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サイクロプスの虹彩  作者: 天森バケツ
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 窒息するような凄まじいスコールが路地裏を満たしていた。都市のネオンと喧噪は骨格標本めいてビル間を巡る配管の彼方に沈んでいる。

ゴミと油の浮かぶ路地裏には闇を凝らせたような大きな人影がそびえ立っていた。通りを駆け抜ける車の鮮烈なヘッドライトが、ネオンに滲む影のシルエットを一瞬だけ確かにする―――雨が滝の如く流れる無骨なコートと、光りを照り返すヘルメットじみた頭部。

 その足元では、汚水に半ば沈んだ汚らしい何かがびくびくと痙攣している。大男は頭を傾け、それを見下ろした。

 突然、大男の視界に柘榴のように爆ぜ割れた死体が現れた。執拗に裂かれた腹、乱暴に引き摺り出された肉塊、悲痛が秘された死顔。掻き毟られた土と、肉塊に伸ばされた手……()()()()()()()()。直後、濁流と暗黒の世界がノイズに刷新されるようにして路地裏に帰ってきた。視界を雨が流れる。男の頭部で、額から上顎までに貫入した巨大なカメラ・アイが、散乱したネオンを受け止めて鈍く輝いた。

 大男が足元の震える物体を片手で持ち上げた。若い男だ。痙攣する鼻と唇、薄く開いた瞼―――恐怖と反抗心が綯い交ぜになった表情。大男の拳がその顔面に沈んだ。へこんだドラム缶のように汚水と血と吐息を垂れ流すそいつを、大男はもう一度起こして、殴った。そいつは大男のカメラにむかって唾を吐きかけた。すぐに雨が唾液を浚っていった。

 大男はそいつを乱暴に引き摺り、後頭部をわしづかみにするとコンクリートの壁に叩きつけた。頭が音を立てた。ブチャッ。大男はそいつの顔を繰り返し壁に叩きつけた。ブチャッ、ブチャッ、ブチャッ、ブチャッ、ブチャッ、ブチャッ。そして、大男は何度目かで興味を失ったようにそいつを投げ捨てると……その頭に、頑強なブーツをプレス機の如く踏み下ろした。雨音の底に、深い破裂音が浸透していった。

 排水溝に汚水が渦を巻いて吸い込まれていく。

 スコールが猥雑な都市の隘路を闇に沈める。大男はザブザブと汚水を踏み分け、闇の奥深くへ染み入るように消えていった。


///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////


 密林のツタの如く絡み合う高架橋の下をからっとした風が吹き抜けていく。陽は高く、橋の合間に強烈な光線を差し込んでいる。橋を支える柱には違法に増設された梯子やキャットウォーク、バラックまでもがフジツボの如くびっしりと張り付き、ハイウェイの至るところへ売り子を送り出していた。

 巨人の血管とも称されるハイウェイは、おもに”ゲート”の向こう側の住人や、空港からゲートまで直接向かうビジネスパーソンたちに使われている。猥雑な街の営みに混ざらないように配された道だったのだろうが、人々の欲望は熱帯植物のような執着心で階層を気にせず拡がっていく。

 大男は日陰と呼べないほど明るい高架下の街並みを進む。行き交う人々から頭一つ抜けたその頭で、大昔の潜水ヘルメットのようなカメラが鈍く輝き、日なたに出るたびカッと光る。その異様な姿は、しかし、街並みに遜色なく混ざっている。ゲートの向こう―――経済特区から流れる技術の数々は、都市にあらゆる形態のサイバネティクスを蔓延させ、街並みに無限と思えるほどの色や材質のコントラストを生んでいた。感情に合わせて模様を変えるタトゥーを彫ったハイティーンや、機械化した義手や皮膚に食品トレイをアタッチした恐れ知らずの売り子たち、シルバーに輝く流麗な義足で自転車を漕ぐ運び屋たちなどが大男とすれ違っては雑踏に消えていく。

 下町の道路を走るのは中古車や違法改造車、特に多いのはゲート内へ出勤する人々を過剰積載した小型のバスだ。『……で発見された女性の死体……』『……妊娠六か月……』電化製品屋の錆びた鉄格子の奥では乱雑に重なったテレビモニタがニュースをがなり立てている。

