二十、隠密
木槿さんから、三人で考えた対策を桑花ちゃんと瑠璃さんに話して聞かせた。さすが筆頭従者だけあって、私が説明するより断然わかりやすい。
「このお屋敷の使用人の調査は私達におまかせください。誰が人界を悪く思っているのか、顔を見ればお答えすることができます」
「二人とも下働きでしたから、よく愚痴を聞かされましたので」
お役に立ちます、と言い切る、桑花ちゃんと瑠璃さんの顔は、やる気に満ち満ちていた。
二人によると使用人達の間で、立葵が人界から独りで戻って新居の準備を指示したことから、やはり仙界の凰から伴侶を選ぶことにしたのだと噂が流れたらしい。ところがすぐに人界出身の私が連れて来られ、勝手に喜んで勝手に不満を膨らませていたという。
嬉しくはないが、不満分子が自ら名乗りを上げてくれたと喜ぶしかない。
「奥様、がっかりされないでくださいね。ほとんどが人界から来られた奥様にどう接すれば良いのかわからないと、不安を口にしてるだけですから」
「そうです。お仕えして自分も蔑まれるのではないかと気にしているだけで………」
「大丈夫よ、気にしないで。皆が皆、悪く思ってるわけじゃないことはわかってるから」
気にして言いづらそうにしている二人に、開き直った私の強さを信じてもらいたくて、ヘラリと笑ってみせると、ふわりと微笑みが返ってきた。
「ありがとうございます、奥様。お言葉に甘えて申し上げると、三十名ほど人界と奥様を口汚く罵っている者がいました」
「『命令でなければここになんて来なかった。前のお嬢様にお仕えしていたかったのに』と、愚痴を言った者もいます」
バッと振り向くと、既に木槿さんは大量の身上書を抱えていて、二人の前に積もうとしているところだった。すぐさま、幾つもの山になろうとしている、それを指す。
「ここからその者達を探せますか?」
「「やってみますっ」」
俄然張り切った侍女二人が、猛然と身上書を捲り始めたのを邪魔しないように、少し離れることにした。その僅かな間にも、弾き出された紙が少しずつ積み重なっていく。
その厚みが増していくのをジッと見ていると、脇からそっと、お茶が差し出された。
「奥様。奥様には従者の他にも私の配下の者達をつけさせていただいておりますから、あまり不安になり過ぎませんように」
「そうなんですか、ありがとうございます。全く気づきませんでした。それで、その人達は今どこに?」
「おりてきなさい」
木槿さんが何故か、天井を向いて言う。
「ワッ!! 一体、どこから?!」
再び下ろした目線の先にいつの間にか、全身黒装束の男が立っていた。その出で立ちはまるで忍者にしか見えない。
その登場の仕方もサプライズのつもりだろう。忍者(推定)の鋭い目が、目を丸くしている私を見て愉快げに細まり、目しか見えていないのにニンマリ笑っているのがよくわかる。ドッキリ大成功!といったところか。
「してやられました。この人がいたから、立葵さんは私を小広間にも行かせたんですね?」
「はい」
物音ひとつたてない彼は、全く気配を感じさせることなく警護することも可能らしい。
一応、初対面には違いないので、取り敢えず挨拶だ、と黒装束の男に名乗ることにした。
「はじめまして。夏乃です。これからもよろしくお願いします。あの、お名前は?」
「……」
ふるふると首を振る黒装束の忍者(仮)。
「奥様、彼は隠密行動が多いので名を公表しておりません。どうぞお好きにお呼びください」
すかさず、木槿さんのフォローが入る。
(本物だ! 本物だよ!)
名前どころか、声すら明かせないなんてまさしく隠密で、ファンタジーになりつつある忍者に会えた喜びでいっぱいだ。自分こそファンタジーな生き物なのだが、それはそれ。今すぐ、屋根をシュタタタッと走って飛び越えて見せて欲しい。
「是非。是非、貴方をハンゾウと呼ばせてください。構いませんか?」
ハンゾウが両腕で大きな丸を作ったところを見ると、なかなかに明るくて面白い人らしい。なんで隠密をやってるんだろう?
物欲しげにお茶請けの菓子を指すので、どうぞと勧めると、嬉しそうに全部懐にしまう。──いや、全部とは言っていない、と、空になった皿を二度見して視線を戻した時には、既にハンゾウの姿はない。
目だけで喜怒哀楽を出せる忍者は、どうやら、大の甘党らしかった。
(本当に何で隠密をやってるんだろう?)
「全く、油断も隙もない。奥様、申し訳ございません──あぁ、立葵様がお戻りになりました。奥様をお呼びのようですよ?」
首を傾げていると、木槿さんの言うとおり、部屋の入口から戻ってきた従者達とは反対に、鳳姿の立葵が、露台からこちらを見ていた。近づくと、下りてきた首が私の頭に頬摺りする。
『露台まで結界を拡げておきました。窮屈さが少しは違うでしょう?』
「ありがとう。部屋も十分広いけど嬉しいです」
ひとりでは飛べない私への思い遣りだろう。
鳳姿だと、優にニメートルを越す立葵が羽ばたいても支障のない部屋は、市民体育館くらいの大きさがあるのに、気にしているとは思わなかった。
『夏乃さん、凰になってついてきて欲しいところがあります』
「いいですけど、まだ自力では難しいのでお願いしていいですか?」
頷いた黒鳳の額が私の額につくと同時に視線の高さが上がる。今回は脚が露台についたままなので心臓にも優しかった。
ぐぐっと、羽を広げて伸びをする。
『何処に行くんですか?』
『すぐにわかります』
二人だけで飛び立ち、数日前に訪れた泉を飛び越えて更に飛び続けると、雲海の隙間に、立葵の屋敷と同じ朱色の屋根が見えてきた。
『あそこが兄が籠っている離宮です』
その屋敷が見える岩山の頂上に降り立つと、立葵が静かに告げた。
『夏乃さんは、身を守る結界を自分で張ることが出来ません。これからもずっと』




