深淵の蒼~クラウス~
一年ちょっと前に書いた『深淵の蒼~世界を救って死んだのに続きがありました~』のクラウス版です。
当初こちらを対に書いて終わりのつもりの話でしたが、ありがたいことに連載をとの声をいただき、連載として続きを書きました。
そこで力尽きさらに遅筆なため、やっと書き上げたのがこちらです。
こちらだけでも単体で読めるようになっていますが、最初の話はこちらです。
https://ncode.syosetu.com/n9688ff/
楽しんでもらえたら幸いです。
夢に見るのはいつも同じ。
一瞬で滑り落ちた命。
向けられた闇の力に、あぁここで死ぬのだと思っていたから、何が起こったのか咄嗟に理解は出来なかった。
どうしてあんなことにと今でも思う。
最後に見たのは漆黒の髪と背中。
その時彼がどんな顔をしていたのかも分からない。
気が付くと魔王も背中も消えた空間に、1人で空に浮かんでいた。
「……」
一瞬の静寂。
カツンと無機質な音がして地面を見ると、師団長の証である紋章が落ちていた。
地上へ降りて拾い上げた瞬間の後、沸き上がったのは怒り。
何にかはよく理解できなかった。
生き残ってしまった自分へか、勝手なあの人へか、理不尽なこの世界へか。
分からないけれども堪えきれない何かがこみ上げてきた。
感情とともに、その怒りのままに、呪術を一気に放った。
そこから先は良く憶えていない。あまり思い出したくない記憶だ。
なのになぜ今でも、あの音だけは鮮明に覚えてしまっているのだろう。
痛みと共に。
第1魔術団師団長クラウス。
先の大戦で生き残り功績をあげた自分は一気に昇進し、生きた英雄とまで謳われることとなった。
魔族との戦争が終わったといっても、その爪痕は大きくどうにか普通の生活を営める迄には5年はかかった。それでもまだやることは山積みだ。
公爵家という高位の貴族の三男に生まれた自分は生まれた時から居場所などなかった。
厳格な父に、父の命令を従順に守る母親。
長兄は後継ぎとして大事に育てられ、次兄はスペアの意味も込めてそれ相応の扱いをうけていた。
パイプ役としての娘が欲しかったのだろうが、生まれたのは自分で。三男などそうそう使い道はなく。
他の貴族と同様国のためにと軍で生きていく術を叩き込まれた。
幼いころからたびたび王宮に預けられ、様々な修練を行うことを余儀なくされ、実地でいろんな所に送り込まれた。
しかし侯爵家の人間として、ぞんざいに扱われることはなく、どちらかといえば贔屓目に扱われる日々。
もともと美姫と言われた母親譲りの顔で侮られることも多かったが、それすらも武器にした。
人は、見目のよい相手から好意を持たれれば、悪い気はしない。常に穏やかに笑って適当に相槌を打っていればどうにかなるものだ。
心の中でどんなに罵詈雑言を吐こうとも、口から出さなければ誰も気づかない。
そうやってそつなく過ごした幼少期であったが、12歳になり魔力の鑑定を行ったところ稀なる魔力量が判明し、道は大きく変わっていった。
基本的に魔術を扱うことになると、魔術の学校へ行き、魔術団に属することが一般的である。
魔力は子供のころに無意識に行った魔法で発覚することが常だが、自分の場合には剣術を行っていたため、そこで魔力が発散されていたらしく気づきにくかったのだ。
何となく自分の剣が折れにくい。
遠征に同行しても何となく汚れにくい。
汗をかいて水浴びしてなくても匂わない程度の些細なものは、無意識に潔癖ともいえる性質が浄化を行っていたためと思われる。
そして12歳の遠征時、背後から襲われた魔物に剣で防御が間に合わず術で防御してしまったため、魔力を測定となったのである。
今になって進路が強制的に変えられるのにも納得いかなかったが、両親をはじめ周囲は当然のように剣を取り上げた。
ずっと努力してきたものを。
