川は流れてどこへゆく
おばあちゃんのお家は、古い畳とお線香の香り。
仏間の壁には白黒の写真がたくさん並び
棚に飾ってあるおかっぱ頭の日本人形は
真っ黒な目でさーちゃんを見つめてきます。
さーちゃんは怖くなって、お母さんの服の袖をきゅっと掴みました。
「さーちゃん、さーちゃん。さわこちゃん。ここは良いとこかねぇ?」
おばあちゃんは嬉しそうに、さーちゃんの名前をたくさん呼んできます。
さーちゃんはこそばゆい気持ちでお母さんの後ろに隠れてもじもじしました。
「あのね…えっと、ここはね…すごいとこなの。こいのぼりさんも、おやまも、おそらも、みんなすき!」
「こいのぼりを見て来たかい?」
「ちょっとだけ。もっといっぱいみたい!みずうみもみたい!」
おばあちゃんの家は、居間にある縁側が開け放たれて、気持ちの良い風が通り抜けています。
古くも美しい日本家屋。
小さな町の家はどこもそう。
さーちゃんは、いつの間にか縁側に座って、落ち着きなく足をパタパタとさせています。
遠くにはガヤガヤと楽しげなお祭りの音が聞こえ、それがさーちゃんの心をそわそわとさせているのです。
その様子に、おばあちゃんはうん、と大きく頷きました。
「それならさーちゃん、おばあちゃんとお散歩しようかね?」
おばあちゃんと2人のお散歩は、さーちゃんにとって初めてのことでした。
「おばーちゃん、どこいくの?」
「先ずは川に行こうかね、そしたらそれから湖に行こうかね。ちょっと遠いけどさわこちゃんは歩けるかいね?」
コクリと頷いて、さーちゃんはおばあちゃんの後ろをついてゆきます。
一本道のはしっこを、ゆっくり歩くおばあちゃんの丸い背中を、さーちゃんはずっとついてゆきます。
青い青いお空には
棚引く幾千の鯉のぼり。
その間を通り抜ける風に
混じるは遠くの鳥の声。
祭りで賑わう河原へやってきたさーちゃんは、その川の綺麗なことに驚きました。
ビー玉を砕いたように光る水面に
薄く透けて見える川底の石。
赤い石、青い石、緑の石。
大きさは違えどどれも丸くて可愛らしい。
そこに、川の真上でパタパタと風に泳ぐ、大漁の鯉のぼりの影がゆらゆらと映り込んでいる。
触れようと手を伸ばせば
5月の汗ばむほどの陽気に
火照った手のひらをしっとりと冷やすやわらかな水。
大きな音で流れるのに
水はその中ではとても優しく
浸けるさーちゃんの手を撫でるように
ゆっくりと通り抜けてゆきます。
「川は好きかね?」
コクリと頷くさーちゃんの、浸けた手のすぐ横を、青い葉っぱがすい、と通り抜けました。
「さわこちゃんは、この川のお水がどこへ行くか知っとるかい?」
おばあちゃんは少し目を細めました。
さーちゃんは、葉っぱの流れていった方向を人差し指ですっとさします。
「かわのおみずはうみにいくのよ。」
さーちゃんはちょっぴり胸を張りました。
「そうだねぇ。だけどねさわこちゃん、ここのお水は最初にあの湖に行くんだよ。あの湖で、しばらくは貯まり続けるんだよ。」
おばあちゃんの細められた目は、どこか遠くを見つめているようでした。
「さて、湖へ行こうかね。」
さーちゃんとおばあちゃんは、湖の端っこにやってきました。
湖は、お山の緑もお空の青も
ゆらゆらとキラキラと写り込んで、
まるでもう一つの世界があるようです。
「みずうみにもおそらがみえるね。この下にもおうちがあったりして。」
さーちゃんはおばあちゃんを見上げました。
おばあちゃんはちょっと目を見開いてから、ニヤリと笑います。
「さわこちゃん…。」
言い出しておばあちゃんはうーんと唸りました。
言葉を探しているようです。
そしてやっと、また口を開きました。
「さーちゃんは、知っとるかい?この湖の底には町があるんよ。」