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UP TO YOU  作者: 来生尚
2/14

 ぼけーっと病院の白い天井を見上げる。

 ぽたんぽたんと定期的に落ちる点滴を受け、はーっと息を吐く。

 あー、ダメだ。まだちょっと苦しい。



 野村くんは助けにきてくれた。

 石川さんと別担当の女性社員の荒木さんと、それから何故か課長まで連れて。

 トイレから救出してくれたのは荒木さんは青褪めて泣きそうな顔をしていた。

 同じ女性営業社員でしかも美人。

 もしかしたら彼女も取引先関係では嫌な思いをしたことがあるのかもしれない。普段はそんなことをおくびにも出さないけれど。


 夜間救急に言ったほうが良いと、何故か今回は本当に機転が利く野村くんがタクシーを呼んでくれて、荒木さんと野村くんと共に夜間救急をやっている病院に行った。

 結果は大正解だった。

 着いた頃には全身ジンマシンが出ていて、気道も狭くなっていた。

 そして当直医に怒られた。

 こういうときは救急車を呼んでもいいのだと。

 石川さんと課長はそのまま居酒屋に残ったので、その後は顔を見ていない。

 今は処置室の中で、天井を見上げるばかりだ。

 あの後、どうなったのだろう。



「どうですか?」


 心配そうな顔をして野村が仕切りのカーテンを開ける。


「まだ苦しいけど、咳が減ったから少し楽かな」


 こほこほっと咳き込むと、野村くんの顔色が曇る。


「血中酸素濃度92は相当苦しいはずですよ」


 ちらりと指先についているパルスオキシメーターに目を向けて呟いた。

 そんなに低いのか。

 さっき当直医に説明されて、普通は98くらいあるものだと教えられた。だから通常値より低いということはわかる。

 けれど診察にはいなかった野村くんが何でそんな事知っているんだろう。


「詳しいね」


「俺、喘息持ちなんで」


「そっか」


 ひゅーっという喉を通る息の音に、野村くんが顔を顰める。


「助けにきてくれて、ありがとう」


「……こうなる前に助けたかったっす。本当は」 


 そう思ってくれる気持ちだけで十分だ。

 頬が自然とほころぶ。


「アルコールアレルギー。結構酷かったんですね」


「んー。いつもはジンマシンくらいで、こんなに酷くなることないんだけれどね」


「だって営業企画の頃、チョコにアルコール入ってるやつで救護室送りになったって聞いたんですけど。荒木さんに」


「あ。荒木さんは?」


「電話に行きましたよ」


 課長か石川さんに連絡しているんだろうか。

 あー。色々人を巻き込んでしまった。ただの接待飲み会だったはずなのに。

 それに多分、わたしが病院送りになったせいで、会社にも多大なる迷惑をかけるに違いない。

 巻き込んでごめん。

 そう言おうと思ったらむせてしまって、話そうと思ったら首を横に振られた。


「今は何も言わなくていいんで、大人しく回復に努めてください」


 その言葉に甘えて、こくりと首を縦に振ると、野村くんはふっと肩の力を抜いた。


「寝られるなら寝ちゃったほうが楽ですよ。俺がいると気になると思うんで、外出てますね。後でまた来ます」


 そう言い残すと、仕切りのカーテンの向こう側へと消えていく。



 一緒に働き始めて半年。

 初めて、野村くんを頼もしいと思ったかもしれない。




 翌朝。

 結局一晩お泊まりになった病院へ、営業部の部長、課長、担当長の村田さん、石川さん。それから取引先が揃い踏みでやってきた。


「大変申し訳ありませんでしたっ」


 キモイオヤジは青褪めた顔で腰を90度折り曲げ、実行犯と思われる取引先の男も一緒に頭を下げた。


「言い逃れできるようなことではありません。今回は本当に申し訳ありません」


 飲み会の場ではキモイオヤジだけれど、取引先では課長という役職を持っている。

 悪ふざけでは済まないという事は、肌でわかっているのだろう。


「田島さん、本当にすみませんでした」


 目の下に真っ黒なクマを浮かべて、取引先の担当者も謝罪を述べる。

 この謝罪をどう受け入れるべきなのか。

 咄嗟に部長と課長の顔を見ると、こくりと首を縦に振る。

 謝罪を受け入れていいということだろう。


「顔をあげてください」


 二人は同時に頭を上げる。


「冗談でもやって良い事と悪い事があります。それをわかっていただければ結構です」


 あの場にいた他の面々にもそう伝えて欲しい。

 別に男避けのためや酒嫌いだとかという理由で、飲めないと公言しているわけではない。

 むしろ会社にも診断書を提出しているレベルなのだ。

 多分それが上手く伝わらなかったのだろう。


「こちらももう少しきちんとお伝えすべきでしたね。懇親会の場所を飲み屋にしないでいただくとか」


 と切り出したものの、あの雰囲気では確実にお酒が出る場所しか選ばなかっただろうけれど。


「いえ。飲めないと聞いており、ウーロン茶を飲んでいたにも関わらず、ウーロンハイと取り替えたこちらの……」


「なんならおめぇ」


 話を最後まで聞かず、課長の方言が飛び出した。


「おどりゃー、ぶちくらわしたろうかっ」


「課長っ!!」


「あ!?」


 目の据わった課長に「言葉っ言葉っ」と慌てて言うと、ふと我に返ったような顔をする。