 大男が歩む道はハイウェイ周辺のビル街から徐々に離れて閑散とし始め、ゲートを中心としたインフラから、この街本来の営みの中に移り変わっていく。自然の風化と侵食が建物や道路、そして人々を支配していく。

「オイッ」

 野卑な呼びかけを背に受けた大男は、それを無視して灰色の街並みを進む。

「オイッ!てめぇ!撃つぞ!」

 ほとんど叫びに近い声音に、大男は半身になって振り返った。

 無骨なコートの襟から覗いたカメラ・アイの威容に打たれ、震える手で銃を握るゴロツキが一歩退く。

 丁度、道路は廃ビルに面していた―――薬物中毒者や浮浪者の溜まり場だ。”カンパニュラ”がもたらした鮮やかで異様な世界のすぐ隣では、何十年と前から変わらない破滅と暴力が転がっている。廃ビルから出て来た、まさしく薬物中毒者と思われる痩せた男は必死の形相で銃を構えている。ビルの入り口に寝そべる老人が事も無げに争いを眺めていた。

 大男は男に向けて完全に振り返りながら両腕を広げた。

「撃ってみると良い―――」

 パンッ!反射的な怒りに任せて引き金を引いた男は、そのこと自体に驚いたように尻もちを着いた。―――銃弾は大男の分厚い胸板にめり込んでいた。常人の肉体ではなかった。

「口径が小さすぎたようだな。こんな豆鉄砲では怪物は殺せない」

 大男は笑いながら、銃弾を払った。

「……あ。ひぃい!許して。許してください」

 ゴロツキは失禁しながら、尻で退く。ポケットから注射器が零れた。

「なんだってオレを狙った?もっと弱そうなヤツを狙えばよかった」

「カネェ……カネ持ってそうだったから」

「何でカネがいる。ドラッグでも買うのか」

「女房とガキがいるんです。こ、ここに証拠が」

 男はポケットから携帯端末を取り出し、慌ててフリックすると待ち受けを見せた。そこには、確かに痩せた男と女、それに子供が映っていた。

 大男はコートの内ポケットに手を突っ込むと、ぐしゃぐしゃの紙幣を取り出して放った。

「やる」

「え?」

「さっさと拾え」

 男は一瞬餓狼のように眼を見張ったが、すぐに卑しく笑って紙幣を摘まみ始めた。

「それとな―――」

 大男はそう言った直後、躓くような軽やかさで、男の顎を蹴り上げた。

「あぎッ」

 ゴロツキが吹き飛んだ。

「オレはガキを言い訳にするヤツは嫌いだ。……そのカネで生活を立て直せ。次にここで見かけたら、殺してやる」

 ゴロツキは跳ね起きると、無表情のカメラ・アイは見つめてから、口をぱくぱくさせた後、走って廃ビルの中に消えて行った。

「殺してやるからな!」

 説教じみた怒りを孕んだ声音だった。―――ゴロツキが見えなくなってからようやく大男は廃ビルを後にした。廃ビルの入り口で寝転がる老人は倦んだ眼差しでその背を追った―――その眼はある種の猫のように、奇妙に黄色かった。

 大男は廃墟じみたダイナーに辿り着いた。『ARNIS』の看板の割れたガラス管と垂れた配線がみすぼらしい。大男が蜘蛛の巣の残骸が張ったドアを押し開けると、ガチャガチャという食器の擦れる音と、テレビから流れるサッカーの試合の大音量、そして男たちの野卑な笑い声が聞こえてきた。

 閑散とした店内に、客は窓際のテーブル席でカロリー過多のジャンクフードを貪る四人の男たちだけだ。大男はその中に見知らぬオフィスワーカー風のワイシャツ男を見出した。その男もまた、大男の来店に気付いて意味ありげな眼差しを寄越した。

 おぅ、と携帯端末をいじっていた白髪の男が声をあげた。

「来たか。サイクロプス」

 男の声音にはその呼び名の諧謔を愉しむような響きがある。

「相変わらずしみったれた場所だ」

 サイクロプスと呼ばれた大男が応えた。

「そうだ。この街は元々しみったれてるのさ」

 通路側で大男に背を向けていた髭面の男がそのままの姿勢で言った。男の名はホセ・サントス―――古くから”パンギル”の名の下で闘ってきた武闘派の重鎮だ。いささか軽薄な調子の白髪の男はジェイソン・キング―――こちらはごく最近組織の幹部に列された男だ。

