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UP TO YOU  作者: 来生尚
5/14

 救護室でしばらく休んだものの、咳の具合はあまりよくなく、もともと二時間休をとる予定だったのを早め、午後半休にした。

 あの時に比べたら全然マシなのに、営業課ほぼ全員一致で「帰れ」とは。

 自分で思うよりもずっと、酷いのかなぁ。

 込み上げてくる咳をコンコンっと幾つか出しながらエレベーターを降りる。

 駅のコンビニでマスク買って行こう。

 風邪じゃないけれど、咳エチケットって大事よね。

 それまでとりあえずハンカチで口元押さえておこうかな。

 そう思って鞄を開けようとすると、目の前にすっとキレイに折りたたまれたハンカチが差し出される。


「大丈夫ですか」


 顔を上げなくてもわかった。

 イケメンはハンカチまでキレイなのか。


「だいじょ……こほこほ」


 川西さんの顔を見上げた瞬間に、また咳が出てくる。

 どうも話をしようとむせてしまうみたい。

 ぎゅっと眉間に皺が寄って、秀麗な顔が歪む。

 こんな顔さえもキレイなんだ、なんかむかつく。

 こほこほっと何度か咳をしてから、こほんっと喉を鳴らす。


「大丈夫です。ありがとうございます」


「あまり大丈夫そうには見えませんが。これから営業ですか?」


「いいえ。この状態なので早退します。川西支店長は弊社に何かご用件で?」


 支店長がわざわざ出向いてきたというのだから、恐らく支社長とのアポでもあるのだろう。

 一応まだこちらの取引先の担当営業は私だ。

 もしそうならば、ご案内をしなくては。


「いいえ。貴方にお会いしたくて」


 ニコリと笑ったその顔は、胡散くさいことこの上ない。

 こっちは営業用の笑顔から、能面になりそうだ。


「ああ。スマホの件ですね。課長が預からせていただいております。ご足労をお掛けして申し訳ございません」


「他人行儀ですね。田島さんは」


「そうでしょうか? そんな事は無いと思いますよ。課長は課におりますので、すぐにお返し出来ると思いますので、応接までご案内致します」


「お帰りになるところでは?」


「急いでいるわけではありませんから」


 途中咳をしつつもビジネスライクに応対し、川西さんから視線を外してエレベータのボタンを押す。

 早く来い、エレベータ。

 微妙な間が出来ると困るじゃないの。

 ポンっという軽い音と共に、エレベーターの扉が開く。

 先に中に入り、受付のある階を押して、営業用の笑顔で川西さんに「どうぞ」と声を掛ける。


「ありがとう」


 柔らかい声だけれど、人に何かされる事に慣れている人だなと、その声のトーンで思った。


「本当に、一目惚れだったんですけど」


 扉が閉まって個室になったとたん、そんなことを囁きだす。

 油断のならない人だ。


「大丈夫ですよ。真に受けたりしてませんから」


「真に受けましょうよ」


 何故かとても楽しそうに、川西さんはくくくっと笑い声を上げる。

 何がそんなに愉快なのか、さっぱりわからないけれど。


「真に受けませんよ。だって、嘘っぽいですもん。それに自分が一目惚れされるような要素が無い事は、重々知ってますから」


 タイミングよく扉が開く。


「どうぞ」


 川西さんの前に手を差し出し、降りるように促し、それから受付へ案内する。

 空いている応接室を一つ使いたい事を受付嬢に伝えると、快諾し、応接室へと案内される。

 その間、人当たりの良さそうなイケメン笑顔で受付嬢を魅了している。

 うん。やっぱりどっからどう見ても規格外のイケメンだ。

 応接室に川西さんを案内し、受付ブースに受付嬢と足早に戻る。


「田島さん。あれ。誰ですか?」


 声を潜めながら聞いてくる受付嬢の頬はほんのり上気している。


「私の取引先の支店長。ちょっと内線借りていい?」


「どうぞ。支店長なのに随分若いんですね。おいくつくらいなんでしょう」


「さあ」


 実際に年齢なんてわからないので、受付嬢の質問を軽くかわし、課長の内線を押す。



『はい。営業課難波です』


「お疲れさまです。田島です」


『田島? お前帰ったんじゃなかったんか』


「下で川西支店長にお会いしましたので、応接にお通ししました。課長がアポを取られたのかと思ったのですが」


『いや。でもスマホを返さんとな。降りる』


「わかりました。お願いします」


 てっきり課長に用事かと思っていたのに。

 内線を置いて、受付ブースの隅にカバンなどの私物を置かせて貰ってから、早足で応接に戻る。

 ちょうど受付嬢の一人がお茶をお出ししているところだった。


「今課長が参りますので、少々お待ちください」


 お茶出しを終えるのを待ってから、川西さんに声を掛ける。


「申し訳ございません。てっきりスマホの件かと思っておりましたが、弊社の他の者とお約束がございましたか?」


「いいえ。たまたま傍に寄ったので、お仕事中かとは思いましたが寄らせて頂きました。田島さん。体調も良くなさそうですから、お掛けください」


「いえ。ありがとうございます」


 扉の横で直立のまま微笑んで、ソファに座ることを固辞する。

 本来この部屋は平社員の私なんかが使う場所ではなく、最低でも部課長クラスが役職の高い取引先などとの打ち合わせなどに使う場所だ。

