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綱渡り  作者: 真麻一花
聖女
1/5


 窓の外を見ると、彼と公爵令嬢がいた。彼は王子で、彼女は彼のいとこ。ほぼ兄妹のように育ったのだと聞いたことがある。ケンカでもしているのだろうか。怒っている様子の彼女に、彼が声を荒らげる。泣き出した彼女に彼は、とても戸惑った様子で彼女を慰め始めた。

 その様子に、何とも言えない違和感を覚える。何がどうとか言葉にはしにくいけれど、小さく突き刺さるような引っかかり。

 私がこの世界に召喚されて泣き叫んだのは、もう一年も前だ。

 高校三年の春。私は十七才だった。

 訳が分からず、混乱して泣き続ける毎日。お父さんとお母さんを呼んで助けを求めた。いつも意地悪だけどいざというときは助けてくれるお兄ちゃんを呼んだ。楽しくて優しくていつも一緒にいた友達の名を呼んだ。会いたい、会いたい、帰して、私を日本に……家に帰してと泣き叫び続けた。

 それをずっと慰めてくれたのが王子を始め、その側近たち。

 聖女として召喚された私には、幸運を呼ぶ力があるらしい。いてくれるだけでかまわないと、召喚されて以降ずっと私は誰よりも大切にされ続けた。「聖女様、聖女様」と笑顔で声をかけ、私が泣けば一緒に悲しそうな顔をして慰め、そして心配してくれた。周りの誰もが私に親切だった。

 

 そして王子や貴族、騎士に神官に学者、いろんな高い地位にある見目麗しい青年が、私に会いに来た。私よりずっと年上の大人の彼らが、お目にかかれてうれしいと私を尊び褒め称え、愛らしいだの優しいだのと囁く。あなたの笑顔にこれからももっと会いたいと、誰もが口を揃えていった。

 それらの賛辞がこの立場に向けてなのだと理解はしていたけれど、それは悲しみと寂しさで弱っている私には、縋りつきたいほどに魅力ある誘惑だった。甘い甘いお菓子のような誘惑で寂しい気持ちをごまかすように、それらの言葉に酔いしれた。

 日本では結婚式ぐらいにしか着ることがなさそうなドレスを毎日着て、きれいなアクセサリーを贈られ、きれいに髪を結い上げられ、まるでお姫様のような扱いだった。

 与えられた部屋はフリルたっぷりの寝具に、きらきらしたシャンデリア、扉ひとつをとっても精巧な彫刻がされてあり、ドアノブだって、机も椅子も、どれをとっても高価な物だと素人目にも分かる、すごい物で囲まれていた。そして私はそれを甘受することに、だんだんと慣れていっていた。誰も彼もが私を褒めて、求められて、うれしくないはずがない。

 優しく口説かれて、嫌な気持ちがするはずがない。私に向けているわけではないのは分かっていても、それに、私は確かに慰められ、……その好意は自分に向けられているのだと、錯覚していった。

 自分が十人並みの容姿で、この世界の人たちからすると、幼く薄い顔をしているだとか、小太りだとか、そんな基本的なことを忘れるぐらい、ちやほやされて。

 だから「あなたが愛おしい」と告白されたとき、うれしく思いつつも、それを断ることに胸を痛めた。

 後になって思えば、彼らのような地位も能力も見目も備えたような大人の男たちが、そろって私程度の小娘に恋をすることなどあり得ないと分かりそうな物なのに。でも私は無知だった。自身のここでの存在意義に餓えていた。だから彼らの言葉は本心であると、その頃には既に信用しきっていた。

 そもそも時間も手間もかけてだまし続けようとする人がいるなんて、私は思いつきもしなかった。頭ではそういうことがあると分かっていても、幸せに生きてきた私にはそういった悪意は別世界の話だった。詐欺の知識があっても、いざ自分の身に降りかかると、あからさまな手口であっても気付かない様に。最初からずっと優しくしてくれた人たちを疑うような頭ははなから持ってなかった。悪意を持って笑顔でだましてくるような人間に会うことなく生きてきた私にとって、そういう目に遭わされる感覚なんてなかった。それでなくても毎日必死だった。悪意とは嫌な感情をぶつけられることで、向けられる好意は、私にとって好意でしかなかった。

 だから、彼らの本当の心なんて、気付きようがなかった。

 彼らの求愛を断ってから、会いに来る人はだんだんと減っていった。

 でも私はそのことを「よき友人としての距離に戻った」としか、思わなかった。元々そんなに男子と話すことなんてなかったから。少し寂しい反面、緊張しなくていい分ちょっとほっとしたぐらいだ。会えばいつも優しく笑いかけ、話しかけてくれたから気にしたこともなかった。


 そしてついに先日、王子から、「君と共に生きていきたい。愛している」と愛を乞われた。彼が一番私に親身になって慰めてくれた人だった。うれしいけれど、よくわからないというのが一番の感情だった。でも断るのも申し訳なく、返事は保留にした。王子の悲しい顔は見たくなかった。

