそ。こんなプロローグで死ぬのか?私たちの大魔術戦はこれからだというのに!」
掠れた歓喜の悲鳴と共に、ナポレオンは頭部の銃を天井に向けて乱射した。
「アハハハハハ!マレンゴ、君は永遠だ。私がここで終わるのが――」
ドンッ!サイクロプスは狂笑に痙攣する胸に銃口をスライドさせると、即座に引き金を引いた。
サイクロプスは排熱みたいな溜息を吐きながら立ち上がると、死体を見下ろした。そして、カメラ・アイでどこかに通信した。
『―――死体を回収してくれ』
『無事でしたか。了解です』
通信の向こうの声にはパンギル構成員には無い、ホワイトカラーの気配があった―――それがカメラ・アイの内に荒れ狂う暴威を鎮める。
連絡しながら、風穴の空いたコートを持ち上げた。ぬちゃ、と滴った血のカーテンの下には重なったふたり分の死体―――事務室で射殺し落下した男たちだ。彼らを即席の囮に仕立て上げたのだ。
コートを肩に背負い、焦土のような静寂を味わいながら倉庫の入り口に向かおうとしていたサイクロプスは視界の隅に転がる触手に気付いた。なんとはなしにそれを確認しようとして、『テメェ、ナポレオンを殺りやがったな』ノイズ混じりの声が向けられた。
「……どういうことだ。切断されたはずだ」
サイクロプスは驚愕に呻いた。喋る触手はあくまでナポレオンの二重人格めいた独り芝居だと考えていたのだ。――だが、陰茎は本体と断絶してなお、人間じみて喋っていた。
『テメェ、許さねぇ。MAGEがおまえを殺す。おまえ達を殺す』
触手はびくりともしないが、その先端部からは間違いなく感情的な声が漏れていた。
「人間のフリはやめろ」
サイクロプスは無骨なブーツで銃とドリルの収まる触手の先端部を踏み付ける。
『人間じゃない。だが知性さ。おまえにゃ解るまい』
「……」
サイクロプスは沈黙していた。
『オレの頭ン中にゃ脳みそにも負けねぇくらいの……』
大男は片足に体重をかけた。
『オオォォォォ』
「マレンゴ」
サイクロプスは初めて、それを名乗った通りの名で呼んだ。
「解るさ。出来損ないで、上辺だけそう振舞う、繕いだらけの知性だ」
マレンゴが答える前に、サイクロプスは亀頭を踏み潰した。
血と肉の中に混じった網のようなニューロルータにカメラがフォーカスした。サイクロプスの顔面でカメラ・アイが静かに渦を巻いた。
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燦然たる太陽光が、神殿のようなパールホワイトの邸宅と瑞々しい樹々に、灼き尽くさんばかりに降り注いでいた。門前に停まった大型のバンの後部座席から降り立ったシドは、思わず唸りながら足早に熱気を孕むタイルの上を進んだ。頭部のカメラ・アイの縁がハレーションじみて輝いている。
たくましいエンジン音を響かせて発車したバンに向けて軽く手を挙げると、シドは自らの”城”に帰還した。
「暑いな」
発汗しない肌はどこまでも乾いているが、シドは頬を拭うような仕草をすると、コートを脱ぎながら急いで冷房の効いた私室に向かい、湯につかったようなため息をつきながらレザーチェアに腰かけた。
さらに、フッ、と息を吐き出し、木目調のデスクに並んだモニタのスリープを解除した―――すでに映像は繋がっており、シドと同じような華美なデスクと、レザーチェアに矮躯を乗せる相手の姿が見えた。
『ずいぶん忙しそうだな。まるでビジネスマンだ』
「治療と報告、それに後処理だ」
シドは淡々と言った。
「そっちはどうなんだ?トードマン。おまえこそ宮仕えの身だろう」
画面の向こうの小男の顔は、そのシニカルな呼び名の通りカエルじみている。
『引き続き”宮廷魔術師”として研究に励んでいるよ』
その言葉にシドは口元を歪めた。
