理不尽な転移 2
俺は、夢を見ていた。その時見ていたのが何の夢なのか、ハッキリ覚えていない。だが、夢の途中で何か大きな衝撃を受けたことだけは鮮明に記憶している。
* * *
意識が覚醒する。今しがた覚醒したばかりの聴覚に、鈍い轟音が鳴り響く。続いて爆発音。数秒に一度のペースで鳴り響くそれは、戦場跡で見る夢にふさわしいんじゃないかと、その時点の俺には割とすんなり受け入れられた。
そこで気づく。そういえば俺は、寝転がってる最中に砲弾の落下をモロにくらったはずなのだ。慌てて目を覚ますと、まずどんよりした曇り空が目に入る。上体を起こすと、強烈な臭気が鼻を突いた。ここまで強烈なものは初めてだが、土の臭いに混じった硝煙の臭いと、そしてうっすらと鼻を突くような錆びた鉄の臭いとをハッキリと感じた。
状況を掴めないままに周囲を見回すと、どうやらここは草の一つも生えていない土地……不毛地帯といったとところか、そういうものに見える。おまけに地形は酷く凸凹していて、まるで映画やドラマで見た日露戦争当時の旅順や二百三高地のようである。
ここが映画か何かの撮影地であると言われれば、俺は納得できたかもしれない。だが、リアルすぎる。音も臭いも雰囲気も、あまりにリアルすぎる。さっきは気づかなかったが、轟音と爆音に混じってより小さな破裂音――直感的に銃声だと判断できるような音が断続的に鳴り響き、間を縫って怒号や叫び声が聞こえて来るんだ。
ヤバい。何故かは知らないし、本当に意味不明だし、あまりに脈絡のないことではあるが。俺はどうやら戦場(としか思えない場所)にいるらしい。流れ弾にでも当たったら死にかねないし、先ずは逃げなきゃ。なんでこんなところに?目覚める前の砲弾は?そんなことは後回しだ、先ずはここから少しでも離れたところに……
もう一度周囲を確認しようとした瞬間、後ろの襟を掴まれる感触。そして一気に地面に叩きつけられ、無防備な後頭部と肩に強い衝撃が走る!
「痛い」という感想と、「殺される」って恐怖が同時に覚え、だが頭を強く打ったばかりで身動きはとれず、恐る恐る目を開く。そこには、一人の軍服姿の誰かがいた。
現代人から見れば骨董品にも見えるようなデザインの軍服、黒地にところどころ赤いラインが入っている。腰に巻いたベルトには、革製と思われる小さな入れ物と水筒、それに手榴弾のような形状の何かが括り付けられている。軍服同様の色合いをした軍帽をかぶり、こちらに銃を向けている。木製ボディのこれまた古めかしいデザインのライフル銃。そして顔の方を見ると、目に入ったのは綺麗な肌をした長髪の女性。
……女???
倒れたままの俺に銃を向けながら、女は言う。
「あなた、だれ」
色々と意外過ぎて状況がつかめない。なんだこれ。我ながら馬鹿みたいにぽかんとしてしまい、何も答えられない。
「民間人?ここの住民?なぜここにいるの」
本当にわからない。何から考えていいかもよくわからない。パニックというか、頭が真っ白って言葉がちょうどいいかも。
「……何も答えられないの?そもそも言葉が通じてるんですか?」
確かに言葉はわかった。紛うことなき日本語である。ここにきて、ようやくマトモに応答できる余裕が生まれた。
「あ、ええと…はい、通じてます」
「じゃあ答えて。あなた誰?」
表情を一切変えない(最初から無表情だが)まま、女は俺に問い詰めた。よくよく見ると割かし美人で、キリっとした顔立ちは、黒を基調とした軍服がよく似合っているようにも思える。
「えっと、日本人旅行者です。何のことだかよくわからないのですが、ここはどこなんですか?」
そう答えた瞬間、女は黙り込んだ。そしてごく僅かなタイムラグの後、再びライフルの銃口を俺に向けて、
「魅夜、どうした」
別の者の声が割り込まれてきた。
「……なんだ、そいつ」
続けて不思議そうに俺を見ながらそう呟いた。似たような服装をした男。女の方もそうだが、恐らく年齢は20前後といったところか。
「不審者。殺そうと思って」