 私は自分が異邦人であるという感覚が抜けていない。いつかは日本に帰るのだと、漠然と思っていた。彼らの求愛に応えられなかったのはそのせいで、いろんなイケメンたちに告白される毎日というものには、十分すぎるほどに浮かれきっていた。

 王子は、それからも回数を減らすことなく私の元に通い続けてくれた。

 次第に、私は彼の差し出す愛情にほだされていった。かっこよくて優しくて、私を大切にしてくれて。

 日本に帰りたいという気持ちを捨てようと決心するほどに、彼のことが好きになっていた。ずっと私のそばにいて欲しいと婚約を求められ、そして私は受け入れた。

 毎日が幸せだった。


 そんな折に見かけた、彼と公爵令嬢とのやりとり。そこに恋愛的な何かを感じたわけではない。彼らが仲が良いのは知っているし、彼らの血が近すぎて結婚があり得ないのも分かっている。何が引っかかるのか自分でもよくわからず、私はその疑問をしばらく持ち続けた。

 彼は、いつも紳士的だ。優しい笑顔と、いかにも王子様! といった感じの立ち振る舞い。いつも完璧で、絵本の中から出てきたような人だった。囁く言葉は甘く、恥ずかしいようなことを平気で言って、戸惑う私を微笑ましいとでも言うように、いつも笑顔で受け入れてくれる。たまらず反撃しても簡単にかわされ、挙げ句、恥ずかしさに悶えるような甘い言葉と振る舞いで私を更に振り回すのだ。

 思い起こせば、いつも彼は完璧だった。そつのない人だった。声を荒らげることもなければ、うろたえることもない。いつも礼儀正しく、優しく、そして物語のように甘い。

 そう、決して、公爵令嬢とするように感情をあらわに言い返すことなど、一度も……。

 まさか。と思った。でも、そう思い始めたら、止まらなくなった。

 何が、おかしかったのか。その答えは簡単だった。

 あの時、彼は、完璧ではなかった。

 公爵令嬢に感情をあらわにし、彼女の一挙一動に冷静とは言いがたい反応を返していた。

 一度気付いてしまえば、そこからはもう、芋づる式だ。

 私は彼に恋をしている。だから、彼に何か言われる度、彼に何かされる度に、焦って慌てて動揺して、冷静ではいられない。落ち着いた反応なんて、とてもじゃないけど返せない。

 ずっと王子の私への対応を「さすが王子様」「こんなにスマートな対応が出来るだなんて大人だなぁ」なんて思っていた。

 違うんだ。彼が、私に対していつでも穏やかで完璧なのは……私に恋なんてしていないから。愛してなんていないからだ。思うように動かしたいだけの、駒だからだ。

 そんな考えが、頭を過ぎった。

 疲れて、考えすぎたのかもしれない。あんなに優しい彼を疑うだなんて、私はなんて嫌な人間だろう。彼が私を駒のように扱っているだなんて……。

 そんなはずない、と必死で自分の考えを否定した。彼の優しさが嘘だなんて思いたくない。

 あの笑顔が私を好きに動かしたいだけだなんて、あるはずがない。私は必死で彼にしてもらった様々なことを思い返し、彼の言葉が真実である理由を探す。最初は私が聖女であったせいかもしれない、でも、今は、今は……。

 必死で見ないふりをした。気付かないふりをした。

「愛している」と囁かれた言葉に縋りついた。

 なのに、現実は、思わぬ所から知ることになる。


 不安と不信感がぬぐいきれずにいたせいか、散歩途中に見慣れた二人を見つけた時、思わず隠れてしまった。

 いつもなら、すぐに声をかけていただろう。でも今は顔を合わせるのも億劫で、思わず空き部屋に隠れ、彼らが通り過ぎるのを待っていたのだけど、運の悪いことに二人とも私の隠れた客室へと入ってきてしまった。

 とっさに控えの間にうまく潜り込んで気付かれるのは防げたが、そのままそこで二人が話し始めたのには、参ってしまった。顔を出すか、このまま息を潜めて待つかと悩んだ時、潜めた声が耳に届いた。


「王子も上手いことやったな。さすがと言うべきか」

「ああ。しかしまあ、王子が一番妥当だろう。王子が祝福持ちの女を手に入れるのが、一番国にとって益になる」

「そうだな。いざというときには贄に自ら進んでなるぐらい惚れさせて見せるとか、息巻いておられたぞ」

「贄ってあれだろ、聖女が命かけて本気で願えば大抵のことは叶えられるっての。いざというとき殺す気満々じゃねぇか。あの顔で、あくどいよな」

 くくくっと笑いを交えながら、ひそひそと話す声は、悪意に満ちて私の耳に届いた。

「とにかく、俺はあの小娘のご機嫌取りをしなくてすんだだけでも幸運だ。あんなのにふられたと思うと癪だが、あれのご機嫌取りを何年もするだとか、考えるだけでげんなりする」

 笑いながら話していたのは、騎士と学者……二人とも私に求愛してきた人だった。


 ああ、これが、現実。




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