十三、不安の種
帰りはもちろん上りだ。
(何だろう、この怠さは異常よ)
自室が見えないせいで余計に疲労感が増す。
「奥様、大変ご立派でした。名優の素質がおありですよ。ですが今日から侍女をお付けになった方が宜しかったのでは? お疲れでございましょう?」
「ええ、本当に疲れました。なので、戻ったら寝台から動かず究極の怠け者になります。そんなこと、彼女達がいたら出来ないでしょう? もしかして問題なかったりします?」
「それはちょっと」
「でしょうねぇ。明日からは自室でも気を張る生活かぁ」
「ご心配要りません。お一人になりたい時は下がるよう仰れば良いのです。奥様の許可なしにお部屋に出入りできるのは、立葵様と私だけですから」
「?」
「守護結界ですよ。私をご紹介いただく際、立葵様が手を叩いて名をお呼びになったでしょう? ああやって名を呼んで戴けると入ることが出来ます」
(認証付きオートロックのようなものか)
「便利な結界ですねぇ」
「ククッ 便利ですか。さすが立葵様の奥様でいらっしゃる。立葵様も結界をお張りになって一番に『便利だろう?』と仰っておいでした」
遠回しに似た者夫婦と言われて、恥ずかしい。
「奥様、お尋ねしても?」
「はい、どうぞ」
「先ほどの者達をどう思われました?」
「うーん、そうですねぇ。桑花ちゃんは元気で一生懸命、瑠璃は控え目で丁寧。青嵐は真面目で堅物、疾風は謙虚で物腰が柔らかくて、野分は元気でやる気いっぱい。花信は苦労人な頑張り屋、と思いました。合ってます?」
「さすがです。ただ、ひとりだけ不安がある者がおりまして……奥様の選択をお止めしなかったのは、まだどちらに転ぶかわからないからです」
(止めてよぉー、自信たっぷりに目が確かだったとか言っちゃったじゃない)
「木槿、六名のうちの誰ですか? 今から取り消したりなんかは……」
「取消しはお辞めになった方が宜しいかと。余程のことがない限り、上位の者が撤回してはいけません。簡単に取り消されるようでは下の者が指示に従いにくくなります」
(わかる。わかるよ、上に振り回される気持ち。でも)
「木槿、ヒントください。このままだと全員を疑ってしまって誰も呼べないと思います」
「お教えするのは構いません。ですが、過度に用心しないでいただきたいのです。その者が道を違えると決まったわけではありませんので」
(確かに。疑心暗鬼は良くない)
「わかりました。立葵さんには伝えても?」
「立葵様はご存知です。近々ご自分のお側におこうとしていらっしゃいました。奥様がお選びになったとお知りになったら、心配なさって離れようとなさらないでしょう。大変ですね」
木槿さんがしれっと言う。
「もしかして、わざとですか?」
「いえいえ、私は資格が有る者を揃えただけで、お選びになったのは奥様ですから」
笑顔の裏に黒いものを感じる。
(絶対、確信犯だ)
「ですが、結果としては上々です。奥様があのように仰ってくださったお陰で、立葵様から疑われているとは思わなくなったでしょうし。今ならご新婚ですから、立葵様と始終一緒におられても怪しむ者もいないでしょう」
完全に手玉に取られてしまっている。
(このひと狸だ。どうしてくれよう)
「この狸はご信頼いただいても大丈夫ですよ。お二人に仇なす者を許すつもりはございませんので。それにこの狸、使い勝手も大変良いと自負しております」
「あのぅ、私また漏れてました?」
「はい。お口ではなく、お顔の方にですが」
「ハァ、木槿には勝てる気がしません」
「いえいえ。凰の奥様には敵いませんとも。それより奥様、先ほどはありがとうございました」
「急に何ですか?」
突然、木槿さんが真剣な顔になったので、つい身を引いてしまう。
「私が立葵様の代弁者であるとのお言葉が非常に嬉しかったのです。従者として主に重ねて頂くことは、この上ない栄誉ですから。この木槿、これからも身を粉にして務めさせていただきます」
頭を深々と下げる木槿さんに戸惑ってしまう。
「ちょっと待って、立葵さんが信じていいって言ってたから。えっと、だから、御礼は立葵さんに言ってください。それより誰なんですか? その不安な者って」
やっと木槿さんが顔を上げてくれた。
「青嵐です」
「え? 野分じゃなくて?」
お調子者っぽくて、煽てたらすぐに乗っちゃいそうな野分だと予想していたのが、まさかの堅物真面目な青嵐。
「彼の忠誠心は本物です。ですが、その忠誠心を利用しようとする黒幕がいるのです」
「誰なんですか?」
「残念ですがお教え出来ません。軽々しく口には出来ない方なのです。立葵様もお口にはなさいません」
(鳥のなかにも陰謀が。自由に羽ばたくイメージがどんどん崩れていくなぁ)
私はまだ立葵さんと木槿さんの他に、誰を信じていいのか判断する材料を持っていない。下手に知って漏らしたりするより、知らない方が安全だ。
「青嵐は、まだ何もしていないのですよね?」
「はい。これからも踏みとどまって欲しいのです。あれは本当に哀れな男なので」
「真面目そうなのに何があったんですか?」
「立葵様がお話になられたと思いますが、青嵐は立葵様の兄、銀朱様の伴侶であった芙蓉様の従者だったのです」
「お亡くなりになった……」
「はい。芙蓉様に望まれて、調停に向かった銀朱様の護衛に向かっている間のことでした」
「従者の生き残りなんですね」
「ええ。青嵐以外は隼だけでしたので。そのせいで、芙蓉様の指示だったと証明する手立てがなく、護衛を放棄したと仲間内から疎まれているのです」
「青嵐が嘘をつくようには見えないですが」
「立葵様も私もそう思っております。ですので、立葵様の側におき、黒幕とおぼしき者が近づけないようにする予定でした」
「そういうことなら、すぐに不安がる必要はなさそうですね──それにしても部屋が遠い……」
「ずいぶんお疲れのようですねぇ。もう少しです。頑張ってください」




