旋灯奇談 第二話 ガマの穂
第二話 ガマの穂
兎狩沢太市は、中学三年の秋に東京郊外の西蔵町に越してきた。母に続いて父までが行方知れずとなったため、住み慣れた関西から、唯一の血縁者である母の従妹、朋来美里を頼って東京に出てきたのだ。なお兎狩沢と朋来の読みは、「うかりざわ」に「ほうらい」、西蔵町は架空の地名であります。念のため。
さて朋来家の家族構成は、母親の美里と娘が三人。
この女所帯に転がり込むにあたって、太市には三つの条件が突きつけられた。家事の分担と月二万円の食費の納入、それに美里の手がけるミニコミの手伝いである。ホームレスになりたくなかった太市は、迷うことなく条件を受諾、晴れて朋来家の一員となった。
ところがこの三番目の条件、ミニコミの手伝いが曲者で、太市は中学最後の数カ月を、学業よりも編集補助という名の雑用に忙殺されることになった。それでもなんとか、しがみつくように高校に進学。入学するや、今度は本格的にミニコミの記者としてこき使われる日々が始まった。
美里が発行人兼編集長を務めるのは、『西蔵町井戸端便り』という月イチ発行の情報誌で、地域の住人には井戸端便りの名で親しまれている。この生活情報を主体とした誌面のなかに、『西蔵怪異譚』という一風毛色の変わったコーナーがある。記者としての太市に手始めに命じられたのが、この読み物コーナーの取材と執筆。
が、そもそもなぜミニコミに怪異譚か。
井戸端便りは創刊十四年、通算で二百号を数える。今までに掲載された怪異譚に目を通せば、その理由が分かる。西蔵町は不可思議な出来事の多発する土地なのだ。加えて、その手の現象の体験者が多く移り住んでいる事でも知られている。その御当地ネタである怪異譚を発掘し拾い集めたのが本コーナーであり、太市担当の第一回が先に載せたジャージーベンチの話である。
実はこの第一話、初仕事ということもあってモタモタする太市に、美里が「今回だけよ」と念を押した上で、ネタ元のヘルパーさんを紹介。美里のサポートが無ければ、第一話は間違いなく締め切りをオーバーしていたことだろう。
原稿を真っ赤に校閲しながら、美里が能面のような顔で棘を刺す。
「文章はギリギリ及第点。でも物書きにとっての金科玉条は締め切り、もし原稿を落とした場合は、即刻荷物を纏めてこの家から出て行ってもらいますからね」
父親の失踪後アパートを家賃滞納で追い出され、二カ月間のダンボールハウス暮らしを経て辿り着いたのが、朋来家の畳の寝床である。陽の射さない屋根裏の三畳部屋だが、それでも雨露の凌げる住まいに違いはない。高校を出るまでは何とか居候を続けたい。そのためには、とにかく締め切りをクリアーすること。それを確実にするには、まずはネタ集めのルートを開拓しなければ。そう考え太市が目を付けたのが、町内の風呂屋である。
午後の三時、授業が終わるや、太市は遺失物払い下げ品のママチャリを走らせた。
目指すは長窪団地の裏、創業明治四十年という天狗湯。番台手前、下足場横の篠屋を改造した休憩室、通称『なごみ亭』が、そのターゲットの本丸だ。
十畳ほどの部屋の手前半分が板敷き、奥半分が居酒屋の小上がり仕立てで畳敷きになっている。湯上りにゴロンと横になって休むもよし、奥のちゃぶ台にお茶が、手前のテーブルにコーヒーが用意されているので、日なが一日無駄話に興じてよしの、年金暮らしのお年寄りや、暇人、フリーターの憩いの場である。
自転車をヨシズ裏に停めると、太市は下駄箱に靴を放り込んだ。
ところが、せっかく足を運んだのに人の気配が薄い。戸口に吊るした玉すだれの向こう、奥の畳み敷きで、しかめっ面の男が二人向かい合っているだけだ。第一話にも登場した元デコトラ運転手のデンさんと、漱石髭の徳三郎先生で、将棋を打っている。
すだれ越しに徳三郎先生が「いよっ、新聞少年」と、気さくに手招きをする。
太市はこの春から新聞配達のバイトを始めた。その朝の配達時の顔なじみが徳三郎先生。朝靄明け去らぬ早朝の五時半、先生はいつも団地三号棟の前で体操をしている。団地の郵便受けに朝刊を投函する際、その先生と顔を合わせるのだ。