 気楽に腰を下ろしていいようなソファではない。

 何度か座るように言われたけれど頑なに断る私を、川西さんは少し困ったような顔で微笑んでいる。

 何となく居心地の悪い時間だけれど、不思議とイヤでは無い。

 気が付くと視線が絡む。

 逸らしても逸らしても追いかけてくる視線から逃れられない。まるで追い詰められた獲物のように。

 コンコン。

 扉をノックする音で、はっとして現実に戻る。

 絡み合っていた視線も外れて、扉へと移る。


「失礼致します」


 イントネーションが標準語の課長の声がして、課長と石川さんの二人が応接室に入ってくる。

 何で石川さんまで。

 あ。もしかして担当交代するからなのかな。


「お忙しいところ、急に申し訳ございません」


「いいえ。こちらこそご足労頂きありがとうございます。どうぞおかけください」


 立ち上がって川西さんが課長に挨拶すると、課長も社交辞令で返す。

 アポなしで何しにきやがった、なんて、さすがの課長も言いません。普段は。

 勧められるままに、一番下座に腰を下ろすと、川西さんはこくりと頷く。

 それが自分に向けられたものだとわかったけれど、気が付かないふりを通す。

 そんな私を見ても、川西さんは表情を崩さない。

 人の良さそうなイケメンで通している。


「出先で連絡を取ろうと思いまして、はたと携帯を忘れていたことに気が付きまして、もしかしたら御社で預かってくださっているのではと思い、寄らせて頂きました」


「そうでしたか。こちらからご連絡を差し上げるべきでしたのに、申し訳ございません」


「いえ。外出しておりましたから、直接お伺いするのが早いかと思いまして。預かっていただき、ありがとうございます」


 差し出されたスマホを受け取ると、川西さんがにっこりと対外用だと思われる笑みを浮かべる。

 ついでといわんばかりに、私にまで。

 ふんわりと目元が緩んだのがわかったけど、なるべく加山さん的能面を意識した。

 何となく表情を変えたら負けな気がして。

 ちらり、石川さんの視線を感じたけれど、それも能面のままかわす。

 喉もとまで込み上げてきている咳をコホンと出すだけで。

 その咳の音で、室内にいる誰もが顔を顰めた。

 そんなに酷くないのに。


「田島さんも本調子では無いようですし、お帰りになるところだったのに付き合せてしまいましたので、これで失礼させていただきます。正式な謝罪につきましては、また後日こちらよりご連絡を難波課長宛に致します」


「畏まりました。その際には弊社支社長も同席させていただきます」


「もちろんです。では、田島さん。お大事に」


「ありがとうございます」




 エレベータ前まで見送ると、肩の力が抜ける。


「すげーイケメンだな、あれは」


 雰囲気イケメン石川さんがそう評価する。

 やはり男性目線でもイケメンなんだ。川西さん。


「うっかりペースを奪われた。新しく石川を担当させるという挨拶もするつもりだったんだが」


 頭を掻きながら課長が溜息を吐き出す。


「すみません。咳が我慢できなくて」


「いや。お前は気にしなくて良い。それよりとっとと帰って病院行け」


 言葉は乱暴だけれど、課長は決して突き放しているわけではない。それはこの数ヶ月でわかっている。


「はい」


「んじゃ俺はこのまま総務に寄るから」


「はい。お先に失礼します」


「調子悪かったら明日休んでもいいからな」


「はい。ありがとうございます」


 課長は「おー」と間延びした返事をして総務のほうへと歩いていく。

 エレベータホールには石川さんと二人、残された。


「石川さんは今日は資料作成ですか」


「ああ。なんなら家まで送ってやろうか」


「結構です」


 良いながらエレベータの上ボタンと下ボタンを両方押す。

 上へ行くのは石川さん。下は私。

 ぴしゃりと跳ね除けたつもりなのに、くくくっと石川さんは面白いものでも見たかのように笑い声を上げる。


「なんだよ。最近お前冷たいね」


「冷たくありません。課長に加山さんを見習うように言われているだけです」


「加山?」


「隙が無くなるようにだそうですよ」


 ポーンとエレベータの扉が開く音がして、上へといくエレベータが着く。

 石川さんはそのエレベータに乗ろうとせず、扉が閉まる。

 乗らないんですか? と聞こうとした時、下行きのエレベータが着く。


「ではおつかれさまでした」


「下まで送ってやる」


 一緒にエレベータに乗り込んでくる石川さんを見上げる。

 二人きりの空間に、心がざわつく。

 これは条件反射だ。ドキドキと胸が音を立てても、気にしちゃいけない。


「悪かったな。俺のせいだろ、その咳」


 時々出る咳を気にしていたらしい。


「いえ。煙草の煙がダメだなんて知らなかったんで。石川さんのせいではないです」


 くくくっと石川さんが笑い声を上げる。


「その加山喋りやめろって。佳代らしくない」


「名前で呼ばないで!!」


 自分で思ったよりもずっと大きな声が出てしまってハっとする。


「もうそういうのやめたからっ。名前で呼ばないでください」


 ちょうど一階についたので、逃げるようにエレベータから飛び出した。

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