十五、兄の説教
「二人で私の悪口をアテに酒盛りですか?」
「お酒じゃなくてお茶ですから。木槿。言ってやってください、さぁ!」
お腹いっぱいで動きたくないのと、拗ねる立葵が煩わしくて、あとはおまかせしますね、と目力を込めて丸投げする。
「立葵様、大切なお話がございます。此方にお掛けください」
苦笑しながらも、有無を言わせず私から立葵を離してくれている隙に、のそのそ寝台にあがって高見の見物を決め込んだ。
浮かれて私の食事を忘れていたことを、こんこんと説教され、大きな体と羽を縮めている立葵に対し、長く仕えているせいか木槿さんの言葉には丁寧ながらも遠慮がない。
「やーいやーい、いい気味だ」
笑って見ているうちに眠くなってきた。
兄さんの夢に繋いでもらおうと思ったのに、と思いながら柔らかい布団に潜り目蓋を閉じる。
『おい、起きろバカ!』
『ふわぁえぇー? 兄ちゃん? どうして?』
『どうしてだとぉ、このうすらボケっ、父さん達から全部聞いた! お前が行方不明になってから、散々探し廻っていたのに急にやめろと言われて。心配して駆けつけてみれば〝夏乃は鳥になった〟と言われたこの俺の! 両親が発狂してしまったと目の前が真っ暗になった、この俺の! この怒りを思い知れぇぇぇ』
『いでゃい、いでゃい、でぃぎれるっ』
立葵が夢を繋いでくれたと気づいたところで、久々に会った兄に両頬を捩りあげられる。
普段余り喋らない兄の怒涛の口撃に、夢の中とはいえ寝起きの私に口を挟む隙はない。
百九十センチを超す元プロバスケ選手だった兄、龍一の腕を、爪先立ちになりながら涙目でタップし続けること数十秒。
『チッ まだ全然スッキリしねぇ』
恐ろしいことを言いながら漸く手を離してくれた。
(夢でも痛いなんて。私の頬、ちゃんと元に戻ってる?)
『兄ちゃん、信じてくれたんだ?』
熱くなった両頬をガードしながら訊く。
『いや、信じてなかった。でも父さんも母さんも同じ日に同じ夢を観たって言うし、あの二人が思い付くような設定じゃない。何より二人が狂ったなんて思いたくなかったからな』
ギラッと睨む龍一から、サッと視線を逸らす。
『お前の旦那かアレ? さっき黒づくめの奴が勝手に現れて、お前が会いたがってる、って言いに来たんだよ』
『へ?! 立葵さんが?』
『立葵って言うのか。 時間がないからって名乗りもしないで行こうとするから追いかけてきたら、お前が呑気に寝こけてたってわけ。気持ち良さそうに寝てるのを見たら、もう腹がたって腹がたってさー』
『う"ぅ、ごめんなさい。でも兄ちゃん、すぐに連絡しようと思ったんだよ。父さん達に夢で会ったのも夕べだし』
『はっ? 一昨々日の話だぞ?』
『そうだった。あのさ兄ちゃん、私も知らなかったけどね。こっちとそっちで時間の流れる早さが違うらしいんだよね。そっちが倍以上早いの』
『はぁぁ?! そんな、それじゃお前、』
『うん、兄ちゃんの言いたいことわかるよ。だから、なるべく今みたいに夢で会いに来るつもり』
『そっか……早くこっちに来れるようになるといいな』
『うん、頑張るよ』
『で? お前、鳥なんだろ? 見せてみろ』
『さすが兄ちゃん、順応が早いなぁ。鳥じゃなくて凰だってば』
『鳳凰だって鳥だろ? いいから早く』
『自力ではまだ変化出来ないよ』
『いいから。ホラ、やってみろ』
長男特有の〝俺の言うことが訊けないのかオーラ〟を出しながら、全く引く気がなさそうな兄に溜め息が出る。
まぁ夢だしね、と思ったら、アッサリ凰の姿になっていた。
『おおっすげぇな。鳥だと俺よりでかいのか』
兄を見下ろすのは初めてだ。ぐるぐる私の回りを廻って見物した兄が、満足げに頷いたのを見て人型に戻る。