早くから鑑定してくれていればここまで来なくてもよかったのではないかとも思うが、周りに親しい人もおらず、屋敷にもあまり帰れず、上位貴族として幼いころより教育されていたために発見が遅くなったのだ。もちろん一切文句を言わず従った。
貴族なんて、軍なんてそんなものであり、何を言っても状況が変わることもない。
かくして今までとは全く畑違いの勉強を行うこととなった。周りよりスタートが遅い分人一倍努力することを余儀なくされた。魔術とはなにか。呪術とは何か。
全く体を動かせる時間もましては剣を握る時間もなく、ひたすら頭に叩き込む日々。
優秀と褒められてもうれしくはなかったけど、嬉しいふりはしておいた。
どうせ何かあればまた全部取り上げるくせに。自由も意思もない窮屈な生活。それでも公爵家の三男として、恥じない行動をとる。
どうせここから抜け出せないんだと、すべてを諦めていた。
そして15歳で魔術団の副師団長となった。
どうやら新しい師団長が魔力、術力ともに前代未聞の天才であり、15歳という若さで師団長となることが決定したらしい。
副師団長の選定に上層部はずいぶん悩んだ上、同い年の自分に白羽の矢がたったようだ。
それ相応の歳の貴族の魔術師ではプライドもあって年下の師団長に付くのは難しく、公爵家の三男であれば同い年だし、優秀だし、というわけである。
そうして出会った上司は最悪だった。
「はじめまして。クラウス・フォン・イブリアムです。以後よろしくおねがいいたします」
「アーヴィだ。貴族ではないので姓はない。よろしく」
そう言って手を差し出した相手は漆黒の髪に蒼い瞳の噂になるのが頷けるほどの美人だった。
男だが。
自分以上に整った顔立ちを初めて見た。
疲れているのか憂いを帯びた表情でにこりとも笑わないが、それがかえって美しさに拍車をかけていた。
初めのほうは他の団の師団長達に仕事を指南してもらいながら、徐々に実績を上げていった。
帝国にのみ、魔術団は存在する。
魔力が動力なら魔術はそれを動かす式だ。
そしてその魔術の保有数が桁違いなのが帝国なのだ。
何の式も持たず不可能を成し遂げるものを魔法と呼ぶ。
それを解明し、式が判明すればそれは魔術へと変わる。
今ではほとんど新しい魔法はなく、魔術も開発されたものを新たに組み直しや式を組み合わせて新たな物を開発する日々。
歴史が古ければ古いほど式が多く、簡略したものなどさまざまな魔術が受け継がれている。
それらを守れる力、財力、伝統共に世界有数のものを誇る帝国だからこそ魔術団があり、それ故に他国に追随を許さない規模で数多の開発が行われていた。
魔物以外は帝国に牙を剥こうなどとする愚かな者はいないほどに。
その魔物の討伐も魔術団の仕事だったが、自分の団のその頻度が多いことにしばらくして気が付いた。
それも難易度の高い解析されていない相手が。
そして噂を聞いたのだ。
神の恩恵があるアーヴィは死なないと。
天啓にて魔王を斃す使命を持つため、それまでは死なないのだと。
だからなのか。
第3魔術団が負う仕事がいつ死んでもおかしくないものばかりだったのも、そういう理由だったのだ。
自分達は捨て駒なのか。
ここでも自分は要らない人間なのか。
そして、最年少の副師団長の理由に納得した。
魔術団は5人で成り立っている。
コミュニケーションの少ない他のメンバーは、確かに腕はたつが訳ありな人々ばかりだった。
師団長はそれら全てを理解していて、何も言わず全てを引き受けていた。
普段はだらしなくやる気のない彼だったが、そのくせ依頼は断らないのが不思議には思っていた。
書類の作成どころか片付けの一つもしない。
やってくださいと言うと何故と不思議な顔をされる。
気が付けばいつも眠っている。
そしてそれを誰も何も言わない。
聞けば神殿育ちという。
納得がいった。
これはただ甘やかされて育ったぼんくらだ。
天啓が何だというのだ。
魔王を斃すのが使命でそのため命を落とす運命?
使命ということは確実に斃せるわけではないということだ。
そもそも魔王が現れるのはいつだ?
