十、吐露
私の前をあまり背の変わらない木槿さんがピンと背筋を伸ばして歩いている。
背中で揺れる髪まで真っ直ぐだ。
「こちらでは男性も髪を伸ばして結わえるのが決まりなのですか?」
何となく気詰まりで、どうでもいいことを口走ってしまった。
こちらを振り返った木槿さんの足が、少しだけ緩む。
「護衛など、武を担当とする者は短く致しますが、大抵はそうでございますね。特に鳳凰一族の場合は、立葵様のように長い御髪をしていらっしゃる方がほとんどでございます」
そう言って髪紐を見せて茶目っ気たっぷりに笑ってくれる。
「私は鳳ではありませんが、奥様にお会いするのでお洒落してきました」
「あは、それはありがとうございます」
緊張を解そうとしてくれているのはわかったけれど、それっきり言葉がでなくて、また黙々と歩く。
朱塗りの回廊の途中、一回り大きな柱の手前で木槿さんの足が止まった。
「奥様、御足労いただき申し訳ございません。これから奥様には従者と侍女をお選びいただくのですが、あの柱を境に結界が張られておりますので許可のない者は入ることが出来ないのです」
(結界?! そんなものがあるの?!)
「そ、それは安心ですね。どなたが張っていらっしゃるんですか?」
「もちろん鳳でいらっしゃる立葵様です。お屋敷全体だと差し障りがありますので、お二人の私室と執務室の他は、お客様をお招きする離れに結界が張られております」
「はぁ」
「ですから、屋敷内であっても結界の外では、これからお選びになる侍女と従者を必ずご帯同ください」
「わかりました。木槿さ、いえ木槿。従者と侍女には何をお願いすればいいのですか?」
人界と同じとは限らない。結界なんて摩訶不思議なものがあるなら、今のうちに確かめておいた方が良さそうだ。
「あちら、つまり人界とは少し違うかもしれません。侍女は奥様の身の回りの御世話からお話相手まで、奥様の日常の御世話といった内向きのお勤めを致します」
「なるほど」
「従者はお屋敷の外の者との遣り取りや、奥様が外出される際の護衛も兼ねております。ご公務のお手伝いもございますので、どちらかといえば外向きを担当しているといって差し支えないかと」
「内向きと外向き。わかりました。ですが、一日中一緒にいなければいけないのですか?」
「いえ、従者は夜間も巡回しますが、侍女はお休みになる前までです」
「そっか。なら八時間の交代勤務でお休み要員を入れたら四名選べばいいの? 私ひとりの為に? 第一、ここって一日二十四時間なの?」
「フフ 奥様、お心の内が大変漏れ出ておいでですよ」
「ぎゃっ?!」
「大丈夫です。私は立葵様の筆頭従者ですから」
ブツブツ考えていたら、全部口に出していたらしい。木槿さんが意味深に笑ってみせるところをみると、立葵も色々やらかしているのかもしれない。
(信用しても大丈夫だと言ってくれてるのよね、きっと。このヒトやっぱり良いひとだ)
「木槿、聞いてくれますか?」
「はい、何なりと」
「私、まだ何の覚悟も出来ていないんです。伴侶だと言われたのも昨日で。 ──空を翔んだのだって初めてだし、気がついたら凰になってるし、次から次にいろんな事が押し寄せてきて正直、流すので精一杯なんです」
吐き出したせいか、どっと疲れが出てきた。言葉も戻ってしまっている。
「それにその、私を想ってくれているとは聞いたのですが、とても信じられなくて。鳳凰って、ツガイなら無条件に好きになれるものなんですか? 出会ってすぐに躊躇いなく夫婦になれるほど? まだ出会って三日なのに」
「立葵様にそのお話はされましたか?」
「いいえ。……私、卑怯なんです。あんなに喜んでいるのに、夫婦になるのを迷ってるなんて言えなくて。こちらでは彼以外に頼れる相手がいないから。なのに気持ちを利用してる自分が嫌で……だから、さっき、伴侶だって紹介されて怖くなってしまったんです」
もう吐き出さないと限界だった、と溢す。
「立葵様が大変浮かれておいでだと思いましたが、まさかそれほどとは……」
「奥様なんて呼ばれるのも木槿さんが初めてで、もう……ハァ」
「夏乃様、ご心配は要りません。利用しているなんてお気になさらなくて大丈夫です。浮かれポンチな立葵様など、お気持ちが追いつくまで待たせておけばよろしいのですよ」
「浮かれぽんち……本当にそれでいいのですか?」
「ええ。ご自分の奥様になられる方をここまで不安にさせている立葵様が悪いのです。──ですが、折をみてお気持ちをお話になってくださいね」
「ありがとうございます。少し楽になった気がします」
「いえいえ。にしても、立葵様はまったくもう」
「ですよね……」
「「 ハァァ…… 」」
ふたりで顔を見合わせ、もう一度溜め息を吐く。
「仕方ありませんね。既に長をはじめとして皆様方に、夏乃様がおいでになったことは知られております。頑張って頂くほかありません」
「そうですよねぇ。ハァ、自信ない……」
「大丈夫ですよ、夏乃様。「奥様」のお芝居をされていると思えば宜しいのです。そのうち自然に身につきますから」
「お芝居、ですか?」
「ええ。立葵様もお得意ですよ」
「立葵さんもそうだったんだ……」
「『だった』ではなく『している』でございますよ。奥様もご覧になったでしょう?──ではそろそろ参りましょう」
使用人達が通る区画に入る前、木槿さんが、ニヤッと笑って人差し指を口許に当てた。
立葵以外に少なくともひとりは信用出来る人ができて、少しだけホッとする。
(気合いいれないと。お芝居、お芝居)
「奥様」という仮面を被り、木槿さんの頼もしい後ろ姿についていった。