徳三郎先生に続き、七十半ばにしていまだ剛毛スポーツ刈りのデンさんが顔を上げた。
が挨拶がわりに顎をしゃくっただけで、すぐに視線を盤に戻す。形勢いささか宜しからずの状況らしい。
太市は玉すだれを小気味よく響かせると、休憩室に上がりこんだ。
徳三郎先生には入れ歯事件の際に話を聞かせてもらった。掲載号の井戸端便りは礼状を添えて郵送済みだが、ここはまず礼を口にすべき場面だろう。
大人の世界でいう営業スマイルを口元に浮かべると、太市は大きく腰を折った。
「先生、その節はお世話になりました、おかげさまで、滞りなく記事を纏めることができました。今後ともよろしくお願いします」
いささか杓子定規な挨拶になってしまったが、「ああ読んだよ、いい出来だね」と、先生は御機嫌な声を返してくれる。
ところが盤を挟んで先生に対するデンさんが、それを鼻で笑った。
「自分を格好よく書いてもらって嬉しがるなんざ、ガキのすることだ、な」
挑発するような物言いに、徳三郎先生が手にした駒を握り締めた。
「これは聞き捨てならぬ、何を根拠にそう申される」
「そうじゃねえか、化けもんが出てきたらどうしようって、オロオロして皆に相談してた姿なんざ、一行も書いてねえんだから」
「あれは、万が一の状況にも対処できるよう、皆にアイデアを募集しておったんじゃ」
「口先でなら何とでも言える、まったくこの、お漏らし坊主が」
デンさんは形勢が悪くなると相手を罵る癖がある。怒らせミスを誘おうというのだ。
いつもならそれを柳に風と受け流す徳三郎先生だが、さすがにお漏らしと言われては言葉が尖る。
「なら聞く、オオクスの天狗様に浚われると三原先生に脅され、学校の行き帰りに拙者の腕を掴んで離さなかったのは、どこのどいつだ」
「あ、またそういう昔の話をしやがる」
「みもどが先に、言ったんであろうが」
「みもども、へども、クソ喰らえだ。この時代劇かぶれのションベンたれ」
「また言いおったな、このバカの一つ覚え」
「バカとは何だ、バカとは!」
突然大声でやりあい始めた二人に太市が面食らっていると、ジャララッと、すだれが跳ねて、鼻に掛かった柔らかな声が二人の間に割り込んできた。
「あらあら、また将棋で喧嘩、いつも仲のいいこと」
この一声で、男二人の年甲斐もない口げんかが、ピタリと止む。
駅前の一杯飲み屋、琴音のママである。無地のTシャツにスラックス、髪を頭の後ろで軽くまとめたラフな格好で、銭湯の道具一式の入った買い物かごを右手、丸めた新聞を左の小脇に抱えている。
板敷きに上がったママは、将棋盤にチラリと目を投げると、含み笑いを漏らしてテーブルの上に新聞を広げた。中から薄茶色の筒状の穂と、細長い葉が一束転がり出た。フランクフルトそっくりの穂は水辺に生える草のガマである。
琴音のママは、お店を開ける前に軽く一風呂浴びに来る。その際、店で使う花の残りを持参して、なごみ亭に飾るのだ。棚下に並ぶ十個ほどの花器のうち、備前焼きモドキの素焼きの花瓶がお気に入りで、さっそく首の垂れかけたアジサイを片し、ガマを生け始めた。モドキの花瓶を愛でる庶民的なところが、なごみ亭常連の男性陣に人気のママだが、日舞師範代の免状の持ち主でもあり、花を生けるちょっとした仕草にも、はんなりとした優雅さがにじみ出る。
それを目に留め、眼福とばかりに眺め入る徳三郎に、デンさんが喚いた。
「なに鼻の下を伸ばしてママに見惚れてんだ、ほら王手返しだ」
気合いを入れた一手、駒がパチンと盤上で弾ける。
顎を引き盤に目を落した先生が、漱石髭をグイとしごき上げた。
「下手な考え休むに似たり、墓穴を掘ったな、それだと即詰み」
言って盤横の駒に伸ばした先生の筋張った手を「待った待った」と、デンさんが強引に押し留める。
「待った一つで焼酎二杯、今日だけで待った三回の焼酎六杯、どうする吾人、負けを認めるか」
「ええい、年金の支給日まで、あと何日だーっ!」
白髪混じりのごま塩頭を掻きむしるデンさんに、「あと、四日でんな」と、こなれた関西弁が、玉すだれの向こうから飛び込んできた。
すだれを割って入ってきたのは、前掛け姿の小柄な男性。駅前商店街のうなぎ屋、鰻万の御主人、万次さんだ。