80年後だったら何もせずに死ぬじゃないか。
だいたい死ぬのが確定だからと言ってそれまで何をやってもいいというわけではない。
師団長も周りも、自分の都合のいいように解釈しているだけだ。
「師団長は考えなさすぎです。私たちは早死にたいわけではないので、依頼はある程度お断りしてください」
「でも贅沢させてるだろうと言われた」
「は?」
「断るのもめんどくさい」
「私たちが危険なのは構わないと?」
「じゃあ一人で行く」
「断れと言ってるんです私は」
話が通じなかった。
本気で怒ったのなどいつ振りか。
気が付くと怒りに任せて上司への敬意など最早消え去り、ぽんぽんと言いたいことを言うようになっていた。
それに対して、アーヴィも何も言うことはなかった。
こっちのお小言にも構わず、眼を離すと昼寝をしているし、王城への謁見もさぼろうとする。
でもしばらくして気付いた。
毎日小言を鬱陶しそうに聞くくせに、いつも見えるところに居る。
怒られるのが分かっていながら部屋のソファーで昼寝をする。
そのくせ誰もいないとじっと所在なさげに座っている。
今まで1人になる環境に居なかったという。
神殿は思えば集団行動だ。
慣れないのだろう。
つまりいつも表情の乏しい顔に似合わず極度の寂しがりなのだ。
それが分かる頃にはある程度諦めも入り昼寝くらいは目をつぶることとした。
幾度か仕事を共にするうちに扱いにも慣れてきた。
師団長ではなくお互いに名前で呼び合うようにもなった。
決して似てないと思うのに、どこか自分と似ていると感じていた。
必要とされているようで、居なくなっても構わない存在。
自分は卑屈になりそうなのを、プライドと努力で何時かはとずっとそう思っていた。
アーヴィは、全てを諦めているように見えて、何かを勝ち取ろうとしているように見えた。
何時しかわがままなアーヴィの世話を焼くのはクラウスの仕事と周知され、それを受け入れている自分にも驚いた。
クラウスの小言であれば、ある程度聞くようになったアーヴィも同じ様に感じていたのかもしれない。
兄弟のようだと言われる事もあった。
何時かの任務の時に、アーヴィに相棒と言われた事もあった。
それを喜ぶ自分がいた。
やっと自分の場所を見つけたような気がしていて、思えばあの頃がいちばん楽しかったのかもしれない。
アーヴィの傍が居心地のいい場所になりかけていた時だった。自分の元に神が現れたのは。
夢かと思ったが、そうでないことは本能で理解した。
『強大な魔王を屠る役目の使徒の片割れとしてお前は生まれた。そして運命を共にするであろう』と。
魔王は1人で倒すのは無理なのだと。
そして自分もそこで死ぬのだと。
呆然とした。
じゃあ今まで自分が培ってきたものはなんだったのか?
使命が嫌など言えるはずもない。
神に逆らえるはずもないのも分かっている。
でも、なんでなんだ?
何故自分なんだと心が叫んでいた。
自分はまだ何も成し遂げていない。
まだ何も手に入れてない。
何一つ。
今になって。
師団長が、アーヴィがいるのになぜ自分も、と。
思った瞬間、自分の考えに吐き気がした。
じゃあアーヴィだけならよかったのか。
自分だけは助けてくれと言いたいのか?
