理不尽な転移 4
中隊長に追い払われた俺と嶺善さんは、再びもとの塹壕へと戻ってきた。
「班長、厄介払いはどうなったんです」
例の堅気じゃなさそうな強面の男が、悪びれもせずそう聞いた。
「ああ、我々でしばらく保護しろとの命令だ」
「そうですか……おい、そこのガキ」
こっち向かないでくれ。怖い、メチャクチャ怖い。内心ビクビクしつつしながら返事する。ガキって、たぶん俺のことだろうし。
「はい、なんでしょう」
「分かるな、ここは殺し合いしてる戦場なんだ。正直俺たちは面倒ごとなんざ抱えたくねえ、なんなら今ここで殺して『捕虜が暴れたので始末しました』とでも報告すりゃあコトは丸く収まる。それくらいお前の立場は微妙だ」
たぶんこの人がここのリーダーだったら俺はとっくに殺されてそうだな、とまたビビる。
「……おとなしくしてます」
「それでいい、だが妙な事したら即殺すからそのつもりでな」
そう言い残し、男はその辺の壁にもたれかかり銃剣を磨き始めた。
「まあ、彼の言う通りにはせんから安心しろ」
そうフォローしてくれる嶺善さんが、今の俺には神だか仏だかに見える。多分この人は開明的かつ紳士的で、おまけにあんな怖そうな男を従えるだけのカリスマ性も持ち合わせているんだろう。
「えぇ、まあ言ってることはわかりますし、私としても無用な疑いは避けたいので……」
「うむ、それでいいだろう」
嶺善さんは懐から手のひらサイズの箱を取り出し、中から煙草取り出した煙草を吸い始めた。箱も銘柄も見たことがないものだ。
俺の中で、なんとなく(現実的でも論理的でもないが)この状況がどういうことなのかうっすら答えが出始めてきた。何故か日本語は通じるがここでは”日本語”じゃない、台湾という地名はどうやら存在するらしいが俺がいた場所とそこそこ離れている、そして周囲に広がる光景と雰囲気。物凄く大げさなドッキリとかそういうものでもないと思えてくる。
馬鹿馬鹿しいが、ここは俺のいた世界じゃないんじゃないかなって、そう思えていた。
「すこし、話をしようか」
そう言って嶺善さんはその辺の岩に腰掛けた。俺も倣って近くに座る。
「とりあえずだ、最低限ここがどういう場所なのかってことを分かってもらいたい」
「はい」
大きく煙を吸って、ゆっくり吐き出す。体にはよくないのだろうが、軍服に煙草ってなんか”映える”気がする。
「まずだ、とっくに理解はしているだろうが、ここは台湾中央部のとある丘陵地帯で、今は戦場だ。我が国とイギリス王国が争っている」
……。
「断続的な戦闘が続いてはいるが、今は一時休戦状態。今は午後8時で……翌朝の6時から再び戦闘が開始される」
「夜の間は戦わないってことですか」
「協定の上では、そうなるな。そして実際、この戦いの中ではお互いに一度の協定違反もしていない」
戦う時間が決まっている戦争。まともに一時休戦が成立する戦争、か。
「そして……お前の言い分を一旦受け入れたうえで。まず”常識”のすり合わせを行いたい」
ついに来たか。
「お前は”日本国”出身だといったな。私は立場上、アジアに存在する国や地域については詳しいつもりだ。そして、今現在”日本国”などという国があるとは聞いたことがない」
「……はい」
俺の予想が、確信へと近づきつつある。
「昔の国号にそんな呼称はあったような気はするが。そもそも、我が国の管理下にないにも関わらず同一の言語を使用している国など存在しないはずだ」
「そう、ですか。日本国はこの世に存在しない……。」
「その通り。そして、我が国の名は」
嶺善さんは一呼吸おいて、俺としっかり目を合わせたうえでハッキリとこう言った。
「我が国の名は、”皇国ひのくに”である」
その後、俺は日本国についてできる限り丁寧に説明した。極東地域(この呼称はここでも通じるようだ)に位置する島国であること、日本語を話すこと、今俺が喋っている言葉が日本語であること。それから、知っている限りで国の歴史についても触れた。成立した経緯、各時代の支配者の名前、現在に至るまでの国際情勢等。素人知識だが、少なくとも概要は伝わるように言葉を尽くす。そして嶺善さんからは”皇国ひのくに”について同様の説明を受けた。
そこで、わかったこと。
まず、地理的に見て日本国と皇国ひのくには”全く同じ場所に存在している”ということ。次に、その国の成り立ちや歴史に共通して良そうな点がいくつもあること。相違点も少なからずあるようだが、かなり「似ている」と言って差し支えないだろう。
そして、俺は結論を出す。何度考えてもやっぱり馬鹿馬鹿しいが、やっぱりそういうことなのだろう。最近流行りのフィクション作品でよく見る、そういう展開。俺の知っているものと少し異なるが……。
「お前のいたという国と我が国は、事情が非常によく似ている。しかし我々は日本国など知らないし、お前もひのくにのことを知らなかった。そして同じ言語を用いている、お前にとっての日本語、我々にとってのひのくに語。」
何本目かの煙草に火をつけながら、彼は俺にこう問いかける。
「なあ、刻峰将平。お前は、この現状をどう理解している?どう判断する?」
分かってもらえないかもしれない。折角理性的に話ができていたのに、あまりの馬鹿馬鹿しさに信用を失って狂人扱いされるかもしれない。
でも、俺にはやっぱりそういうことにしか思えない。ここで嘘をついても良いことはないだろう。俺は、俺なりの結論を正直に口にした。
「私は、私が元居た”日本国のある世界”と、今居る”皇国ひのくにがある世界”は別物であると考えます。そして理由は全く分かりませんが、元居た世界からこっちの世界に飛ばされた、そう考えます」
ああ、言ってやった。言ってやったとも。
「そして、恐らく時代観も違います。ここは、私がいたより100年程前の時代によく似ていますね」
そう付け加えさえした。