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UP TO YOU  作者: 来生尚
13/14

挿話:スイッチ・1

『野村くん、ごめん。助けて』


「田島さん?」


 取引先との飲み会先からの電話に、一瞬声を失った。

 助けてって何!?


「ちょ、ちょっと、どうしたっていうんですか」


 思いのほか大きくなってしまった声に、座敷が静まり返る。

 目の前で荒木さんが眉を顰めたのはわかった。

 けど、それどころじゃないっ。

 田島さんが俺に助けを求めるなんて、よっぽどのことがあったんだっ。

 焦る俺の耳には、咳き込む田島さんの声しか届かない。

 一体何が起こったっていうんだ。



 そして自分の中でスイッチが入った。

 絶対に助けなきゃって。

 俺が助けなきゃって。



 田島さんとの電話とLINEを終えると、ぐいっと荒木さんにネクタイを引っ張られる。


「何があったの?」


「田島さんが、飲み物に酒を混ぜられたって」


「迎えに行きます」


 荒木さんは、勢いよく立ち上がって、壁に掛かった自分のコートに手を伸ばす。


「前に聞いたことがあるの。営業企画で誰かのお土産のチョコを食べたら、それにアルコールが入っていて、救護室に行く事になったって」


 コートに腕を通しながら、荒木さんがイマイチ状況を掴みきれていない俺らに説明するように話す。


「酒がダメとは聞いとったが、そこまでなんか?」


「はい。チョコを食べた時には早退したそうです。飲んだ量によっては、かなりまずい事になっているかと」


 ぞくりと寒気がした。

 電話越しでもわかるくらいに、呼吸が浅かった。

 それに、電話が辛いからってLINEに切り替えた。

 ってことは、相当今苦しいんじゃ。


「俺っ! 行きます!」


 鞄を掴んで立ち上がると、荒木さんが頷き返す。


「場所わかんないからよろしく」


「はいっ」


 二人で飛び出そうとしたところを、後ろから肩を掴まれる。


「俺も行く」


 石川さんがむすっとした顔のまま宣言する。

 確か田島さんが今日懇親会をしている取引先は、以前は石川さんの取引先だった。

 それにもしも倒れてしまっていたら、人手は多いほうが良い。


「すみません。後お願いします」


 一応そう声を掛けると、信田さんが「心配するな」と頷く。

 今は田島さん救出が第一だ。

 会計とかは信田さんがいるから、何とかしてくれるだろう。

 荒木さんと石川さんと三人で店を飛び出すと、後ろから「ごらー!」と太い声が飛んでくる。課長だ。


「管理職置いてくなボケっ」


 荒木さんと顔を見合わせて、課長を含めて四人で田島さんがいるお店へと向かった。



「佳代っ」


 トイレで田島さんを見つけた荒木さんは、今にも泣きそうな顔で田島さんを抱きしめた。

 実際、その姿を見たら絶句するしか無かった。

 顔は真っ青。呼吸は浅い。多分吐いたのだろうと思われるようなシミが服にもある。

 アナフィラキシー(※急性のアレルギー反応で最悪死に至ることもある)だと思った。


「救急車、呼びましょう」


 本当にこの状態はヤバイ。

 ところどころにジンマシンも出ている。

 多分、喘息じゃなくって、気道にもジンマシンが出ていて呼吸がしにくい状態になっているんだと思う。

 ここまで酷いと、点滴やステロイドで治療しないと、命に関わる。


「救急車は……」


 取引先のハゲ頭が渋面をする。

 てめー、この場に来ても保身かよ!

 イラっとして口を出しそうになったけど、課長が俺を睨みつけるから諦めた。

 課長も何か言ってやれよ!

 この状態の田島さん見ても、体面のほうが大事なのかよ!


「でも病院行かないとまずいっすよ。夜間救急行きましょう」


「野村。田島はタクシーで夜間救急連れてけ」


 懐から出した財布から一万円札を取り出すと、課長は俺に押し付けるようにして渡す。


「病院着いたら連絡」


「わかりましたっ!」


 荒木さんが田島さんを見ていてくれるので、その間にレジのところの店員に、タクシーを呼ぶように頼む。

 一分一秒でも早く、病院に連れて行かないと。



 夜間救急を行っている総合病院に着いて、必要事項を紙に書いている段階で、受付傍にいた看護師に声を掛けられる。

 傍から見ても相当悪いのはわかるのだろう。

 田島さんはぐったりと椅子に座っていて、真っ青な顔で看護師の質問に答えている。

 話を聞きながら、看護師は田島さんの指先にパルスオキシメーター(血中酸素濃度を測る機械)をつける。

 88~90の間をいったりきたり。

 喘息だと大発作と呼ばれる、即入院レベルの状態だ。

 顔にもジンマシンが広がっていて、多分皮膚の薄いところはジンマシンだらけになっているんじゃないだろうか。

 これ、本当に田島さん大丈夫なのか?

