エリザベート王女
2千年の歴史を誇るドレイファス王国は、月の龍の伝説が残る神話の国キールを守護する役目を担う守護騎士国だ。大陸の多くの国がそうであるように、騎士道が国の根幹を支えている。騎士の城でもあるカラキムジアの王宮は、街の中央部に位置する小高い丘の上に建つ。有事の際には堅牢な砦となる城は、装飾を排した質実剛健な造りをしている。
「おぉ、待っておったぞ、フルバ」
大広間へ通されたフルバを、いつもの歯切れの良い声が迎える。
膝まである深紅のロングジャケットを羽織ったドレイファス王カールスが、部屋の奥から歩み出てきた。
「相変わらず美しいな」
カールスみずから、フルバの腰を抱くようにして親密な挨拶を交わす。
「ご機嫌麗しゅう。カールス陛下」
「どうだ。アカデミーの方は。これまた違った仕事で面白かろう」
フルバがシャルル・アドルフ大学に職を得たのも、カールス王の推挙があってのことだ。
「おかげさまで。若い学生たちと一緒にいると、自分まで若返るかのようです」
「そなたがそれ以上若くなっては困るな」
カールスが声を立てて笑った。
「それから。娘は…エミリアは元気か」
「はい。変わりなく。最近は、伝い歩きができるようになりました」
「そうかそうか」
カールスは眼を細め、ほんの一瞬、父親のような顔をした。
「近いうちに、ぜひ連れてきてくれ」
「仰せのままに」
膝を少し曲げて王に頭を垂れる。
「今日呼んだのは他でもない。会わせたい人物がおるのだ。こちらへ来なさい」
フルバは、カールスに従って次の間へと移った。
「ハイデリッヒ陛下! シャルロット皇后陛下!」
キール王国の元首ハイデリッヒ王とシャルロット王妃が、部屋に入ってきたフルバを笑顔で出迎えた。久しぶりに見るキール王夫妻の姿に、フルバの声はいつになく弾んだ。
「久しぶりですね。フルバ。変わりないようですね」
穏やかな笑顔でフルバに声をかけたのは、キール王妃シャルロットだ。水色のグラデーションが美しいドレスに、丁寧に編み込まれた金色の髪がよく映える。王妃は愛情溢れる国母として、国民から敬愛されている。
「そなたは、キール王宮医だったそうだな」
カールスがそう言いながら、テーブルの上のカンパニエグラスを手ずからフルバに差しだす。
「エリザベート王女様のご誕生の時より」
「エリザベートも、こんなに大きくなりましたよ。もう11歳。ルドルフは20歳になって近衛騎士団を率いています」
シャルロット王妃の向こうから、ロイヤルブルーのドレスを身にまとった幼い王女が、恥ずかしそうに顔をのぞかせた。両親に似て、輝くような金色の髪に蒼い目をした王女は、触れてはいけない人形のようでもあった。
「ぜひそなたに、大きくなったエリザベートを見せたくてな」
「光栄です」
ハイデリッヒの言葉に、フルバは膝を折って礼をした。
「エリザベート。あなたが生まれるのを助けてくれたお医者様ですよ」
キール王国では、代々、龍の血を受け継ぐ印を持つ者が「龍の後継」として国を統治してきた。夫妻の2番目の子であるエリザベートは、ハイデリッヒの次代の国王となることが生まれた時から約束されている。しかしそれは、秘中の秘と定められていて、どちらの子が「龍の後継」かは、継承式を迎えるまで明らかにはされない。当然、フルバ達それを知りうる立場にある者にも、厳格な箝口令が敷かれている。
「大きくなられました、エリザベート王女殿下」
フルバの言葉に、かわいらしく微笑み返した王女は、開いたばかりの百合の花のように清楚で美しかった。
「エリザベート王女が15歳になられたら、メンフィスと婚姻をと思っているのだよ」
カールスの息子メンフィス王子は19歳。王宮騎士にも劣らぬ剣の使い手として名高い。現在は、クレメンス・メイヤー大学のアカデミーでも学んでいる。
「今回はその婚約のため」
「フルバにはまた、エリザベートの典医としてキールに戻ってきてもらいたいと思っていたのですが……」
「カールス王が離してはくれなそうだな」
ハイデリッヒの言葉に、カールスが肩をすくめておどけてみせた。カールスがフルバのことをことさら気に入っている様子は、言葉にしなくても明らかだった。大柄なカールスのおどけた姿がおかしくて、一同は声を立てて笑った。
世界の調停者の役割を果たすキール王国は、ローズ戦争の終戦のために奔走している。
窓から差し込む血のような夕焼けの光は、この穏やかな時間が束の間の安らぎであることを予言しているかのようであった。