「これは珍しい、万さんが、こんな時間に湯に来るとは」
「あー、団地の区長さんやないですか、いや別に湯に入りに来たんやのうて、チラシを壁に貼らしてもらおう思いましてん。あとはこれ……」
万次さんが膨らんだ茶封筒の中からそれを引き出した。
「お、風鈴か」
「梅雨明けまで、もう一息やよって」
万次さんは風鈴をテーブルの脇に置くと、こちらが本命とばかりに茶封筒からチラシの束を取り出した。鰻万恒例、夏のうなぎ祭りのチラシである。
夫婦で商う町場のうなぎ屋にしては気合いの入ったカラー印刷のチラシだが、良く見ると文字のレイアウトがいまひとつ、手作りなのだ。しかし昨今のデジタル機器の性能は凄まじく、写真にしてもプロ顔負けのものが簡単にプリントできてしまう。
そしてチラシの中央にドーンとはべるは、看板商品の鰻重。
こんがり、ねっとり、ふっくりと、塩梅良く焼きあがったウナギの表面が、艶光りを放ちながら、フワリと立ち昇る湯気の間に見え隠れ。思わず箸の先で摘んで身の厚みを確かめ、焦げて煮詰まったタレを白いシャリに絡めて、大振りにほぐした鰻の身と一緒に舌の上に乗せて、口をアグアグと動かしたくなる、そんな唾液誘発剤のような写真だ。
ガマの葉の向きを整えていた琴音のママが、チラシを覗くや悲鳴を上げた。
「うわあ、万さん、それ目に毒よ」
「それが狙いでんがな」
汗をかく夏場、一風呂浴びるのは夕食前だ。そのすきっ腹に、湯気が立ち昇るうな重を見せられては堪らない。胃が絞り込まれ、目が宙をさ迷う。
女将の反応に気を良くした万次さんが、チラシを棚の壁にペタリ。
「値上げせんと頑張るぶん、客に来てもらわんと、あきまへんよってに」
「いかんいかん、ここから見ても、唾が湧いてくる」と、口元を拭う徳三郎。
「お一人様も歓迎ですよって、ぜひ、お越しやす」
「あーだめ、わたし自制心がないの。それにダイエット中だし。万さん、悪いけど、チラシの前に花瓶を置かせてもらうわ」
嫌々をするように首を振り、ママが貼ったばかりのチラシの前に花瓶をドンと置いた。
「ママさん、そら殺生や」
哀願するような万さんの声に続いて、デンさんの「負けやーっ」という、うめき声が、狭い部屋に響き渡った。
「くそーっ、験直しや、一風呂浴びてくる」
「風呂よりも、脳みそ挿げ替えるのが先でしょうかねえ」
徳三郎のとぼけた送り出しに、デンさんが拳を振って吼える。
「一風呂浴びたら、絶対雪辱するぞ。やい徳。俺が勝ったら借りの焼酎はチャラ、いや違う鰻重や。鰻重をおごってもらうぞ」
豪快に捨て台詞を吐くと、デンさんは手拭いをパンと柱に打ち付け、すだれを手で撥ね上げて、脱衣場に続く板敷の廊下に出て行った。
大声のデンさんがいなくなると、とたんに部屋が静けさに包まれる。
夏の夕、ガラスの引き戸は開け放たれ、外の壺庭から梅雨時の湿った風が撫でるように流れこんでくる。その忍び足の風に、生けたばかりのガマの葉が微かにしなる。先に飾ってあったアジサイが梅雨の花なら、ガマは梅雨明けを告げる草だろう。真っ直ぐに天を指して立ち並ぶガマの穂の先に、夏の青空が透けて見える。
花瓶に生けられたガマに目を向け、徳三郎がフムと漱石髭の先端を指で引っ張った。
「何が、フムなんですか、先生」
切り散らかしたガマの葉を新聞の反古紙で丸めつつ、ママが聞く。
「気がつかないかなあママさん。ガマの穂と、後ろのチラシの組み合わせ」
風鈴を軒先に吊るしていた万次が「そや!」と、大きな声で相槌を打った。
振り向き棚の上の花瓶に目を向けて、もう一度「そや!」。
「いやあね、二人して、なんのことよ」
「フムはフムじゃな、なあ、万さん」
「はい、フムフムでんな」
「もー、やだ、男二人で気持ちの悪い」
ママの身のよじりを楽しむように、先生と万次が目配せを交わす。
堪らずママが、将棋盤の横に突っ立つ太市に視線を送った。
「ね、そこの学生さん、この底意地の悪い二人の言ってることが分かる?」
色気を孕んだママの視線に思わず背筋を伸ばした太市であったが、一呼吸置くと「それって、漢字のことかも」と、ややぼかした形で答えた。