そして気が付いた。
アーヴィをわがままだと言っておきながら、彼の思いを何も測れていなかったことを。
死を突き付けられることの意味を。
虚無感。
ただただそれだけに打ちのめされ、何時間も動くことができなかった。
どれほどそうしていたか。
「…ス!クラウス!」
肩を揺さぶられて、気が付くとアーヴィが目の前にいた。
いつになく真面目な顔でどうしたのか聞いてくる。
他人事のように天啓の話をした。
何故かアーヴィや他の人へ共有されなかったお告げを、皆に黙っていてほしいと俯いたまま頼んだ。
それから何が変わる訳でもなく、今まで通りに毎日は過ぎていった。
ただ、夜になると眠れず無性に外へと出たくなった。
街を見下ろす丘へと行き、ぼんやりと過ごす。
何をするわけでもなく。
魔石や松明の明かりがキラキラと散らばる街並みを綺麗な世界だと眺めていた。
この世界を守れるなら悪くはないのかもしれない。
師団長であるアーヴィも同じような気持ちなのだろうかと考える。
何か思う事があったのか、最近は少しだけ真面目に仕事に取り組んでいる。
以前は捨て身な仕事ぶりに何度本気でキレてたか。
それから時折、彼が睨むように空を見上げているのを見かけた。
あれは何を見て何を考えていたのだろう。
その片鱗だけでも汲み取れる事が出来たのなら、自分は今痛みを抱えたまま、生き永らえてなどいなかったのかもしれない。
死ぬより残される方が辛いなど、思いもしなかった。
また独りになったと自覚するのは辛かった。
一度見つけた居場所を失くすなら、初めから知らなかった方が良かったと思えるほどに。
「クラウス、忙しいかの?」
珍しく元師団長が訪ねて来たのは、細々とした依頼がどうにか片付いた時だった。
「ロギンス様。ちょうど手が開きそうです」
「なら良かった。一緒に行ってほしい所があってな」
「構いませんが……どちらへ?」
「エンブルク侯爵家へ」
侯爵家というと、王家とも繋がりのある由緒ある家だ。
末の娘の身体が弱いと聞いてはいるので、その治療だろうか。
「それと……お前さんが持っているアーヴィの紋章を持っていってほしい」
ピクリと指が反応してしまった。
指を強く握って、動揺を隠す。
「構いませんが……何故とお聞きしても?」
「呪いを解くのにな、それが必要なんじゃ」
呪い?
「……分かりました」
少しの間の後、承諾の意を返した。
大戦の後、1人生き残ってしまいショック状態だった自分に、周りは様々な言葉で慰めてくれた。
彼の分も生きてだとか、生き残った事に意味があるとか、意思を継いでいくべきだとか。
勝手な事ばかり。
そうじゃないと思いながら、何時ものように薄く笑ってやり過ごす。
失くしたのではない。
死ぬはずだった命だ。
それをただ与えられた。
アーヴィと共に消えるはずだった自分が。
彼によって与えられた。
与えられたけども、全ての彩を失った。
自分の欲しかったものは、誰かと引き換えにしてまで得たかったんじゃない。
何故言ってくれなかったのかと、自分の事を棚に上げて恨むように怒ってもいた。
怒っても、恨んでも、どちらにしてももう戻らない。
こんな状態で自分は何をすればいい?
分からずただ生きている。
死ななかったから、生きている。
ただ、それだけだ。
訪れたエンブルク侯爵家ではすぐに東屋へ通された。
治療は呪いの解除と、魔力の放出という事だった。
末娘の内包している魔力はかなりのものだという。それを封じ込められているならば、さぞかし身体に支障をきたしているのだろう。
さらに、解術と共に暴走する可能性も考えなければいけない。
それを考慮して、屋敷でなく庭での処置を申し入れておいたのだ。
「初めまして。アジュール様。本日はよろしくお願いいたします」
初めて会った侯爵家の末娘は、天使と見紛うほどに可憐な少女だった。
「初めまして。アジュール・フォン・エンブルクです。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
きちんと綺麗な挨拶を返し、微笑む姿はどこか大人びていた。