「そうだ。しみったれててささやかな、オレの街だ。え?そうだろ。シド」

 シド―――サイクロプスと呼ばれていた大男が喉を鳴らした。肥満体を窓際の席に押し込み食事を貪るのは、街を支配するギャングであるパンギルのボス、アーマンド・ガルシア。髭とシャツにこべりついた食べかすが汚らしい。

「そうだな。あんたに相応しい地だ」

 シドは何の感情も窺わせずに言った。テーブル席には酒と体臭と小便の臭いが混ざり合って満ちている。換気扇のぶんぶん、という音が虚しい。

「それで例の話……の前に、そちらの澄ました顔のお客人について聞かせてくれ」

 シドはワイシャツの男を見もせずに言った。

「彼はタカハシ-サン。オレたちの”協力者”だ」

 アーマンドが手を広げてにこやかにタカハシを示した。

「協力者、ね」

「タカハシだ。ミスター・アーマンドに、この街の文化の保存についてアドバイスさせてもらっている」

「文化?ここのクソまずいメシか?」

 シドが嗤った。

「サイクロプス」

 ジェイソンが色めき立った。ここ『ARNIS』はアーマンドの所有する店舗だ。ホセが目配せだけでジェイソンをなだめる。

「味は関係ないが……食事、音楽、建物、もろもろだ」

 タカハシはにこりともせず言った。

「経済特区……とくに大工場カンパニュラがこの街に及ぼした文化的汚染は凄まじいものだ。かつての植民地支配よりなお酷い。我々はこの街、この国の文化を守るために様々な活動を行っている」

「どうにも、あんた自身もゲートの向こう側の人間に見えるがね」

 シドが言った。

「そうだ。だから、私がするのはアドバイスに留まる。過剰な手助けは、それ自体が対象に大きな影響を与えかねん」

 タカハシは学者然とした表情で応えた。

 シドが捕食者めいて笑い、また何か言い返そうとしたところで、「文化的な会話について、また今度楽しんでもらおう」アーマンドが歯をむき出して笑いながら、それを遮った。

「いまは、我々の直面するカンパニュラからの文化的汚染に対する、きわめて具体的な対策の話をしたい」

 仏頂面のタカハシが、食事を押しのけ傷ついた鞄をテーブルに置いた。歴戦の鞄とでも言うべき趣があった。

「先日、妙なフォリナー(外国人)共から運搬依頼を受けたと運び屋から連絡があった。その時に押収したものだ」

 タカハシは鞄から、真っ黒な筒を取り出した。その無骨さは拳銃以外のなにものでもなかったが……そこにはグリップやトリガ―――持ち手が存在しなかった。

 シドはその銃を受け取って調べた。ざらざらとした手触り。カメラ・アイがズームする―――銃の表面には列を成す無数の線。さらに、通常、グリップがついている部分には何らかの端子が嵌まっている。

「判るか?」

 ホセが言った。タカハシは昆虫めいた眼差しでシドを観察している。

「積層造形ってやつだな」

 シドが呟いた。

「なんだそりゃ?」

 ジェイソンがことさら大仰に言った。

「いわゆる3Dプリンタだ。だが、それだけじゃないな」

 端子に指を這わせ、舌打ちした。

「……ニューロルータが仕込まれている」

 ジェイソンがわけがわからんという風に天を仰いだ。シドは銃をアーマンドに手渡す。

「つまり……どこでも造れて、誰でも使える銃とでも言おうか」

「そんなものが本当に?」

 ホセが疑義を呈する。

「まるで夢の兵器だな。だが、夢とは細部が抜け落ちているものだ」

 シドが笑いながら、そのテックの集積めいた頭部から言葉を紡ぐ。

「まずは積層造形。はっきりと言えば、生産効率・コスト・照準精度・安全性のどれをとっても、工場の方がハイクオリティだ。それでも3Dプリンタの利点がないわけではないが、この場合のみに限って言えば……ごく短期間に量産体制を整えることができるといった点か」