 不安が過ぎる。

 2~3日は入院しないとまずいんじゃないんだろうか。

 案の定すぐに診察に呼ばれ、気管支拡張剤の吸入と点滴治療をする事になる。

 まずはこれで状態を見るらしい。多分入院間違いなしだと思うけど。

 荒木さんが課長に電話に行くというので、その合間に処置を受けている田島さんのところへ顔を出す。

 診察の間は外していたほうがいいだろうと思って、待合で待っていたのだけれど、このまま顔を見ずに帰るというのも気になって仕方が無い。


「どうですか?」


「まだ苦しいけど、咳が減ったから少し楽かな」


 そう答える田島さんの表情はいつもよりずっと青白いし、ところどころジンマシンで赤い斑になっている。

 会話の合間に咳き込んだり、ひゅーっと狭い気管を通る空気の音が喉から漏れる。


「助けにきてくれて、ありがとう」


 こんな時に笑わないでください。

 自分がすごく情けなくなった。何も出来てない。助けられてないのに。


「……こうなる前に助けたかったっす。本当は。アルコールアレルギー。結構酷かったんですね」


「んー。いつもはジンマシンくらいで、こんなに酷くなることないんだけれどね」


 いつもどおりの笑顔を浮かべて息苦しそうに話すから、ここにいても無理させるだけだと思って、もう一度待合に戻る。

 無理はさせたくなかった。

 助けられなかったんだから、せめて少しでもラクになれるように、無理はさせないようにしておこう。



 結局一泊入院した田島さんは翌日の水曜日は会社を休み、木曜日に出社した。

 何度かLINEでやりとりをしていたものの、ジンマシンが引いて、咳も出ていない田島さんを見てほっとする。

 いつもどおりの田島さんとまでは行かず、今日は加山さんの能面にも心配が浮かんでいる。

 たまにコホコホっと咳き込むような音がすると、誰よりも早く加山さんがパーテーションの向こう側の田島さんを見る。

 下っ端だし、取引先とは関係ないから、何がどうなっているのかはわからない。蚊帳の外。

 でも相手先の支店長だから頭下げにきたとかで、田島さんは課長と一緒に少し早めのお昼に出た。

 俺が昼休憩から帰ってきた時には席にいなかった田島さんが戻ってきたと思ったら。


 咳!!!


「田島さんっ。発作出たんじゃないんですか? 息苦しくないですか? ひゅーひゅーしたり、ぜーぜーしたりしてないですか?」


「大丈夫。この間ほど酷くない」


 そう答えるけど、めちゃくちゃ咳出てるじゃないですかっ。

 何か昼に食べた物にアルコールが入っていたのかとか色々心配したら、喫煙所に行っていたらしい。

 それはダメですよ、田島さん。

 思わず頭を抱えてしまった。

 この人、すげーやばいアレルギー持ってて、しかも一泊入院までしてきたっていうのに、わざわざ具合悪くなるようなことするなんて。

 へらっと笑っている顔に、ますますもって守らなきゃと思った。

 無自覚というか無頓着というか天然というか、今まで「先輩」というくくりで見てたから気付かなかったけど、大丈夫なのか? 田島さん。


「おおらかっていうか、鷹揚っていうか。それは田島さんの良さだと思いますけれど、もうちょっと気にしてください。自分の身体の事なんだし」


「はい、すみません」


 ニコニコしながら答えるところを見ると、全く俺の言葉は耳に届いていない。

 あー。もうっ。

 なんなんだこの人はっ。

 目の届く範囲にいるときは、食べ物と煙には気をつけるように声かけるしかないか。

 結局救護室でも早退を勧められた田島さんは、納得がいかなそうだったけれど、早退していった。

 今日も無理に出てこなくても良かったのに。

 もう少し体調落ち着くまで休んだらいいのにな。

 そう思ってLINEを送ったけれど「大丈夫だよ」という返事が返ってくるだけだ。はあっ。



 仕事をしていると、突然電話が鳴る。

 田島さん?

 一体どうしたんだろう。また体調が悪くなったんだろうか。

 スマホを手に取り、廊下へと出る。

 喫煙所以外に休憩スペースが無いので、仕方なく非常階段のほうへと向かう。


「どうしたんすか? 病院で何かありました?」


 声を潜めて話すと、電話の向こうからのんびりとした声が聞こえてくる。


『ううんー。診察はまだこれから。診察時間までかなりあるから、コーヒーショップで時間潰そうと思ったのね』


「症状伝えても、早めに診察はしてくれなかったですか?」


『今は結構落ち着いてるんだ。座ってればひゅーひゅー言わないし。それに担当医の先生が席を外してるんだって』


「緊急性が無いくらい、症状が落ち着いてるって事ですね。それは良かったです。で、どうしました?」


 確かに電話口からも浅い呼吸の音は聞こえないし、咳き込む事も無い。

 会社で飲んだ薬が効いたのかもしれない。

 で、何で勤務中ってわかってんのに、俺に電話してきたんだろう。


『んーっと』


 何かを言いかけて、田島さんの声が止まる。

 どうしたんだろう? としばらく待ってみたものの、全く応答が無い。

 背後の人の行き交う音や声で、通話が切れたわけではないのはわかる。


「田島さん?」


 何で黙ってるんだろうと思って声を掛けてみる。


『あっ。ごめんごめん。時間あるからコーヒー飲もうと思うんだけれど、喘息の時にコーヒーって飲んでいいの?』


 笑いが込み上げてくるのを辛うじて押さえ込む。

 何この人。

 めっちゃ可愛いんですけれど。


「俺に聞く前に、そこ病院なんだから、病院で聞くっていうのは浮かばなかったんですか?」


『あ。そっか』


「別にいいっすけどね。田島さんに頼られるなんて超レアなんで。あー。ただ煙草の煙には近付かないように気をつけてくださいね」


 素直に俺の話をうんうんと聞いている田島さんに、何故か保護者のような気分になってくる。

 ノリが良くて話しやすくて頼りになる先輩から、おっとりとしていて、ちょっと可愛い守ってあげたい人に、田島さんのポジションが変わった。確実に。

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