プロローグ
キールの王都マロニアにある王城は、キール王の居城だ。
マロニアの街を見下ろす高台に建つ城は、一方が切り立った崖に面し自然の要塞となっている。中央のクリスタルタワーを、サファイア、ルビー、シトリン、アゲートの4つのウイングが囲むシンメトリー構造で、その4隅に円形の塔を持つ。均整のとれた美しい城は、戦後の復興のシンボルとして、国民に愛されてきた。また、城の周囲に周囲には、騎士堂、礼拝堂、騎士練武場、騎士達の居住棟など27の建物が聳える。
王のプライベートスペースであるクリスタルウイングには、中庭に面したサンルームがある。ガラス張りの天井から、柔らかな午後の陽が室内にぬくもりを振りまいていた。
リサフォンティーヌは、ラズベリー色のドレスの上に深紫色の上着を羽織り、ソファーに深く腰掛けている。
向かいの席には、70歳を超えていると思われる白髪の老婆。
表紙がすり切れて読めなくなっている本が3冊と、紺色の表紙のノートが何冊かテーブルの上に拡げられていた。
「それでは、そなたが彼に薬草学の知識を与えたと」
リサは膝の上に拡げたノートの文字を眼で追いながら、カチャリと音を立てて、手にしていたティーカップをソーサーに戻した。二人きりの室内には、その他の一切の音がない。
深く息を吐き、目の前の老婆が静かに口を開いた。
「アラン閣下から、不老不死の薬とされたあの液体の鑑定を依頼された時から、もしかするとそうかもしれないという懸念はありました。細胞周期を自由にコントロールする術は、あの頃から彼の興味のひとつでしたから」
「確か、あの時に利用されていたのは、ギョリュウサイコウとミシバロッキ」
「それにファージの残骸です。私が教えた、古典的な手法のひとつです」
「ではフルバは、あれをあえてウキレイの街に持ち込んだのは、そなたへの挑戦状だと?」
今は、ウキレイの街で宿屋の女主人をしているフルバだが、若くしてドレイファス王国の王宮専属医薬師を務めていたほどの優秀な医薬師だ。カラキムジア大学で教鞭も執っていた。
「私にではありません」
小さく首を振って、フルバの視線が、まっすぐに目の前の王に向けられた。年齢からは想像もつかないほどに強い力が、その瞳に満たされていた。
悲しみ、哀れみ、怒り、恐れ。ありとあらゆる感情の色が浮かんでは消える。
フルバ・ドゥースは、一言一言を噛み締めるように言葉を続けた。
「私にではありません。私の仕えたドレイファスに、そして……私が忠誠を誓った、このキールに」