 シドは指を立てた。

「ニューロルータのほうは……人間の神経に接続する云わば人工神経で、オレがカンパニュラにいた当時にはまだ研究段階の技術だった。軍用部品なんかには使われているらしいが、まだまだ一般的な技術ではない。この銃の場合……グリップの代わりに、同じくニューロルータ製の端子を持つなにがしかに接続するんだろう。当然、相手側が無くてはならないから、これ単体では使い物にならない」

「脅威ではない、と?」

 ホセが眼を細めた。この銃器工場がパンギルの利益を侵すかどうか、ということだ。カンパニュラができる遥か昔からこの地には銃の闇工場があった。それを巨大化させ、一大産業にまで発展させたのはパンギルだ。今もってこの旧弊的なギャングこそがこの街の暴力のインフラを支配しているのだ。「……普通なら」

 シドはわずかに溜めた。

「”MAGE”という集団を聞いたことがあるか?」

 アーマンドが促すように頭を上下させた。

「ネット上で電子制御銃の自動照準技術を体系化しようとしている集団の……実働部隊のひとつだ。このMAGEって一派は傭兵に近いことをしている。こいつらが”肩に装着する銃”と言って、映画のプレデターみたいな装備をしている画像を見たことがある。台座こそないが、それに良く似ている」

「そんな連中が、この街に即席の銃工場を作って……根付くつもりか?」

 ホセの眼が警戒に細まる。

「さて……それより、カンパニュラの文化的汚染がどうのと言っていたが、なぜこれが奴らのものだと?」

 シドはそう発言したアーマンドではなく、タカハシをまっすぐ見つめた。無感情なカメラ・アイに射竦められ、タカハシは少したじろぐ。

「……カンパニュラが、ついにこの街自体が発祥の重要な”産業”や、継承されてきた”技術”をも奪い去ろうとしているのだと考えている」

 答えながらタカハシはアーマンドを見遣る。口元に笑みを刻んだパンギルのボスは、タカハシを見返してから、悠然とシドを見上げた。

「シド。おまえがどこまで判るのか確かめたかったんだ。カンパニュラで生まれたおまえなら何か知ってるかとな」

「……そうかい。ニューロルータはカンパニュラの、次世代の基幹技術となるべく研究されていた。普通そこらに出回るものじゃないんだ」

「ボスは策略家だなァ!」

 ジェイソンが豪快に笑った。ホセも追従して笑う。むん、とシドは憮然として唸った。

「だが、MAGEってのは初めて聞いた。タカハシ-サンもそういう話はしてなかったな」

 アーマンドが笑った。タカハシが引き攣った笑みを浮かべる。

「カンパニュラがそのMAGEとやらを先兵としているのでしょう」

「出回ってる銃はこの種類だけなのか?」

 シドはタカハシの言葉を無視して訊ねた。

「MAGEの連中なんて、いても精々十数人だろう。そのためだけにこの棒きれを量産するのか?カンパニュラがパンギルの銃シェアを奪いたいというんだとしても、こんな銃では無理だろう。いや、仮に普通の銃を作ったとしても、こんな性能面で劣るもので我々の産業を奪えるとでも?」

 シドは片方の口角を吊り上げた。

 アーマンドが下品に笑った。

「脅威ではない、と。……だが、それでもカンパニュラの連中がやることなら看過するわけにゃいかん。ヤツらが無責任にバラまいてきたクソを掃除するのは、オレたちだ。この街を守るのは、オレたちなんだッ」

 アーマンドは突然激昂して叫んだ。

「もちろんだ、ボス」

 ホセが最低限の共感を示して言った。

「ああ、だからオレを呼んだんだろう?くだらん知識自慢じゃなく、工場を特定してブッ潰せってな」

 シドが言った。

「解ってるな。この短小の棒きれをこの街から消し去れ。そしてそのMAGEとかいうクソ共もだ」

 アーマンドは携帯端末を投げてよこした。

「連中と取引した運び屋の連絡先が入ってる。必要なら”戦闘部隊”を出しても良い。任せたぞ」

 シドは端末を受け取ったその場で中身の情報をカメラ・アイのチップに移すと、その機械の板を片手でへし折った。アーマンドがにやりと笑う。シドは甲虫の死骸めいた残骸を投げ捨てるとダイナーを出た。陽が高い。