太市には、徳三郎先生が言わんとしていることが分かった。つい最近本で読んで知ったことだ。が、それを今この場で自分が口にするのは野暮というもの。ママにウンチクを垂れるのは、先生の役だ。
「さすが記者は違う。分かっとるのォ!」
手を打って立ち上がると、先生は足裏を滑らせるようにして棚に歩み寄り、花瓶に生けられたガマの穂を指先でチョイと弾いた。
「知っておるかな、ガマという植物を漢字でどう書くか。まあ韓国籍のママには、ちと難しい質問かもしれんが」
「ちょっと先生、気を持たさないで、さっさと話してよ」
ママの白くて細い指が、誘うように徳三郎の肘に添えられる。
コホンと大げさに咳を付くと、徳三郎先生が講釈を口にした。
つまり、こういうことだ。
「ガマ」を漢字で書けば、「蒲」。そして鰻のかば焼の「かば」も「蒲」と書く。なぜ草のガマと、鰻のかば焼のかばが、同じ漢字を当てられているか。
うなぎを食べる際、腹を開いて串を打って焼くようになったのは今から二百年ほど前、江戸時代の後半からで、それまでは、ぶつ切りにして筒状のまま串に刺して焼いていた。その筒状のうなぎの焼きものが、あたかもガマの穂にそっくりだったことから、植物の蒲の字を取って蒲焼という名が生まれた。ちなみに、ぶつ切りのうなぎの焼きものは、それほど美味しいものではなかったという。
ついでにいえば、江戸時代、うなぎは至る所にいて、鈎針を付けた引っ掛け棒で川底を引けば、いくらでも獲れたものらしい。稚魚のシラスウナギが減って、毎年、値段の高騰とレッドデータ入りが話題になる今とは、比較にならないくらいウナギがいっぱいいたということだろう。
「へえ、ガマと蒲焼ねえ」
ママが花瓶を横にずらし、後ろのチラシをしげしげと眺め入る。そのチラシの下、蒲焼きの文字を万次さんが指さし、誇らしげに指南の一言を弁ずる。
「ように見なはれ、ほら、蒲の字って草かんむりでっしゃろ」
「あー、ほんと、ほんとだわァ」
ママが小娘のようにはしゃいだ声を上げた。その四十路とは思えない初々しさに、眩しいものでも見るように目を細める万次の背を、徳三郎がポンと叩いた。
「そうだ万さん。前に、うなぎ獲りの話を聞かせてくれたことがあったな。あの話を、この学生さんに聞かせてやってくれないか。美里ちゃんのやってる井戸端便り、あの怪談のコーナーを、この学生さんが担当することになったんだ」
思い当たったのだろう、万次が「ああアレかいな」と頭をかいた。
脈ありとみた太市が、すかさず媚びた視線で言葉を繋ぐ。
「ぜひ、お願いします。昨年から初めたネットの配信で、若い世代の読者も増えています。お店の宣伝もちゃんと載せますから」
一寸思案気に腕の時計に目を落とした万次に、「今度、鰻重を食べに行きます、家族で!」と太市が畳み掛けると、鰻万の大将は苦笑いにVサインを添えた。
いささか前置きが長くなった。
第二話は、この万次が子供時代に経験した出来事である。
喋りからも分かるように、鰻万のあるじ、万次は関西の出身。子供時分はかなりの腕白坊主だったらしく、ヤンチャと万次をもじって、マンチャと呼ばれていた。
そのマンチャ少年が四年生の時のこと。
昭和も半ば、日本は高度成長の好景気に沸きかえっていたが、一方では排気ガスの増加による光化学スモッグや、工場排水の垂れ流しによる水質の悪化、添加物の乱用による食品汚染など、急激な工業化の反動として、公害問題が全国津々浦々で顔面のにきびのように噴き出していた時代でもある。今回の話に即していえば、日本の川や沼でまだまだ天然のウナギが獲れた時代ということもできる。
さてそのマンチャだが、某大手製薬メーカーに勤める父と専業主婦の母と共に、大阪の中心街から電車で四十分ほどの町に住んでいた。サラリーマンのベッドタウンとして開発された建売住宅が雨後のタケノコのように立ち並ぶ無機質な新興住宅地だが、それでも町を一歩飛び出せば、まだまだ周辺には農地が広がり、子供たちが自由に走り回れる空き地や自然もたくさん残されていた。