魔力の籠りでつらい目にあってきたらしい少女を日の光の下に戻してやりたいと、自然に思っていた。
「それでは失礼いたします。アジュール様、私の手の上に手をお乗せください。まずは魔力を見ます」
怖がらせないよう、務めて優しく椅子に座っている少女の前で膝まずき、手を差し出す。
魔力を計り、暴走の危険がないかを見るためだった。
ただそれだけだったのに、置かれた手から流れ込む魔力を感じた瞬間頭が真っ白になった。
魔力は人それぞれ違いがある。その人の性質に沿うように、人それぞれに波動が違う。
そして自分はこの魔力を知っている。
そして漸く理解した。
紋章を持ってきた意味も。
呪いの元も。
目の前の少女の魂の元が何であるかを。
そうか。
ここにいるのか。
今度はちゃんと大事にされて。
良かったと思うのと同時に胸が詰まる。
その理由は今考えたら動けなくなりそうだった。
やるべきことをやらないとと、浅く深呼吸をして落ち着かせる。
懐から金の紋章を取り出し、手に握らせる。
呪いを断ち切るように力を流し込む。
諦めの悪い魔王の呪いなど、塵一つ残すものか。
パチンと手ごたえと共に魔王の気配が消える。
ほっとしたように息をつく少女に安堵を感じながら、紋章を引き取った。
「解けました。アジュール様からは大きな魔力を感じます。しばらく魔力を放出すれば体調も落ち着くでしょう。暴走も感じられませんので、早くコントロールできるようになれるかと思われます」
なるべく感情を込めないよう務めて告げた。
柔らかな手を壊れ物を扱うようにそっと握って立ち上がる。
魔力が籠っている。しばらくすれば落ち着くだろうが、一刻でも早く苦痛は取り除いてやりたかった。
残った手を宙に上げる。
思い出した彼の魔術を乗せて霧雨を振りまいた。
かなり難易度の高いいくつかの魔術を組み合わせたそれは生前彼がよく余興で行っていたものだ。
構築は覚えている。
実際やったのは初めてだったが。
「これがアジュール様の魔力です。綺麗な力でしょう?」
周りが息を飲んで頷くのが見えた。
綺麗な世界で。魂を表したかの様に綺麗に佇む少女の顔はもう見ることは出来なかった。
アーヴィが死んだと突き付けられる現実を見たくはなかった。
それでも愛されて育つであろう少女に安堵はしていた。
感情が落ち着かないまま。
ただこの先少女が幸せになりますように。
溢れそうになる何かを押さえて、久しく祈っていなかった神へと祈った。
そこからどうやって王宮へ戻ったのか覚えてはいない。
まさか、生まれ変わっているなどどは思わなかった。
いや、どこかでその可能性も考えていた。
しかし会うこともないだろうと思っていたのだ。
あの家族の元でなら、もう寂しいこともないだろう。
一人取り残された気分を打ち消す様に仕事に没頭した。
喜んではいるのだ。
行く末が知れて。この先の情報も同じ貴族ならばある程度知れるだろう。
ただ気が付くと少女の居る街を見ていた。
何故あんなことをという疑問だけが残った。
同じ魂でも、前世を憶えていない彼女に問うこともできない。
あれは、かなりの賭けだったであろうに。
魔王との対戦の時、何人もの人々が死んでいった。
いくら絶え間なく攻撃したとして、敵は魔王一人ではない。
魔物の軍団を中央に近づけないために戦った人々。
時間の経過と戦死者の数は比例して増えていった。
魔力の余力などなかったはずなのだ。
ましてや人ひとりを完全に空間遮断するなど、通常の魔力の持ち主でも難しい。
それをあの長時間の戦いで温存できるほどの魔力。
底なしと言われていたが、限界はあったはずなのだ。
最後までつかわなかったその魔力があれば、もう少し終わりは早かった。
その時間で死んだ人々の犠牲の上に自分は生きている。
それはだれも気付いていない、自分だけの罪であった。
アーヴィが勝手にやったことであろうとも、自分が背負うべきものだと思っている。
居場所を与えられ、役割を与えられ、それはずっと望んでいたもののはずなのに虚しさしかなかった。
少女の顔が浮かぶ。
どんなふうに成長するのだろう。
平和になった世界で、それでもまだ魔物は尽きない。
