八、夢の中の再会
私が立葵のツガイであることは何となくわかったし、凰でもいいかと思い始めた自分もいる。
でも、一番聞きたかったことはそれじゃない。
「立葵さん。先にこれだけ教えてください。私は人界には戻れないんですか? 家族や友人にはもう会えなくなりますか?」
自分がいた世界ではないかもと、鳥の巣にいた時から頭の片隅に不安はあった。その不安は現実になったけれど、立葵の話を聞いたあとでは取り乱すことさえ出来ない。
「今のままではそうなります」
「そんなっ」
はっきり言われると思った以上に堪えた。
「仙界に来て凰に戻ったばかりでは、仙気を上手く扱えないでしょう。このまま人界に戻ったとしても、姿を維持することすら難しいと思います」
「維持するって、元々人間なのに……」
「夏乃さんは、凰の外身を得て私の伴侶となったいま、同じ永い生を生きる為に既に人の外身を失っています。というより、ただびとに仙界へ渡る力はないのです。真の姿が凰であるからこそ、こちらにいらっしゃるわけで」
「じゃあ、この体は?」
自分の、人の体を見下ろす。
「夏乃さんが自分をそういう存在だと認識しているからでしょうね。仙気が満ちているこちらの世界なら、鳳凰は赤子でも姿を取れますから」
「私が凰なら両親は? 兄もいますけど」
「ご家族と夏乃さんは本性が違います。貴女は仙界で産まれるはずの凰でありながら、人として血肉を得て人界に生まれました。真に人ではないので短かかったでしょうが、私が探さなければ貴女はそのまま人として生を終えていたでしょう。人の伴侶を得て………………私が憎いですか?」
憎くなんてない。本能的に立葵が言っていることが本当だと感じられた私は、はっきりと首を振った。
「良かった。安心しました」
「それから?」
「訓練次第ですが、夏乃さんの人界行きはすぐには無理です。さっき言ったように、人型を維持するのも困難なはずですから。人界は仙界より気脈が薄いのです。あちらで人型を維持できると認められないうちは長の許可がおりないでしょう。凄い騒ぎになりますからね」
「あはは確かに。人界にいきなり伝説上の鳳凰が現れたら、捕獲大作戦が始まっちゃいますもんね」
自分の話なのに何だかおかしかった。ただ、一昨日までは平凡だと思っていた人生が、急に遠いものになった気がする。
「泣かないでください、夏乃さん。それまでは、私が人界の方と貴女の夢を繋げます。せめて夢で会えるようにしますから」
目を瞬くと涙が頬を流れていて、自分でも知らないうちに泣いていたことに気がついた。
「立葵さん、お願い。今すぐ両親に会わせてください。私が帰って来なくて、きっと探してる」
「ご両親にお会いになっても大丈夫ですか?」
「大丈夫。そうでなくても大丈夫にしますから。私を探して泣かれるより、ずっとまし」
「わかりました。そのまま私に凭れて目を閉じてください」
目を閉じると、立葵が私の瞼の上に手を翳すのを感じた。
『夏乃さん、聴こえますか? 』
立葵の声は聴こえるけど、姿が見えない。私の回りは前後左右、雲、雲、雲しかなかった。
「立葵さん、ここはどこですか?」
『夢の中ですよ。さぁ、ご両親の夢に繋ぎます。そのまま進んでください』
言われたとおりに歩いていくと、急に雲が晴れて、実家のソファに座る両親の前に立っていた。二人とも少しの間に窶れたみたいで顔色も悪い。肩も丸くてとても小さくなった気がする。
『父さん、母さん』
『夏乃!』『なっちゃんっ』
はっと顔を上げ、よろよろと立ち上がった両親にしがみつかれてよろめいた。ふらつく体で力一杯抱き締めてくる両親に申し訳なさでいっぱいになる。