『そのおかげで、おまえの検診を担当するチームを用意できているんだ。感謝しろよ』
「報告が行っているだろう、アダム」
『もちろん。どこの勢力の息もかかってない貴重な部署だ。私のところに直接報告が上がってくる』
トードマン―――本名をアダムという小男は、自慢げにシドをふんぞりかえった。
「内部抗争の気配があると言っていたが、それはどうなった?」
『今日は随分あわただしいな』
アダムはここでようやくシドの様子がいつもと違うことに気付いたようだった。
『国同士の対立は昔からのことだったが、最近はどうにも妙な閥が出来上がっているようだ』
元はこの国の一企業に過ぎなかったカンパニュラは、ゲート―――経済特区内の各国企業との共同事業において癒着じみた効率化と合理化を進め、いつのまにかコングロマリットのような大構造となっていた。そして、現場レベルではどっぷり癒着しているにも関わらず、上層部はそんなことは無関係とばかりに争っているのだ。
「閥とは?」
『この街の治安や、カンパニュラの技術の氾濫を憂う声があるのさ。それに対して、改革派と保守派とでも言おうか、もっと積極的にこの街の政治や行政に分け入っていこうというグループと、現状維持を目指すグループがいるんだ』
「なるほど」
シドはくくっ、と笑った。
「感謝する。大体わかってきた」
『……例のMAGEとかいうやつの話か?』
アダムが優しげな皺が波打つ顔に懸念を滲ませた。
「そうだ。ヤツらは”改革派”なのだろうな」
『戦地で相当酷いことをやった集団だと聞く。何人かは国際指名手配もされ、すでに逮捕されたメンバーもいる』
「所詮、戦争狂いどもだ。恐るるに足らん」
『私からすると、おまえも似たようなものだよ』
アダムはこれみよがしにため息を吐いた。
『おまえが私に戦争ゲームや残酷な遊びを覚えさせようとするのを先生がよく止めていたな』
「妥協してRPGにされたな。そこで私はサイクロプスになり、おまえはトードマンになった」
『なつかしい』
「どうした?やけに感傷的だな」
シドは弛緩した表情で笑った。
『久しぶりに顔を見て話したもんでな。それに危険な仕事に従事する友人を持つと、そういう気持ちにもなる。……カンパニュラに帰って来る気はないのか』
古木の虚のように掠れた問いかけだった。
「無い。おれは安全な檻の中より自由を……まぁ、8割ほどの自由を謳歌したい」
アダムに検診班を手配してもらっている手前か、遠慮した言い回しだった。
『そうか……こちらからも質問だ。あの事件についてはどうなった?』
アダムは気を切り替えて言った。あの事件―――妊婦連続殺人事件だ。街の各地で妊婦の惨殺死体が見つかった事件で、今もって犯人は捕まっていない。それはパンギルに伺いを立てねばろくに動けなくなった警察の無能だけでなく、被害者に共通するある要素のためだった。
「―――解決した。犯人は死んだ」
シドが答える。――路地裏。豪雨。血液。
『……』
アダムの顔は沈痛だ。
「もうカンパニュラに働きに来ている女どもは死なん。ついでに孕ませておいて逃げ出したクズどもも無罪放免か?」
シドの機械の眼差しが暗く強張ったように見えた。
『……そうはさせない。おまえが直接採ったデータや、警察から押収したデータから父親が割り出せた。然るべき報いを受けさせる』
「殺させろ」
一つ目の怪物の静かな咆哮はえぐるようだった。
「女どもだけ死んで、男のほうが生きているのは納得がいかん」
『……』
アダムは顔を歪めている。
「それか、お前が殺せ。どこの勢力の息もかかっていない部署があるんだろ?」
『……然るべき報いを受けさせる』
アダムはこれで話は終わりだと言わんばかりに顔を俯けてディスプレイをいじり始めた。直後、コッコッ、と注意を引くように音が響き、アダムがしぶしぶ顔を上げると、シドがカメラ・アイを叩いていた。
