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天才医薬師

 ガラス容器に入れられたピンク色の液体の中で、小さな固まりが拍動を繰り返していた。

 手術台の上には、まるで張り付けにされているかのように小型のブラックウィリーモンクスが横たわっている。すでに胸を開かれ、胸の中央部で拍動している心臓が覗く。動きを止めたモンクスの中で、そこだけが別の生命体のように見えた。

 緑の帽子に緑のマスク。緑色の手術着を纏った青年が、聖職者のような眼差しで、ピンク色の液体の中から小さな固まりを取り出し、それを隣の透明な液体の中に移す。

 ジョバンニ・クエントだ。

 マチルダの死後、出産科の教授の推薦で無事に診療医の資格を取り、今ではリジェナチュール(再生術)を専門とする若手のホープだ。

 今日は新しいリジェナチュールを試す動物実験の日。公開で行われている手術を見ようと、医師だけでなく薬師達もが、見学に来ていた。


 手術室に、医薬師は彼一人。

 少し離れたところに、道具の手配を手伝う介助師が二人、直立不動で立っている。

 皆、固唾を飲んで、彼の手元を見つめている。

 手術台の上には、チューブに繋がれたモンクスが1匹。

 このモンクスの心臓を取り出し、アルティオルガナムで作り出された人工心臓と入れ替えるリジェナチュール術。初の動物実験が、今まさに、行われようとしていた。


 彼の右手がメスに伸びる。その動きは、宗教儀式の始まりのように厳かだった。

人工血管が、雑作も無くモンクスの体に繋がれる。脇に置かれた機械がゆっくりと動き出し、赤い液体が流れ出す。生命体の動きが止まる。

 ガラス窓のこちら側にいる人達が、息を飲む音が聞こえた。

 まず、モンクスの大動脈が遮断される。

 青年の右手が握る銀色のメスが、右心耳の基部を切り開いた。メスの先は、房室間溝に沿って更に下へと動いていく。下大静脈から冠静脈洞へ向かい淡々と切開を進め、そのまま心房中隔へ向けて延長していく。

 彼の動きには、少しの迷いもためらいも無い。まるで機械のように、正確に歯先を動かしていく。

 大動脈、肺動脈が、それぞれ動脈弁直上の位置で切離される。

 最後に、心臓の裏側、左心房の中隔から左心耳基部に向かって切開され、僧帽弁沿いで完全に切り離された。

 先ほどまでモンクスの命を支配していた物が、摘出された。

 もの言わぬ赤い固まりには、畏怖さえ感じられた。それは、修道士のような青年の手によって、銀色の容器の中に静かに横たえられる。

 しかし、青年には何の感慨もないようだった。彼の手は休むことなく、透明の液体の中に浸かっているピンク色の物体を無造作に摑み出した。そして、その固まりを、主を失ったモンクスの大きく開いた胸部にねじ込む。

 ジョバンニは、銀のトレイの上から、銀色の針をつまみ上げた。透明な糸が、眩しいほどの光に照らされてキラキラと輝く。

 まずは左上肺静脈から。左心房流入部より左心房の外側にむかって、心房中隔の下端まで縫い進める。右手が機械のような正確さで動く。ジョバンニの指は、慣れた手つきで血管を次々に縫合していく。うっとりするほどの手際の良さだ。

 そして程なく、大動脈の遮断が解除される。


 一瞬の、しかし永遠とも思える沈黙があって、パルスを示す波がコルディオグラフの上に表示され始める。

「おぉ!!」

 取り巻いていた見学者達は、感嘆の声と拍手をあげてその波を祝福した。

 それから30分ほどの間に、生まれたばかりのピンク色の心臓は、最初こそ弱々しかったものの徐々に強さを取り戻し、いつの間にか、最初からそこに居たかのような規則正しく拍動を繰り返している。

 人々のざわめきが続く中、これまでモンクスの命を担っていたモンクスの体より何倍も大きな機械の動きを、ジョバンニ・クエントの長い指が静かに切った。

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