その子供たち、とりわけ男子の遊び場の筆頭が、通学路の途中にある二級河川。淀川のように大き過ぎず、田んぼ脇の水路ほど小さくもない頃合の川で、その川を跨ぐ沈水橋が、学校帰りの男の子たちの格好の遊び場になっていた。この沈水橋とは、川が増水した際に水没することを前提として作られた橋で、橋脚のあるものから、マンチャが遊び場にしていた橋脚のない砂防ダムようなものまで色々。とにかくマンチャは学校を終えると、ランドセルを放り出し、その沈水橋の周りで遊び呆けた。
川遊びの楽しみは何と言っても魚採りである。
なかでもマンチャが好きだったのが、ウナギ釣りだ。
日中、ウナギは河岸の岩の間や水底のゴミの下、あるいは泥の中に潜り込み、夜になると出てきて餌のエビや小魚を食いあさる。案外悪食で貪欲な魚である。
ウナギの獲り方には様々あるが、マンチャが得意にしていたのが探り釣り。ミミズを付けた針と糸を割り竹の先に引っ掛け、それを護岸の石垣の隙間、つまりウナギの潜んでいそうな場所に突っ込み、ウナギが食いつくと竹を外して、糸を引っ張ってウナギを引きずり出すというものだ。とにかく岩の間を探ってウナギが喰いついた時のググッと指先に伝わる感触が堪らない。ただ一度釣り上げてしまうと、同じ場所に新しいウナギが棲み付くまでしばらく待たなければならない。
その日、ウナギの隠れていそうな場所をあらかた探り、一匹の釣果もなかったマンチャは、思い切って新しい釣り場を探しに行くことにした。
実は一週間前に念願の自転車を買ってもらい、その新品の自転車にも馴れて、少し遠出をしてみようと考えていたところだった。沈水橋を半キロほど下ったところに国道が走っている。そこから先は校区も替わり、足を運んだことのない場所だが、地図で確認すると、川は国道から二キロほど下流で海に出る。ウナギ釣りのポイント探しを兼ねて、その河口までを往復してみることにした。
走りつつ、ウナギの隠れていそうな場所を探す。ところが下流の河岸は、どこも真新しいコンクリートの護岸に変わっていた。これなら上流に向かって走ったほうが良かったかなと臍を噛みつつ、せっかくだから海が見える場所まで行ってみようと、せっせとペダルを扱ぐ。
川面を吹き渡る風が、潮を含んだのっぺりとした風に変わってきた辺りで、コンクリートの堰のような別の沈水橋が現れた。上流からの水が堰き止められ、沈水橋の手前で淀んだ水面を広げている。対して沈水橋の下手、海側は、ちょうど干潮の時間なのか川底が露出している。土手の斜面を下って沈水橋の上へ。
河口までは、あと半キロほどだが、川筋が曲がっているため海は見えない。
それでも渡る風に潮の香りが混じる。
それはなんともマンチャの心をそそるものだ。
海だ、海。親と一緒に行ったことはあっても、一人で行ったことはない。自分だけで海に行くこと、それは自分が、ささやかながら一つ親の手を離れて新しい世界に足を踏み入れることのような気がして、心が昂ぶってくる。
足元に目を向けると、沈水橋を挟んで海手側のコンクリートには、びっしりとフジツボがへばりついている。比べて川側のコンクリはツルンとして何もなし。まるでここまでが海、ここから上流は川と、誰かが境界線を引いたようだ。
アオコを含んだ水が、沈水橋中央の堰を超えて吐き出され、一筋の澪を河口に向けて流している。そのヘビのようなうねりの先に、川底に取り残された潮溜まりが点々と並び、そこに人垣ができていた。
人の輪は子供たちで、その十人ほどの子供たちに取り囲まれるようにして、大人たちがしゃがんで何かやっている。
マンチャは土手の上に自転車を残すと、沈水橋から潮の引いた川底に下りた。
牡蠣の殻がびっしりと積み重なった川底は、サンダルからはみ出た足の指を切りそうで背筋がピンと緊張する。足裏に伝わるゴツゴツとした感触に気を配りつつ川底を歩く。
人垣のできた場所は、潮だまりの中に岩が寄せ集められた場所だった。形からして護岸に使われていた石垣の岩だろう。
居並ぶ子供たちの背と背の間から中を覗くと、野良着姿のおっちゃんたちが、潮溜まりで目の粗い布袋をギュッギュと揉み洗いでもするように絞っていた。絞る度に袋から茶色い汁が滴り落ちて、潮溜りの中に広がっていく。