まっすぐに俺の目を見ながらそう言い放つ。『殺そうと思って』、その言葉で思わず身震いする。銃口は明らかに俺の方を向いているし、先ほどの応対から俺を”殺すべき対象”と捉えていることは想像に難くない。
「不審者……ね。なあお前さん、誰なんだ?」
先ほどと同じ問い。未だに頭が回らない俺は、同じような返答をする。
「ええと、日本人です。ここは…えっと、中国ですかね。遼寧省の旅順口区の山の上…?」
日本人?旅順?あー……魅夜、聞いたことあるか?」
「ない」
冷たくそう答える。さっきからこの人は微動だにしていないし、相変わらずの無表情でずっと俺の方を見ている。いやむしろ、若干目つきが険しくなったような。
「え、でも言葉通じてますよね。話してるの、日本語ですよね」
「日本語って何だ?このあたりにそんなマニアックな国あったっけか」
「…適当に誤魔化してるようにしか思えない」
比較的フランクに話してくれている男に対して、女の方は相変わらず不信感を表明。
「いや、嘘なんて言ってません。というか、ここどこはなんですか?あなたたちは誰なんですか?」
たまらずこちらからも質問する。こちらが問い詰められる側なのは理解したが、状況がわからなさすぎる。話がかみ合ってない。あちらさんと同じように、俺も色々と違和感を覚えていた。
「どこって、台湾。台湾のど真ん中だ」
「台湾?」
「いや、場所分からないってお前…無学には見えないが、自分の居場所も知らないって色々ヤバいぞ」
「やっぱり怪しい。あまりに不自然です」
全く話がつながらない。会話のキャッチボールこそ成立しているものの、お互いの常識が違いすぎて話になってないような感覚。
……今更ながら思い知る、突然の砲弾落下に女性軍人の登場と不思議(というかもはや理不尽)な出来事が立て続けに起こったせいで現実感が湧かないものの、俺は今殺されかけている。このままモタモタしていたら順当に殺される。ヤバい。
夢?いや、そうじゃない。先ほどから五感の全てがこれは現実だと俺に訴えかけている。馬鹿げているが、そう割り切るしかない。意味不明?後で考えろ。今はこの「何か怪しいから殺せ」状態をどう切り抜けるかだけに集中するんだ。
頭を回せ。考えろ。こういう時にできる最上級の潔白主張は。今この時、あらぬ疑いで殺されないためにはどうすればいい。一瞬で都合のいいストーリーなんて思いつかないし、力づくなんて無論不可能だ。考えろ。考えろ。考えろ。
数瞬したのち、結局俺は一番シンプルでどうしようもない手段を取ることにした。
「できる限り、正確にお話します」
正直に、一切の嘘も誤魔化しもすることなく、とにかく誠実に話す。警察に取り調べでもされているようなつもりで、とにかく情報の齟齬が無いよう正確に。男の方もそうだが、女の方も少しだけ聞く姿勢を持ってくれた……ような気がする。
「俺の名前は刻峰正平、福岡県に住んでいる日本人で、21歳の大学生です。とある理由で中国に来ていて、さっきまでは遼寧省旅順口区、ちょうど旅順要塞望台砲台跡地にいました。」
分からない。相変わらず俺の話はマトモに通じてないかもしれない。だけど、誠実に。誠実に話せ。一歩間違えれば殺されるんだ。
「そこに突然砲弾らしきものが降ってきて、死んだと思ったら今ここにいました。意識が覚めて混乱しているうちにそこの女の人と接触した……というのが事の次第です。信じられるかはわかりませんが、全部本当です。何一つ嘘は言ってませんし、全て事実です。本当です、信じてください…!」
今の俺にできるのは、とにかく嘘偽りのなく正直に話しているという”態度”そのものだ。それ以上にマシな返答を、俺は思いつかなかった。
「誓って、本当です。嘘も誤魔化しも、何一つ言ってはいません」
渾身のダメ押し。彼らの耳に、俺の言い分はどう聞こえるのだろう。
女の方は、やはり表情一つ変えずこちらに銃を向けている。だが、黙りこくっているあたり何か思案しているのだろう。或いは、男の方に結論をゆだねているのか。男の方はというと、少しの間目を瞑って逡巡した後
「よくわからんが、わかった。嘘はついてなさそうだな」
とりあえず、俺の主張を信じてくれたらしい。