ならば守ろう。この世界を、彼女が住む街を。
やっとやりたいことが出来たと、どこかほっとしながら思っていた。
侯爵家への訪問からひと月ほどたったころ、深夜にふと異変を感じた。
王宮の結界に何かが触れている。
アーヴィが張った結界は強固で破られたことはない。
四つの結界の一番古いものだけは、何かあった時のために張り替えてはいるが。
するりと入り込まれる気配に眉を顰める。
結界が幾重にも張られているのは、どうしても魔力の途切れる穴ができてしまうためだ。
流動的に魔力が流れ続けるそこで一瞬できる穴への突破が早すぎる。
まるで綻びを知っているかのような。
流れに集中し、様子を見るがあっさりと三つを突破され、四つ目で勢いが止まったそれに危険と判断して呪術を流す。
相手の魔力を捕まえて、ぶつけようとした瞬間それがアーヴィのものだと気付いた。
「まずい」
咄嗟に打ち消したが、一瞬掴んでしまった。
焦りと共に魔力の元へと跳ぶ。
着いた先は街の小高い丘で、倒れているプラチナブロンドの少女を見つけるとザっと血の気が引いた。
咄嗟に抱きかかえて、逡巡する。
何故彼女がこんなことをしたのかは分からないが、このままではまずい。
王宮へ跳びかけるが、誰かに見られたら彼女の経歴に傷をつけかねない。
年端も行かない少女だが、貴族の間での噂ほど醜悪なものはないのだ。
ふわりと空間を作り出し、姿を隠す。
アーヴィに次いで底なしの魔力と言われている自分ならしばらく保つことも容易だった。
抱きかかえたまま少女に掛かってる光りを放つ髪をそっと顔から除けてやる。
顔色は悪くぐったりしたままだが、息遣いは通常のものだった。
「ア…ヴィ?」
何と呼んでいいのか躊躇う。
確か、今の名前はアジュールだった。
呪術の残りがないのを確かめてほっとするが、眼を覚まさないのに不安が募る。
どうして、こんな時間にこんなところにいるのか。
どうして、王宮へ入り込もうとしたのか。
どうして、結界をあんなに容易く潜り抜けたのか。
はっきりと確信は出来なかったけれども。
まさかという思いが消えなくて渦巻く。
「アーヴィ?」
はっきりとした呼びかけに、ふるりと睫毛が震える。
「クラース?」
かつてとは違う細い声で、でも確かに昔のままの寝起き時の呼び方で確信する。
「なにやってるんですかあなたは」
アーヴィだ。
まぎれもなく、彼であると確信した。
魂が廻ることがあると聞いたことはある。
ならば、そのまま産まれてきたのか。
あんな記憶など無いほうが幸せだろうに。
それでも喜んでしまってる自分を気付かれたくはなかった。
「やっとか。おそい」
「まさか、記憶を持ったままだと思わないでしょう?普通」
「それはそうかもしれんが、全く聞きもしなかったじゃないか」
侯爵家で見た儚い印象をがらりと変えて、ぷりぷり怒りながら乱暴に言い放つのを不思議な思いで見つめる。
「さっきの呪術、クラウス?」
「そうです。とっさに止めましたが。だいじょうぶですか?」
「一瞬掴まれただけだ」
ほっとしてそっと抱き起しながら顔を覗き込む。
確かにさっきよりはるかに顔色がいい。
「顔色も戻りましたし、よかった。結界に侵入があったものだから探っていたら、最後のを破られそうでしたので呪術を飛ばしたんです。瞬間にあなたの波動と気づき止めたのですが」
「おせーよ。何かあったらどうしてくれるんだ」
昔のままの物言いに安心する反面、その容姿でそれはどうかと心配になる。
「変わってませんね、その理不尽なとこ。しかし、その顔でその口調はちょっと」
「大丈夫だ。使い分けてる」
自信満々に答える少女に大丈夫じゃないと分からせるのは困難に想えた。
「全く、貴方はいつも予想の斜め上をやってくれる。戦場でもそうでしたし。何であんなことをしたんだか」
「あれはしかたない」
「仕方ないわけないでしょう!」
聞きたかった答えに仕方ないとだけ言われて思わず昔の様に怒鳴ってしまった。
だめだ。この人はそれで通じると思っているのだから。
詳しく聞くために根気強く口を開く。
「あの時、呪術は2人に向けられていましたよね?どうして一人で引き受けたりしたんですか?」