大人たちが手ぐすねを引いて、「そろそろちゃうか」と声を掛け合う。
「よっしゃ、出てきた」と、捻り鉢巻のおっちゃんが足元を指した。
「こっちもや、しかしちっちゃいな」
「こっちは、ええサイズやで」
亀のように首を伸ばした子供が、「ウナギや!」と声をあげた。
一斉に子供たち全員が、声のほうに体を寄せる。
「第一号や」と、捻り鉢巻のおっちゃんが、水の中からヒョイとウナギを掴み上げた。そしてあたふたと水から上がり、石の上に置いた竹カゴの中にウナギを放り込んだ。直系一メートルはある大カゴである。
「ほれ、第二号、こっちはチビ助や」
上半身裸のおっちゃんが、潮溜まりに足を浸けたまま、小ぶりのウナギをカゴの口目がけて放り投げた。次々と岩の隙間からウナギが顔を覗かせ、それを大人たちが捕まえてはカゴに放り込む。
「おっちゃん、こっちもや、いてるいてる」
子供たちが岩の間を覗き込んでは、口々に嬌声を上げる。どうやら潮溜まりに寄せ集めた岩の隙間から、ウナギが這い出ているらしい。
他の子供たちに遠慮して一歩控えた位置で眺めていたマンチャも、堪らず潮溜まりに体を寄せ、水の中を覗き込んだ。最初は水面に映る自分の顔に紛れて分からなかったが、目が慣れてくるにつれて、黒っぽい棒のようなものが、水中の岩の間から頭を突き出しているのが見えてきた。苦しげに口をハクハクさせている。
隣の子供が身を乗り出すその下では、ウナギが束のごとく折り重なっている。
エンピツのように細いウナギから、ホースのように太いウナギまで、ごっちゃだ。
どこにこんなたくさんのウナギが隠れていたのだろうと思えるくらい、ウナギが姿を見せていた。
あとで知ったことだが、こういう石を寄せて作ったウナギの棲みかを、ウナギ床というらしい。それと、おっちゃんたちが潮溜まりで絞っていた布袋の中身は、なんとタバコの葉っぱだった。タバコの葉にはニコチンの毒が含まれている。毒を含んだ水に曝されると、ウナギが苦しくなって岩の間の隠れ家から出てくる。出荷できない質の悪いタバコの葉っぱを使ってのウナギ獲りだった。
そういえば、テレビのドキュメンタリー番組で似たような場面を見た覚えがある。ジャングルの原住民が、川で木の根を潰して毒を洗い出し、魚を浮き上がらせて捕る漁法で、番組では「魚毒を使って」と説明していたが、それと同じことだろう。
見物の子供たちも、いつしかウナギ取りに参加していた。
「よっしゃーっ、一息入れて、次の潮溜まりに掛かるかーっ」
ウナギの掴み獲りを始めて二十分、先に水から上がっていたステテコ姿のおっちゃんが、頭に回した手拭いを締め直して皆に号令をかける。
ちょうどその時、潮溜まりを挟んでマンチャの反対側、膝を抱えて水面を覗き込んでいた女の子が、「わっ、なんやろ、流木が動いてる」と、可愛い声を上げた。
大人たちが駆け寄ると、果たしてそれもウナギ、しかも掛け値なしの大ウナギだ。
「うわ、こりゃまた、ごっついやっちゃな」
見えているのは胴体だけで、頭は岩の出っ張りの下に潜り込んでいる。二つの岩がくっつくようにして転がっているため、手を差し入れる隙間がない。窮余の策で、バケツの中でタバコの汁を絞り出し、その濃い汁を岩の隙間に流し込んで、潮溜まりの方に追い出すことにした。子供の腕ほどもあるぶっとい特大のウナギである。大人も子供も、全員がそこに集まり、固唾を呑んで成り行きを見守る。
ただマンチャ自身は、皆から距離をとってその様子を眺めていた。
つい今しがたウナギ取りに参加しようとすると、中学生っぽい兄貴分の子供から、「おまえ、どこの学校や」と、きつい目で睨まれたのだ。
「第二小やけど……」と尻すぼみの声で答えると、マンチャは水から上がった。
そのまま帰ろうかとも思ったが、タバコの葉っぱを使ったウナギ漁など、めったにお目にかかれない。一歩下がった場所で、見物だけでもと考えた。
バケツ作戦は上手くいったようで、大ウナギが岩の隙間から潮溜まりに出てきた。
しかしそれからがまた大変。大人たち全員で追いかけ回すが、なかなか捕まえられない。太すぎて掴めないのだ。見物の子供たちも、みな大興奮だ。