 そこへ、ホセがきびきびとした歩みで追ってきた。

「何だ?タカハシが怪しいから注意しろって話か?」

 ホセはクスリとも笑わない。

「彼は協力者だ。余計な詮索はなしだ」

 そう言った後、ホセは一拍置いた。

「フレッドが殺された。知らないか?」


 ―――豪雨。路地裏。顔面を潰された男。


「どこのフレッドだ?」

 シドは言った。

「おまえも会ったことがあるはずだ。二年前の警察所でのいざこざで」

「あの間抜けか?奴があのサツの家族を殺らなきゃ、そもそもあんな事態にゃなってなかった」

「愚かだったがアーマンドは眼を掛けていた。ジェイソンの弟分でもあった。……死体はチャング通りで見つかった。ヤツはあのあたりの売春宿によく出入りしていた」

「たった今アーマンドから依頼を受けたってのに、そっちも調べろって?」

()()()()()、と聞いているんだ」

 ホセは笑わない。

「ひどい死体だった。知らないか?」

「知らないな。死体を探す趣味も男を追う趣味もないんでね」

 シドはホセを見下ろした。

 ホセはそれを見返した。逆光で、鏡のようなカメラ・アイは、ホセ自身の顔を映していた。


///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////


 女がシドの象のような皮膚に噛み付きながら、全身をすり合わせるように身もだえした。爪がシドの大きな背でカリカリと音を立てる。シドは女の秘所に突き入れた芋虫めいた太い指を、執拗な熱意を以って震えさせる。

 ひときわ大きな呻き声が上がったあと、女はシドの分厚い胸板にぐったりと身を横たえた。それでもシドは熱気に膨らんでいた躰を凝らせていたが、しばらくすると諦めたように指を抜き、寝転がった。静かな息遣いが閨を満たす。

「……またボスに会ってきたの?」

 女が呟いた。

「判るのか?」

「ミスター・アーマンドに会ってきたあとは、いつもと違うもの」

「ヤツにミスターなんて付けなくて良い」

「そうしないと怒られる」

「ここでは怒るやつなんていない」

 女がシドにしなだれかかる。

「でも、シドだってあの人が怖いんでしょう?」

「ああ、恐ろしい。だが、ヤツ本人はただの脂肪の塊だ。オレたちはヤツの影を恐れてるだけなんだ」

「また余裕ぶって」

 女はシドにまたがって、カメラ・アイを覗き込んだ。

「本当のアナタはどこにいるの?」

「なんだ?映画のセリフか?」

「ううん。アニメ」

 そう言った女は薄暗い闇を映すカメラ・アイを見つめ続けている。シドは笑った。

「どこにもいない。無から生まれたものは……」

 ぱぁん、と片手で爆発のジェスチャ。

「でもここにいるじゃない」

「ジェニィの説では、本当のアナタではないもの、ということになる」

「何それ」

 シドは壁に背を付け天井を仰いだ。分厚い灰色の皮膚、7フィートにも達そうかという背丈、巨大な単眼めいたカメラ・アイ―――まさにモンスターといった裸体だ。フリークたちが集まる風俗店でも、シドの相手をできる者は少なかった。その貴重な相手である女―――ジェニィがシドの皮膚を撫でながら、片手をその股間にあてがった。

「やめろ」

 シドが唸った。

「いいじゃん」

 ジェニィがそれを撫でる。小さく萎縮したそれには、そもそも充血する機能が与えられていないようだった。

「ジェニィ、やめろ」

 シドはジェニィを強く押しのけた。ジェニィはいたずらが見つかった子供のようにはにかんだ。シドはそこに、ほんのわずかな恐れを認める。

 しばらく休んだ後、シドはチップを置いて颯爽と部屋を去った。無骨なコートがシドの躰を覆う。傲然と進むサイクロプスの眼に映る娼館の内装が、渦を巻いて黒く黒く凝っていった。


