本当は怖いわらべ歌 マザーグースとねずの木の話から
マザーグースにこんな歌がある。
僕の母さん僕を殺した
僕の父さん僕を食べた
僕の妹、僕の骨を拾い
バラの木の下に埋めた。
キーウィット、キーウィット、僕はなんときれいな鳥だろう。
いわゆる「残酷童謡」ですね。
でもこういう系等の童謡ってヨーロッパ全域に伝承してるんですよ。
もちろん、、、グリムにもあります。
グリムではそれは「ねずの木の話」というのです。
その物語の中で歌われるのはこんな歌です。
僕の母さん僕を殺した
僕の父さん僕を食べた
僕の妹のマリーが僕の骨を拾い絹に包んで
ねずの木の下に埋めたのさ
キーヴィット キーヴィット
僕はなんてかわいい小鳥でしょう。
これがロシアに行くと
樺の木になります。
ほかの歌詞は同様です。
「ねずの木の話」
では
継母が先妻の子の首を切り落として殺し
みじん切りにして
それでシチューを作って帰ってきた旦那に食べさえるという
恐ろしいお話です。
さすがに連れ子のマリー(後妻の子です)は恐ろしくなって
ボロボロ泣きながら真実を言えずに
その骨を集めて絹の布にくるんで、ねずの木の下に埋めるのです。
すると木から見たこともないきれいな小鳥が飛び立ち
さっきの歌を歌うんですね。
小鳥は様々なところでその歌を歌い
自分の死の真実を訴えるのですね。
そして石屋からもらった石臼を首にかけたその小鳥は
あの後妻の家に飛んできて
出てきた鬼母に石臼を上空から落とすのです。
その石臼はちょうど鬼母の頭に当たり即死です。
すると呪縛を解かれた小鳥はもとの少年の姿に戻るのですね。
こういう残酷童謡は
どこの国にもあって
それが意味するのは、、
おそらく、、
遠い過去の
カニバリズムやら
子殺し間引きなどの
民族の集団意識集団記憶の
幻影的なビジョンなのでしょうね。