『でも冠羽? 鶏冠? と尻尾以外、真っ白なんだな。鳳凰ってもっと派手っていうか、カラフルなんだと思ってた』
『立葵さんの父親がそうだったみたい。最近は一色とか、多くて三色でほとんど色交じりらしいよ。数が減ってそうなったんだって』
『お前まさか、一夫多妻、一妻多夫……』
『違うよ! 確かに鳳が減ったそうだけど、伴侶はひとりだけみたい』
『ならまぁいいか。あれぐらいで』
『あれぐらいって、立葵さんに何かした? まさか殴ったりしてないよね?』
『アイツ、〝急に妹さんを奪って申し訳ありません。夏乃さん淋しがってます。会ってあげてください〟って、そればっかりだったからな。そういう奴なら、まぁ大丈夫だろ』
(だよね、兄ちゃんも落ち着いたもの。そんな簡単に殴ったりしないよね)
『そっか……兄ちゃんも、ありがとう』
『いいさ、ちゃんと殴っておいたし』
『ええぇ!?』
(やっぱり殴ってた。全然落ち着いてないよ、このひと)
『そのぐらい、いいだろ? 兄ちゃんだって、もう少し妹といられると思ってたんだ』
『自分はさっさと結婚して出てったくせに』
『それはそれ、これはこれだ』
相変わらず横暴な兄だけど、一応妹思いではあるから立葵には私から謝っておこう。
そんな妹の気遣いを知らない兄が、興味津々といった様子で身を乗り出した。
『それより、お前は大丈夫なのか? まるっと変わっちまっただろ? いろいろ』
『うん。だいぶ泣いたけど、もう落ち着いたし平気……じゃない。……帰りたい』
『どうした?』
『まだ全然馴染めてないし、今から貴女の世界はここです、なんて言われてもね。帰る場所を奪われたみたいで、居場所が失くなった、みたいな』
『バッカ、お前ホント馬鹿だな。何もなくなってねぇよ。増えたんだよ、居場所が。なかなか会えないのも、簡単に戻れないのも外国に嫁に行きゃぁ、おんなじだろうが』
『嘘みたい。異世界を外国で片付ける?』
『行ったっきりじゃないなら、同じだ』
『……兄ちゃんにかかるとその程度になるんだ。何か悩んでるのが馬鹿馬鹿しくなってきた』
『お前が考え過ぎなんだよ。ほら、ついでに聞いてやるから愚痴でも何でも吐け、オラ』
『うん、聞いて聞いて。鳳凰ってね、凄い偉いさんみたいでね、おまけに立葵さん、だいぶ良いとこの坊っちゃんで。あっ八咫烏がね、従者なんだよ? どんだけだよって思わない? 今日だって、侍女と従者を選べって言われてさー、疲れたー。おまけに今度、御披露目会するんだって』
ぐでぇっと崩れる。
慰めてくれるだろうと思ったら、以外にも兄は険しい顔をしていた。
『お前、さっき減ったのは鳳だと言ったな? で、旦那は良いとこの坊っちゃんなんだな?』
『うん。次期長なんだって。それにいろいろあって、若い成人の鳳は立葵さんだけなんだ』
『はぁ?! お前、そんなんで御披露目って大丈夫か?』
『何が?』
『いや、いい。戻ったら旦那に言っとけ。集団は怖いぞ、ぽっと出の異質なものに対しては特に、ってな』
『そう? よくわからないけど伝えておくよ。どうせ聞いても教えてくれないんでしょ?』
『ああ』
『ちぇっ』
(せっかく慰めて貰えると思ったのに。あっ、しまった。立葵さん聞こえてたかな)
『とにかく。こっちからは行けないんだ。何かあったら、お前でも旦那でもいい、相談しに来い。住む世界が違っても俺は兄貴だからな』
『兄ちゃん……』
しんみりしていたら、急に周囲が明るくなる。せっかく会えたのに夢の終わりが近づいて来ていた。
『そういやお前、来年叔母さんになるぞ』
『ちょっと! それもっと早く言って!』
私が全部言い終わらないうちに、したり顔の兄がぼやけて消えた。どうやら木槿さんに親近感があったのは兄のせいだったらしい。




