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綱渡り  作者: 真麻一花
王子
3/5


「最近、ずいぶんとほっそりしてきたね」

 私は聖女の手を取った。彼女は不思議そうに微笑むと首を少しだけかしげた。

 最近、彼女の様子が少しだけ変わった。穏やかになったというのだろうか、どこか儚げで洗練されたような空気を醸し出すようになった。

 良い傾向だ。くだらないことに声をあげて笑い、些細なことで動揺し、甲高い声でくだらない話を垂れ流すばかりの態度には辟易していた。以前の落ち着きのない様子では、私の隣に並ぶのにふさわしくなかった。

 肉付きのよすぎた身体も見られた物ではなかったが、これならまだましだ。ベールでもかぶせておけば地味な顔も隠せるし、聖女の神秘さも出せるだろう。

 淡いほほえみを浮かべて、落ち着いた様子で言葉を交わす彼女に私は満足していた。

 これならもう少し教育すれば、それなりに「王妃」としても使えるようになるだろう。

 彼女に起こった小さな変化を、私はこの時まだ、よき変化と捉え「なぜ」なのかを考えることすらせずにいた。

 彼女はこの国にとって非常に重要な存在だ。だからこそより効率よく使わなければならない。それ故に、彼女の精神状態は重要だ。彼女の持つ祝福をうまく引き出すために留意すべきもので、常に気にかけている。

 それが彼女の価値。

 対して、心とは祝福を左右する面倒な条件、気にはかけても思いやるなどと言う考えなど、はなからなかった。

 祝福の効果に問題のない彼女の変化など取るに足らぬものでしかなく、変わったという認識のみで十分だった。

 ゆえに、それが彼女の歩み始めた消極的な自滅の道だったなど、思いもしなかった。



「最近食事をあまり召し上がりません」

「あまり出歩くことをなさらなくなりました」

「いつも笑顔ですが楽しそうに笑うことがなくなりました」

「長い時間ぼんやりとすることが増えました」


 次々と上がってくる召使いたちの声。

「お心を煩わせる何かがあったのではないかと、心配です」

 そう進言してきたのは聖女に最も近い侍女だ。

 だからどうした、と思っていた。

 この侍女は聖女に傾倒しているらしく彼女のそばに置いておくにはちょうど良いが、少しうるさい。

 だが、一番近くにいる侍女の言葉は聖女を都合よく転がすには必要な情報源でもある。何か思い悩んでいるのであれば、たまには連れ出してやるのも良いかもしれない。

 あの変化が思い悩んでの物ならば気分転換ぐらいにはなるだろう。もっとも、元に戻ったら戻ったでうっとうしいが、仕方あるまい。少し仕事を詰めて聖女を保養地にでも連れて行ってやろうか。

 満面の笑顔で「行きたい!」と楽しみにする姿が容易に想像できる。聖女はまた大げさに喜んで笑うのだろう。どこが良いかと、彼女の好みそうな保養地をいくつか思い浮かべ、簡単な物だと私は笑った。




「そんなに気を使わなくても大丈夫よ」

 返ってきたのは予想外の反応だった。

 気を使って気分転換にどうかと、心配してる風を装い誘ってやったにもかかわらず、消極的な拒否をされたのだ。

 喜ぶ様子のないことに軽い苛立ちを覚えるも、それは笑顔の裏に隠して「では、何かやりたいこととかはないかい? たまには気分転換も必要だろう」と、他の候補をいくつか挙げて彼女の喜びそうなことを探った。

 なのに彼女は笑顔を浮かべて、またもやさらりと断りを入れてくる。

「そんなことしなくても大丈夫よ。私はちゃんと笑っているでしょう?」

 そうだが、と思いかけて、彼女に目を向ける。うっすらと浮かべた笑みが、人形のように作り物めいて見える。

 どきりとした。

 いつもの彼女らしくない。これは、本当に何かあるのではないか……嫌な胸騒ぎがした。

「いや、そうではなく、何か思い悩んでいるのではないのか? 私は君が心配なんだ」

 小さな手を取り懇願するように言葉を促しながら、笑顔のままじっと見つめてくる彼女の瞳に不安を覚える。

 何かを見透かされているような気がして、少し焦りつつ彼女の喜びそうな言葉をかき集める。

「食事の量も減っていると聞いたよ。何か気になることがあるのではないか? 私は君が楽しそうに食事をする様子が好きなんだ。そういえば……声をあげて笑ってくれなくなったね。何かあったのかい?」

 よい変化だと思っていた。けれど確かにこれは少し不自然だ。所作の変化と言うより、性格が変わったかのような……。

 最近「おいしい!」としあわせそうに笑って食事をする彼女を見ていない。私の話に目を輝かせて、興味津々に聞いてくる姿も見ていない。このままあの日常は失われてしまうのではないか。