 しかしどうやら怒りは沸点に達したようだ。


「飲めないと言っている女性に騙しうちのように酒を飲ませ、一体どうするおつもりだったんですかねえ」


 標準語に戻ったものの、かなり語尾がきつい。

 目線も口調も、射殺さんばかりの勢いだ。


「田島はたまたまアレルギーがあって飲めなかったのですが、これが単にお酒に弱い女性だったら、あなた方はどうするおつもりだったんですか?」


 言い直し、今度は担当者を睨みつける。

 課長! そいつが実行犯ですが、ベタベタ触ってきたのは、そっちのジジイのほうですっ。

 そう言ってやりたい気持ちもあったけれど、火に油を注ぐだけだし、一応取引先だし、口を噤んだまま状況を見守る。


「不埒なことを考えてたんでしょうが、どちらにしてもうちの田島に危害を加える気満々だったと見てよろしいのですね」


「いやっ。そんなことはっ」


「危害だなんて、そんなっ」


 二人揃って言うけれど、そんなことあるでしょうに。

 まあ、ウーロンハイごときで酔っ払って前後不覚になるとは思ってはなかっただろうし、ましてや入院沙汰になるなんて想像もしなかっただろうけど、下心満載だったのは間違いない。

 男の人は軽く触ってやろう、ヤッてやろうくらいに思うかもしれないけれど、こっちはちょっと触られるだけだって、危害と変わらないのに。


「課長」


 筋骨隆々といった感じの村田さんが口を挟む。

 見かけはゴツイ人だけれど、冷静な判断が出来る理知的な担当長だ。

 この場合、頭に血が上っている課長より、村田さんが前面に出るほうが拗れないかもしれない。


「田島は睡眠不足のようですから、残りの話は外で」


「ああ。そうだな」


 こちらに視線を落した課長が同意する。

 昨日から顔すら洗ってない。

 もしかしたら酷い有様なのかもしれない。

 部長、課長、村田さん、石川さん。そして取引先の面々は、来たときと同じように少々大きな足音を立てて部屋から出て行った。

 個室でよかった。

 大部屋だったら、同室の人に迷惑かけてたかも。




「準備は終わったか」


「はい」


 昨日と同じスーツ。

 みっともないと思うけれど、それしか無いのだからしょうがない。

 実家は遠方で両親が退院には間に合わなかったので、退院の手続きは課長が色々してくれた。

 入院の保証人にもなってくれていたようだ。


「すみません。今日本社で会議でしたよね」


「お前は余計な事を気にせんでええ」


 大して荷物の入っていないバックを持ってくれて、看護士さんに挨拶をして一泊した病室をあとにする。


「あそこは担当から外す。ええな」


「はい」


 当たり前だろう。こんな問題を起こしてしまったのだから、私がそのまま担当というわけにもいかないだろう。

 ぐりぐりっと頭を撫でられるので、大きなその手の持ち主を見上げる。


「お前がわりぃわけじゃない。気にすんな」


「はい」


「あれじゃな。昨今そういう取引先が無くなってきて安心しとったが、お前にはしんどい思いをさせたな」


 いいえ、とも、はい、とも答えにくくなってしまって、言いよどんでしまった。

 辛くなかったといえば嘘になるし、大丈夫ですといっても嘘になる。


「お前は荒木と違って、隙がある」


「……はい?」


 いつもの方言がなりを潜め、急に標準語になった。

 ということは、課長が仕事モードになっているということだ。


「荒木はああ見えて隙がない。だが田島は妙にサバサバしていて下ネタにも応じて女性らしさを隠しているつもりだろうが、どこか頼りないというか」


 見透かされたような気がして、息を呑んだ。

 異動になってきてからまだ半年なのに、何でそんな事に気がついたんだろう。

 人によってはうらやましいと思うような体つきに成長してしまったがために、不快な思いをする事が多い。

 荒木さんのようにいっそ見ろ! と言わんばかりに出してしまえばいいのかもしれないけれど、そうする勇気は無い。

 胸なんて隠しておいたほうがいい。女性らしくなんてしていないほうがいい。

 それでも通勤電車で痴漢にあうのには辟易している。

 いっそ胸がまっ平らだったらいいのに。


「あれだ。加山に能面を学べ。アイツはすごいぞ」


 加山というのは、同じ担当の派遣社員さんのことで、業務中はニコリともしない人のこと。

 彼氏が関わったときだけ、とても表情豊かになる。

 きっと和ませようとしてくれたんだろう。

 ふっと頬が緩む。


「加山さん級になるのは難しいですよ。それにあんな感じで営業行ったら怖くないですか?」


「まあ、確かになあ」


 話しながら入院会計窓口に行き、ピカピカの診察券を自動会計機に通す。

 むっ。

 一泊の入院でも結構掛かるのね。

 カードが使えるようなので、カードで清算を済ませると、課長がひょいっと診療明細書を手に取る。


「預かる」


「はい」


 預かるということは、会社が今回の支払いをしてくれるのかもしれない。

 それはそれでありがたいけれど、まだ当分面倒が続きそう。

 課長には気付かれないように、そっと溜息を吐き出した。

課長の「なんなら、おめぇ。おどりゃー、ぶちくらわしたろうかっ」は

標準語にすると「なんだ、お前。お前、ぶん殴ってやろうか?」です。

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