恋人とのささやかな逢瀬
僕は吃驚した。
和久が家族に黙って東京に出て来ていた上に、犯罪に巻き込まれていた事に。
彼と話して頭に飛び込んできた映像は、暴漢によってたかって殴られて、青森から持って来た商品が奪われた情景であった。
あれは和久が自分でデザインして、唯一残してある店舗の目玉商品として飾ってある素晴らしい物だ。
決して売れない赤字商品だけれども、素晴らしい琥珀のチョーカー。
ガラスのビーズと琥珀ビーズで金のワイヤーを飾って作られた台座にあるのは、イエローダイヤで囲まれた大きな琥珀。それは美しく完全な葉っぱの化石を抱いている。
素晴らし過ぎて僕が売りたくないと言ったから、売れなかったのではなく売らなかったのかもしれないと僕は思い当たり、和久が僕にいつも優しい人間であったと思い出した。
和久は僕を弟のように可愛がり、僕の身の上を実は知っていたから倉庫品だと服を送ってくれてたに違いない。
彼が僕に贈ってくれた物は、どれも売れ残りでなく、全部が最新作だったのだと最近知ったのだ。
売れ残りで御免ね、という手紙を添えてあったから僕は気兼ねなく喜んで着ていたのだ。
なんて賢くて優しい従兄だろう。
「和君になんて事をするんだ。許せないよ。」
電話を切った後の僕の呟きに、僕の手を握っている山口は同調してくれた。
「非道いよね。僕がちゃんと成敗してあげるから心配しないで。」
猫の様な瞳を煌めかせて、いつもは隠している自分の魅力を前面に出して僕に微笑んだ。
けれど僕は彼が美形である事よりも、こうして手を握り合うと僕の見たものを共有できる事の方が好ましいと思っている。
僕は見える人で、見えるからこそ孤独だったからだ。
ただ、心配なのが山口が馬鹿な人だという点だ。
彼は僕の苦しみを分かろうと、僕がより分けた悪いものまで受け取ろうとするのである。
その行為は嬉しさよりも彼が潰れてしまう恐怖が大きいので、僕は本気でやめて欲しいと願っている。
「今度からフィルターをかけるよ。」
以前に山口は僕にそう言ってくれたが、僕は君が心配だよ。
「何があったの?」
僕がお邪魔している豪邸の持ち主の松野葉子が、心配そうに僕達に声を掛けた。
ナッツブラウン色に染め上げた豊かな髪は艶やかに輝き、ボッティチェリのビーナスのような美貌を持つ年齢不詳の優しい女性だ。
検事長まで登り詰め、引退した現在はマツノグループの総裁をしている。
そんな彼女は誰も意見など出来ない女王様だ。
「せっかく久しぶりに会えたのに。帰しちゃ駄目よ、葉子ちゃん。」
いた。
僕の祖母だ。
小柄な体にこれでもかと豪奢な着物を纏い、若かりし頃は僕と同じ顔をしていたという、つまり白波の顔を持つ老けた雛人形だ。
花の刺繍とビーズが施されたチュール地で仕立てた紗の着物風の下に、銀色に耀くシルクの襦袢を合わせるってどうなのだろう。彼女の髪はイギリスで真っ黒過ぎるほどの黒に染め上げられ、真っ黒な玉ねぎのよな夜会巻きに結われていた。
この常識を全て壊したがる祖母はハナフサフードグループの令嬢で、僕の以前の家である武本物産の影の帝王でもある。
その程度ならば葉子の方が立場・財閥の力・キャリアと、どれを取っても上で強いはずだが、葉子が十代で子供を産む時に助けてあげたという逸話があるのだ。
そのため、葉子が頭が上がらない唯一の人間でもある。
「二週間も二人でイギリスに缶詰で、二日前にも会ったばかりでしょ、おばあちゃん。本当に僕はもう帰らないといけないみたいだ。葉子さん、山口さんに送ってもらうから大丈夫だよ。」
僕のイギリス行きを聞きつけた祖母は、旅費を持つ事と引き換えに勝手に僕の旅にくっ付いて来たのだ。
くっ付いて来たどころか、僕の旅行会社の申し込みは勝手にキャンセルした上に彼女主導の下に計画が立て直され、僕が彼女にイギリスへ連行されたが正しい。
そして、帰国後は青森に帰らず松野家に居候をしている。
この家はマツノグループ総裁という事で迎賓館のような豪華な公人スペースと豪華な私人スペースが合体し、スタッフも完備した大豪邸なのだ。
気楽にホテル代わりに居座りたくなる気持ちがよくわかる。
「あら、和尚様が迎えに来るまで預かっている約束でしょ。」
僕を孫のように可愛がってくれる葉子が僕の言葉に疑問を唱えると、僕の実の祖母が同調した。
「そうよ。私は和尚様に会いたいのに!」
彼女は良純和尚が大のお気に入りである。
鬼婆だから鬼のような男を好むのだろう。
僕は肩を竦めてどうしようか困ってしまった。
僕は性質上大事な人間に嘘をつけないのだが、和久の内緒を祖母に知られるわけにはいかないのだ。