 それはダメだと思った。

 その判断に何か裏付けがあったわけではない。けれどとっさにそれを失わせてはダメだと思った。理屈ではなかった。

 彼女に憂いがあるのなら、取り除かねば。

 奇妙な焦りが沸き上がっていた。

「君が、心配なんだ」

 手を取ったまま見つめれば、やはりうっすらと笑みを浮かべたままの彼女は、私の瞳の奥を見透かすかのように見つめてくる。

 訳の分からない衝撃に息を呑んだ。

 以前の彼女なら顔を真っ赤にしていた。動揺もあらわにどもりながら必死で返事を返してきた。でも今彼女の顔に浮かんでいるのは、興味のないものをただ瞳に映し出しているだけのような、形ばかりの笑み。

 そこに、私の知っている天真爛漫な彼女は、いなかった。


「心配なんかしなくても、私は笑っているし、この国から出ることもないわ。……あ、もしかして、私に命の願いをかけて欲しいことが出来たの? いいよ、いきましょう」

 穏やかに笑いながら、彼女は唐突にそんなことを言い放った。明日の天気の話でもするような気軽さで。

 この子は、何を言っているんだ。

 頭が一瞬真っ白になった。分かったのは、その言葉を否定しなければいけないことだけ。

「そんなことは望んでいない…!! そんな悲しいことを言わないでくれ」

 叫んでから、一気に頭が回転を始める。

 命の願いのことをなぜ知っている。やっかいな。誰か何か吹き込んだのか? いや、だが、それにしては様子が楽天的すぎる。詳しくは知らないのか。それとも、何か勘違いをしているのか……。

 彼女の言葉の意図は何だ。

 何を知っているのか何を考えているのか、どう探り出すか必死で考える私の前で、彼女は不思議そうに首をかしげた。

「……そうなの。残念。やっと全部終わるかと思ったのに……」

 いかにも残念そうなつぶやき。こぼれる溜息とつまらなそうな表情。

 全部終わる、とはどういう意味か。

 寒気が走った。

 この子は、ほんとうに一体何を言っているんだ。

 けだるそうな表情は、私の視線を受けて、すぐに笑顔へと変わる。

「王子、なにも心配しなくても大丈夫よ。望むとおりにしてあげるから」

 クスクス、クスクス、あはははは……。

 何が楽しいのか、彼女は笑い始めた。

 壊れた人形を前にしたかのような気味悪さを覚え、言葉をなくし呆然とその顔を見ていた。

「……好きなフリは、もうたくさん」

 さんざん笑った後、立ち尽くす私にそう言って、彼女はにっこりと笑った。

 

「……誰に、何を言われたんだ?」

 確実に、何かを聞かされたのだろう。

 好きなフリ、などと言うが、フリだというのを知っているのはごく一部だ。うっかり彼女に気付かれることがないよう、日常生活でも徹底して彼女に惹かれている態度で過ごしてきた。

 誰だ。聖女の周りには、そんなうかつな人間を近づけた覚えなどない。外から近づこうにも出来ないように配備もしてある。

 命の願い事については、いざというときまで聖女の耳に入れないようにと決まっている。前もって知っていれば、聖女自身が自分で使い道を決めてしまいかねない。だからこちらが必要になった時に使わせられるよう、聖女にその意図に気付かせず、考える時間を与えないよう、何も知らせずにいるのだ。

 誰が知らせた。侍女や身の回りにいる者には詳しい条件など知らせていない。聖女に関わることを詳しく知っているのは、上層部の一握りと彼女への求婚者ぐらいのものだ。

 私が聖女の身柄を手に入れるのをよく思ってない者か、それとも……。

「それを聞いて、どうするの?」

 穏やかな笑顔が、私を探っているように感じた。ひるむな。たかが小娘一人だ。何とでも丸め込める。

 彼女の頬に手の平を添え、真っ直ぐに彼女の目を見る。

「私の愛しい聖女を傷つけた者は、許さない」

 そう言い切ったとたん、彼女は声をあげて笑った。

 以前のような甲高い笑い方。けれど、あの頃と違って耳障りな……何より嘲笑を含んだかのような、見下すような目の色。

 なぜ笑うのだ、と彼女の耳障りな笑い声をとめようとして、その目線の冷たさに言葉を呑んだ。

 彼女はふふっと笑いを納めて、顔には穏やかな笑みを貼り付けたまま真っ直ぐに私を見て、首をかしげた。

「まあ、ありがとうございます。……じゃあ、あなたは、あなた自身を、どう裁くのかしら」

「私が、君を傷つけたと?」

「……さあ? もう、どうでも良い事よ」

 相手の意図を探りつつ、言葉の裏を読む、そんなやりとりは日常茶飯事だ。上っ面の言葉でまるめこんで、こちらの要求を通していく。毎日していることだ。けれど、それをこの子とやっているという事実が、ひどく苦しい。

 彼女はもっと開けっぴろげで、表裏がなくて、こちらの言葉を額面通りに受け取る子で……。

 彼女がクスクスと笑う。その笑顔が、以前の物とまるっきり違う何かに変わっているのだと痛感する。


 違う、これは私のあの子じゃない。


 彼女が、ひどく、遠い。

 「王子!」と無邪気に笑いかけてきた以前の笑顔が、いま無性に懐かしかった。あははと開けっぴろげに笑う、品のないと思っていた笑顔が、やけに尊く思えた。

 もう答えるつもりのない彼女に、私はかける言葉を見失ってしまった。





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