挿話:スイッチ・2
今度営業で取り扱うシステムがイマイチよくわからなくて、システム模型のあるラボに行った。
SEさんに現物見ながら説明されると、わかりやすいな。
なんて考えながら歩いていると、視界に見覚えのある姿が飛び込んでくる。
あれ。田島さん? だよな?
誰だあのイケメン。
田島さんは、見たことが無いイケメンと手を繋ぎながら歩いている。
彼氏?
こないだ荒木さんと合コン行くとか行かないとか言っていたから、合コンで見つけた?
いやいやでもでも、彼氏欲しいーとか先週末荒木さんと絶叫してなかったか。
じゃあ、あれは何だ。
進行方向に俺いるのに、全然気付いてねえぞ。
顔真っ赤にして、イケメンと楽しそうに話してて。
イケメンのほうも蕩けそうな甘い顔してるから、あちこちでオバチャンも女子高生もイケメンに視線持ってかれてる。
てか、あれ、本当に田島さんだよな。
目を凝らして見なくても、やっぱり田島さんだ。
「田島さん」
本当に近くに来ても気がつかなかったらしい田島さんは、びっくりした顔で立ち止まる。
「のむらくん」
「病院は終わったんですか?」
「あー。うん。終わったよ。吸入もしたからラクになった。野村くんはどうしたの? こんなとこで」
「ラボに用事があって行ってました。えっと」
当たり障りの無い会話をしつつも、気になってしまうのは、隣のイケメン。
一体どういう関係なんだ。
人当たりの良さそうな笑顔を浮かべたまま田島さんを見つめているし、手はしっかりと繋いでいる。
何気に恋人繋ぎというやつだ。
指と指が全部絡んでいるやつ。
困ったような顔でイケメンを見上げる田島さんに、イケメンはふっと口元に笑みを浮かべる。
笑顔にも迫力があるな。イケメン。
危うく見惚れるところだった。
「はじめまして。婚約者の川西です」
婚約者!?
「かわにしさんっ!?」
「同僚の方ですね? いつも佳世がお世話になっています」
婚約者婚約者婚約者。
まぢか!!!!
「……あ。いえ。寧ろ自分の方がお世話になってます。すみません」
動揺のあまり自分でも何言ってるか良くわかんなくなったけど、婚約者。
この、男から見てもカッコイイと思えるようなのが、田島さんの婚約者。
「ではこれで失礼します」
「あっはい!」
お辞儀をされたので、咄嗟に頭を下げた。
ぽかーんとしている間に、二人は駅の改札の中へと向かっていく。
無意識に俺はスマホを取り出してダイヤルしていた。
『お疲れ。何?』
仕事中は(仕事中も?)やたらと素っ気無い荒木さんの声が、冷気をはらんでいるかのような冷たさに聞こえるのは気のせいじゃない。
でも今はそんな事どうでもいい。
「田島さんって婚約者いるんでしたっけ?」
『野村くん。それ冗談のつもり?』
「いえ。正気です。今目の前を婚約者と田島さんが通りました」
『今すぐ写真っ』
「はいっ」
顰めた声だったけど、明らかに俺今怒鳴られたし。
荒木さんってこういうキャラだったっけ?
ま、いいか。
プチっと電話を終えて、周囲に全く気付いていない二人の後を追う。
幸い改札口までかなり距離があったので、早足で先回りして柱の影から二人の写真を撮る。
気分は週刊誌のカメラマン。みたいな。
スマホで何枚か写真を撮ると、ふっとレンズ越しにイケメンと目が合う。
完全に気がついたはずなのに無視して、そのまま二人は改札のほうへと歩いていく。
何枚か撮れた写真(当然恋人つなぎの引きのショットも納めました)を急いでLINEで荒木さんに送る。
既読はついたものの、反応は無い。
その代わり、田島さん本人からLINEが届く。
--誰にも言わないで!
あ。ごめんなさい。俺もう言っちゃいました。しかも写真つきで。
とは返さずに、善処しますとだけ送っておいた。
とぼとぼと会社までの長くない道のりを歩いていると、スマホが着信を告げる。
『今どこ』
せめて名乗ってください、荒木さん。
「駅と会社の間です」
『東口のコーヒーショップで待ってて』
「はい」
先輩の命令を断るほど、俺、命知らずじゃありません。
今ちょっと仕事する気になれないし、別にいっか。帰らなくても。
命じられたままにコーヒーショップに入って、なるべく店の奥の方の、外からは見えにくい席を選んで座る。
下っ端なんで、サボってるとこ見られると色々ヤバイし。
熱々のコーヒーは飲めなくて、テーブルの上に放置。
その代わりにスマホを手にとって、荒木さんに店に入った事をLINEで伝える。
その時に目に入ったのは、田島さんと婚約者の姿。
あー。
なんか折れた。
ポキっと折れた。
守ろうと思ってたのになぁ。
そんな言葉が自然と沸きあがってきた。
あー。そっか。
助けてって言われたから、舞い上がっちゃってたんだな、多分。
気がついたら無性に恥ずかしくなってきた。
目の前にあるのが酒だったら、気持ちの誤魔化しようもあるのに、コーヒー。
無情にもコーヒー。
「あーあ」
スマホをジャケットの上に放り投げて、火傷覚悟でコーヒーに口をつける。
俺かっこわりー。
何変に盛り上がってたんだろ。
冷静になるっていうのはこういうもんなのか。
田島さんへ何かしらの想いが出来たりとかしなくって、良かった。
危ない危ない。
早めに気が付かなかったら、泥沼にはまるとこだった。危ない危ない。
「野村くん」
「は、い」
感傷に浸る余裕も無く、少々どころではなく苛立ちを隠せない表情の荒木さんが仁王立ちしている。
恐ろしい。
なんか冷や汗出ちゃいそうなんですけど。
「婚約者ってどういうことよ!」
いきなり荒木さんが大声を出すから、店内はシーンと静まり返る。
これ、完全修羅場と勘違いされたし!