/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// 


 ドブと磯のにおいが混ざった腐臭が辺りを満たしている。

 ビル群の貪婪な輝きも、ゲート内の整然とした光点の列もこの港には届かず、深淵のような波間には不快な泡と屑ゴミが身を寄せ合って縄張りを主張している。

 それを見下ろすサイクロプスの眼差しもまた深淵そのものだ。深く重い吐息を漏らしながら無骨な躰を起こしたサイクロプスは、夜空を切り取る四角い建物を見遣った。

 サイクロプスが例の運び屋と幾つかの伝手から情報を集めたところ、すぐにその倉庫は発見できた。ゲートから定期的に送られてくる物資の話、パンギルに売られるはずの不法移民が消えた話、奇怪な銃を自慢げに語るフォリナーの話、そしてそいつらが湾岸労働者たちと起こした諍いの話。―――いざ情報を集め始めれば、そもそも隠そうなどとは考えていないのではないかと思えるほどあっさりとMAGEとカンパニュラの影を捉えることができた。サイクロプスは獣めいた密やかさで倉庫に向けて歩みだした。

 ―――しばらく歩んだ先で、サイクロプスは暗闇の中に敵の姿を見出す。倉庫のシャッターに背を預けるのはゴロツキじみたスキンヘッドの男で、ぱっと見ただけではその来歴は探れない―――MAGEの構成員か判断は付かない。サイクロプスはまっすぐに男に近づいていった。ある程度近づいた段階で男が気付いた。暗視ゴーグルを装着しているわけでも無いのにこちらを認識した―――サイバネ・アイ?そこらのゴロツキが置換できるほど安価なものではない。兵隊めいた装備を持つというMAGEの構成員か?それにしては警戒がお粗末だった。

「オイ、あんた―――」

 男がシャッターから背を浮かせて言った。

 直後、サイクロプスは巨体を前方に傾がせると、鋭いタックルで男の胸を衝いた。えづいた男をそのまま組み伏せ、コートから取り出したダクトテープで手足を拘束する。即座に男の顔をねじ向け、口も塞ごうとしたところで……サイクロプスは己の失敗に気付いた。

 パァン、と高らかに銃声が鳴り響いた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――ダイナーで見た銃と同じもの。咄嗟に仰け反ったサイクロプスは、すぐに躰を振り戻し鉄槌めいた拳を男の顔面に沈めた。拳を抜きざま、ぴゅうと血が糸を引く。

「どうした!?」

 倉庫の側面から男が駆け寄ってきた―――その頭頂部にも銃。さらに、男は両手の甲にも銃を装着していた。愕然とした男の動きはまるで素人じみていたが、サイクロプスが熊の如く身を起こすのに反応して、漣走るように纏う雰囲気が変わった―――戦士の佇まい。

 銃火の華が拳法家めいて構える男の躰に咲いた―――銃自体がほぼ完全にリコイルを制御し、その姿勢はぶれない。銃撃がサイクロプスの防護コートに炸裂し、擦過痕を残して弾ける。サイクロプスは一顧だにせず突進する。戦士の佇まいの中、眼だけは瞠目させる男は手練れの格闘家のように躰を沈め、襲い来る単眼の怪物の懐に拳を突き込まんとする。

 サイクロプスは獰猛に突き進みながら―――引き金を引いた。男の胸部が破裂し、血飛沫を上げた。すとんと尻から落ちた男はがくがくと躰を動かして何か反応しようとし……及ばず力尽きた。その眼差しだけが、まだ状況に追いついておらず驚いたように見開かれていた。

 サイクロプスの手には怪物に相応しい大口径の拳銃が握られていた。怪物は唸るように笑った。もはや隠密がどうだこうだという話では無くなっていた。いつも通り、敵の陣地を制圧すれば良いのだ。   

 だが―――。サイクロプスは堂々と移動しながら、カメラ・アイに最初の男の死体を再生する。グリップの無い銃―――おそらくニューロルータを人体に這わせることで土台とした。端子など必要としない、()()()()()()()()()()()()。さらに、飛び出た眼球に張った繊維―――おそらく、これもまたニューロルータ。それが、男の眼球に暗視機能を与えたのだと思考が飛躍する。

 画像がたった今殺した男の死体にスライド。こいつはゴミを発見した掃除ロボットみたいにプログラムされた動きに切り替わった。それもまた脳髄に張ったニューロルータの仕業だと断定する。