「オレはすべてを観ている。記録している。いずれ、すべてが詳らかにされる」
アダムは応えられず手を揉んだ。シドは憮然と唸った。
「……悪かった。正しい法に基づいて対処してくれ。そうしないと延々繰り返されるだけだからな」
『解っている。ありがとう』
アダムはそう言ったが、それでもどこかバツが悪そうに俯いてた。
「……じゃあ、また新しいことがわかったら知らせてくれ」
『ああ、もちろんだ』
アダムは今度こそ通話を切ろうとした。
「ああ、最後にもうひとつ」
シドが笑みながら言った。
「おまえこそ検診は受けているのか?ちゃんと独立したチームから」
遠慮がちに手を差し伸べるような言い方だった。
『相変わらず先生がいたチームが担当だよ。おまえのところに行っているチームはゲートの外だから自由ってのもあるんだ』
「そうか」
シドは口元を緩めた。
「いつか、そいつらも従えられるくらい偉くなってくれよ」
じゃあな、とお互いに呟くと通話を切った。
シドの顔には笑顔が刻まれたままだった。
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はわらたを掻っ捌いたような生暖かく臭い空気が立ち込める高架下の公園を、ときおり闇を切り裂くハイビームが掠めていく。
キィ、とブランコが揺れた。
「ナポレオンが死んだ」
―――いつの間にかブランコに腰かけていた影が陰々とした声を発した。光が一瞬過ぎ去り、錫杖めいた長柄の何かを携えた人影を照らす。
「攻め手はひとりだったんでしょう?パンギルってギャングの兵隊かしらね」
ドーム状の滑り台の頂点で、夜の薄明りを受けて彫像めく影が応じた。道路から吹き付けた風がその頭部を覆うベールと髪をはためかせた。
「時代遅れのギャングにも大した戦士がいるものだな」
砂場に太い轍を残し公園の中央に進み出たのは無骨な車椅子だ。搭乗者のフードと手足だけがわずかな明かりを享受し、その他はひときわ濃密な闇に覆われている。
『風穴を開けてやるのが楽しみだ』
甲高い電子音声を発しながらコートを翻した巨大な影は威圧的にシーソーを踏みにじった。影を撫でるライトは、その輪郭に金属光沢の淀みを残す。
ブランコの影は周囲の異形のものたちを順繰りに見渡すと、演説の如く両腕を広げた。
「ナポレオンは十分に種を撒いた。それが芽吹くまで、我々は害虫駆除に勤しもうではないか。なにやら、ひときわ厄介な甲虫もいるようであるしな」
芝居がかった物言いに影たちが笑い声で追従する。
道路からトラックのものと思われる強烈な明かりが公園へ射し込み、ブランコの影を光に沈める。「―――やつの名はサイクロプス」
手に持った巨大な狙撃銃と、頭部のある一部分を除いてぐるぐると覆う頭巾が露になる。
「博士の言では、かの怪物は、我らがこの身に刻み込む福音を最初に享受したもの―――すなわち、ニューロルータの初期の試験体なのだという」
渦巻く頭巾の中央……そこには太陽系の如く瞳が散乱する巨大な単眼が蠢いていた。
「さぁ、時代遅れのギャングと、古めかしい技術の産物に、我らが戦地で磨き上げた暴力と科学を見せつけてやろうではないか」
影は立ち上がった。ほかの者どもは、いち早く不気味な気配だけを残して闇の奥に消えて行く。
生暖かい空気が淀む公園にひとり残された影は、頭巾の下でだれにも聞こえないよう、何事か呟いていた。
「……あの怪物はそれだけの存在なのか?ただのギャングの先兵なのか?なぜ、あんな試金石的な技術の産物をゲートの外に放置しておくんだ?―――オレが見た、あれはなんだった?」
天体模型めいて渦巻いていた瞳が一か所に凝集して、黒点をかたちづくった。
再びハイビームの光が公園を浚った。そこには、もう誰もいなかった。