「ちょ、ちょっと、落ち着いてくださいっ」
「落ち着いてられるわけないでしょっ」
「俺に聞いたってわかるわけないじゃないですかっ」
売り言葉に買い言葉的な感じで、同じ声のトーンで応酬してしまった。
アホだ。俺。
「コーヒー飲むわ。とりあえず」
周囲の視線に気が付いた荒木さんは、コホンと咳払いをして目の前の椅子に座る。
小声になったせいか、周囲の注目は逸れたらしい。良かった良かった。
荒木さんもコーヒーを飲んだ。
ホイップたっぷりで甘そうなやつを。
「写真見たけど」
「はい」
気分は取り調べされてる被疑者です。
でも俺、何も知らないし!
「あれは誰なの?」
「俺も知りません。でも婚約者だってイケメンが言ってました」
「イケメンね」
そう言うと荒木さんは鼻で笑った。
「彼女、イケメンは大嫌いなはずなんだけどね」
「あのイケメンのことですか?」
「ううん。世間一般で言われるイケメン枠に入る人ね」
「そうなんですか?」
「そうよ」
「でも恋人繋ぎっすよ」
ピクリと頬を引きつらせ、荒木さんはコーヒーカップをテーブルに置く。
「少なくとも先週までは男の影すらなかったのよ。何があったのかしら。わたしの知らないうちに」
歌うように言うけど、端々に棘がある。
めっちゃこえー。荒木さん。
そういえば最近田島さんと荒木さんってつるんでる事多かったし、二人で合コン行くとか行かないとか言ってたくらいだから、荒木さんが知らないのはおかしいかも。
「何があったのか。明日問い詰めましょう」
「そうね」
明日は金曜日。確実に飲み会だ。
田島さん、すみません。速攻、もしかしたら一番ヤバイ人にバラしたかもしれません。
金曜日。
朝から荒木さんは俺に「飲み会招集忘れずに」とパソコンのメッセンジャーで送ってくる。
わかってます。
ちゃんと声かけますって。
メッセンジャーを開いて、いつものようにいつものメンバーに「飲み会のお知らせ」を送る。
グループメッセージで送っているので、全員に同じタイミングでメッセージが届く。
そしてその返信も全員に送られる。
一番早い返事は隣の席の加山さんで「ごめんなさい。欠席します」
予想通り。今週は彼氏の今野さんは大阪らしいから無理だろうと思っていた。
ポロポロと出席の連絡が届く中で、田島さんの「ごめんなさい」は予想外だった。
アルコールと煙草の煙があるところには、今は近づけなくてと続いていたので、無理に誘う事は出来ない。
まだアナフィラキシーの余波が残っているのかもしれない。
今週倒れたばっかりだし、本人もアルコールのある場所に近付くのに躊躇いがあってもおかしくはない。
無理に誘う事はせず、荒木さんの追及はきっと別の場所で行われるんだろうなーと思って、深く追求しないままになった。
昼時は同じ担当のメンバーで食事に出るから、イケメンのことを聞く雰囲気ではなかったし。
なのに。
それなのにっ。
「佳代」
静かにイケメンは爆弾を落した。
1階のエレベータホールを出たところ、ちょうど会社の入口の傍に、イケメンは立っていた。
誰もがチラチラと振り返っているにも関わらず、全く本人は気にしていない。
俺も荒木さんも、そして飲み会常連メンバーも、あんぐりと口を開けている。
そのくらいこのイケメンは規格外だ。
モデルとかテレビタレントとか俳優だって言われても「ですよね」と納得してしまうくらいなのだから。
足早にイケメンの傍に駆け寄った田島さんは、何やらコソコソと話している。
田島さんが話すのを微笑みながらイケメンが見守って、最後にクスクスと上品な笑いをする。
なんだこれ。
「川西支店長。どうかなさいましたか」
切り込んだのは課長だ。
さすが課長。
ってか、知り合いっすか?
「いつもお世話になっております。私用ですのでお気になさらず」
課長にさらっと挨拶をすると、イケメンは目の前の田島さんに目を戻す。
「帰りますよ」
「もー。何でっ」
真っ赤な顔して田島さんがイケメンを睨みつけ、イケメンはそれを受け流す。
「文句なら後で聞きます」
宣言すると、イケメンは田島さんの手を取って、スタスタと歩き出す。
何か言いたそうに田島さんが振り返るけど、結局イケメンに拉致られた。
残された俺たちはしばらく二人の姿を見守るしかなかった。
「一体何がどうなっているんだ」
課長の言葉がやけに大きく聞こえた。