その熱狂の最中、マンチャはなんとなく後ろを振り向いた。
自分より後ろにもう一人子供がいることは気づいていた。ウナギを入れた大カゴの横に、ポツンと棒立ちになって、カゴの中をチラチラと覗きこんでいる。黄ばんだランニングと、すその解れかけた灰色の半パンを履いた細身の男の子だ。ただ前被りにした麦わら帽のひさしが邪魔をして、顔は見えない。
ウナギ獲りの熱狂の輪に入って来ないということは、あの子も他の地区の子なのだろうと、そう思った時、男の子の枯れ木のような細い腕がカゴの縁を掴んだ。
男の子がチラッと顔を起こすと、マンチャの方を見た。割れた麦わら帽のひさしの間に、男の子のニッと笑った口元が覗く。
その瞬間、マンチャは息が止まる気がした。麦わら帽の男の子が、細い腕でカゴをヒョイと持ち上げ、ひっくり返したのだ。横倒しではない、まっさかさまにだ。
中のウナギが、水をぶちまけたように四方八方に這い出る。
その時、ワーッと大きな歓声が湧いた。大人たちが四人がかりで大ウナギを掴み上げたのだ。素手ではなく手拭いで縛るようにして捕まえている。そしてカゴに運ぼうと振り向き、ひっくり返ったカゴに気づいた。ウナギというウナギが、くねくねと体をくねらせながら逃亡を始めている。
そしてマンチャは眼を疑う。マンチャが引き上げられた大ウナギに気を取られて一瞬カゴから目を離した隙に、あの麦わら帽の男の子の姿が消えていたのだ。
当然、一番後ろにいたマンチャに大人たちの視線が集中。咎めるようなきつい目で睨まれた。しかし下膨れの大カゴ、それも底が見えないほどウナギを詰め込んだカゴである。小学三年生の細い腕でこれをひっくり返すのは、どう考えても無理。それにマンチャがカゴの横にいたのならまだしも、マンチャとカゴは、五メートルも離れている。
大人たちは首を傾げながらも、千歳一隅のチャンスを得て逃げるウナギたちを追いかけ始めた。再度捕まえることができたウナギは、三分の一ほどだろう。そして特大の大ウナギは、この騒ぎのドサクサに紛れて姿を隠してしまった。
疑われたのは癪だが、それでもマンチャは逃げたウナギを捕まえるのを手伝った。手伝わずに帰ると、余計疑われそうな気がしたこともある。がそれより一人になるのが怖かったのだ。薄気味の悪さが粘り気を帯びた潮風のように体にまとわり付いていた。自分は見た。麦藁帽のひさしの影に入っていたが、あの男の子の口元には櫛のように細い歯が並んでいた。そしてカゴの縁を掴んだ指と指の間には、水かきが……。
背筋に氷を当てられたように、マンチャはブルッと体を震わせた。
その日以来、マンチャは川遊びをしなくなった。友だちに誘われれば行くが、一人では行かない。当然ウナギ獲りも止めてしまった。
片手で軽々とカゴをひっくり返した麦藁帽の男の子。あの情景を思い起こすと、とても一人で川遊びなどできないと思う。水かきの付いた手が自分の足を掴み、強引に川の淵へと引き擦り込む様子が、脳裏に浮かび上がっては消える。
一年が過ぎ、また夏がやってきた。
マンチャは学校主催の林間学校に参加した。
清流の流れる山合いでのキャンプ。マンチャは大鍋を抱え、川の清流にジャブジャブと分け入った。百人分のカレーを作った特大の鍋である。マンチャは流れの打ち寄せる岩の縁で、膝まで水に浸かって鍋を洗い始めた。
粗方汚れをこそげ落とし一息付くように顔を上げたマンチャの耳が、上手の橋の方で上がった女生徒の黄色い声を捉えた。川に落ちたーっ、と叫んでいる。
直後、マンチャの前方を黄色い色が過ぎった。女子の着る黄色い体操着だ。
視線を走らせるが、周囲に大人の姿はない。先生が駆けつけてくる間にも、女の子は溺れてしまうかもしれない。自分は泳ぎは得意だ、ここは自分が助けるしかない。
そう判断すると、マンチャは迷うことなく水に飛び込んだ。
川の流れに乗りながらクロールで少女を目差す。しかし水面は視点が低く、おまけに流れで体が回転、少女を見失しなってしまう。
どこだ……と首を振るマンチャに、水面に突き出た手の平が見えた。
あそこだ!