『おまえ、一週間もどこにいたんだ!バカヤロー』
『なっちゃん、怪我は?』
『ごめんなさい、ちょっと遠いところにいたの。そんなに経ってるなんて思わなくて。心配かけてごめんなさい』
『連絡ぐらいしろ』
『いいのよ、無事ならいいの。お帰りなさい、お腹空いてない? ご飯は?』
泣いたり笑ったり怒られたり、三人ともぐちゃぐちゃに泣きながら、互いに手を握って長いこと他愛ないお喋りをする。
夢の中なのに、ちゃんとお母さんのご飯は美味しくて、それが余計に哀しくて辛かった。社会人になっても実家住まい、と馬鹿にされることもあったけど、今となっては少しでも長く一緒に暮らせて良かったと思える。
「二人に大事な話があるの」
食事を済ませたあと、やっとの思いで切り出した。両親が夢から覚める前に話しておかなければいけなかったから。
自分が凰となったこと。
もう只の人には戻れないこと。
立葵という鳳の伴侶がいること。
これからは仙界で暮らしていくこと。
実は今いるのも夢の中で身体は仙界にあること。
三人の夢を繋げて貰っているだけだということ。
姿を維持できるようにならないと、直に会いには来られないこと。
でも、いつかきっと会いに来ること。
全部全部、ごちゃごちゃになりながら懸命に説明したけれど簡単に信じてもらえるわけもない。両親に何度訊かれても、言葉を変えて同じ答えを返すしかない自分は何て残酷なんだろう。哀しすぎて、時々こうして夢で会いに来るからと言うだけで精一杯だった。
『お前はこんな酷い嘘を親につくような娘じゃない。だから……本当なんだろうな』
『うん。ごめん』
『そうよね。なっちゃん、嘘つく時は耳がピクピク動くはずだもの』
『へ? ウソ、それ本当?』
『ほんとよ。言っちゃうと隠そうとするでしょう? だから黙ってたの』
『どうりでいつも……』
『でもね、お母さん、ちょっと安心しちゃった。実はお母さん、なっちゃんをお嫁に出さなくてもいいかなーって思ってたの。ずっと一緒に暮らせばいいや、って』
『何それ。逆にひどくない? 私けっこう婚活頑張ったのに。ふたりが死んじゃったら、私、ひとりぼっちになっちゃうでしょ』
『そうね。だから今、なっちゃんに旦那様がいるって聞いて安心してるの。優しい人?』
『うーん、優しいけど、すぐ泣く人、人っていうか鳳だけどね』
『あはは、泣き虫の婿か。どれだけ泣くか見てやろう。お前と一緒に連れて来られないのか? それよりも、嫁の父親に挨拶もしないヤツは、ちょっとなぁ』
『ツィールルルー』
『父さん、今の聞こえた?』
『何だあれ』
『立葵だよ。私の伴侶の。父さんに怒られたから、慌てて挨拶したみたい』
『へぇー、鳳って、あんな風に鳴くのか』
『でも、一緒に来るのは無理かな。向こうで私の夢を繋げてくれているのが彼だから』
『そうか。ならお前が夢じゃなくて直に来られるようになったら、一緒に来い。…………おい、立葵、聞いてるか! 挨拶に来るより先に子どもをつくったりしたら、舌引っこ抜いてやるからな』
『お父さんたら、いいじゃないの。今どきそんなこと。もう、やぁねぇ男親って』
『ルゥ……ルルルー』
『アハハ わかりましただって』
夢の中なのに窓の外が明るくなってきた。そろそろ二人の覚醒が近いのだろう。三人共、そのことに気がついて沈黙する。
『なっちゃん。お母さん達、いつでも待ってるから』
『何もしてやれんが、ちゃんと待ってるからな』
『二人とも元気でね』
『なっちゃ……も……』『お……もな』
二人の輪郭が次第にぼやけて、雲に溶けて消えた。
兄の夢にも繋いでもらう予定だったけれど、どうしても立葵に確認したいことが出来て、今回は諦めることにした。