 さらに連想。MAGE―――技術の体系化を目指す傭兵にしてテスターたち。カメラ・アイに反響するホセの言葉―――『そんな連中が、この街に即席の銃工場を作って……根付くつもりか?』。まさに躰に根付いたニューロルータが、ヤツらの特異的な技術を躰に定着させる。武器ごとばらまいて、この都市に定着させる。

 サイクロプスの脳髄に思考が短絡して狂熱を発する。頭に銃を付けた馬鹿げた兵隊どもを量産してこの都市に根付かせ、パンギルの暴力のインフラを呑み込み、カンパニュラの支配を完全なものとし―――それで、どうなる?

 腐った海の臭いがする。肉を増大させ続け、糞をまき散らし続け、ただ生きるだけの畜生の臭いがする。

 カメラ・アイの内側に腐臭が充満する。怪物は獰悪そのものの笑みを浮かべながら、鉄塊のような躰を駆動させた。


///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////


 モニタには退廃的なフリーク・セックス・ビデオが映り、スピーカから漏れる嬌声が事務室に拡散していた。それを、会議机に肘をつきながら倦んだ眼差しで見つめる長躯の男は全裸で、病的に白い肌を露にしている。

 と、その時、ドアからノック音がした。

「失礼します」

 男の瞳がじっとりと動いて闖入者に向いた。入室して来たのはスキンヘッドの男で頭頂部には銃器がそそり立っている。

「あの、緊急事態なもので……」

 スキンヘッドはへどもどと言った。スキンヘッドの眼差しは長躯の男からその足元にとぐろを巻くそれと部屋の中央にある物体の間を行き来した。

「……解ってる。銃声ね」

 長躯の男が小さく呟いた。

「……は?あの、銃声がしまして……」

 男の声が聞こえなかったのであろうスキンヘッドが問い返した。

「侵入者ってパンギルってやつらかな?そりゃ怒るよね。来たのは兵隊かな?それとも、アイツらにも、私たちみたいのがいるのかな?」

 男はぼそぼそと言った。

 スキンヘッドは対応に困ってかドアの前でおろおろとし、結果的にまたそれと中央の物体を見つめるはめになった。パイプ椅子や会議机は折りたたまれて隅に追いやられ、代わりにビニールシートが部屋の中央に拡げられていた。

 血の拡がるシートの上には……惨殺死体。そうとしか表現しようのない、尊厳も、権威も、人間性も剥奪された骸だった。死体は、おそらく湾岸労働者の監督であろう、筋肉質の中年男だ。骸はズボンを半端に剥かれ、尻を天井に突き出した姿勢で……。

「じゃあ、準備しよっか」

 長躯の男が、今度は多少は響く声で言った。

「あ、はい。了解です。ボス」

「ノン」


「挨拶は私たちふたりにしておくれよ。ナポレオンとマレンゴ。ふたりで、君の”ボスたち”だ」


 長躯の男―――ナポレオンが立ち上がった。天井に頭を擦るほどの背丈だ。ナポレオンは異様に長い手足を伸ばし、机に置いていた二丁の長い棒状の銃をつまみ上げ、曲芸めいて瞬時に構えた。そして……

「行こうか、マレンゴ」

 ずずず、と床を擦りながら、ゆっくりと、それが……とぐろをまいていた()()()()()()()()()()()()()()()()。黒々とした皮膚の内側では海綿体の充血でなく、凄まじい筋肉の張りが認められ、さながら東洋の龍といった妖しさを醸し出している。


『……あぁ、次は愉しめると良いな』


 剥き出しの亀頭から、ざらざらとしたスピーカ越しの声が響いた。スキンヘッド男は緊張に全身を凝らせる。本来は果実のように瑞々しかろう陰茎の先端は今もって血まみれで、部屋の中央に鎮座する死骸にどのような残忍な所業を働いたのか察するに余りあった。

「さァて、行くかァ」

のんびりと言ったナポレオンのぎらぎらとした眼がどこか遠くを見据えた。その股間から伸びたマレンゴが宙をうねるように進んでドアを押し開けた。その全長は30フィートはくだらないだろうか……。マレンゴの残忍な声が廊下に響く。

『オレたちの力を思い知らせてやる』



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