マンチャは大きく息を吸うと、ズボッと流れに体を沈めた。水が冷たい。
水中で目を開いたマンチャの前方、沸き立つ泡の先で、黄色い体操着が見え隠れ。
方向を見定め思い切り水を掻く。途中で水面に顔を出し、息を継ぎながら流れる少女を追う。そして白くて細い腕を掴んだ。
やった、と思ったのもつかの間、少女が自分の肩にしがみついてきた。顔が水に沈む。慌てて足を蹴るが、その瞬間、ふくらはぎに痛みが走った。ヤバイ、脚をつったと思った時には、少女もろともマンチャは渦の流れに引き込まれていた。早く水面に顔を出さなければと焦るが、少女の体が枷になって、体が持ち上がらない。このままでは溺れてしまう。
息が苦しくなって思わず口を開く。水が自分の狭い喉をこじ開けるようにどっと流れ込んでくる。苦しい、もう駄目だ……。
観念しかけた時、ふっと体が軽くなった。
背中が水底から押し上げられるような感覚と共に、青い空が目の前に広がる。
水面から顔が出ていた。仰向けの状態でユルユルと流れを横切るように進んでいた。自分の顔にくっつくようにして、少女の蒼白な顔もある。
流れの緩やかな瀬に入ると、二人はそのまま川岸に流れ着いた。背中を支えている手のような感触が、ゴツゴツとした石の感触に変わる。
体の向きを変え膝をついて顔を上げると、川面に突き出た二本の手が見えた。水かきのついた掌が、バイバイとでもいうように左右に揺れている。
その青緑色の手をよく見ようと体を起こしかけた時、急に胸が痛み、マンチャはゲホゲホと水を吐いた。そして意識がスーッと遠のき、その場につっぷした。
意識の淵で「大丈夫かーっ!」という先生の声が聞こえていた。
万次さんの話を聞いていた琴音のママが「それって、カッパってこと」と、両手を口に当てて聞く。目がお正月の丹波の黒豆のようにプックリと輝いている。
「今にして思えば、そういうことなんやろうけどね……」
懐かしむように話す万次さんに、「そうかあ、カッパかァ、凄いわねえ、カッパを見たなんて」と、ママがカッパを連呼。ママの思い入れたっぷりな反応に、万次さんが照れたように頭をかいた。
そのカッパを連呼するママを横目に、太市は万次さんにどう感想を述べ、何を質問しようか頭を捻っていた。
怪異譚の取材に関しては、美里さんからアドバイスを貰っている。
怪異譚は勢いその怪しさや不思議さが表に立ってしまう。しかしそれを読み物にまとめる際には、裏にある関係者の秘めた想いや、人と人のドラマが大切になってくる。話の聞き取りでは、特にその点に留意すること、と。
その伝でいえば、カッパを目撃したことやカッパに助けられたことが、万次さんの考えや生き方にどういう影響を与えたのか。万次さんはサラリーマンの息子のはず、その子が鰻屋を開業したのだ。鰻屋の仕事を選んだことと、カッパの目撃とは関係があるのか、その点はぜひ聞いておかなければならない。それに……。
カッパとは関係ないかもしれないが、鰻屋の仕事とは、日々生きたウナギをさばくこと、殺生を続けるということだ。それはどういう心持ちのことなのだろう。自分も一度だけウナギを捌いたことがある。頭に釘を打ち付け腹を裂き、体を左右に開いても、ウナギは抵抗を続けるように体をのたくらせていた。あれを何十年も続けるのだ。
太市が質問事項を頭の中で整理しているうちに、ママさんのカッパの連呼が終了、待っていたように徳三郎先生が口を開いた。
「最近雑誌で目にしたカッパについての一文なんだが、ま、蛇足になるかもしれないが、聞いてくれるかな、青年記者くん」
いつもの大仰な時代劇調とは正反対の、噛んで含めるような喋べり方で前置きをすると、徳三郎先生は太市に向き直って、ある話を付け加えた。
日本の貧しい村では、明治に入っても間引きが行われていた。間引きとは生まれてきた子供を意図的に死なせて葬ることだ。むろん経済的に困窮した上での、やむなくの行為である。間引きされた嬰児の遺体は、墓地に埋葬されることはない。母親や産婆が秘かに庭の片隅に埋め、場合によっては山や川原に捨て、川に流されることもあった。その親から葬られ、水に流された嬰児の霊が川の精に乗り移ったもの、それが河童だったのではないか。
いま現在、日本の河川はどこも護岸の工事が行き届き、ゴミの不法投棄さえも気の引けるようなすっきりとしたたたずまいを見せている。しかしほんの百年時間を巻き戻せば、河川敷とは、社会から押し出され、虐げられた人たちの住まう場であった。川とは怨念の行き交う道でもあったのだ。今も時おり河童の目撃談が話題に上る。それはもしかして、遠い昔に間引きされた子供の霊が、今もなお川筋をさ迷い続けていることの証なのかもしれない。
先生は喋り終えると、やはり人の話に他人が余分なことを付け加えてしまったと感じたのか、恥じるように肩を窄めた。
しかし万次さんはそれを気にするでもなく、ガラス戸の向こう坪庭の小さな瓢箪池に視線を投げた。そしてポソリと口にした。
「もう記憶の彼方なんやけど、わいの妹、幼稚園の時に池に填まって亡くなりよったんですわ。その妹そっくりやったんで、助けた女の子……」
吊るした風鈴がチーンと冴えた音を梅雨明け前の灰色の空に響かせた。