「だって、お前死にたくなかったろう?」
図星を刺された。
知っていたのか。
確かに死にたくはなかった、でも諦めてもいたのに。
見上げる蒼い眼の強さに、姿が重なる。
「瞳は同じなんですね」
「は?」
「死ぬ覚悟は出来てましたよ。神の意思を曲げるなんて思想はもとよりありませんし」
「覚悟とお前の意思は別物だろう」
「でも、独りだと貴方寂しがるじゃないですか」
「…」
グッと言葉に詰まった顔に笑いそうになる。
図星なのだ。
今夜王宮に来ようとしたのも、多分同じ理由だろう。
「今も、寂しくなって会いに来てくれたんでしょう?」
堪えきれず笑ってしまうとたちまち顔を赤く染めた。
普段はポーカーフェイスを装っているが、案外感情が表に出やすい性質なのだ。
「そういうとこ、変わってないですね」
赤く染まる頬が柔らかそうで思わず撫でてしまう。
褒められた行為ではないが怒らないのでよしとしよう。
アーヴィはずっと黙ったままだ。
その様子に何も変わってない事に、感情がこみ上げてくる。
「図星つかれると黙るとことか」
泣いているところを見られたくはなくて、抱き込んで顔を隠した。
柔らかい小さな身体に少し戸惑うが、それでも戻ってきたのだとあんなに恨んでいた神にさえ感謝していた。
「神様からのご褒美かな」
「何が…」
大人しく宥めるように小さな手が背中を這う。
その体温に、愛しいと新たな感情が沸いてくる。
「こんな美少女に生まれ変わるとか」
「お前ロリコンだったのか…」
「酷いですね」
呆れたような声に、顔を埋めて泣いたまま笑う。
確かに。
そうとられてもおかしくはないくらいに歳は離れている。
それでも貴族間であればおかしい差ではない。
瞬時に巡らせている駆け引きなど知る由もない少女をそっと膝に抱える。
大人しく抱えられて見上げる姿は喋らなければ完璧な天使だ。
「なぁ、生き残って何か手に入れられたか?」
「欲しいものも特になかったんですがね…少し欲が出てきました」
「そうか、よかったな」
嬉しそうに間近で微笑む威力に一瞬息が詰まる。
生まれ変わっても相変わらず美人で良かったのか悪かったのか。
可憐な口から零れる前生と同じ口調というものに何だか危うさを感じる。
そういえば体調が戻ったため、デビューに向けた教育を受け始めたと聞いている。
ぜひともその姿に見合った言葉を紡いでほしい。
「クラウス?」
「いえ…勉強頑張って下さいね」
「え?うん……あ」
そういうと急に慌てたように少女が周りを見渡す。
そういえば長い時間ここにいたような気がする。そろそろ夜明けが近い。
「帰らないと」
送ろうとするが、万が一屋敷の者が部屋に来たら困ると断られてしまった。
仕方ないので追跡で見届けるとしよう。
「またくる」
そう言う少女に紋章を手渡す。
渡された紋章を嬉しそうに握る姿に笑みがこぼれる。
「お守りだったんですが、これで次は王宮にどうぞ」
頷いて、ふっと姿は掻き消えた。
転移の魔術だろう。
遥かに高度な魔術を息をするように使いこなす少女に、そうそう危険が及ぶことはないかもしれない。
それでも。
守ろうと思った。
今ならそれが出来る。
その事実の、ただそれだけに、胸が震えた。
あの魂を、今度こそ。
ただの自己満足やエゴと言われても構わない。
今度は誰にも邪魔させない。
たとえ神が相手となっても。
カツンとどこかで音が鳴った。
あの時の音だと思った。
世界から彩が消えた瞬間の音だ。
ずっと耳の奥から離れなかった音。
忘れたくても忘れられなかった。
あれは、全てが失われた音だと思っていた。
だけども、あれは……再生の音だったのだな。
結界から抜け出すと、朝の黄色い光が目を刺した。
いつの間にか世界に色が戻っていた。
そうか、ここは深淵ではなかったのだ。
眩しい圧倒的な輝きの魂が照らす、ここは……。
お読みいただきありがとうございました。
いつかこの話も続けていけたらと思います。
遅筆ですが、一人でも読んでくれる人がいる限り書き続けていこうと思っています。
ちまちま書いてはいます…。
また、お会いできますように。