父と息子が?
「さぁ、目を閉じて。」
軽く目を閉じると、筆が瞼の上をやさしく動く。
一本万単位のプロ仕様の化粧筆の毛は最上質の獣毛を使っており、それで顔中を撫でられると眠りを誘うほどの気持ちよさだ。
けれど、眠ってはいけないし、この状態に甘んじてはいけないはずだ。
それは、僕が男の子であり、僕の顔に化粧を施して喜んでいるのがれっきとした禅僧であるからだ。
「僕はあんまり化粧をしたくないです。」
目を開けてささやかに抵抗してみると、筆を持った男は無言で睨んできた。
色素の薄い瞳は金色に輝き、それは魔王のような恐ろしさだ。
高い頬骨に奥二重の切れ長の目を持つ貴族的な端整な顔立ちに、立ち上がれば百八十を超えるモデルのような均整の取れた長身の完璧な肉体を持つというのならば、それは神様か悪魔の類しかいないであろう。
そんな完璧な男が黒スーツと愛用の丸型の黒眼鏡を装着すれば、嵌りすぎてヤクザも逃げ出す怖さとなるのは必然である。
この目の前の美僧は百目鬼良純。
僕の完璧な庇護者にして僕の父親だ。
親に虐待された僕を引き取り、呪いで死に掛けた僕を「養子」にして名前を変えるという方法で呪い返しをしてしまった、僕にとっては救いの神であり、絶対に逆らえない人である。
「それに、どうして今日はこんな完全な女性の姿で仕事をしないといけないのですか?」
「うるせぇよ。黙って目ぇ瞑れ。女好きの阿呆に物件を売りつけるからに決まっているだろうが。ちゃんと教えたとおりに垂らし込めよ。」
僧らしからぬ言葉を吐く彼に、僕は諦めと共に目を瞑った。
債権付競売不動産専門の不動産屋でもある彼は誰からも見放されたような物件を競売で手に入れて、誰もが手にしたいと望むものに生まれ変わらせる天才だ。
そして、今日は事務所として使える物件を買いたいという若き実業家に物件の内覧を行うのだが、僕に物件の説明をさせるつもりで僕を着飾らしていると、そういうわけだ。
だから彼も黒スーツ姿なのだ。
「大体てめぇは、元々女装が好きだっただろうが。本当の女に成りかけた途端に嫌がるって、ふざけてんのか?」
僕の顔に化粧を施しながら怖い声で僕を罵倒する。
罵倒されながらも、僕は「なんていい声なんだろう。」と彼の低い声にうっとりと聞き惚れてしまっていた。
彼はとても素晴らしい声帯を持ち、僕は彼の声が大好きだ。
人をたらしこめる声と人を心胆凍らせる恐ろしい声を使い分けて人を操る事のできる彼は、きっと現世でのメフィストフェレスに違いない。
「DNAがXXYでも男だと思って育ちましたし、女装は、女装したらゲーム展でお土産を沢山もらえたから味を占めただけで……。」
呪い返しにより死に掛けの僕が生き返ったはいいが、それによって眠っていた余分なXが暴走を始めたらしく、僕の上半身は女の子のようになってしまったのである。
女装と本当に胸が膨らむのは違う。
だが、小学生どころか殆ど幼児に近い成長していない己の下半身の事を考えれば、胸が膨らまなくとも、僕はどちらの性別でもない役立たずで欠陥品であったのは事実なのだ。
幼馴染が今の方が僕らしいと言い放つのは当たり前だ。
良くも悪くも僕の体は成長したのである。
「いいから黙れ。口紅がひけないだろうが。」
僕は口を閉じた。
僕はこの人には逆らえないし、本当は逆らいたくもない。
そんな僕の名前は百目鬼玄人。
六月六日に二十一歳になったれっきとした成人男性のはずが、親の虐待のお陰で自活できない情けない身の上なのだ。
そんな自分に自活できるように家事やら何やら教えて守ってくれる良純和尚から離れたいなど一切考えないし、彼にぶら下がって生きて行きたいと適当に家事を覚えられないフリもしている。
僕は卑怯者でもあるのだ。